どうもお久しぶりです。お元気ですか。ええ、私も何とか病気だけはしないでやってます。お互いに体が資本ですからね。今年の夏も暑そうですけど、とにかく健康第一で何とか乗り切っていきましょう。
それにしても近年の夏の暑さと言ったら、とんでもないですよね。この日本で40度なんて気温を経験することになろうとは、私らの子供の頃には、全く想像もつかなかったですもんね。それが今や、毎年夏になると日本のあちこちで40度を突破するのが、もう当たり前になっちゃいました。今や日本の7月、8月と言えば、同じ時期の東南アジアなんかより暑いですもんね。ええ、あっちの方が全然涼しいくらいですよ、本当に。
こんな酷暑になってくると、本当に身の危険を感じますよね。ええ、熱中症対策は勿論気を付けてますよ。朝からエアコン回しっぱなしで水がぶがぶ飲んでね。それでもね、自分の家でも、ずっと日光にさらされてるような所をうっかり手で触れると、火傷しそうになることありません?ありますよね。 玄関のドアノブとかベランダの手すりとかね。
ああいう屋外で金属の所って物凄い熱になってますでしょ。うっかり素手で触れると、「あちっ!」と叫んで飛び上がっちゃいますよね。本当、あれは気を付けないと絶対に火傷します。私の親戚の家なんか、去年、室内に保管していた金属が溶けちゃいましたからね。えっ?いくらなんでもそりゃないだろう?いえいえ、本当なんですよ。おおげさじゃありません。本当に溶けてたんです。
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去年の五月に私の父方の祖父が亡くなりましてね、ああ、どうも恐れ入ります。でもまあ、90まで生きましたから、天寿は十分に全うしたと思います。亡くなる時も家族や親族に看取られながら、安らかに眠るように逝きましたから、まあ、大往生と言っていいでしょう。
で、その八月に初盆ということで、親戚一同、埼玉の祖父の家に集まりました。まあ、初盆というセレモニーもさることながら、残された祖母を見舞い、励ますという趣旨が主だったんですけどね。因みに祖母は今も健在です。その時は、まだ漸く四十九日が終わって暫くした頃でしたから、流石に消沈した感じでしたけど、おかげさまで今ではすっかり元気になって色んな所に出歩いてますよ。
祖父の家に行くのは久しぶりでした。私は初孫ということもあって、昔から祖父母には可愛がってもらっていたんです。生前、何度か祖父の部屋に入れてもらったこともあります。それが何となく懐かしくなった私は、ふと祖父の部屋に入ってみました。まだ亡くなって三か月でしたから、祖母も気持ちの整理がつかず、祖父の部屋には一切手をつけていませんでした。
祖父はもともと、とても質素な人でしたから、特に興味を引くようなものもありませんでした。本棚には仕事に関連していた、電気関係の若干の専門書と、あと何冊かの歴史小説が並んでいるだけ。そして窓際に小さな事務机が一つ。その机の上にも、小さな置時計以外は何も置かれていませんでした。
その事務机にふと興味をひかれ、何が入っているのだろうと一番上の引き出しを開けてみました。引き出しの中も、質素で几帳面な祖父らしく、きちんと整理されていて、そもそもあまり物も入っていませんでした。ボールペンが二本、黒と赤が一本ずつ。鋏とスティックのりと、あと、真っ白いメモ用紙が一綴り。そしてそのメモ用紙の傍に何か妙な形をしたものが有りました。
大きさは大体1センチくらいで、形は不定形といいますか、歪んだ楕円のような、あるいは蝋燭の燃え残りかそうでなければ単なる土くれのようにも見えます。きちんと整理された机の中にあって、その歪んだ小さな物体は、いかにもイレギュラーな感じで、そこが私の関心を惹いたんです。
「何だろう?」興味を覚えた私はそれを摘まみ上げてみました。重さは殆ど感じられず、とても軽いものでした。一方、土くれのように見えながら、それは結構硬い感じのするものでした。色は黒っぽい灰色というか、いぶし銀をもう少し黒っぽくしたというか……銀色を基調にして、その表面に後から黒い炭のような顔料を混ぜたような感じでした。その硬さと風合いから、これはもともと銀色だった何かの金属……アルミニウムみたいなものが高温で溶けたものじゃないかな……
そんなことを考えながらしげしげと眺めているうちに、突然思い出しました。まだ小学生だったころ、祖父の部屋で遊んでもらっていた私は、その机の引き出しの中に、一枚の見慣れない硬貨を見つけて、「これなあに?」と聞いたのです。
その時祖父は「これは昔のお金だよ。今はもう使えないんだ。亮くんには、ちゃんと後でお小遣いやるからな」笑いながら淡々とした口調でそれだけ言うと、静かに引き出しを閉めました。祖父の顔は穏やかに微笑んでいましたが、子供心に、祖父にとってこれはとても大事なものなんだろうな、と何となく思ったのを覚えています。そして、その珍しさから、その硬貨の外観も私の目に焼き付いていました。
縦書きに書かれた“一銭”の文字。真ん中にある花のような意匠(今思えばそれは菊のご紋章だったわけですが)。部屋の灯りをまぶしいくらいに反射する銀色の表面。実際、その時見たそれは、なんら変形も汚れも無い、殆ど新品と思われるくらいにきれいな一枚の硬貨でした。後年大人になってから記憶を頼りに調べてみましたが、それは戦時中に発行されて普通に流通していた一銭硬貨で、物資不足のおりから材質も粗悪で、特に希少価値は無かったようです。そのせいもあって、いつの間にか私も、その存在を殆ど忘れかけておりました。
その不定形の物体を見た時に、私はこれはあの硬貨がこの暑さで溶けたものじゃないかと思ったのです。今思うと少し極端な発想でしたが、実際、暑さでは日本で一、二を争う熊谷の八月の午後ですからね。既に気温は40度近くになってました。そして、祖父亡き後、その部屋は空き部屋になってて冷房は入ってなかったんです。窓は開けてありましたが、むしろ部屋の中に熱風が吹き込む形になって既に竈みたいな状態です。私もちょっと覗こうと入ってみただけなのに、たちまちプールから上がったばかりみたいに汗だくになっていました。だから、そんな発想をしたのかもしれません。
もし、金属が高温で溶けだしたのであれば、当然それによって周囲のものも焼かれることになる。机の引き出しから出火して火事になっていたかもしれない……そう思うと、それが妙に危険な物のように思えて来ました。とにかくよく出火しなかったものだと思い、もう一度引き出しの中を見てみましてが、焼け焦げの跡はおろか、なんの異常も見られません。それも不思議と言えば不思議なのですが、とにかくこのままにしておいたら危ない。婆ちゃんに注意喚起しておいた方がいいだろう。そう思った私は、その溶けた硬貨を持って丁度みんなが集まっていた広間に行き、祖母にそれを見せて状況を説明して、このままにしておいたら危ないんじゃないか、と言いました。
みんなも興味深げに祖母の手元にあるそれを覗き込んでいましたが、流石にこの暑さで金属が溶けたのではないか?という私の考えには、賛否両論といったかんじでした。
「おまえ、いくらなんでも気温だけで金属が溶けるわけないだろ」これは私の父。
「いや、金属って言っても沢山あるからな。鉄の融点は1500度くらいだけど、ガリウムみたいに30度程度で溶けるものもあるし、いろいろだよ」と、私の叔父。因みに高校の教師をしてます。
「やっぱり熊谷って暑いのねえ」と言ったのは私の従妹。
ところが、肝心の祖母はと言うと、各々勝手な見解を述べている親戚連中を後目に、いつまでもその溶けた金属の塊を眺めていました。と、見る間に祖母の目尻から一筋の涙が伝い落ちたのです。流石にみんな驚いて黙り込みました。
「ああ……だから、もう……そういうことなのね……」
しんとした広間に祖母の声が静かに流れました。
「そういうことって……なによ、婆ちゃん」
意味ありげな祖母の言葉がどうしても気になった私はストレートに聞いてみました。
「おじいさんが亡くなったからね……役目が終わったのね……」
そう言うと、ぽつぽつとした口調で話し始めたのです。
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「みんな知ってると思うけど、おじいさんは戦後身一つで東京に出てきて、苦学しながらエンジニアとして身を立ててね。私ともこっちで知り合って、家庭を持って、この家も建てて……ずっとこっちで暮らしてきたけど、17歳までは広島で生まれ育ったの。
「昭和20年、広島に原爆が落ちた時、お爺さんは、動員で工場に行っていた。その工場が、たまたま市外にあったおかげで、お爺さんは被爆を免れた。でも、お爺さんの実家は広島市内の爆心地に近いところにあったの……
「すぐに駆け付けたけど、実家のあったところには、もう、何にも残っていなかったって……家も勿論、家族も……両親も、たった一人の妹も、一緒に住んでたお祖母さんも、みんな全てが灰になっていたって……
「家財も何もかも灰になって、鍋釜や自転車みたいな金属製品は溶けてドロドロになってた……そんな焼け跡をお爺さんは必死になって掘り起こしてね……とにかく何か形のあるものはないかと……家族の思い出になるものが残ってないか……涙ながらにみんなの名前を叫びながら、必死になって探したんだって……
「そうしたら、焼け跡の灰の中に何か光るものが見つかって、拾い上げてみたら、それがこの一銭硬貨だったの。他の全ては燃え尽きて、金属はみんな溶けていたのに、そのたった一枚の硬貨だけが、ピカピカのきれいな状態で出て来たんだって。本当に奇跡的なことだって言ってた……
「おじいさんはその時思ったのよ。これが無傷で出て来たのは、家族が自分にこれを残してくれたんじゃないかって。自分達はこの世を去らなければならないけど、お前だけは、無事で、強く生き延びて欲しい……この一銭はこれからの生活の足しにしろと……その思いを込めて、これだけは無傷で自分に残してくれたんじゃないかって……おじいさんは、焼け跡でそれを握りしめたまま、ずっと大声で泣き続けていたって……」
強烈な午後の日差しが広間の大きな窓から差し込んで、エアコンをかけていても、じんわりと部屋の温度が上がってきます。その容赦ない陽光の中に、同じように強烈な真夏の陽射しに照らされながら、焼け跡の中に立ち尽くしている若き日の祖父の姿が浮かび上がってくるような気がしました。
「それ以来、おじいさんはそれをずっとお守りとして大切にしていたの。これは、家族が自分を守る為に残してくれたものだと言ってね。広島に身寄りが無くなったおじいさんは、間もなく身一つで上京して、新しい人生をスタートした。苦学しながらも何とか仕事も安定し、私と家庭を持ち、貴方達子供や孫にも恵まれ、家も建てることが出来た。『俺は一瞬にして家も家族も失ったけど、結局またそれを取り戻すことが出来たんだ。こんな幸せな人生を送ることが出来たのも、あれがずっと自分を守ってくれていたからだと思う』って、よく言っていたわ。そして、ずっと自分の机の引き出しに保管していたの。
「実はおじいさんがこの五月に亡くなった時に、お棺に入れてあげようと思ってね。引き出しを開けてみた時は、これはまだピカピカできれいな状態だったのよ。結局お棺には入れられなかったんだけどね。今は色々うるさくて、不燃性のものは入れないでくださいって言われちゃったから。
「そのおじいさんが亡くなった今、あの硬貨はお守りとしての役目を終えたことになる……本当はあの原爆投下の時に溶けていた筈のものが、おじいさんを守るために、ずっと70年以上に渡って、きれいな形のまま輝き続けていた。だけど、もうその必要も無くなった。だから、あの時に戻って溶けてしまった……そういうことじゃないかしらね……」
時おり流れる涙をそっと拭いながら、静かに語る祖母の言葉に、私達はみんな神妙な顔で聴き入っておりました……。
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結局、あの硬貨は、いつ溶けたんでしょうね……祖母が五月に見た時はきれいなもんだったと言ってますが……私が思うに、あれが溶けたのは多分八月に入ってから……日付も、想像はつきますけどね。わかりますでしょ?でも、まあ、想像で物を言うのはやめておきましょう、ええ、見たわけでもないですしね。あの異常なくらいの酷暑の気温が、戦時中に作られた粗悪な硬貨を溶かしてしまったんだと……そういうことにしておきましょうかね……
[了]
作者珍味
長らくご無沙汰致しております。猛暑の八月を迎え、ふと投稿してみたくなりまして。他所で書いたものに若干手を加えたものですが、宜しければお暇な時にでもどうぞおひとつ。
暑さ厳しき折、くれぐれも水分補給と体調管理にはご留意ください。