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きさらぎ行きの電車に乗って⑭

中編7
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きさらぎ行きの電車に乗って⑭

気が付くと、そこは電車の中だった。体が重く、頭が痛い。

どうやら飲み過ぎたようだ。どういう経緯で電車に乗ってしまったかはわからない。

重い瞼を無理やりこじ開けると、何だか世界が違って見えた。何というか、視界がおかしい。いつもより視線が低い。見上げると目の前に老若男女、目の前の座席に座っているのだが、それを見上げるような感じ。違和感を感じて俺は、自分の体を見た。

「えっ?」

思わず声が出た。

これは、子供の体だ。見た感じ、小学低学年くらいだろうか。ひどく痩せている。確か俺は飲み過ぎて・・・。どこで?俺の家は・・・どこなんだ?俺は・・・誰?

名前も家も思い出せなかった。頭の中でいろいろな処理が追い付かない。

自分が元々大人で、酒に酔っていることはわかるが、それ以外は何もわからなかった。

だが現実は、小さな子供が一人で電車に乗っている。周りから見ればそれ以外の現実が見当たらない。それゆえに、どうして小さな子供が一人で電車に乗っているのだろうという奇異な目で大人たちがチラチラとこちらを見てくるのがわかる。

ついに、真向かいに座っている年配の女性が見かねて声をかけてきた。

「僕、どこから来たの?お父さんかお母さんは一緒なの?」

俺は黙って首を横に振った。自分にもそれがわからないから困っているのだ。

「迷子なのかしらねえ?おばちゃんと次の駅で降りて、警察に行ってみる?」

警察という言葉に酷く不安を感じた。だが、背に腹は代えられない。俺は黙ってうなずいた。

始終言葉を発しないのは、自分がこのわけのわからない状況を飲み込めずにいるためだ。声を発して、自分が子供になってしまったことを現実として受け入れたくなかった。

そんなやり取りをしていると、スマホを見ていた青年がこちらに歩み寄ってきた。

「もしかして、君は〇〇 〇〇君ではないかい?」

名前がはっきりと聞き取れない。俺には記憶が無いので、聞き取れたところで答えようがない。

黙っていると、その青年は、スマホを見せて来た。

【#拡散希望 昨日夕方、息子が行方不明になりました。当時の服装は、この写真と同じです。夕方になっても帰宅しないので、心配になり警察に捜索願を出しました。見かけられた方は、こちらまでご連絡をお願いします。080-××××-××××】

「この写真って君でしょう?」

自分自身の顔は鏡が無いので確認できないが、確かに服装はその子供と全く同じだ。

俺が何も答えられずに茫然としていると、恐らく俺がしゃべれないと思ったらしく青年と女性は俺を憐憫の目で見てきて、俺は二人に付き添われて次の駅で降りた。

きさらぎ駅?

聞いたことのない駅名だ。俺はいったいどの路線に乗ってしまったのか。駅前の交番に俺は連れて行かれ、二人は俺が一人で電車に乗っていたことを話し、捜索願が出ていないかなどを聞いていた。

そのSNSに書いてあった電話番号に電話をすると男が出た。

「お父さんと連絡がついたよ。よかったね。」

そう言うと警察官は笑いながら俺の頭を撫でた。しかし、まったく目が笑っていなかった。

他の二人も良かったと喜びながらも、ぞっとするような気味の悪い表情で笑っていた。

「探したぞ。」

そう言って現れたのは、驚くことに、俺自身だった。

「嘘だろう?」

俺は初めて呟いた。

「心配かけやがって、この野郎。帰るぞ。」

怒りに震える拳を必死で耐えているのがわかる。これは俺の癖だ。怒りが頂点に達すると手が震え、そして爆発する。不安げに手を引かれる俺を、後ろから良かったねという声がまるで、スローモーションのように不気味に追いかけてくる。警察官も青年も年配の女も、無表情で手を振る。手が痛いほど強く握られる。

ヤバイ。助けて。小さな子供の力では抗えない。

俺は家の玄関に入ると、俺そっくりのその男は背中を蹴りこんできて、子供の俺は玄関の三和土に倒れこみ上がり框で額を切ってしまった。

「この野郎、よくも俺に恥をかかせてくれたな。」

血まみれで朦朧とした頭を起こすと、大人の思いっきりの力で頬を平手打ちされた。その反動で子供の俺の小さな体は壁に吹き飛ばされて後頭部を殴打した。

廊下に倒れこんだ俺を、さらに足でけり上げた。腹に一撃をいきなり喰らい、俺は嘔吐した。

「きたねえなあ、自分で綺麗にしろよ!」

「ご、ごめ、ごめんなさい。」

俺は泣きながら、痛む体を起こしてバケツと雑巾を持ってきた。

震える手で吐しゃ物をかき集めようとすると、今度は尻を蹴られて、吐しゃ物に突っ伏してしまった。

惨めだった。どうして俺はこんな目に遭っているのか。自分自身にいたぶられているのだ。

わけがわからない。

「泣いてんじゃねえよ。さっさと片付けろ!今度逃げやがったら承知しねえからな。今日は罰として飯は抜きだからな。」

そう言うと怪我をして泣きながら自分の吐しゃ物を片付けている俺には目もくれずに、居間のソファーにどっかりと腰を掛けてテレビで野球中継をビール片手に見始めた。

俺は初めて自分の顔を鏡で見た。

酷い顔だ。今された暴力で唇が切れていたが、よく見ると目の下に古い痣があったり、体のいたるところに痣があった。たぶん、あの俺は子供に対して日常的に暴力を振るっているのだ。

その日から俺の地獄が始まった。

どうやら母親はいないらしい。その家には女が居た形跡はあるが、たぶんDVに耐えかねて逃げたのだろう。

俺はだんだん記憶を取り戻して来た。

そうだ。これは、俺があいつに対してずっとやってきたことだ。

たぶん、あいつは・・・。

「和也?」

ある日、俺がその名を恐る恐る口にすると、俺そっくりのそいつは唇を釣りあげて笑った。

「やっと思い出してくれた?お父さん。」

たぶん、俺は和也と体が入れ替わってしまったのだ。ということは、俺はこの先・・・。

結末を知っている俺は、震えが止まらなくなった。

逃げなくては。

俺は隙を見て、脱兎のごとく逃げた。

殺すつもりなんてなかったんだ。初めはしつけのつもりだった。

厳しく育ててまっとうな男になってほしかったのだ。

だが、途中から歯車が狂ってしまった。

仕事がうまく行かなくなった。そのイライラを息子にぶつけていくうちに、嘘みたいに気分がすっきりと晴れた。息子が怯える様が面白かった。俺は本当は支配される側じゃなくて、支配する側なんだと。

子供の足ではとうてい逃げきれなかった。電車に飛び乗るも、追いつかれてしまい、俺になってしまった和也に追いつかれてしまった。

「か、和也、許してくれ。殺すつもりなんて、なかったんだ。」

電車には不思議なことに、誰も乗っていなかった。和也は静かに俺に歩み寄る。

「お父さん、どう?毎日いたぶられる気分は。」

「ごめん、ごめんなさい。俺が、俺が悪かった。」

俺は涙と鼻水でぐちょぐちょの顔を伏せて額を床につけて土下座した。

「お父さん、僕は毎日、悲しくて苦しくて辛くて痛くて。ねえ、お父さん、どうして僕をこの世に産んだの?僕に苦しみを味合わせるためなの?」

和也は土下座した俺の頭を靴で踏み、頭が割れるほど力を込めた。

「痛い、痛い、ゆ、許して。お願い。」

「それは僕が何度も口にした言葉だよ。お父さんは決して許してはくれなかったよね?だからね、僕も許さないことにしたんだ。」

ふっと力が緩んだ。恐る恐る顔を上げると、胸倉を掴まれて首を絞められて宙ぶらりんにされた。

く、苦しい。た、助けて。

死んでしまう。死ぬのは嫌だ!

「午後3時40分、北畑雄二の死亡を確認しました。」

執行人がその男の死亡時間を読み上げた。

その男、北畑雄二の容疑は我が子に対する殺人罪。

我が子に対する虐待は目を覆うものがあり、殺害時の息子の顔は二倍にも腫れあがっていたという。

子供に対する虐待が絶えないため、虐待に対する罪は重くなり最高刑は死刑。

北畑雄二はその生涯を閉じた。

少年は電車の中で目覚めた。足は裸足である。

ようやく、あの地獄のような父親からの虐待から逃れて電車に飛び乗ったあと、安心からか少し眠ってしまったのだ。周りを見渡すと、老若男女が目の前の座席に座っている。そこに父の姿が無いのを確認すると安心した。

「僕、どこから来たの?」

おばさんが声を掛けて来た。少年は黙っている。どこから来たのかを告げれば、またあの地獄のような家に戻されて悪魔のような父からの暴力に耐えなければならないからだ。

「お願い。おうちに帰りたくないの。僕を家に帰さないで。」

するとおばさんは微笑んで少年の頭を撫でた。

「大丈夫よ。家に帰したりしないから。」

泣きそうな顔で見上げると、今度は前の席の青年が近付いてきて、少年に何かを手渡した。

「これは?」

「切符だよ。」

「切符?」

「うん。次の駅で降りてこの切符を持って電車を乗り換えるんだよ。」

「その電車はどこへ行くの?」

少年は不安になり尋ねた。

すると青年はしゃがんで少年と目を合わせると微笑んで頭を撫でた。

「次に生まれる時は、幸せにおなり。そのための切符だよ。」

その時、社内にアナウンスが響く。

「次は~、きさらぎ~きさらぎ駅です。お忘れ物のないようご用意願います。」

少年がその電車を降りると、電車は忽然と消えてしまった。

今来た方向と逆の方向から別の電車が滑り込んできた。

眩い光をまといながら。

少年は切符を手に、その電車に乗り込んだ。

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