「あらぁ?誰かしら?こんなことをしたのはぁ。」
ご主人様の大きな声に一瞬肩をすくめて見せるしぐさをするが、これはボクの計算ずくだ。ご主人様の目はまっすぐに僕に向いて大袈裟に腕を組んでいるが決して怒っているわけではないことは知っている。隅っこで申し訳なさそうに固まってボクではありませんという顔で芝居をするのだ。
テーブルの上には先ほどボクが倒してしまった花瓶から水がこぼれて床に水たまりを作っていた。黙って目をそらすと、ご主人様はきっと駆け寄ってくる。ほらね。僕は今、ご主人様に抱き上げられてしまった。
「本当に悪い子ちゃんねえ。しらばっくれても無駄よ。あなたの鼻先に、ちゃんと証拠が残ってるんですからねえ。」
そう言われてボクは鼻先に水がついていることに気が付いた。ごめんなさい、ご主人様。
でもボクはこうしてご主人様に抱き上げてもらうために悪戯をしてしまうんだ。だって、この瞬間がボクにはたまらなく嬉しい瞬間だから。ついやっちゃうんだ。こうして抱きしめられて優しく叱られながらご主人様の匂いを感じる瞬間に至福の幸せを感じてしまうんだ。
「本当に、ロビンちゃんはいけない子でしゅねえ。」
赤ちゃん言葉もくすぐったい。ボクはこの時のために生きている。ボクは一生ご主人様に着いて行く。だからご主人様、どうか長生きしてくださいね。
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「木崎さぁーん、木崎友恵さーん。」
名前を呼ばれ木崎武夫は妻の友恵を促して診察室に入った。妻はロビンを手に抱き医師の前の椅子に腰かけた。無論、医師はその姿に一瞬驚いて怪訝な顔で武夫を見た。
「すみません。妻がどうしても、ロビンを連れて行くって聞かないもので。」
武夫は医師に申し訳なさそうに告げる。医師はため息をつきつつも、構いませんよと告げると武夫の顔に安どの表情が浮かんだ。
「だってねえ、この子は寂しがり屋だから、家に置いておくなんて可哀そうなんですもの。」
妻の言葉に武夫はさらに恐縮してしまう。
「でもね、木崎さん。ここは病院なんだから、ペットの持ち込みは禁止なんですよ?」
そうやんわりと指摘されると友恵はシュンと項垂れて仕方なくロビンを夫に預けて診察を受けた。友恵の診察が終わると今度は武夫だけが診察室に呼ばれた。武夫は仕方なくロビンを妻に返すと妻は愛しそうにロビンの頭を撫でていた。
「すみません。先生、驚かれたでしょう?」
「ええ、正直ギョッとしました。」
そう破顔する医師に武夫は絶大な信頼を寄せていた。機転を利かせた先ほどの言葉といい、武夫はこの病院にしてよかったとあらためて感じた。
「はっきり申し上げてこれ以上奥様の病状の進行を抑えることは難しいです。ですが、進行を緩やかにすることは可能です。」
武夫には重々わかっていることであった。だが、武夫は愛する妻がどんな姿になろうとも一生愛することに変わりないと自負している。
「最近、長年飼っていた猫が死んでしまったんです。妻はショックで憔悴してしまって、一時期家で家事をするのもままならなかったのです。私だけでは家事が行き届かず、とくに掃除が疎かになってしまって。そこで購入したのがロビンなんです。」
「なるほど、そうだったんですか。」
「ええ。ですが妻は自走式掃除機のロビンを飼っていた猫と置き換えはじめてしまって。ロビンに向かって話し始めたことには正直驚きましたが、妻があまりに嬉しそうにロビンを構うものですから。」
「それで掃除機を抱っこして来院したんですね?」
「ええ。妻が幸せそうな顔でロビンを構う姿が微笑ましくて。どうしても、指摘することができませんでした。」
「いいんですよ、それで。決して取り上げて叱ったりしないでください。お薬、出しておきますね。」
作者よもつひらさか