今日も夜勤が始まる。
日勤との引き継ぎが卒なく終わり、私は普段通りに業務を熟す。
そうこうしているといつの間にか、日勤者の退勤時間となっていた。
今からは私一人での勤務となる。
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この施設は2階建てとなっており、9人の患者が各々の部屋に寝泊まりしている。
夜勤の基本的な業務は患者の就寝ケア・夜間の巡回、見守り・起床ケア・朝食の提供…
記入する書類も山ほどあり、休憩を取る事など到底許されるはずもない。
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医療関連施設なので、患者によっては夜間の急変も有り得る。
その場合は独りで対応を求められた。
14時間拘束、不眠不休で気を張り詰めていなくてはいけない環境…
今日はまともに寝ていないので、いつもに増して気怠さを強く感じる。
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21時過ぎ。
夜勤は勤務開始からこの時間迄が一番厄介だ。
やる事が多すぎる…
一人でやる仕事量ではないのは確かだった。
そんな業務もやっと一段落した。
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( ふー…… )
大きな溜息が漏れ、疲れ始めていた私はテーブルにもたれ掛かる。
( まだ半分も時間が経ってない…気張らんと… )
流石に睡眠不足は堪える。
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だが、有難い事にこの時間になると、患者は全員寝静まっていた。
この後は明日の準備、定時巡回、書類作成など、決まった業務だ。
何事も無ければ淡々と業務を熟すだけ。
何事も無ければ…
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shake
sound:32
ピリリリリリッ…
突如、静寂を切り裂き施設の電話が鳴り響く。
あまりの衝撃に背筋に嫌な感覚が走る。
この施設は事務員の勤務時間の兼ね合いで、公には17時迄しか電話が対応出来ない事になっている。
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だが、電話は24時間繋がる様になっている。
極稀に同僚や提携している病院からの緊急連絡がかかってくる事がある為だ。
しかし、本当に極稀でしかなく、かかってこないに等しい。
その電話が鳴ったのだ。
驚いて当たり前だった。
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( 出たくない… )
本能的に激しい拒否反応を脳が発信する。
悲しいかな、社畜に成り下がっていた私の手はそんな事はお構いなしに受話器へと伸びる。
「お待たせしました。○○○(施設名)です。」
反射的に定型文を相手に言い放つ。
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我ながら複雑な心境だ…でも、これが現実…これが社会人…
3コール目で電話を受けたが、5秒ほど経っても相手からの返答がない。
( …間違い?悪戯電話か? )
不審に思うが、会社の電話だから無碍には出来ない。
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「もしもし…?」
2・3度、問いかけたがやはり相手は何も話してくれない…
( 次訊いて何も言わなかったら切るか… )
煩わしさから眉間にシワが寄る。
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そう思った瞬間、無音だった受話器から音が聞こえだす。
ジャッ……ジャッ……ジャッ……
私の脳が一瞬で【アカンやつ!】と判断し、鳥肌に全身が犯される。
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( 無理っ!怖いっ!怖いっ!怖いっ!怖いっ!!! )
流石に社畜の私でも躊躇う事なく、電話を力任せに切った。
( 何?!あの音…意味分からん…!! )
さっきの音が鮮明に耳に残る。
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何と言い表すべきか…まるで砂利道を歩く様な音…?
いや、そんな音が電話から聞こえてくるばずもない。
だが、私の耳につく音は確かに砂利道を進む音だった…
( 何なん!?悪戯??回線の故障…???マジで勘弁してよ… )
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考え得る現実的な答えを必死で探すが、望む様な答えには辿り着けず、虚しさのあまり私の目には涙が浮かび出していた。
徐々に不安と恐怖心が強みを帯びてゆく。
心臓の鼓動がしっかりと解かる程、力強く脈打つ。
最悪な展開だ…
恐れるあまり、また【ソレ】を思い出してしまった。
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( まさか…有り得んって…【ソレ】は無関係やって…たまたまやって… )
己を落ち着かせる様に何度も言い聞かせる。
ショート寸前の脳が【ソレ】との繋がりを必死に否定した。
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電話を切ってから、5分以上経ったのだろうか?
shake
ピロンッ
背後のテーブルに置いていた自身の携帯の通知音に驚き、口から心臓が飛び出そうになる。
…LINEの通知音だ。
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( 今度は携帯!?会社の電話の次はこっち??! )
気が付くと私の目に浮かんでいた涙が頬をつたって零れ落ちていた。
あまりの恐怖がそうさせていた。
ゆっくりと…震える手で持った携帯を恐る恐る覗き込む。
「…Sさんからだ」
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家に泊まっているはずのSさんからの連絡。
慌てて内容を確認した。
《 帰ります 》
その一言だった。
状況が呑み込めない。
考える前に私はSさんに電話をかけていた。
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出ない…
鳴らし続けても出ないので、仕方なく電話を切るしかなかった。
再度LINE画面を開き、急いで文字を打ちこむ。
《 どしたん?何かあった? 》
そう打ち込んで送信ボタンを押そうとした。
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shake
sound:32
プルルルルルッ…
Sさんからの着信だった。
タイミングが良いのか悪いのか、さっきから私をワザと驚かせているかの様な所業…
呼吸を整えようと、深く息を吐き出してから電話に出る。
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「もしもし?Sさん、どしたの?大丈夫?」
会社にかかってきた電話の事もあったが、急に帰ると言い出したSさんが心配でならなかった。
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『私ちゃん…勝手言ってごめんやけど、今夜は家に帰るわ…ホンマごめん…』
明らかに声色がいつもと違う。
どんな時も明るいSさんなのに、この電話の声はどうだろう…焦っている?
Sさんが動揺する事は珍しい。
その事から私は気付きたくもない事を、何となく察知してしまった…
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「何かあったんよね…?」
意を決してSさんに尋ねる。
『………』
Sさんは無言だった。
無言であるが為か、電話越しにSさんの緊張感が重く伝わってくる。
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「もしかしてやねんけど……家ん中で何か起こった…?」
訊くのも、言葉にするのも嫌だったが尋ねるしかなかった。
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「相当な事がない限り帰るとか言わんやん……ゆってよ…」
私の顔が歪む。
眉を顰め、無理に片側の口角だけ攣り上げ問いただしていた。
不安と恐怖と心配と…愚かにも、ほんの少しの好奇心のせいでそんな表情になっていたのだ。
そんな私の心境を知ってか、知らずかSさんは黙ったままだった。
だが、急ぎ足で帰路に着いている呼吸音の乱れだけが微かに私の耳へ届く。
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『炊飯器がさ…落ちてん…』
何の前置きもなくSさんがそう呟く。
我が家の炊飯器は食器棚の窪みとなっている炊飯器専用スペースに収めている。
だから落ちるという事はそこから引っ張り出すぐらいの事をしないと不可能だった。
それが落ちた…?
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言葉だけではあまり怖さを持たないが、前述の様な状況を理解している私には不可解かつ、恐怖でしかない。
「それってさ…勝手にって事だよね…?」
『うん…』
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Sさんは私の問いに、すぐに答えた。
『炊飯器が落ちてから家の中が変な空気になって、おれる状態じゃなくなってん…ごめんやけど今日は帰るわ。
鍵は私ちゃんが帰る前に渡すね。』
そう力なくSさんは私に伝えると電話を切った。
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shake
ピリリリリリッ…
再び施設の電話が鳴り出す。
Sさんからの電話を切った直後に、だ…
嫌な予感がする…自己防衛本能とでも言うのだろうか?私は施設にかかってきた電話に対し、この上ない拒否反応を示す。
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それは多分、Sさんに起こった事も踏まえての反応だったのかもしれない。
( 出たくない!出たくない!出たくない!出たくない!出たくないっ!!! )
だが無視する事は許されない。
しかし、身体は正直なもので恐怖と動悸が、電話に出る事を躊躇する。
私は無意識に自身の携帯を強く握り締めていた。
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5・6コール程鳴り続けてからやっと出る。
「もしもし…?」
震える唇から、声を絞り出す。
ジャッ……ジャッ……ジャッ……
( さっきの音…やっぱり同じ奴だっ!嫌だ!嫌だっ!!嫌だっっ!!!!! )
あまりの恐怖が頭痛となって襲い掛かる。
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shake
『あ゛ぁ゛ーーーーーーーーー』
突如、受話器から謎の音がけたたましく私の耳へと流れ込む。
shake
ガチャンッ
音を認識すると同時に私は電話を切る。
力任せに切った受話器が壊れんばかりの音を立てた。
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いっその事、電話線を抜こうと思うほど私は恐怖に呑み込まれていた。
( あの音…音なのか?どっちかと言うと…人っぽい声?だった様な…… )
冷静になろうと呼吸を整えると、脳が状況整理を始める。
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( ホラー映画とかで良く聞く様な男の呻き声…? )
低く、途切れ途切れなのだが、一定の音程で喉から声を絞り出した様なおどろおどろしい声…
その声に翻弄され、冷静さが保てない。
また背筋が凍る。
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私は思い当たる嫌な考えを追い払う為に、激しく首を左右に振り続けた。
( 気のせい!気のせい!気のせい!ビビり過ぎて幻聴が聞こえたんやって… )
必死に思い込もうと何度も何度も繰り返す。
それなのに色々な憶測が浮かび、思考が混乱する。
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ゾッ…
否定し続ければ勘違いで終わると思った私の甘い考えを、根本から折らんばかりの視線を背後に感じた。
( 振り向いちゃいけない… )
私は背後から感じる悍ましい視線の重圧に呑みこまれそうになる。
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金縛りの様な感覚に襲われた。
だが一瞬、手に持っていた携帯に意識が逸れる。
硬直する体に、めいいっぱいの力を籠め震える指でロックを外す。
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( お願い!出て…! )
今の私を唯一助けてくれるかもしれない人物に電話を掛ける。
コール中もずっと背後に視線を感じ続け、足がすくむ。
心の中で強く懇願した。
( お願い…出てよ… )
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涙が自然と溢れ出し、呼吸がままならない。
意識が飛びそうだ。
『もしもし?』
店主の声だ。
その声が私の意識を何とか留まらせた。
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「店主さん……ごめん……」
出来る限りの力を振り絞り、私は声を出す。
『あー…私ちゃん、鏡掛けへんかったやろ?』
店主は私の声からか、空気感からかは解からないが、状況を既に察知していた。
「…ごめん」
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あまりの恐怖と疲労と睡魔からか、愚かな事に私は店主に指示された鏡を掛けず【我が家】から出た事を思い出す。
『強く言わんかった俺も悪いけどさ、鏡は絶対かけて欲しかったな…』
店主は呆れた物言いで小さく溜息をつく。
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「ごめんなさい…」
後ろの悍ましい視線と店主に申し訳ない気持ちから私は俯き、謝る事しか出来なかった。
戻れるなら時間を戻して鏡を掛けておくべきだったと後悔する。
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『ちゃんと言った事はしないと…気付かれたって言ったよね?』
店主の苛立ちを含んだ声が私を責める。
怒られる子供の様な心境ではあったが、店主との会話のお蔭で後ろの視線からの圧迫感が少しマシに感じた。
「鏡…仕事終わったら買いに行ってきます…」
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そう言ってから私は店主に電話があった事、砂利道を歩く様な音が聞こえた事だけを伝えた。
『だーかーらー、鏡掛けへんかったから出て来たんやん。こっちが気付いた事で動ける様になってもうてん。今後ろおるやろ?電話通して憑いて来てるよ。』
( あっ…詰んだ… )
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店主は【お祓い業】をしている為か、【霊】についての【当たり前の知識】の様なものをもっている。
だから私に対し【さっきからそう言ってるでしょ?】と言わんばかりの口調だった。
そしてオブラートに包む事無く、私の後ろの視線は【ソレ】だと決定付けた。
私の感情の何かが小さな音を立てて爆ぜる。
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『もう憑いてきてもーたから、何も俺は出来んわ。気休めやけど帰ったらすぐに鏡は掛けとき。』
店主は普段穏やかな喋りだが、感情の起伏があると関西弁が顕著になる。
今は私に対しての苛立ちからそうなっているのだろう。
「わかりました。遅くに電話ごめんね。じゃ…」
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私は申し訳ない気持ちで電話を切ろうとした。
『どうしても対処出来ん事があったらまた連絡しといで。』
最後に店主が呆れた物言いではあったが、そう言い放つ。
私はその優しさに縋った。
「…有難うございます。おやすみなさい…」
涙が頬をつたっていた。
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さて、電話を切って店主に後ろに【ソレ】が居ると言い切られた私は業務どころではない。
電話の最中は店主のお蔭か恐怖などは緩和されていたが、電話を切るや否や元の最悪な状況に戻っている。
店主の人柄に涙していたが、【ソレ】と同じ空間に居る現状のせいで涙はスッと引っ込んでしまった。
私は未だ後ろを振り向けずにいる。
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だが、電話をした事により少しは冷静さを取り戻せた。
( 今も私の後ろに【ソレ】が居る。
店主は『憑いてきた』って言ったよね?でも【ソレ】を飛ばしてる元彼はこの事を知らない…別れてから何年も経ってるよね…ってか別れてからもどんだけ未練タラタラなん?【生き霊】でストーカー行為するとかマジ有り得んっしょ! )
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私は昔から少し頭のネジが少し緩んでいるらしい。
冷静になるにつれ、さっきまで【ソレ】に対し恐れのあまり脅威とみなしていたが、【元彼が本体】と再度認識するにつれ苛立ちと、鏡を掛け忘れた自分の不甲斐なさからくる八つ当たりの様な感情を【ソレ】にぶつけていた。
( 付き合ってた時もあんだけ人に迷惑かけといて、無意識とはいえ、どんだけウチに迷惑かけまくったら気が済むん?! )
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ただただ腹が立つ。
交際中の嫌な思い出がフツフツと蘇る。
さっきまで恐怖で震えていた体は、次第に元彼に対する怒りからくる震えに変わっていた。
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【霊】に物理は利かないとは分かっている。
だが、死んだ人の魂や妖怪等とは違い、【生きた人間が飛ばしている霊体】と思うと何故か恐怖が薄れた。
そして私は純粋に元彼が大嫌いだった。
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( …ん?ってかいつからおったん?別れてから何度か引っ越ししたけど、今の家が一番長く住んどるよね。【階段の踊り場】に居るのも、ウチん事が一番見易い場所やからとか…男連れ込んだ時に電話で妨害?え…何様?? )
何故か私は【ソレ】に対しての考えが【元彼】に対しての考え方になっていた。
だから恐怖はいつしか不快感となり、憎悪と変化を遂げる。
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怒りのあまり右足が貧乏揺すりを始めた。
眉間に深いシワが寄り、「チッ」と軽く舌打ちをしたと同時に私は勢い良く後ろを振り向く。
( マジでお前何なんっ!! )
そんな感情を後ろに居る【ソレ】に投げ付けていた。
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自分でも信じれない。
あれ程恐れ、必死になり、睡眠時間まで削って牽制しようとしていた【ソレ】に今は憎悪を向けている。
その感情を察してかどうかは解からないが、振り向いた先には何も居なかった。
さっきまで感じていた悍ましい視線もない。
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本来なら楽になった事に喜ぶべきなのだろうが、私は行き場のない怒りをどう消化するべきか分からずモヤモヤだけが残った…
( 元々都合が悪くなると逃げる奴やったけど、【生き霊】になってもそのままかよ… )
ワナワナと込み上げる怒りから、私は目の前の椅子を軽く蹴飛ばした。
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気が付けば苛立ちも治まり、私の勤務時間はそろそろ終わりに近づいていた。
【ソレ】が私の後ろから消えて以降は特に何事もなく、患者の急変もない平穏な夜勤でしかなかった。
あれだけ怖がっていた私はどこか拍子抜けしていた。
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1時間前から日勤者も出勤しており、職場はいつも通り慌ただしい。
だが、早出のはずのSさんがまだ出勤して来ない。
早出は2時間前には出社しているべきだ。
だから昨日の電話で『明日鍵を渡す。』とSさんは言っていた。
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そうすれば他の人の目に触れる事も心配せずに済んでいたから…
私達の関係は公表するべきものではなかったからだ。
互いに複雑ではあったが、成る様にしてなった結果だった。
だが、周りにバレると面倒なので秘密にしている。
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( 遅刻?Sさんが?…珍しいな。 )
時間に正確なSさんが遅刻する事は今までに無く、事務員も何度か携帯に電話を入れているらしい。
仲の良い同僚と「Sさん、どうしたんだろうね?」などと話していると事務員が慌てて主任の元に駆け寄る。
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『Sさん、昨日の夜に交通事故にあったらしくて、今○○○病院にいるってご家族から連絡ありました!』
私の耳に思いもよらぬ情報が入ると、急激に目の前がグネグネと揺れ動く。
多分過度なストレスによる眩暈だろう…
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視界がおかしい…胃が締め付けられる。
眩暈と胃の痛みから引き起こる吐き気に襲われた。
一人では立っている事が出来ず、同僚に肩を貸して貰い事務員に詳細を訊く。
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Sさんは昨夜22時頃、車に撥ねられ今は意識不明の重体らしい。
ご家族が言うには、信号待ちをしていると突然道路に向かって前のめりに躓いた様に転んだ。その拍子に車に撥ねられたと近くに居た目撃者から聴いたとの事。
すぐに救急車が来て一命は取り留めたが、今は意識が無い状態で本人とは話せない。
警察による現場検証も行われたらしいが、何故立ち止まっていたのに躓く様な事になったかは不明…
目撃者も少し離れた場所を歩いており、たまたま目に入っただけ。
誰もSさんの近くには居なかったとの事だった。
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今のところ、本人の不注意による事故という事になっているらしい。
だが、私は胸騒ぎがしていた。
22時頃…その時間は多分私が【ソレ】を追い払った時間…
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【ソレ】は【我が家】に泊まったSさんに炊飯器を落とす等の威嚇をしていた。
Sさんと私は肉体的に親しかった…
考え過ぎかもしれない。
自意識過剰の被害妄想であって欲しい。
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だが、この胸騒ぎは私の保身を嘲笑いながら踏みにじってくる様だった。
( 違ってて欲しい… )
私はまた懇願していた。
自己中心的な願いだとは分かっている。
だが、もし私のせいでSさんに危害が及んだのであれば私は…
そんな事で頭がいっぱいになっていると、突然視界が真っ暗になった。
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あれから私は気を失っていたらしい。
職場の休憩室にあるソファーで目を覚ました。
現場にフラフラと戻るなり、事務員に呼び止められる。
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私が気を失っている間に警察から私宛に連絡があった様だ。
最後に電話をかけた相手が私だったから…
目が覚めたら、電話を折り返して欲しい旨を伝えられる。
( やっぱ夢じゃないんだ… )
望まない現実を再確認し、私は落胆した。
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Sさん、ごめんね。
作者御姐
初投稿です。
文章力もない私の拙い作品に目を通して頂き、有難う御座います。
基本フィクションです。
オカルトは好きだけど、基本信じていない私(関西人)が美容師に悩みを打ち明ける。
そこから始まる不可解な現象…
前編・中編・後編の3部構成にてお届け予定です。
今回はその後編です。