今年のゴールデンウィークの始まりはあいにくの雨だった。それでも、美晴の心は大好きなおばあちゃんに会える期待に膨らんで、晴々とした気分だった。美晴は年に数回しか会えない祖父母の元へ、両親と共に長いドライブに出かけた。いつもは電車で移動で味気ないもので、美晴は父親の運転する車で出かけるのが大好きだった。
喧噪の街を抜け、高速道路の渋滞を抜ければあとは田舎道で、緑が眩しい山々を縫って、田園風景がのどかな祖父母の家へとたどり着く予定だ。5時間もかかるのは苦痛だが、所々サービスエリアで休憩を挟んで行くので、そのサービスエリアも最近は多様で旅の目的の一つでもあるのだ。
いつもは10円の差でも目くじらを立てているママも、アイスを食べたいといえばホイホイ買ってくれるし、いつも手料理を作ってくれているママも、この時ばかりは外食で楽しそうだし、おばあちゃんちに行くのは小旅行でもあるのだ。
そんな小旅行だが、嫌なこともある。道路は運転マナーの良い人ばかりではない。たまには、無理やり割り込んできたりする人もいる。渋滞でイライラするのは分かるけど、大人なのにマナーを守らない人もいるのだ。先ほども、割り込んできた車にパパが危ないという意味をこめてクラクションを鳴らすと、前の車が急ブレーキをかけてきて、もう少しでぶつかるところだった。パパが機転を利かせてハンドルを切って回避して事なきを得たのだ。
「本当に危ないことする人がいるもんだね。」
美晴がそう言うと、パパは
「全くだ。大きな事故になったら大変なのがわからないのかな。いい大人が。」
と憤慨していた。
今回は渋滞が酷くてなかなかおばあちゃんの家に辿り着けなかった。美晴は疲れていた。だが、パパはずっと運転してもっと疲れているはず。美晴は我慢した。それを察してかパパは、
「美晴、疲れたんなら寝てていいんだぞ?」
とバックミラー越しに美晴を見てそう言った。
「ううん、大丈夫。パパこそ疲れたでしょう?そろそろ休憩したら?」
美晴はパパを気遣った。
「パパは大丈夫だ。このまま一気に行こう。そしてあちらで早くゆっくりしたいな。」
美晴は心配だったが、パパの言葉に甘えて少し眠ることにした。
美晴が目を覚ますと、外は真っ暗だった。まだ車の中のようだ。おかしいな。そろそろおばあちゃんちに着いても良さそうなものだけど。
「外、真っ暗になっちゃったね。」
美晴がそう言うと、パパが
「起きちゃったのか。うん、ちょっと道が混んでてな。」
と言った。パパの顔色が心なしか悪く見える。隣に座るママの表情も浮かない感じだ。突然パパが急ブレーキを踏んだ。
「あっぶねーなあ、もう!」
美晴達の乗る車の前に、急に他所の車が割り込んできたのだ。その車は、右へ左へと蛇行運転を繰り返して、まるで美晴たちの車に嫌がらせをしているようだ。美晴は不安な気持ちでいっぱいになった。
「畜生、もう許さねえ。美晴、しっかりとドアの取っ手につかまってろよ?」
そう言うとパパは車のスピードを上げた。
「パパ、怖いよ・・・。」
美晴がそう呟いても、聞く耳を持っていないように車のスピードを上げ始めた。いつもの安全運転のパパじゃない。いったいどうしちゃったんだろう、パパ。
そして、乱暴にハンドルを切ると、無理やり割り込んだ車の前に飛び出した。
「キャア!」
急ハンドルを切られた美晴の小さな体は大きく右に傾いだ。すると後ろの車は急ハンドルを切り、壁に激突した。美晴は目の前で起きた事故が信じられなかった。パパは、おもむろに車を減速して路肩に駐車すると、車を降りて壁に激突した車の様子を見に行った。
「大変、救急車を呼ばなきゃ・・・。」
美晴が震える声でそう呟いても、ママは無反応だった。おかしい。パパも壁に激突した車の中を見つめるだけでどこにも電話をする様子がない。
「ねえ、ママ。警察とか救急車、呼ばなくていいの?あの人死んじゃうよ?」
美晴が懸命に訴えると、ようやくママが緩慢に美晴の方を向いた。
「大丈夫よ、美晴は心配しなくても。」
「ええ?でも、絶対にあの人怪我してるよ?」
すると、車の様子を見に行ったパパが戻ってきた。
「パパ、どうだった?あの車の人、怪我してた。」
「うん、足を挟まれてたよ。あれはもう無事じゃないな。足はダメだろう。」
パパはまるで他人事のように間延びした声でそう言った。
「パパ、救急車呼ばなきゃ。あの人死んじゃうよ。」
「大丈夫だよ。パパたちが呼ばなくても、他の人が呼んでくれるだろ?」
そう言うと、信じられないことに、パパは車を発進させた。嘘でしょう?事故を起こして瀕死の人を放置して見捨てて行くなんて。しかも、その事故はうちの車が原因だっていうのに。
「パパ、酷いよ。ヤバいよ。戻ってあの人助けなきゃ。」
「どうしてうちが助けなくちゃならないんだ?」
「だって、パパが....」
美晴がそう言いかけると、パパが今まで見たことも無いような怖い顔でバックミラー越しに睨んできた。ママも何事も無かったかのように無表情で前を見ている。
パパ、ママ、今日はなんか変だよ。パパもママもそんな人じゃないはず。
ねえ、本当にパパとママなの?
痛いほどの静寂の中、美晴は車の中で二人の沈黙に押しつぶされそうだった。
見慣れた風景が見えて来た。もうすぐおばあちゃんの家だ。おばあちゃんの家が目の前に迫ってきているというのに、パパは車のスピードを緩めなかった。
「あれ?パパ。おばあちゃんち、通り過ぎちゃったよ?」
それでもパパは押し黙って運転を続けた。
「ねえ、なんで黙ってるの?二人とも変だよ?事故を起こした人を見捨てたり、おばあちゃんちを通り過ぎちゃったり。いったいどこへ行ってるの?」
その問いに二人は答えてはくれなかった。
何時間も不安なドライブが続いただろう。徐々に周りが明るくなり、どうやら夜が明けたらしい。するとようやく車は減速して、ある河原の河川敷に停車した。
「ねえ、パパ、ママ。どうしてこんなところで車を降りるの?おばあちゃんちには行かないの?」
車を降りたパパとママはようやく口を開く。悲しそうな目で美晴を見ている。
「美晴、パパとママは遠くに行かなくちゃならない。美晴はおばあちゃんの言うことを聞いて、良い子にしなくちゃダメだぞ?」
そう言ってパパが美晴の頭を撫でた。
「なんで?私も行く!どうしてパパとママだけで遠くに行っちゃうの?」
そう美晴が叫ぶと、ママがハラハラと涙をこぼした。
「ごめんね、美晴。美晴は連れていけないの。」
「何で!いやだ!私も連れて行ってよ!」
泣き叫ぶ美晴をママが優しく抱きしめた。
「ごめんね、ごめんね、美晴。」
抱きしめて髪をなでると、ママは体を離して、パパの元へと歩いた。
「待って!私を置いていかないで!」
パパとママは振り返らずに、どんどん川の中へと歩いて行った。ざぶざぶと服が濡れるのも構わず、二人は川の中へと入って行った。美晴はそれを追いかけた。
「行っちゃいけない!」
そう叫んで美晴の手を掴んだのはおばあちゃんだった。
「おばあちゃん?なんでこんな所に?」
気が付くと、美晴は白いベッドに横たわり、何本ものチューブに体がつながれていた。
痛い。あちらこちらが痛い。でも、手は暖かい何かに包まれている。
「気が付いたかい、美晴!」
それはおばあちゃんの声だった。手はおばあちゃんにしっかりと握られていた。
美晴がその後聞いた話はおおよそ信じがたいものだった。
美晴達の乗った車は、前に無理やり割り込んできた車にクラクションを鳴らして、あおり運転を受けて急ブレーキを踏み、後続の車に激突されて反動で壁に激突した。美晴の両親は即死だったが、美晴は意識不明の重体だったが奇跡的に意識が戻ったのだ。その原因を作ったあおり運転の車は逃走し、パトカーに追いかけられている途中で自らも自損事故を起こしたとのことだった。その男は両足切断の大けがを負い、男が言うには、突然目の前に白いワンボックスカーが飛び出して来たと言うも、そのような車は存在しなかった。
美晴は思った。パパは敵討ちをしたのだと。美晴の家の車は白のワンボックスカーだったからだ。たぶん、最初の割り込みをされた時にはもうパパは事故にあったのだろう。その前後の美晴の記憶も曖昧になっていた。美晴を悲しませないように、両親は美晴と最後のドライブで誤魔化していたのだ。
「パパ、ママ....]
もう会えないの?楽しいゴールデンウィークがこんなことになるなんて。
美晴は一生分の涙を使い果たした。
そして、十年後。美晴は警察官になっていた。二度と私のような悲しい思いをする子供がいなくなるように。今日も美晴は、厳しく強く職務を遂行している。
作者よもつひらさか