もう死ぬしか手立てがない。
俺は今、高架橋の手摺に寄りかかり、電車が来るのを待っている。
電車に撥ねられるのは痛いのかな。できれば、一思いに頭から撥ねられて痛みを感じないことを願いたい。
今日から5日間、クラスメイトは修学旅行へと旅立つ。両親には悪いが、俺は体調不良と嘘を吐き、修学旅行を欠席した。事なかれ主義の担任のことだ。俺が苛めを受けているのも知っているし、俺が修学旅行を欠席することも想定内だろう。残念だな、体大事にな、とおざなりな言葉を残して電話は切れた。
きっと修学旅行中も苛めは続くだろうし、そんな地獄のような旅行へ行く気にもなれなかった。最初は明るくて良いクラスだと思っていた。ところが、からかいが徐々に苛めに発展して行き、罵声、暴言、最近では暴力は日常茶飯事。金銭の要求までされるようになった。
お小遣いが底をついて、出せないと言うと暴力を振るわれ、家から持ち出して来いとか、万引きをしろと言われるようになって行った。家から黙ってお金を持ち出した時には、バレて両親からはこっぴどく怒られた。両親には相談できなかった。きっと、親に言えば学校に怒鳴り込んで、俺への苛めはますます激化することだろう。
電車が近づいてきた。足が諤々と震えている。いざ飛び降りるとなると、さすがに怖気づいてしまう。でも、クラスメイトが帰ってきて、またあの地獄のような日々が始まるのだと思うと、耐えられなかった。
「よし。」
誰も居ないのに、俺は一人で呟いて、手摺に足を掛けた。
体がフワリと浮いて、その滞空時間が無限にも感じられた。
お父さん、お母さん、さようなら。不甲斐ない俺を許して。
電車が徐々に近づいてきて目の前に迫ってきた。俺は固く目を閉じた。
目が覚めると、そこは電車の中だった。座席には、何人かの乗客が座っていた。あれ?俺は今、高架橋から飛び降りて、電車に撥ねられたはずだ。何故、電車の中にいるのだ。ワープ?そんな馬鹿な。座席に横たわっていた体をゆっくりと起こすと、その乗客が一斉に俺を見た。
「えっ?」
俺は、驚愕に目を見開いた。高校の制服を着た俺、私服を着た俺、スーツを着た俺、そして少し年老いていて人相は変わっているが、その老人も俺だと認識できた。嘘だろう?年齢は全て違うが、俺にはその人達が、全て俺自身だということを認識できた。
一番年の近そうな、高校生の俺が近づいてきた。
「なあ、お前、死ぬことなんてなかったんだ。何故自殺した?」
そんなこと、お前が一番よく知ってることじゃないか。俺は、自分にまで見放されてしまったような疎外感を覚えた。
「お前が死ななければ、俺たちは存在することができたというのに。」
皆が俺を非難するような目で見ている。
「じゃあ、いったいどうすればよかった?あのまま苛められて、ずっと地獄を見ろとでも言うのか?」
俺も負けずに、彼らに訴えかけた。
「バカだな、お前。なんてことをしてくれたんだ。」
その次に近づいてきたのは、おそらく大学生くらいの年齢の俺だ。
「そうだぞ、お前。お前は生きていれば、将来普通のサラリーマンになって、結婚だってできたんだ。子供だっている。俺たちの存在はどうしてくれるんだ。」
スーツ姿の俺も、怒りの表情で俺を見ている。
「みんな好き勝手言いやがって。今の俺の苦しみを知っていてそんなことを言うのか。」
俺は、たまらず涙ぐんだ。
すると、一番年配の、おそらく50代くらいの俺が近づいてきた。
「あのなあ、お前は今日、橋から飛び降りて自殺したが、あの後、お前を苛めていたクラスメイトの奴らは、全員、バスの事故で死ぬんだ。正面衝突でな。お前への苛めを見て見ぬふりをした
あの担任教師もろともな。だから、お前は死ぬ必要なんてなかったんだ。」
「えっ、嘘だろう?」
お腹の底が冷えて、心臓はバクバクと音を立てている。
「本当だよ。お前のクラスメイトは全員死んで、あの中学校は廃校になる。お前は、別の学校に転校して、そこでは苛めもなく、むしろクラスメイトを失って同情を受け、平和に暮らせるようになるんだ。高校受験にも合格、大学へと進学して順風満帆な人生を送れるんだよ。」
大学生の俺も近づいてきた。
「なあ、お前を苛めていた奴らは、自業自得なんだよ。あいつらには死がふさわしい。お前だって、あいつらを恨んだだろう?苛めていない奴らも、お前への苛めを見て見ぬふりをした。同罪じゃないか。」
高校生の俺が、ニヤニヤしながら、俺に語り掛ける。
「それなのに、お前というやつは。全てを無にするとは、なんと愚かな。」
皆で俺を取り囲んで、口々に俺を非難する言葉を浴びせて来た。
「仕方ないじゃないか。俺はもう限界だったんだ。あいつらが居ない、修学旅行の時しかチャンスは無いって思ったんだ。」
「バカだな、お前だけ助かったんだぞ?修学旅行に行かなかったから。神様は見てたんだ。神様は本当にいるんだよ。」
年配の俺が、ありがたやありがたやと手を合わせる。
そこで、俺は、初めて重要なことに気付いた。俺以外、全員が死ぬ。
たくさんの命が奪われるというのに、俺は何もすることができないのだ。
「・・・助けなきゃ。」
「は?何言ってんだ?お前。」
「誰を助けるって言うんだ?」
俺の周りを取り囲んだ俺が、一斉に俺を非難の目で見た。
「クラスの、皆を。」
「バカか、お前!何でわざわざお前を苦しめた奴らを助けなきゃなんないんだよ!」
「そうだよ。お前、頭おかしいのか?さっき自分は限界だって言ったくせに。」
「だからって、皆が死んだって喜べって言うのかよ。おかしいよ。」
「おかしくなんかないじゃないか。あいつら自業自得だろ。人の気持ちも慮れないやつらは死んで当然。」
「違う!」
「お前、トチ狂ったのか?また苛められるんだぞ?」
「そうかもしれない。」
「じゃあ、妙な気持ちを起こすんじゃないよ。ていうかさ、この電車がどこに向かっているのか、知っているのか?」
大学生の俺が、俺に尋ねた。
「・・・知らない。」
「この電車はきさらぎ行きさ。お前みたいな、中途半端な気持ちで死んでいく者が行くところだよ。」
「きさらぎって?」
「知らないよ。ただ、この電車には俺たち以外のやつらも乗っている。この車両の空間は、俺たちだけだけどな。他の車両の奴らも、なんらかの理由でこのきさらぎ行きの電車に意図せず迷い込んでしまったらしい。」
「帰れるのか?」
「そんな方法、知っていれば俺たちが試してるって。お前が自殺なんてするから、違う時空の俺たちまで、この電車に乗せられちまったんだろうが!」
スーツ姿の俺が唾を飛ばして怒鳴り散らした。
きさらぎ駅。都市伝説だと思っていた。インターネットの掲示板で見たことがあるが、あんなものはネタだと思っていたのだ。
あの掲示板に書いてあった方法が、間違いないとすれば。
帰れる方法はある。
「ねえ、アンタは煙草を吸うの?」
俺は、サラリーマンの俺に、問いかけた。
「は?吸うけど?なんだよ。」
どうやら、このサラリーマンの居た時空では、きさらぎ駅の都市伝説は知られていないようだ。
「ライター貸して。」
「えっ?ライター?何するんだ?」
「いいから!」
サラリーマンの俺は、渋々ライターを俺に渡した。
俺は、自分の着ていたシャツの袖を破くと、それに火をつけた。
「な、何やってんだ、お前。」
皆が慌てた。
「煙を出せば、帰れる。」
「ほ、本当か?それ。」
「そうだ。そして、俺は、帰って助ける。あいつらを助ける。」
「助けるって?クラスメイトをか?」
「そうだ。」
火は大きくなり、黒い煙が車内に漂った。
「バカだな、お前。帰ったらまた苛められるぞ?」
高校生の俺が笑った。
「人が死ぬよりはマシだ。」
煙が立ち上り、俺以外の俺たちの形が曖昧になり、消えて行った。
目が覚めると俺は、元居た高架橋の網に縋って座っていた。そして、時計を確認する。
ヤバい、もうすぐバスの出発時間だ。
俺は、走った。学校に向かって全速力で走った。
間に合え!間に合ってくれ!
学校の校門にたどり着くと、今まさに、バスが発車するところだった。
「止まれ!」
俺はバスの前に躍り出た。
バスは急ブレーキを踏んだ。
「何やってんだ!お前!危ないじゃないか!」
バスの運転手が、身を乗り出して叫んだ。
何事かと担任が外を覗いて、俺を確認すると、慌ててバスを降りて来た。
「どうしたんだ、お前。体の具合が悪くて休むって言ってたじゃないか。」
心底迷惑そうな顔をしている。あなたにとって、俺はお荷物だと思う。
でも、このまま出発してしまうとあなたは死ぬ。
あいつらの言うことが本当ならば。
「出発しないでください!お願いです!」
「何言ってるんだ、お前。修学旅行に行きたいのなら、乗りなさい。」
「嫌です!とにかく、引き返してください!」
「どうしたいんだ、一体。行くのか行かないのか、はっきりしろ!」
「出発しないでください!」
「何をバカなことを。早くしないと、飛行機に遅れてしまうじゃないか。行かないのなら、どきなさい!」
担任は、無理やり俺をバスの前からどかそうと、服を引っ張った。
俺はバスの前で大の字になって寝そべった。
バスの中から何事かと見ていたクラスメイトが俺だと気づくと、罵声を浴びせて来た。
「何やってんだ、お前。ふざけんなよ。」
「マジ、殺すぞ、このボケ!」
大の字に寝そべった俺を担任教師は無理やり引きずり、校門の中へと押しやった。
「いい加減にしないか。ふざけるのも大概にしなさい。」
そう言いながら、バスに乗り込もうとする担任に縋った。
「お願いです。待って!出発しちゃダメだ!みんな死ぬ!」
渾身の力で担任にしがみつく。俺にもこんな力があったのかってほど、担任は身動きが取れなかった。
「やめなさい!こら!離しなさい!」
担任も汗だくで抵抗して、俺を引き離そうとした。バスの中からは、俺の異常な執念へのざわめきで溢れ、バスの運転手は困惑していた。
騒ぎを聞きつけて、学校から教師が飛び出してきて、俺を引き離して俺はその教師らによって取り押さえられてしまった。もはやこれまでか。でも、だいぶ時間は稼げた。
担任とクラスメイト達は、俺を非難の目で見ると、バスに乗り込んで行ってしまった。すぐに家に連絡が行き、俺は母親に伴われて、自宅へと帰宅した。母親からは、何でこんなバカなことをしたかとさんざん言われたが無視していた。
しばらくして、学校から連絡があった。高速道路へ向かう道路で大きな事故があり、修学旅行の日程が大幅にずれたという知らせだった。もう10分早くそこを通過していれば、修学旅行のバスは巻き込まれていた。大型トラックが車線を大きくはみ出して、トラック同士が正面衝突。幸い、運転手には命に別状はなかったようだ。
そして、バスにも不備があり、そのまま高速に乗れば、確実にタイヤがバーストする欠陥が見つかり、他のバスに乗り換えて、修学旅行の一行は旅立った。
俺は、あの不思議な電車での体験のことをずっと考えていた。やはり、あれは本当に俺なのか。それとも、こことは別の平行世界の俺たちなのか。いずれにしても、死ぬのはもう止めた。
死んだところで、たぶん世界は変わらない。
そう思っていた。
修学旅行が終わり、クラスメイトからの苛めはピタリとなくなった。
それどころか、苛めをしていたリーダー格のやつからこう言われたのだ。
「よお、お前、すげえな。予知能力とかあるの?お前のあの10分が無かったら、今は無かった。」
きさらぎ行きの電車は今もまだ走っているのだろうか。あの俺たちは、ちゃんと元の世界に帰れたかな。
「予知能力は無いけど、未来の俺はあるよ。」
「お前、変なヤツだな。」
作者よもつひらさか