あれから店主の言葉が耳を離れない。
その為、帰路につく私の足取りは重い…
まるで足首に枷を掛けられているか、人でもぶら下がっているかの様に。
…それもそのはず。
延々と店主の言葉が私の脳裏を駆け巡っている。
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『あっ…居るね……』
放たれたあの言葉は時間が経つにつれ、私の恐怖心と相まって生々しい【言霊】となってゆく。
( 帰りたくないな… )
しかし、そんな訳にもいかない。
仕事は休めない。
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当時の私は医療関連施設に勤めていた。
月に数回、夜勤がある。
今日がその日だ、だから美容室を予約した。
施術が終わってからでも、眠る時間はある。
そう考え、今日にしたのだ。
今となっては美容室に行った事…いや、店主に相談した事を深く悔いているが…
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【ソレ】は認識するべきではなかった。
【ソレ】を明確にしてはいけなかった…
【ソレ】が私の生きている世界に足を踏み入れてしまった…
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( あ゛-…どうしたもんか…マジでヤダ…マジで無理… )
無駄な足掻きだとは分かっている…
だが私は現実逃避する事しか出来ず、普段の倍以上かけて家に向かっている。
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( こんな事してても結局帰るしかないじゃん…
ウチん家、あそこしか無いんだし… )
【ソレ】に対して成す術もない私は、ただただ虚しかった。
どれだけ足掻こうとも、自問自答は解かり切った答えしか生まない。
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帰路に時間をかけている為、刻一刻と睡眠時間が削られてゆく。
職務への責任感と、現実味を帯びた【ソレ】への恐怖が鬩ぎ合う。
仕事から逃れられない憤りと【ソレ】に対する恐れが混ざり合い、嘔吐きとなってこみ上げてくる。
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shake
sound:32
プルルルルルッ…
突然携帯が鳴り出す。
怯えきっていた私の体が瞬時に飛び上がった。
恐る恐る、携帯の画面に目をやる。
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【Sさん】
彼は私の友人であり、同僚。
肉体的にも親密な時期があったという、奇妙な関係だ。
「どしたの?」
親しい人間から連絡がきた事により、張り詰めていた緊張の糸がほんの少し緩む。
『あ~…私ちゃんゴメンやねんけど、今夜泊まってもイイ?
明日早番になってもうてさ…』
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我が家は職場まで徒歩で行ける距離だ。
通勤が便利だった為、たまにSさんは泊まりに来る。
「ん~…別にイイんやけど、今日ウチ夜勤なんよ。
それでも良ければイイよ~」
気を許してる間柄なので鍵を預ける事に躊躇はなかった。
ただ、【我が家】に他人を独りで寝泊まりさせるのはこれが初めてだ。
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『全然大丈夫やで~
マジ助かるー!ありがと~ね~』
今の私の心境を知らないSさんは、いつも通り陽気に話す。
彼の聴きなれた声のお蔭で【ソレ】に対しての恐怖心がほんの少し消える。
だが、顔が綻びそうになった瞬間、ある事を思い出してしまった。
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以前からSさんも【ソレ】の存在を認識していたのだ。
( せやのに独りで泊まる事は抵抗ないんかな?
逆なら無理だわ… )
そんな疑問を抱くが、敢えて言葉にはしないでおく。
これ以上、【ソレ】という存在を強く意識したくなかったから…
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あれからSさんと合流し、一緒に帰宅した。
( Sさんが居てくれるから、ちょっとは怖くないかも… )
【独りではない】という安心感から、情けないながらもどうにか我が家の敷居を跨ぐ。
家の中はいつもと変わりはない。
…はず。
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店主との遣り取りを知らないSさんは、リビングで普段通りに寛いでいた。
私はというと、夜勤の支度をする。
夜勤は1人体制なので、必要な物が多い。
支度をする為に、家の中を歩き回っているので何度か1階の廊下を通る。
【ソレ】への恐怖はSさんが居る事と、徐々に増してくる激しい睡魔によって多少紛れだしていた。
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緊張と恐怖からくる心労がたたり、ゆっくりと限界が近付く。
少しずつ意識が朦朧としだす私は廊下を通る度に、店主に言われた【階段の踊り場】を見れずにいた。
理由は考えたくない。
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だが、今なら言える…あの時、今まで以上に【ソレが居る】と思い知らされていたからだ。
【ソレ】がこちらを凝視していた。
今ならハッキリと、言い切れる…
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私はリビングでテレビを見て寛ぐSさんの近くで怯えながらも、眠りに就こうとしていた。
寝ない事には身体がモタない。
夜勤は14時間拘束・休憩なしといった、なかなかの肉体労働なので尚更だ。
疲れ切っていた為か、入眠してから目覚める迄は、あっという間だった…
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日が沈みだした頃、Sさんに留守を頼み、私は職場へと急いだ。
出勤すると同時に、怒涛の如く業務を投げ付けられるのが私の職場だ。
その為、【ソレ】への恐怖など感じる暇を与えてくれない。
普段は憂鬱でしかない職場だった。
しかし、この時ばかりは過酷な労働環境に感謝していた。
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Sさんには店主の話をしないでおいた。
だから【ソレ】の存在をSさんが無駄に意識する事はない。
私はそう楽観的に捉え、Sさんを【我が家】に独りにしてしまったのだ…
今となっては申し訳ない気持ちと後悔しかない…
あんな事になるとは思ってなかったんだ…
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ゴメンね…
作者御姐
初投稿です。
文章力もない私の拙い作品に目を通して頂き、有難う御座います。
基本フィクションです。
オカルトは好きだけど、基本信じていない私(関西人)が美容師に悩みを打ち明ける。
そこから始まる不可解な現象…
前編・中編・後編の3部構成にてお届け予定です。
今回はその中編です。