大学三年の夏のある日、久しぶりに趣味である博物館見学に、国立博物館へ出かけました。
私の趣味は『刀剣を観る』こと。
特に日本刀の反りや刃文、磨きの美しさを観るのが、たまらなく好きなんです。
この日も、国立博物館に所蔵されている天下五剣に数えられる名刀『童子切 安綱』に会いに行きました。
私が数ヵ月ぶりの再会に心を躍らせながら、上野駅に降り立つと不意にスマホが鳴り出します。
着信を見ると、画面にデカデカと『A子』の名前がありました。
よし、無視しよう!
気を取り直して意気揚々と博物館へ向かう道中、公園をなぞるように歩いていると、突然、後ろから肩をガシッと掴まれ、思わず息が止まります。
「何で出ないの?」
聞き覚えのある声に恐る恐る振り返ると、男前に眉をキリッとつり上げたA子が立っていました。
……何でここにいるの?
「え……電話鳴ってた?」
私が心臓をバクバクさせながらとぼけると、A子は小さな瞳で私を刺すように睨み付けます。
「アンタ、一回スマホ見てたじゃん」
そこから見てたのか……。
「それより何か用事?私、これから行かなきゃならないトコがあるんだけど」
返す言葉が見つからない私が話をはぐらかすと、A子はニヤリと気味の悪い笑顔で言いました。
「アンタ、人殺しの道具が好きなんでしょ?これからイイモノ見に連れてってあげる」
その言い方やめてよ……語弊ありまくりだよ。
「私が好きなのは美術品としての刀剣だよ!」
「あのね。刀ってのは、人を斬るための道具なんだよ?アンタ、今だかつて大根切る専用の刀なんて見たことある?」
ぐぬぬ……ぐうの音も出ない……A子のくせに。
「たぶん、人斬りマニアのアンタでも知らない刀だから、観る価値はあると思うよ?」
人斬りマニアって、ただの殺人鬼じゃん……言葉に気をつけなよ?人の往来の激しい所で。
「なんて刀?」
「イニシエだってさ」
イニシエ?確かに知らない名前だ。
「何でも、歴史の陰に埋もれた曰く付きの妖刀らしい」
「妖刀?」
有名どころだと、村正や祢々切丸、創作では村雨丸なんかがありますが、イニシエなんて聞いたことがありません。
「その妖刀を何でA子が知ってるの?」
「後輩に頼まれたんだよ。刀が夜な夜な哭くから見て欲しいって」
「哭く刀か……姫鶴一文字みたいだね」
「は?」
「上杉景勝の愛刀で、研ぎ師に『短くしないで』って泣いて頼んだと言われている刀だよ」
「ふ~……ん」
全く興味なさそうだね……天下の往来でホジらないでよ、鼻を……。
「アンタも見てみたくない?ガラス越しで見るなんて刑務所の面会じゃないんだからさぁ」
国宝をそんなに間近で観れる訳ないでしょ!!
「よし!決まりだね!!行くよ」
私、「うん」って言ってない……。
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いつものように強引に決められ、A子に連れていかれた先には、旧家の佇まいの古い屋敷がありました。
「ここだよ」
まるで我が家のように入っていくA子の後を追っていくと、こじんまりした女の子が立っていました。
「師匠!!わざわざありがとうございます!」
師匠?!
A子を師匠と呼ぶ女の子に、私は驚いてハッと目を向けました。
「はじめまして」
私が挨拶すると、その子はまるで存在していないかのように私をスルーした上で、A子に顔を向けたまま言いました。
「師匠、こちらの方は?」
突然現れた見知らぬストレンジャーの私を訝しく見る女の子に、A子が言います。
「アタシの相棒だよ」
そして、返す刀で私に女の子を紹介してくれました。
「こっちはふさこ、アタシの弟子らしいよ」
「らしい?!誰かの噂なの?」
私が知らぬ間に相棒を襲名していたのは誠に遺憾ではありますが、女の子は警戒を解いてくれたようです。
「相棒さんでしたか!お噂は師匠から聞いております!!」
A子からどんな話を聞いたのかが、大変気になるところです。
「ボクは筆盛沙絵と言います。デパートで洋服を売るバイトをしています」
今度はボクっ子か……何だかクセの強いキャラをコンプリートしそうで怖い……。
不穏な予感を圧し殺して、私も簡単に自己紹介を済ませると、筆盛さんは私達を中へと案内してくれました。
「で、相棒さんは人殺しの道具マニアだとか」
長い廊下を歩きながら、筆盛さんが唐突に私が物騒な趣味を持っているという誤解をぶつけてきました。
「違います!!美術品としての刀剣を見るのが好きなだけです!!」
A子、このやろぅ!!
A子への憤りを隠しながら全力で否定すると、筆盛さんは「そうですよね」と棒読みのレスポンスを返してくれました。
「こちらです」
奥まった部屋の襖を開けると、爽やかなイグサのいい香りと共に、広い座敷に敷き詰められた青々した畳が視界に拡がりました。
その奥にある床の間には、鹿の角で出来た立派な刀掛け(刀を飾るための台)があり、白鞘の太刀がそこに鎮座しています。
「あれがイニシエ?」
私が問いかけると、筆盛さんが頷いて言いました。
「そうです。父が道楽のガラクタ集めで買ってきた物です」
ガラクタって……真剣なんでしょ?
私達は刀に歩み寄って、間近で見せてもらいました。
古さを感じさせない白々とした鞘と柄に、刃以外は新調したのだろうと推察出来ます。
しかし、その他にも違和感を感じました。
「筆盛さん、このサイズだとイニシエは太刀ですよね?」
「はい、流石は人斬りマニアさんですねぇ」
妙に感心している筆盛さんの誤解を一刻も早く解きたいところですが、取りあえず疑問をぶつけます。
「作成された時代はいつ頃ですか?」
「ボクも詳しくは知りませんが、なんでも室町あたりだとか……」
室町か……少し引っかかるな。
「室町時代というと、前期は実用性より芸術性を重視され、後期は応仁の乱の影響で量産型が多かった時代ですね」
「何でもよく知ってるねぇ」
A子の茶化したような言い方が、ちょっぴりムカつきます。
「何でもは知らないよ……知っ」
「相棒さん」
私の台詞を裁ち切るように口を挟んだ筆盛さんが、興味津々で顔を寄せてきます。
「となると、このイニシエは量産型なのでしょうか?」
「それは見てみないとわかりません……そもそも、誰かから依頼されて作刀した刀も室町時代にないわけではありませんし」
私がそう言うと、筆盛さんはおもむろにイニシエをつかみ、スラリと抜いて見せてくれました。
「キレイな直刃……」
しっかりと手入れの行き届いた白光りする刃に、私は思わず見とれてしまいます。
刀身は細身で三日月宗近を彷彿させますが、刃文が精巧な直刃であるところを見ると、それとはまた違う優美さを感じ、かなり腕のある刀匠の作なんじゃないかと思いました。
「間違いなく妖刀だね」
A子が刀を一瞥するなり呟くと、筆盛さんはすぐに刀を納刀し、目をキラキラと輝かせてA子にずぃっと顔を寄せます。
「師匠!やはりそうでしたか!」
妖刀という不穏なワードにテンションを上げる筆盛さんに、スイッチが独特な人だなぁ……とぼんやり見ていると、A子が口を開きました。
「この刀は人を斬ったことはないみたいだね」
「人斬りバージンの妖刀ですか?」
言い回しまで独特な筆盛さんにちょっと引きましたが、A子はさらに鑑定を続けます。
「作られたのはもっと昔なんじゃないかな……時代のことはよく知らないけど、たぶんもっと前」
「室町より前とすると、鎌倉時代とか?」
私が問うと、A子は私に目を向けてハッキリとした口調で言います。
「それは室町より前なの?」
「うん。とりま、A子は小学校からやり直した方がいいね」
私の皮肉をサラリと聞き流し、A子は刀に視線を戻して続けました。
「たぶん、その鎌倉って時代に作られてるね。元は違う刀だったのを作り替えてるみたい……それに、血の臭いもプンプンする」
「打ち直し……というヤツでしょうか……」
筆盛さんが刀を刀掛けに戻して、一歩引いたところからイニシエを見つめます。
「どうやら作ったのは日本人じゃないね」
「日本刀なのにですか?!」
A子のセリフに驚いた筆盛さんは、ビクンと身をすくめました。
「ちょっと待って!外国人ってことは大陸から来た人ってこと?」
私がA子に問うと、A子はきょとんとして私を見ました。
「大陸って何処の国?」
それを訊いてんだよ!私は!!
答えるのもめんどくさいので、私は無言でA子を見つめてやりました。
「おそらく、もう一本あるよ……コイツみたいなヤツが……」
えっ……。
A子の呟きを聞いて、私は一つ古い伝説を思い出し、思わず口にします。
「もしかして……干将と莫耶なんじゃ………」
「それは何です?マニアさん!」
人斬りのワードが外れたことに気づいて、ちょっと嬉しくなった私は、干将と莫耶の伝説について話しました。
「昔、干将と莫耶という刀鍛冶の夫婦がいて、二本の名剣を作ったの。その一本を王に献上するんだけど、献上に行った干将は二度と戻らなかった……」
「それで?」
筆盛さんに促され、私は一息ついて続けます。
「ちょうどその頃、身ごもっていた莫耶が男の子を産んで、大きくなったその子に父親の行方について訊かれた莫耶は、王に殺されたことをその子に話すの」
「ふむふむ……」
「その子は父の仇を討とうと、もう一本の剣を持って都へ行くんだけど失敗しちゃうのね。
「でしょうね」
「逃げた先でたまたま会った旅人に仇の件を話すと、その旅人が『剣と首を寄越せば仇を討ってやる』って言うから、その子は剣で自らの首を跳ねて仇討ちを旅人に託し、旅人は自分の命も犠牲にして仇討ちを果たした……って話」
私がA子にも分かるようにザックリと掻い摘んで話すと、A子は能面のような顔で私を見ました。
「ナニそれ……肉も喰ってないのに命捨てたの?」
「何の義理もない人の仇討ちを命を捨ててまでやりますかねぇ……」
「私の創作じゃないよ!文句なら昔の人に言ってよ!」
話題が意図していないベクトルに向いていく……話さなきゃ良かった………。
「とにかく!私が言いたいのは、剣は二本作られることがあったということなのよ……そのイニシエの刀掛けだって、一本用じゃなく二本用の刀掛けなのも気になってたし……」
「アンタ、いいところに気がついたね」
A子はそう言うと、無遠慮に刀掛けを持ち上げてひっくり返しました。
急にそんなことをされ、落ちかけたイニシエを筆盛さんが、慌てながらもナイスキャッチします。
「なるほど……」
A子は刀掛けの底に視線を走らせ、何か言います。
「……漢字多くね?」
じれったいなぁ!おい!
私はA子から刀掛けを引ったくり、代わりに読みました。
「イニシエ、トコシエ、二対の刃、揃いし時、未来永劫、日ノ本を地獄に変えん……」
これは……呪いの言葉。
つまり、刀の製作者はこの国への大きな怨みを込めて二本の剣を作っていた……。
鎌倉時代に作られたとすれば、もしかしたら元寇の際に逃げ遅れた人間が秘密裏に生き延びて、怨みを込めて二対の刀を作ったのかも知れません。
「なんてオカルティック……」
表情を曇らせている筆盛さんを無視して刀を受け取り、A子が鞘から刃を抜きました。
「哭け……」
A子が刀に向かって命令すると、カタカタと刀が揺れ始め、その揺れは部屋全体に拡がりました。
襖や掛け軸まで小刻みに震え、まるで地震の予兆のようです。
ウォォォオオオオオ……。
そして、刀が発する地の底から響くような怒号を孕んだ重低音に、思わず身がすくんでしまいました。
「アタシの出番だね……お姉ちゃん」
そんな声の後、A子の背中から幼子がひょっこり顔を出して、ニパッと笑います。
「はとちゃん!」
「姐さん!!」
えっ?!
「筆盛さん、はとちゃんが見えるの?」
「もちろんですよ」
見えているにもかかわらず、見た目小学1年生のはとちゃんを姐さんと呼ぶ筆盛さんはスルーしました。
「どれどれ」
はとちゃんはA子の肩越しから刀に手を伸ばして、むんずと刃を握ります。
痛そう……ケガしちゃダメよ。
そんな私の心配を他所に、はとちゃんは静かに刀を握っていました。
哭き続ける刀の声が小さくなるに連れて、心なしかはとちゃんがジワジワ成長している気がします。
家鳴りが止み、刀の声もすっかりなくなった頃には、はとちゃんはA子と同じくらいの見た目になっていました。
「老けましたね!姐さん!!」
「老けたんじゃなくて、適正な体になったんだよ……」
筆盛さんの天然さに、つい心の声が漏れてしまいました。
「やれやれ……なかなかビッグな念だったよ」
はとちゃんが満腹なのか、お腹をさすりながらA子の横に立つと、A子は刀を納めて筆盛さんに返しました。
「ふさこ、とりま問題なくなったけど、もう一本は探さない方がいい……親父さんにもそう言っときなよ」
「はいっ!かしこまりました!!また何か持ち帰ったら、ガラクタごとイニシエでぶった斬ってやりますよ」
A子にやけに従順な筆盛さんに、そうとう尊敬してるのかな…A子なのに……と思っていると、はとちゃんが私に言いました。
「お姉ちゃんは触らない方がいいよ?念は完全に取れたわけじゃないし、一応本物の真剣だから」
「私は見るだけでいいんだから、触ったりしなくていいよ!私、そんな人に見える?!」
「見えない見えない」
はとちゃんにまで誤解されていたことに軽くショックを受けましたが、キレイな刀が間近で見れただけでも良しとしました。
「師匠!もう一本の刀トコシエは何処にあるんでしょう」
「さぁね……知ってても教えないよ。揃ったらめんどくさいことになるからね」
「ですよね……」
不安と安堵が入り雑じる複雑な顔の筆盛さんに、私は言いました。
「大戦の金属調達で形すらなくなってるかも知れないですよ?そっちの方がいいんだろうけど」
「確かにそうですね……父は見る目があるんだか、ないんだか、変なものばっかり持って帰って来るんですよ……いっぺん呪われればいいのに」
物騒なことを真顔で言う筆盛さんに、私は戦慄しました。
「よし、ふさこ!仕事は終わった……さっさと肉を食わせなさい」
「はい!おまかせください!!叙々苑はすでに予約済みです!!」
「……弟子にも容赦ないんだね」
A子のブレない姿勢に、もはや何にも感じなくなってきました。
みんなで部屋を出る際、私は床の間に飾られたイニシエにふと目をやりました。
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技術的にも芸術的にも、刀剣は素晴らしい物です。
フォルムの美しさ、刀身の輝き、特徴的な刃文。
そのどれもが、刀匠たちが経験で培ってきたテクニックやプライドの粋を極めた至高の芸術品だと思います。
今回の一件で、本来の刀は人を斬るために作られていたということを改めて思い知らされました。
それでも私は、懲りもせず博物館に刀を鑑賞に行くことをやめないのは、また別の話です。
作者ろっこめ
一回書き上げて、ちょっと直してからの投稿になりました。
ほぼほぼノーチェックみたいな感じです。←定期
(  ̄∀ ̄)
次は、Uレイらいふ の続編を書きます。
毎度のことながら、期待せずにお待ちください。