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草木の恋・下〈尾崎家シリーズ〉

中編6
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草木の恋・下〈尾崎家シリーズ〉

晶が尾崎家にやってきた年の秋、穂津美は双子を産んだ。

一人は、ふくふくとした頬の愛らしい女の子。

もう一人は、羽箒のように柔らかい尻尾を持つオスの狐だった。

穂津美が二人を抱いてやって来た時、晶はさすがに言葉を失った。だが、よく考えれば人と狐の間の子としてこれほどわかりやすいものはない。なにより子供を愛おしそうに見つめる穂津美の表情は、なんら不思議なことではないと物語っていた。

「名前はなににするの?」

二人をそっと撫でながら晶が尋ねると、穂津美は首を振った。

「まだ名はつけません」

「そうなの?」

「この子達が三歳になるまで名付けず様子を見るのが、尾崎家の習わしです。人の世界で暮らせる子か、それが難しい子か。今はこの子のように完全に人の姿をしていても、時とともに狐の性質が次々現れる子もいます。もちろんその逆も」

「人として暮らせない子はどうなる?」

「そういった子は、狐としてお山で暮らします。中には、尾崎の家の中のことを手伝ってくれるものもいます。その茜のように」

晶と穂津美が同時に見つめたためか、お茶を運んできたところだった茜は少し居心地が悪そうな顔をした。ごめんなさいね、と穂津美がクスクス笑いながら謝る。

「実は茜は私の姉なんです」

「え⁈」

晶はもう一度茜を見つめる。どう見ても十歳程度の少女にしか見えない。彼女が自分と同い年の穂津美の姉とは、普通では考えられなかった。

「ね。こんな風に、人として暮らすことが難しいものも多いのです。それに、私たちはオスでもメスでも人の女の姿を取るようになっていますから、どうしてもオスの狐はお山で暮らすことが多くなります」

穂津美はお茶を啜りながら続けた。

「ですが、どちらがいいというものではありません。人の姿を取れるから幸せなのかといえば、そうでもありませんし」

晶はここに来る前の自分を思い出し、大きく頷く。

「人の姿であれ狐であれ、可愛い子供には変わりありません」

穂津美の言葉に再度頷き、晶は眠る二人の柔らかい頬を交互に撫でた。

以前は周りのすべてのことにあれほど無関心だった自分が、自分の子を持ち、その子をこんなにも可愛いと思っている。

そのことが晶には不思議で、奇跡のようにすら思えた。

・・・・・

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穂津美はそれから毎年子供を産んだ。

楓が芽吹く頃に孕み、紅葉し始める頃に生まれる子供たちは、一人の年もあれば複数人の年もあった。

子供たちは多様な姿で生まれた。まるっきり人の姿、狐の姿はもちろん、半人半獣であったり、耳や尻尾のついた人の姿であったり、流暢に話す狐もいれば、唸り声しか出せない人もいた。

気づけば晶は、十五人の父親になっていた。

・・・・・

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もうすぐ頬に触れる空気が温み、草木の芽吹きを助ける春になる。

晶の尾崎家での生活は、八年目を迎えようとしていた。

ここでの暮らしは、晶の想像を大きく超えるものだった。

尾崎家の人々は、狐でありながら晶以上に人の世界に溶け込んで生きていた。可能な子には標準以上の教育を受けさせ、やがて大人になれば手に職を持ち自立する。年を経るごとに、それ相応の社会的地位を順調に獲得していった。

また、晶の妻であるはずの穂津美は、子供を孕む春先以外に晶の元を訪れることはほとんどなかった。

穂津美は庭の楓の木の芽が綻ぶ頃になると毎夜やってきて、晶と交わる。しかし孕んだことがわかると、その報告だけしてプツリと姿を見せなくなる。

そして楓の葉が赤く色づき始める秋に、生まれた子供を抱いて晶の元をまた訪れた。子供を挟んで晶と少し会話をして、また次の春まで顔を見せることは滅多にない。

穂津美はいつでも晶に丁寧で優しく、彼を軽んじているわけではない。尾崎の家では、これが当たり前の人と狐の夫婦のあり方なのだろう。

尾崎家にとって晶は種馬以外のなにものでもなく、自室にこもってばかりで話す相手も時折訪ねて来る穂津美のみだ。まるで軟禁生活なのだが、当の晶はこの生活を気に入っていた。

穂津美は以前晶のことを「草木に近い」と評したが、それは的を得た言い方だった。一人きりでぼんやりと過ごす時間はいくらあっても晶には苦ではなかったし、その分穂津美が子供を連れて訪ねてくれた時などは望外に嬉しかった。

こんな日々が、ずっと続けばいいと思っていたのだが。

「晶さん、今年で子作りは終わりにしようと思います」

八年目の春、穂津美はそう告げた。

「そっか… 今までお疲れさま、穂津美」

「晶さんも。ありがとうございます」

穂津美は深々と頭を下げたが、それがなんだか他人行儀に思えて晶はつい、ため息をついた。

「俺はもうお役御免だね。どうしたらいいかな?」

努めて明るく言ったつもりだったが、声が震えていた。

種馬だった自分は、その役目が果たせなくなれば存在価値はない。ここを出ていかなければならないかと思うと、寂しさや不安が押し寄せてきたのだ。

穂津美はそんな晶を小さく笑い、そっと頬に手を添えた。

「晶さん。私は昔、ずっとここにいてくださいとお願いしましたよね? 忘れてしまいましたか?」

「でも、俺はもう用無しだろ?」

「あなたは、子供達の父親ですよ。あの子たちが大きくなれば、今以上に父親を恋しく思うわ。その時にあなたがいなくてどうするんですか」

「でも、穂津美にとって俺はもう必要のないんだろ。それなら…」

「馬鹿ね」

穂津美は呆れたように言って、晶に口づけた。

「晶さんは、本当に馬鹿」

いつの間にか流れていた晶の涙が枯れてしまうまで、穂津美は何度も口づけた。

「……俺は、どうしようか」

鼻をすすりながら、晶はポツリと呟いた。穂津美を正面に見据えて続ける。

「俺も、穂津美や子供達とずっと一緒にいたいんだ。なんの役にも立たないけど、見守っていたい。どうすれば良いかな?」

「…答えはもう、出ているのではないですか?」

なにもかもお見通しだと言うように、穂津美が優しく言った。

晶は窓の外に目をやる。

庭の楓が、ほんのりと赤い新芽をたくさんつけ春を待ちわびていた。

・・・・・

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「お姉ちゃん、どこに行くの?」

十歳ほどの少女が廊下を行くのを、彼女よりも年下の二人の少女が呼び止めた。双子なのだろう、瓜二つの外見だ。

呼ばれた少女は妹たちを振り返る。その手には、色づき始めた楓の枝が握られていた。

「お父さんのところよ。庭の楓が色づいたから、見せに行くの。あなたたちも行く?」

「行く!」

「行くー」

少女たちは並んで廊下を歩く。

「お父さんは、楓が好きなの?」

「そうよ」

「なんでー?」

「私たちが生まれたのが、楓が綺麗な頃だからなんだって」

やがて三人は、廊下の突き当たりの一部屋にたどり着いた。

襖をほとほとと叩くと、中からおかっぱ頭の少女が現れる。

「茜さん、こんにちは。お父さんに会えますか?」

おかっぱ頭の少女は縦に細い瞳を細めて頷くと、三人を室内に通した。

室内では、畳の上に置かれた籐の揺り椅子の上で、男が一人微睡んでいた。

「お父さん、寝てるの?」

「そうみたい」

「えー」

唇を尖らせる双子を、姉は人差し指を立てて制した。

「寝かせといてあげよう。お土産は、茜さんに預ければ良いんだから」

踵を返そうとした時、双子の一人が「あ!」と声を上げた。

「見て見て! お父さんの楓も赤くなってるよ」

「ホントだー」

男の足元からはひと枝の細い楓が伸びており、数枚の葉は外側からじんわりと赤く色づき始めていた。

よく見れば、枝は男の足から直接生えていた。男の足は、揺り椅子や床に溶け込むように同化し、根を張るように畳に少しずつ広がっていた。

「お父さんの木、これからもっと大きくなるね」

「でも、お父さん木になっちゃったら、もうお話しできないの?」

「お話しできなくても私たちのことを見てくれてるんだから、それで良いのよ」

少女たちは顔を見合わせ、揃って男に手を振った。

男は目を開けることはなかったが、寝顔は安らかで薄く微笑んでいるようだった。

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