彼女は空っぽだった。
容姿は完璧だったはずだ。ずっと彼女だけを見続けていたのだから。
ほくろの位置も寸分違いはないはず。
それなのに、彼女は彼女ではない。
俺が彼女と出会ったのは、去年の春。
たぶん彼女は学生だと思った。
社会人にしては、ラフな格好だし、毎日同じ時間に電車に乗ってくるので、おそらく大学生だろう。
彼女は、俺の好きなアイドルに似ていた。
だから俺は心の中で彼女のことを、ミサキちゃんと呼んでいた。奥手な俺は、彼女に声すらかけることができず、ただただ、彼女を盗み見ているだけで満足していたのだ。
俺のような冴えない男に声をかけられても、迷惑なだけだろうし。
しかし、半年前、彼女は電車に乗って来なくなった。もしかして、俺があまりに見るので気味悪がられて、電車の時間を変えられたのか?
俺は彼女がいなくなった寂しさから、彼女の乗ってくる駅の周りを意味もなくうろついたりした。こういうのをストーカーっていうのかもしれない。
だが、彼女は忽然と俺の目の前から消えてしまった。
俺にとって彼女の存在は、かけがえのないものだった。ただただ、彼女に会いたい。その気持ちは、日に日に募って行った。こんなことなら、思い切って声を掛けていれば良かった。そんな時、目にしたのが「タルパ」の記事だった。
チベット密教の秘奥義で、修行を極めた者のみに伝えられる秘奥義・・・・タルパ
「人工未知霊体」つまり、人間が「無」から霊体を作り出してしまう方法だ。
彼女がいなくなったのであれば、作ってしまえばいい。
俺は彼女の姿を細部までイメージし、創造し、毎日彼女を思い続けた。
そして、ついに、俺は「タルパ」を創り出すことに成功した。
「やっと会えた・・・」
俺は感激で打ち震えた。しかし、俺は重大なミスを犯した。彼女の人格の形成ができなかったのだ。想像が及ばなかったのは仕方ない。俺は彼女と話したこともないのだ。どんな声で、どんな風に笑うのか、どんな仕草で話すのかさえも知らない。俺は彼女を知らなさ過ぎた。
結果、空っぽの彼女ができた。
人格は、これから形成して行けばいい。
声は、やはりミサキと同じ声がいいな。
その日から、俺のミサキ作りが始まった。
俺は彼女のことを何も知らないので、とりあえず彼女によく似た推しアイドルの趣味や嗜好をそのまま彼女に教えた。好きな食べ物、好きな漫画、彼女の性格などをそのまま、タルパにコピーしようと考えたのだ。
だが、所詮、それは外面でしかない。
ミサキの笑顔が好きだったので、俺はその笑顔を真似させようとしたが、どうやってもタルパの笑顔は不自然で気味の悪いものだった。
やはり、タルパはタルパでしかなかった。
会話をするも、まるで噛み合わない。俺は、外見だけが好きな彼女に似たナニカと暮らしている。
ミサキは、一日を俺の部屋で過ごした。俺が、バイトに行っている間は、彼女は家で、漫画を読んだり、テレビをみたりしてくつろいでいる。
そんなある日、俺は小さな異変に気付いた。
ミサキは白いパーカーとジーンズというラフな格好をしているのだが、袖口に何か汚れが付着しているのに気づいたのだ。
「どうしたの?それ」
俺の問いに、ミサキはキョトンとした顔をしていたが、
「お掃除の時に汚れちゃった」
と答えた。
掃除?どこを掃除したら、そんなどす黒い汚れがつくのだろう。
俺も綺麗好きではないが、そこまで汚れた個所はないはず。それに、それはどす黒いというより、赤茶けて見えた。
まるで血液が固まったみたい。
タルパが怪我をするのはあり得ない。
翌日、出勤するため家を出て、アパート横の駐輪場でバイクに乗り込もうとして、ふと横の木の茂みから何か異様な臭いがすることに気付いた。生臭いような、鉄錆のような、むっとくる臭い。その臭いのもとを確かめるため、茂みを掻き分けると、俺は思わず悲鳴を上げた。
「うわっ!」
そこには無残に切り刻まれた、猫の死体が投げ込まれていた。
なんて酷いことを・・・。
そう思うと同時に、これを行った者がこの近くに居るということにぞっとした。警察に言うべきだろうか。そんなことを考えていると、ふと昨日のミサキの袖口の汚れのことを思い出した。
「ま、まさか・・・。いや、あり得ないな」
だってあれは俺が作り出した物なのだから。
その日から、毎日のように、俺のアパートの周りでいろんな動物の死体が見つかった。犬、猫、鳩、時にはカラスだったり。さすがに、近所でも大騒ぎになり、警察にも届けられたらしく、時々、パトカーがパトロールするようにもなった。
そのたびに、俺の部屋で、それを解体したであろう痕跡が伺われた。恐らくそれはバスルームで行われているらしく、血の匂いが漂っていた。
このままでは、俺が疑われてしまう。俺は思い切ってミサキに聞いてみた。
「ねえ、最近、うちの周りで動物の死体がたくさん見つかっているんだ。まさか、君がやってるんじゃないよね?」
ミサキは、遠い目で俺を見つめた。
「私がそんなことするわけないじゃん」
一言そう呟くと、すぐに興味無さそうに目を反らすと漫画を読み始めた。
俺は不安をぬぐい切れずに、ある日、バイトと嘘を吐いて家を出て、彼女の行動を監視することにした。
俺がでかけて、しばらくすると、彼女はどこかに出かけた。
俺は彼女にバレないように、彼女の後をつけて歩いた。すると、彼女はとある公園に入って行き、砂場で遊んでいる小さな女の子に声をかけた。
そして、その女の子を連れて、アパートの方向に一緒に歩いて行く。
まさか・・・
俺は心臓が早鐘のように鳴り、二人の後をつけて行く。
悪い予感は的中し、ミサキとその女の子は、俺の部屋へ入って行った。
ヤバい。ミサキは動物だけでは飽き足らなくなったのだ。
俺は、自分の部屋に飛び込んだ。
「やめろ!ミサキ!」
すると、二人はキョトンとした顔で俺を見た。
「どうしたの?バイトじゃなかったの?」
ミサキは、俺を不思議そうな顔で見つめた。
まだ女の子は無事だ。俺は胸を撫でおろす。
「ミサキ、その女の子を返すんだ!」
「えー、この子がお姉ちゃんと遊びたいって言ったから連れて来たのに」
「ミサキ、君にはわからないかもしれないけど、それは誘拐と思われてもしょうがない行為だぞ。その子の親の許可は得てないんだろ?」
「いやだって言ったら?」
ミサキが初めて自発的に笑った。
「ダメだ!いますぐ親の元に返すんだ!」
すると、ミサキはちっと舌打ちをした。
「うるせえなあ。俺に命令すんじゃねえよ。この子は俺のもんだ。どうしようと勝手だろ」
ぞっとするような低い声だった。これはミサキではない。
「お前、誰なんだ」
するとミサキはニヤニヤ笑いながら言った。
「お前が器を作ったからさあ、俺が有効活用してやってんじゃん」
「器?」
「そうだよ、器。お前の作った空っぽの器があったから、俺が入り込んだ。お前さあ、キモいんだよ。ミサキ、ミサキってさあ。ずっと我慢してたんだぞ」
こいつはヤバイ。
俺は、ミサキに飛び掛かった。
「早く!逃げて!」
女の子が火が付いたように泣き始めた。
暴れるミサキを押さえるのがやっとだった。
「早くお母さんの所に帰りなさい!」
俺が必死の形相で叫ぶと、ようやく女の子は走って逃げて行った。
ミサキを始末しなくては。俺が愚かだった。いくら、彼女が居なくなって寂しいからと言って、こんなバケモノを作ってしまったのだ。
俺はミサキの首を渾身の力を込めて締め上げた。
ミサキは苦しそうに顔を歪めたが、俺は手を緩めなかった。
ごめん、ミサキ。でも、もうやめてくれ。
本当の殺人鬼になる前に、せめて俺の手で。
ミサキが腕の中でぐったりとした。俺の頬を涙が伝う。
ごめん、ミサキ。勝手に生み出しておいて、君を殺すことになってしまった。
俺はそのまま、泣き疲れて眠ってしまった。
「おはよう」
誰かの声で目が覚めた。
「ミサキ?」
俺を絶望が支配する。
「あのね、タルパは一度作ると、居なくならないんだよ?」
微笑むミサキは天使のような笑顔だった。
作者よもつひらさか