安雄さんは《怖い話》が嫌いである。
オバケが怖いから、ではない。むしろ小学生のころは怪談好き、口も達者であったため《オバケ話といえば安雄》と一目置かれていたほどなのだ。
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小学生時代、クラスの担任にミホ先生という女性がいた。
安雄さんが虚実織りまぜ怪談を語る、その場に彼女がいると熱心に聞いてくれるのだが、他の同級生のように怯えてくれない。
向こうは大人なので当然なのだが、当時の安雄さんはそれが大層不満であった。
その上ミホ先生は、かわいらしい顔立ちと柔和な性格で男女問わず人気を集め、安雄さん以上に面白い話も怪談も上手なのである。
安雄さんもどうにかして気を引こうと、様々な怪談を披露していたのだ。
あるとき安雄さんは、なぜ自分の話を怖がらないのか、と訊ねてみた。
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《あなたの話は呪いとか人が死ぬとかが多すぎる》
《先生は、オバケがみえるから》
《こちらから悪さをしなければ、生きてる人間にそんなことをしないのは知ってる》
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そういった内容のことをさらりと言ってのけた。
それなら、と安雄さんはあるアイデアを思いつき後日、教卓に《ある仕掛け》をした。
授業が始まると、ミホ先生の様子がおかしい。
実は安雄さん、教卓のなかに花束を入れていたのだ。
想いを打ち明ける花束などではない。
近所の交通事故現場から、安雄さんが拾ってきた《本物》である。
しかも安雄さんは《オバケが怒るように》と、何度も足で踏みつけるなど罰当たりなイタズラをしてから教卓に仕掛けた。
取り乱すのではないかとワクワクして見守っていたのだが、別段恐ろしがったりもせず、教卓から自分の机に移動させいつも通り授業を始めた。
《なんだ、本物も怖がらない。幽霊が見えるなんてうそなんだ》
安雄さんはそう考えた。
そのまま下校時間になり、帰ろうとすると。
ミホ先生は安雄さんを呼び止めた。
《コレを持ってきたの、あなたでしょう》
とくたくたの花束を突き出す。
なぜバレたのか判らないが、取りあえずしらを切る安雄さん。ミホ先生は
《本物、持ってきちゃったね。うしろにいるよ》
と言い放った。
ミホ先生が本物と口にしたのは、それが初めてのことであった。
少しだけ恐ろしくなったが、強がってきびすを返す。
そのとたん、ミホ先生は《待ちなさい》と背後から安雄さんの手を掴んできた。
驚いて振りかえると、ミホ先生はぼろぼろと涙を流している。
《このままじゃ、あなたが連れていかれちゃう》
と言って、手を離してくれない。
突然の出来事に猛烈に恥ずかしくなった安雄さんはむりやり手を振りほどこうとしたが、考えられないほどに強い力で掴まれている。爪が食い込み、皮膚が擦りむけ血が出た。
すると、そこから《黒い煙》とか言い様のない靄が吹き出し、ミホ先生にまとわりついたのを安雄さんは見た。
安雄さんは恐怖のあまりに暴れ、ようやくミホ先生は手を離してくれたのだが、あまりのことに混乱し、安雄さんは何も言わずに走り去った。
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翌日。
ミホ先生は学校に来なかった。
その翌日も、その次の日も。
三ヶ月ほど経過して、ようやく朝礼の際に、壇上の校長から
《ミホ先生は亡くなった》
ということを聞かされた。
当時は理由を教えてもらえなかったが、学校へ姿を見せなくなってから一週間ほど後に、自宅で首を吊っていたのだーーというのを十年以上あとの同窓会で聞く。遺書もなければ、近親者が思い当たるような事情もなかった。
あのときの、ミホ先生の狼狽を知るのは安雄さんだけだ。
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《あの黒い煙はなんだったんだろう。なにかを彼女に移してしまったのか、彼女の意思で自分を助けようとしてくれたのか。それはもう明らかにはならないけれど、自分のせいだというのは確かだと思う》
それから三十年以上経過している現在も、安雄さんはそう言って声をあげて泣いた。
年に一度の墓参りは、新幹線を使うような距離だが今に至るまで欠かしたことがないそうだ。
作者退会会員