─いる…………
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車内のデジタル時計の表示は、とうに一時を過ぎていた。
俺は、次々とフロントガラスを流れていく夜の景色に集中しながら、懸命に左上にあるルームミラーが視界に入らないようにしていた。
だが、左折するときに、どうしても一瞬だが、視界に入ってしまう。
最初はよく見なかったが、二回めは、少し長く見た。
薄暗い後部座席に、裸の痩せた男が、俯いて座っている。
額にペッタリと前髪がくっついているようだ。
肌が病的に白く、あばら骨が浮いている。
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─何だ、こいつは?
この世のものなのか?
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いや、違う。
恐らくこいつは…………
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そう、それは半年くらい前のことだった。
二十年ほど勤めていた会社がいきなり倒産し、俺は突然、無職になる。
充分な蓄えもなかったので、生きるために必死に次の職を探した。
だが、四十をとうに過ぎた技能も資格もない独身の男を、雇ってくれるところなど中々なかった。
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十二社めの不採用の電話をもらった日のこと。
とうとう電気を停められてしまう。
仕方がないので、炬燵のテーブルの上にろうそくを灯して、何をする訳でもなく、揺れ動く炎を一人見つめながら、考えた。
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両親は数年前に他界した。
唯一の身内だった兄貴も去年、バイク事故であっけなく亡くなった。
親しい友人がいるわけでもない。
もちろん、恋人もいない。
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恐らく、明日には携帯も停められてしまうだろう。
そうなると、いよいよ俺は社会とのつながりが無くなることになる。
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─死のうかな………
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思わず一人呟いたとき、突然、目の前の携帯が鳴り出した。
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見慣れない番号だな、と思いながら耳に当てると、
それは、大学時代の同級生、工藤だった。
大学卒業後、不動産会社を立ち上げ、しばらくは羽振りが良かったが、バブル崩壊の煽りで、あっという間に倒産。多額の借金を抱えて自己破産した後は消息が途切れていた。
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要件は、新しい事業を立ち上げて軌道に乗り出したから、手伝って欲しい、ということだった。
仕事の内容を聞くと、清掃の仕事だ、という。
立ち上げからずっと一人で全てをやってきたのだが、徐々に依頼が増えだし、今はキャパオーバーになっていて、すぐにでも手を貸して欲しい、もちろん、そこそこの金は保証するから、と懇願された。
ちょっと不安もあったが、他に宛もなく、明日の食事の心配さえ必要な状態だったから、承諾した。
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翌日から早速、工藤と一緒に仕事を開始したのだが、どうも話が違う。
確かに清掃の仕事ではあるのだが、ただの清掃ではなかった。それはいわゆる「特殊清掃」というやつだったのだ。
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「特殊清掃業」
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自殺や他殺、孤独死などの現場に行き、清掃を行う仕事のこと。
いかにも、今の時代ならではの仕事だ。
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依頼の電話が入ると、二人一組で軽バンに乗り込み、現場に向かう。二人一組といっても、つまりは、俺と社長である工藤の二人だ。
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初仕事は、古いアパートの一室だった。
覚醒剤中毒の男が同居していた女性を、刃物でめった刺ししたという現場は、凄まじい状況だった。
散らかり放題の部屋の床や壁のあちこちに、赤黒い血が飛び散っている。
つなぎの作業着姿の俺は、未だ生臭い匂いが漂う中で、同じ格好をした工藤の指示に従いながら、てきぱきと作業を進めていった。
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あと、法律違反すれすれ、というか、恐らくは法律違反の仕事もやった。
暴力団事務所での死体の処理だ。
まず、事務所内をきれいに清掃した後、あらかじめ準備してきた麻袋に、まだ体温の残る男の死体を入れて、軽バンの荷台に載せ、埠頭まで走り、重しを付けて、海に投げ込む。
これだけの作業で、およそ百万円を即金でもらえるらしい。
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事務所に帰る車の中で、工藤は咥えタバコで運転をしながら、助手席に座る俺に話しだした。
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「おかしな死にかたをした連中は皆、寂しがり屋だ。
同じような境遇の人間の波長を感じたら、近寄って来る。
だから、作業中は、作業だけに没頭するんだ。
間違っても、やつらに同情なんかするなよ。
特に、お前の今の境遇とかは、やつらの波長に近いものがあるからな」
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─は?「やつら」?
一体、誰のことを言ってるんだ?
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最初、工藤のこの話を聞いたとき、ほとんど何を言っているのか、分からなかった。
だが、今はなんとなく理解できるような気がする。
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それは一週間ほど前のこと。
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その現場は、郊外にある古い住宅街の中の一軒だった。見たところ、どこにでもあるような二階建ての家。連絡をくれたのは、その家に一人で暮らす若い女性だ。
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なんでも仕事を終えて、夜八時ころ家に帰り着き、シャワーを浴び、夕食をとり、さあ、そろそろ寝ようか、と寝室に入ったところ、ベッドの掛け布団が妙にこんもりしている。恐る恐るめくってみると、心臓が飛び出るくらい驚いたらしい。
なぜだか見知らぬ若い男が裸で寝ている。
病的に色が白く、異様に痩せていて、あばら骨が浮いている。
ピクリとも動かないから、そっと触ってみると、ひんやり冷たい。
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彼女はあわてて警察に通報した。
すぐに警察官が駆けつけ、調べたところ、やはり男は既に亡くなっており、少なくとも死後四、五時間経っていたらしい。
彼女は朝早くから仕事に出かけ、夜帰るまで家は無人だから、男はその間に忍びこみ、なぜか布団に潜り込み、そこで亡くなった、ということになる。
女性は男について、全く見覚えさえないらしく、警察では現在、男の身元を調査中という。
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女性の依頼は、布団はもちろん、寝室の中を徹底的にきれいにして欲しい、ということだった。
このままだと気持ち悪くて、寝室に入ることが出来ないという。
工藤と俺は、言われた通り、寝室のあらゆるところを隅々まで清掃した。布団は一式、特別なクリーニングに出した。
床にはそれこそ、髪の毛一本さえも残らないくらいに、徹底的に掃除機をかけた。
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そして、その日、仕事を終えて、車での帰り道。
誰もいないはずの後部座席に、若い男が座っていたのだ。
俺は工藤の言葉を思い出した。
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─おかしな死にかたをした連中は皆、寂しがり屋だ。同じような境遇の人間の波長を感じたら、近寄って来る。
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ということは、後ろのやつは、今の俺の波長に引かれて現れたのか?
なるほど、そうかもしれない。
確かに、今の俺は、やつらの世界のかなり近いところにいるのかもしれないな。
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その夜、俺は以前から準備していた睡眠薬を、一瓶全部空にして、布団の上に横になった。
暗い暗い深淵と、意識との間を何度となく行き来しながら、どれだけ時間が過ぎただろうか。
俺は一瞬だけ正気を取り戻し、瞳を開いた。
ふと横を見ると、やけに肌の白い男が寝ている。
男はじっと俺の目を見ながら、こう言った。
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「安心して逝っていいよ。僕もついていくから」
作者ねこじろう