ー山は人外の世界だから
と親父はよく言っていた
これは、俺が親父から聞いた一番おっかない話だった
その日は数日前に亡くなったじいちゃんの葬式の帰りだった
じいちゃんは迷信深い人で、朝晩仏壇に向かって念仏を唱えるような人だった
その甲斐あってか、89歳の大往生を遂げた
親父は式の帰り道、
俺を誘って珍しく飲み屋に入った
そこで、あの話を藪から棒にし始めたのだった
「あれは俺がまだ、小学生のときだった
友達と山で遊んでいたとき 地面に妙な足跡を見つけたんだ」
親父は日本酒を飲みながら話し始めた
「山犬にしては大きい、熊にしては小さい
何より、3つ足で歩いているようだったのが妙だった
うさぎのように跳ねる動物ならわかるが、
こんなに大きな足跡の動物がはね歩いているとは考えにくい
幼かった俺は、その足跡を追っかけてみることにした
じいちゃんには「妙な足跡を追うな」とは散々言われていたが
その時は迷信だくらいにしか思っていなかった」
「その足跡は途切れずに進んだ
俺は友達と二人でずんずんと山奥までその足跡を追いかけていった
あるところで、ふと、木々が途絶え、広くなった場所に出た
その場所で足跡はぷっつりと途切れていたんだ」
「何だ、と思って、来た道を戻ろうとしたとき
俺達は、帰り道が全くわからないことに気づいた
知らない山鳥の鳴き声、突然の風のざわめき
唐突にいろんな音が聞こえ始めた
俺達は怖くなって、その奇妙な広間の真ん中で辺りをうかがっていた
ガサガサ・・・
と灌木が揺れて、のそりと、そいつは出てきた」
「そいつって?」
「真っ黒い獣だった
大きさは子熊程度だが、手足が異常に長い
全身真っ黒で、見たこともない生き物だった
そいつは笑った
確かに笑ったんだ
俺達は怖くなって、一目散に逃げ出した」
「夢中で走って走って、どこをどう抜けたかわからないまま
俺はやっと見知った道に転がり出たんだ
しかし、一緒の友達とははぐれてしまった
俺は、慌てて父ちゃん、お前のじいちゃんだな、に助けを求めた」
「父ちゃんは俺の話を聞くと、
『わがった』
と言って、俺の手をグイグイ引っ張って
村の寺に連れて行った
俺を本堂に座らせ、父ちゃんは寺の住職と話していた
話は断片的にしか聞こえてこなかったが
『モノに会っだ』
とか、
『連れでかれた』
ということは聞こえた」
「住職が来て、なんとも匂いのきつい香を炊き始めた
父ちゃんは俺の来ていたシャツを脱がすと
自分が着ていた服を着せた
『父ちゃんにまがせろ」
そう言って、寺を出ていった」
「小一時間ほど経っただろうか
父ちゃんが戻ってきた
住職とまた小声で話をしている
『出てこねえ』
とか
『一人で満足さしたか』
とか、そんなことを話していた」
「結局、一緒にいた友達は帰ってこなかった
行方不明、ということになったが
俺は、不思議と誰にも怒られることはなかった」
「それは何だったんだ?」
俺は親父に聞いた
「俺もずっとわからなかった
でも、10日位前、じいちゃんが急にこの話を俺にして
それで、自分でも忘れていたこの話を思い出したんだ」
「じいちゃんは自分が死ぬのがわかったからかもしれない
俺もじいちゃんに同じことを聞いたよ
『アレは何だったんだ』って
じいちゃんは、
『アレは、モノだ。人が見ちゃいけないものだ
お前の友達はモノに連れて行かれたんだ
お前の匂いを覚えて
お前を追いかけてくると思った
そのときに撃ち殺そうと思っていたけど
山から降りてこなかった
きっと、お前の友達を喰って
満足したのだろうと思っていたが
その日から毎日毎日、
いつ、モノが山からお前を攫いに来るか
気が気ではなかった
毎日、毎日、念仏を唱えて、仏様におすがりしておった』
と
其の話が本当なら、じいちゃんは50年近く、
俺のために念仏を唱えてくれていたみたいだった」
「妙な話だね」
その場はそれで終わりになった
親父は酒をぐいと飲み干すと「出よう」と言って居酒屋をあとにした
じいちゃんの四十九日の法要が終わったあと、
程なくして、親父は死んだ
会社からの帰り道、
野犬か何かに襲われたらしい、ということだった
野犬?この街中で?
誰もが思ったが、獣に噛みつかれたような傷といい
爪痕が残された皮膚といい
何よりも内臓が食い荒らされている様子といい
野犬としか言いようがなかった
目撃者はいない
遺体を前に
母ちゃんは泣きはらし
妹は呆然としていた
俺は親父が話してくれたことを思い出して
震えていた
モノは
じいちゃんの守りがなくなってすぐに
親父を喰いに来たんだ・・・
作者かがり いずみ
山には得体のしれないものがまだまだいるようですね
妙な足跡を追わないように・・・