「人を探しているんです。」
ある雨の日の午後、この探偵事務所に、憔悴しきった中年女性が訪れた。聞けばその失踪人は、中学生二年生の男子で、名は加藤雄太14歳。二週間前の朝に学校に行ったきり行方不明だと言うのだ。
「警察には連絡されたのですか?」
「ええ。でも、警察はあてになりません。家出人なんて珍しいものではないので、あまり本気で取り合ってくれないのです。」
ため息をつく母親は、加藤和子。
「息子さんの特徴を教えていただけますか?あと交友関係は?」
そう問うと、母親の表情はますます曇った。
「息子は、やせ型で身長は160㎝くらいです。交友関係はありません。」
「お友達は居ないと?」
「ええ、だから、警察の方にも、友人の家を渡り歩いているということはありませんか?と聞かれたけど、本当にあの子には友達が居ないのです。一人も。」
「そうですか。何か、息子さんの失踪に心当たりは?」
「いいえ、ありません。私達家族は喧嘩もありませんし、息子に煩くしたこともないのです。ただ・・・。」
「・・・ただ?」
母親は固く両手を組んで握りしめると、絞り出すように答えた。
「あの子、学校で苛めにあってたんです。」
「苛め、ですか?」
「ええ。ある日を境に、皆が息子を無視しはじめたらしいんです。」
「原因となる出来事があったのですか?」
「息子もわからないと言っていました。朝登校したら、いきなり。」
まあ、最近の子供は、ゲーム感覚で苛めをするということを聞いたこともあるので、あり得る話だと思った。
俺はその次の日から捜査を始めた。まずは彼が通っていた中学校に聞き込みを始めた。学校に直接問い合わせをするも、生徒の個人情報に関することにはお答えできませんと、想定内の返答が返ってきた。そこで、俺は知人を介して直接その知人の子供から情報を得ることにした。
するとすぐに、不可解な事実が判明した。失踪したと言われた加藤雄太は、一年前にすでに亡くなっているというのだ。
「苛めを苦にした、自殺?」
俺は居酒屋で、知人を呼び出し、酒を酌み交わしながらもそう尋ねてみた。
「いや?苛めなどはなかったらしいが。」
「でも、母親は苛めがあったと言ったのだが。」
「そもそも、加藤雄太は病弱でほとんど学校には行ってないらしい。死因も病死だし。」
それでは、母親は何故、苛めがあったなどと言ったのだろう。
その数日後、母親が探偵事務所を訪ねて来た。
「息子が見つかりました!ご面倒をおかけしてすみませんでした。」
母親は前日とは打って変わって、明るい表情で探偵事務所のドアを開けたのだ。
その母親のすぐ後ろに、黒くて薄い影が見えた。
俺は、はっと息を飲んだ。
「ほら、あんたも探偵さんにご迷惑かけたんだから、ご挨拶しなさい。」
母親に促されるとその黒い影は徐々に母親の後ろから姿を現した。本当に薄くて良く目を凝らさなければばからないが、どうやら学生服を着ている少年らしいということは認識できた。
これは、踏み込んでは行けない案件に俺は巻き込まれてしまった。単なる母親の狂言であると片付けたかった。息子を失ったショックで、母親はまだ息子の死を受け入れられないでいる、そう思いたかった。
だが、それは確かに、俺の目の前で存在感をあらわにしている。黒い影はユラユラと揺れて一瞬ぺこりと頭を下げたように見えた。その瞬間に切なくなった。息子の死を受け入れられない母親を思うあまり、息子の魂は母親のもとを離れられないのではないか。
俺は、彼女に真実を告げる勇気はなかった。
「良かったですね、息子さん、見つかって。」
俺の口からは、そんな言葉がついて出て来た。
「ありがとうございます。今までの捜査にかかった費用はお支払いします。」
母親がそう頭を下げると、続いて
「お世話になりました。」
とはっきりと少年の声が俺の耳に響いた。
俺が信じられない面持ちで、顔をあげると少年は笑顔で手を振って母親と事務所を後にした。茫然と二人を見送りながら、俺はある可能性のことを考えていた。
もしかして、あの息子も自分が死んだことを自覚していないのではないだろうか?苛めが無いにもかかわらず、学校で無視されたと母親に訴える息子。彼がもし、死んだ自覚なく学校に行けばどうだろう?彼はすでに存在していないので、彼がどんなに話しかけようが友人は気付かないのは当たり前なのではないだろうか。
その予感が見事に的中してしまう出来事が起こった。数日後、加藤少年が一人で探偵事務所を訪ねて来たのだ。俺は今までそういう体質ではなかったはずだ。
「母から言われて来たんです。探偵さんがいつになっても、請求書を送ってこないので、僕が取りにきました。」
以前は、影のように薄かった彼の姿は今、はっきりと少年の形をとっていて微笑んでいる。とても、死んでいる人間には見えない。本当に加藤雄太は死んだのだろうか。
俺は動揺を隠そうとしたが、手は震えた。
「そ、そうか。ちょっと待っていて。すぐに書くよ。」
俺はもしかしたら、壮大な悪戯に担がれているのか?ドッキリ企画でどこかでテレビカメラが回されているのではないだろうか。どう見ても目の前の少年は存在しているのだ。きっと知人も加藤和子も仕掛け人で俺はひっかけられているのだ。そうに違いない。
でも、何の目的で?
俺のような冴えないその日暮らしの探偵で、一般人にそんなドッキリを仕掛けて、何が面白い?
「ねえ、請求書作るだけでそんなに時間がかかるの?」
パソコンを目の前に一向に指の動いていない俺を不思議そうな顔で少年は見つめた。
「ああ、ちょっとやっぱり郵送で送ってもいいかな。お母さんにそう伝えておいてよ。」
俺は咄嗟にそんな嘘をついた。
「うん、わかったよ。」
少年は、事務所を後にした。
確かめなければならない。
本当に加藤雄太が存在するのか。
俺はある特殊な手を使って、加藤雄太の戸籍を調べることに成功した。
確かに、彼の死亡届は出されていた。
俺は加藤家を訪ねることにした。加藤家を訪ねると、その家の主人らしき人物が応対した。そして、今までの経緯を加藤雄太の存在を抜きにして、そういう依頼が和子からあったことを告げると主人はため息をついた。
「あれは病んでおりまして。いまだに死んだ息子と生活しております。」
さも、息子が存在しているかのように、彼女は生活しているのだと言う。だが、最近彼女にも変化が現れたらしく、彼の死を受け入れるようになってきたのだというのだ。
「時々、泣いて、雄太はもう居ないと言って、今まで認めなかった彼の仏壇にも手を合わせるようになったんですよ。」
主人は寂しそうに俯いた。
「妻がご迷惑をおかけしました。捜査等にかかった費用はお支払いします。」
「いえ、結構です。自分も知人を介して話を聞いただけなので、ほぼ費用は掛かっていませんから。」
そう丁重に断ると、主人はすみませんと頭を下げた。すると、奥から痩せてやつれた和子が出てきて俺に頭を下げた。
「本当に今回は、ご迷惑をおかけしてすみません。私もようやく現実を受け入れることができるようになりました。」
そう言って深々と頭を下げる首筋には骨が浮き出ていた。彼女らはこれからずっと、息子の死の痛みを背負って生きて行くのだろう。
俺は同じ年齢の息子を持つ身として、彼らの辛い胸の内を思った。俺は事務所に帰ると、書類の整理を始めた。今回の案件はこれで終了だ。
「ただいま。」
息子の声がして、ドアが開いた。ここは探偵事務所であるが自宅も兼ねているので、玄関は共有なので当然息子もこの玄関から自宅に入ってくる。
「おう、お帰り。」
離婚してバツイチの俺は父一人子一人の二人暮らしだ。
肩さげのスポーツバッグに青いサッカーのユニホーム姿の息子の後ろに黒い影が見えた。
まさか・・・。
その影はユラユラと、息子の後から着いてくる。
俺の異変に気付いて、息子が
「どうしたの?父さん。」
と声を掛ける。
黒い影は徐々に形を鮮明にして行き、その姿を現した。ああ、やっぱり。
「ねえ、おじさん?おじさんが早く請求書を送ってくれないから、母さんが気付いちゃったでしょ?僕は居場所が無くなったから、おじさんのところに居てもいいよね?」
こいつは、初めから自覚があったんだ。
自分が死んでいることを知っていた。
「出ていけ!この家から!息子に構うな!」
息子の後にぴったりくっついて離れないそれに向かって俺は叫んだ。
「父さん、どうしちゃったんだよ、父さん!」
騒ぎを聞きつけて、近隣の住人が駆け付けた。
俺は刃物を振り回して暴れた。
そして、俺は今、医療刑務所で過ごしている。
「俺はこんな所に居るわけにはいかないんだ!息子を!息子をあいつから守らなければ!」
一年後、俺の元に最愛の息子から手紙が届いた。
「父さん、僕のことは心配しないで。今は兄さんと暮らしているから大丈夫だよ。」
俺はその手紙を読んで絶望した。
お前に兄など居ない。
作者よもつひらさか