私の友達のF子の家は、もともと古くからの商家だったとのことで、庭には蔵もある立派な家に住んでいた。私はF子とは幼馴染で、よくその家に遊びに行ったものだった。
もともと、F子の家は、父方のおじいさんとおばあさん、それからF子の両親、F子、弟の6人家族だった。F子の父が何をしているのかはよくわからないが、何か手広く商売をしているようだった。
しかし、F子の家によく行ったのは小学生のときくらいまでだった。その頃に丁度F子の祖父と祖母が相次いで亡くなり、そのことがきっかけというわけではないが、自然と行くことが少なくなっていった。
また、F子は中学生くらいから、随分性格が変わってしまい、あまり人と話さなくなってしまった。時折学校も休むようになり、私もF子と遊ぶこと自体が少なくなっていっていた。
それでも、クラスで一番F子と仲が良かったのは多分私だった。
高校1年の終わりも近いある日、私はF子から妙な話を聞かされた。
「実は、私、変な夢を見るんだ・・・」
F子の家にはとても古い雛人形が伝わっている。随分年季が入っているが、きれいに手入れがされている。もちろん、男雛、女雛から三人官女、五人囃子、右大臣と左大臣、仕丁が全部揃っている。F子も私も、その人形がとても好きだったが、F子の祖母は嫌いだったようだ。F子の祖母は、その人形のことを「シオミ人形」と吐き捨てるように言って、とても嫌なものを見る目で見ていたのを私たちは随分不思議に思っていた。
F子の家では女児がいるときには、この立派な雛人形を3月3日のひな祭りを挟んで前後1ヶ月、合計2ヶ月ほど飾り続ける風習があった。
F子が見た、いくつかの夢は、ちょうど、この雛人形が飾ってある間に見たものだというのだ。
最初の夢は、F子が小学校の4年生の頃に見たものだった。
3月のある日、床につくと、しばらくして、ガサガサと周囲が騒がしいことに気づいた。ただ、体が全く動かない。そのうち、変な男の声が聞こえてきた。まるで浪曲や歌舞伎のような、妙な節を付けた言い回しだった。
「みまかりそうろう、みまかりそうろう〜」
「おんけのせいれいいんのみまかりそうろう」
「あな、おそろしや、おそろしや」
しばらく静かになったあとに、今度は女性の声がした。
「あな、おそろしや、しかれども、われらをうとみしものぞ
われらもようようこころやすらかになりぬるものよ」
「いやさ、そのようなことはいうまいて」
「いやさ、いうまいて」
聞き取れたのはこんな感じのことだった。ところどころ言葉遣いが難しくてわからないところがあったが、どうやらこの女性らはこのようなことを言っていたらしい。
ー考えて見えれば、あの人も気の毒なことだ。
ーああ気の毒だ
ー南の池のそばに生えている木に頭を挟まれた「くちなわ」がもがき苦しんでいることで、病にかかって「みまかる」のだから。
ーああ、気の毒で恐ろしいことだ。
ーあの「くちなわ」さえ助けられれば、そうならずに済むのになあ
ーああ、そうだがなあ
ーそんな恐ろしいことを言うものではない
ーたしかにそうだった、そうだった
ー我が君が申し告げたことぞ、確かに申したものぞ
ーああ、そうだった
この女性たちの声以外にも、良く内容は聞き取れなかったものの何人かの男女がボソボソと話す声が聞こえたとのことだった。
「結局、朝起きたときには別になんということもなく、ああ、夢だったんだって思っていた。そもそも、何を言っているのかもよくわからなかったんだ。」
恐ろしかったのは、このあと、程なくして、祖母が肺の病気にかかって寝込んでしまったことだった。呼吸がしにくいらしく、しょっちゅうひーひー、ぜーぜーと苦しそうにしていた。あちこち病院に見せたけれども、症状は一向に良くならず、次第に悪化していった。6月には食事も取れなくなり、病院に入院してしまい、7月にはあっけなく死んでしまった。
「それで、私、あの夢のことを思い出して、南の池に行ってみたの。そうして、池の周りの木を見て回ると、一本の木の枝に、干からびた蛇が絡みついていたんだ」
それで、F子は「くちなわ」を辞書で調べ、それが「蛇」のことであること、「みまかる」という言葉が古語で「死ぬ」という意味であることを知った。
2回目の夢はF子が小学校6年生のときだった。
それは、やはり人形を飾っていたとき、2月末の頃だった。前と全く同じように、寝付いたか寝付かないかのときに体が動かなくなり、周りがまたざわざわし始めた。そして、また、変な男の人の声が聞こえてきた。
「みまかりそうろう、みまかりそうろう〜」
「おんけのけんれいおうのみまかりそうろう」
「あな、おそろしや、おそろしや」
そして、今度は別の男の人達の声が聞こえてきた。
ーああ、おそろしいことだ、おそろしいことだ
ー本当に、あの亀が東の森で岩の間で苦しんでおることのために、あの人があんな風に引き潰れてしまうんだから
ー気の毒じゃ
ー気の毒じゃ
ーしかし、滅多なことは言うものではない、誰が聞いているともしれぬ
ーああ、亀を岩から出してやれば、命が永らえられると知られては大変だ
ーそうじゃ、そうじゃ
「だから、今度は私、次の日に急いで東の森に行ったの。そして、岩に挟まっている亀を探したわ。でもね・・・」
F子は言葉を濁す。
「でも、見つけたときには遅かった。亀は確かにいたけど、もう動かなくなっていたの」
F子の祖父が工事現場の鉄骨の下敷きになって死んでしまったのは、それから程なくしてだった。
「これで確信したの。あの声は確かにうちの家の誰かが死ぬことを予言しているって。」
不思議な話だったが、F子が嘘をついているとも思えない。確かに、F子の祖母は小学5年生の時に、祖父は中学1年生の時に亡くなっている。
「実は、まだあるの・・・」
3回目はついこの間だった。
3日前の夜、やはり体が動かなくなった。例の男性の声が聞こえてくる。
「みまかりそうろう、みまかりそうろう〜」
「おんけのしんのういんのみまかりそうろう」
「あな、おそろしや、おそろしや」
ざわざわとざわめく声。今度は男性と女性が話しているようだった。
ー気の毒じゃのう、まだ若いおなごじゃと言うに
ーいた仕方ないだろう、これも命によるもの
ーそうはいうても、あのように打ち殺されることもあるまいて
ーああ、そうじゃのう、そうじゃのう
ーほんに、ほんに。しかれども、北の空き家の涸れ井戸に落ちた蛙の呪いとは気づくまいて
ーああ、気づくまいて
「どう思う?」
F子は私に聞いてきた。
「若い女性が次に死ぬ・・・ってこと?」
私はおずおずと答えた。
「そう、だよね。しかも殴り殺されるんだ・・・。」
F子は下を向いた。F子の家の若い女性といえば、F子くらいなものだった。
「たぶん、いや、きっと、私、だと思うんだ」
F子は、おもむろに右手の袖を捲り上げた。そこには、幾つものミミズ腫れがついていた。
「それ・・・どうしたの?」
「母・・・なんだ・・・」
F子が言うには、F子の母はもともと、F子の家には入りたくなかったようだった。勝ち気で自分の自由にしたいという性格のF子の母にとって、旧家然としたF子の家は息苦しかったのだ。それでも、夫の手前、祖父や祖母が生きているうちは彼らに合わせていたようだったが、祖父と祖母がなくなってからは、次第に地が出てきたのだ。
F子の弟は、F子に比べて要領がよく、母親似ということもあり、F子の母は弟の方をよくかわいがっていた。祖父と祖母が亡くなってからはその溺愛がよりひどくなり、それに連れて、F子へのあたりがきつくなってきた。そしてとうとう、中学1年の冬ころからだろうか、暴力まで振るうようになってきたのだった。今では、気に食わないことがあったり、F子が少しでも口ごたえをしようものなら、目立たないところを木の棒で殴ったりもするようになっていた。
F子も何度家を出ようと思ったか知れないというのだ。
「お父さんは、止めてくれないの?」
私が聞くと、F子は力なく首を振った。
「駄目。父は事業で手一杯なの。家のことを省みる余裕なんてない。ちょっと前までは、なんとか高校までは出て、そうしたら、家を出ようと思っていた。でも、あの夢を見た・・・。どうしよう、きっと、私は母に殴り殺されてしまうんだ・・・」
F子は唇を噛む。心なしか肩も震えている。本当に怖がっているようだった。
「ねえ・・・行ってみようよ、北の空き家に。蛙を助けたら、F子も助かるんでしょう?」
北の空き家、というのは、地図で調べ、当たりをつけて歩くと、存外すぐに見つけることができた。たしかに大きな家で、家の裏に回ると、涸れた井戸がある。中を覗くが、よく見えない。懐中電灯で照らしてみると、微かにヌメヌメと動くものが見えた。
「蛙がいる・・・」
私は驚いた。F子の話を信じていないわけではなかったが、こうして本当に蛙がいると改めて怖くなってしまう。
F子と私は協力して、紐をくくったバケツを落とし、蛙を救出するべく奮闘した。小一時間位で運良く蛙はバケツに入ってくれ、引き上げることができた。
「これで、大丈夫だよね?」
F子に聞かれたが、なんと答えていいかわからなかった。きっと大丈夫だよと言ってあげたかったのだが、確信なんて持てなかった。
その日は、そこでF子と別れた。
その日の夜、夜中の3時位にF子からメールが来ていたようだった。朝になって気が付き、読んでみてびっくりした。
『また夢を見た。
主の命を破った、しんのういんは死なないけれども、他の人が死ぬと言ってた。誰?誰が死ぬの?弟?母ならいいけど、弟や父だったらどうしよう。どうしたらいい?』
メールはまだ続いているようだったが、ひどく動揺した様子に心配でいてもたってもいられなくなった。この日は休みで、普段なら昼過ぎまで寝ているような私だったが、朝早く家を飛び出し、F子の家に向かっていた。向かいながら、何度かF子の携帯に電話をしたが呼び出し音がなるばかりでつながらなかった。
F子の家に着くと、パトカー数台と救急車が止まっている。嫌な予感がする。本当に誰かが死んだのかもしれない。
私はF子の家に入ろうとしたが、すぐに二人の警察官に止められた。
「ここの家の子の友達です。F子と話をさせてください」
言うと、警察官は互いに目を見合わせた。
「君はF子さんの友達かい?」
「はい」
「・・・F子さんは今朝、亡くなった。今、検死をしているところだ。残念ながら、君に見せる訳にはいかない・・・」
私は言葉が出なかった。力なく、引き返すしかなかった。
その日のうちに小さな町はF子の家の事件の噂で持ち切りとなり、聞きたくなくても、F子の家で起こったであろうことがいろいろな人の口から聞こえてきた。やはりF子は自宅で母親に殴り殺されたのだ。きっかけは、朝起きてこなかった、とか、そういった程度のことだったらしい。F子が反論したことに逆上した母親が近くにあった弟が使っていたバットで殴ったのだそうだ。
母親の虐待が高じた結果だった。
F子・・・
私はF子の最後のメールを見た。この時だったらまだ間に合ったのだろうか?
『また夢を見た。
主の命を破った、しんのういんは死なないけれども、他の人が死ぬと言ってた。誰?誰が死ぬの?弟?母ならいいけど、弟や父だったらどうしよう。どうしたらいい?』
スクロールして、メールの続きを見た。
『ちがった、ちがったんだ。
私は間違っていた。どうしよう、どうしよう・・・』
何を間違っていたのだろう?
ここで初めて私は気がついた。
もしかして、「しんのういん」はF子ではなく、F子の母親だったのではないだろうか。声は「若いおなご」としか言ってなかった。それでてっきりF子だと思っていたが、母親も若いといえば若い。
私たちは誤ってF子の母親が死ぬ運命を捻じ曲げてしまったのだ。それで、代わりにF子が死んだ・・・。
更にメールをスクロールをする。
『命をたがえたものの命で償う・・・と』
そこでメールは終わっていた。
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「これが一昨日のことです。」
F子の友人のA子は言いました。
「おそらく、F子の家の雛人形が声の主なのだと思います。祖母が言っていたシオミ人形は『死読み』もしくは『死を見』人形ではないかと・・・」
「命をたがえたものの命で償う、なら、私も危ないということでしょうか?」
目をうるませて私に言うA子だったが、私にはどうすることもできなかった。
A子が原因不明の自殺をしたのは、それから2日後のことだった。
作者かがり いずみ
人形の話を聞かなければ、きっとF子はこんな目に合わなかったのでしょう。
祖母も声が聞こえていたのかもしれません。だからこそ、「シオミ人形」と言ったのでしょう。
皆さんの家の雛人形は、死を語りはしませんか?