政芳さんは高校生の頃、心霊写真を持っていた。
周囲に木々の生い茂った、薄暗い雰囲気の場所。
高さ三メートルほどの石碑の前で、自分や友人が並んでいるもの。
日付からすると、高校二年の春休み期間中に撮ったと思われる。
笑顔でピースサインを出したりしている連中の後ろの石碑。その左側からぬっと顔を出し、こちらを見ている白い顔が確認できたのだ、という。
顔には輪郭しかなく、男女の判別はできない。
目、鼻、口にあたる黒い穴があるだけで、人というよりは人形や絵に近かった。
聞いたかぎり、心霊写真自体は大したことはない。テレビの特集などでも見かけるような陳腐な代物だ。
奇妙な話はここからなのだが、この写真の入手経路が判らないのだという。
本人たちの写った写真が本人の手元にあるわけで、どこかでの記念撮影だとは推測できるのだが。
旅行に行った時期はおろかその場所の記憶もなく、また残っている写真もこの一枚きり。
それは写真に写っている友人も皆同じで《オバケだ》《心霊写真だ》とはしゃいだ記憶だけがあり、それ以外のことを記憶していない。
そして、撮影者は誰なのか?
いつも固定されたグループで遊んでいた友人たちは全員写真に収まっており、シャッターを切った者を思い出せないというのだ。
しかし。
このあたりは説明ができないこともない。
観光客のために一枚だけ写真を撮り、代金と引き換える商売は海外に珍しくない。日本でも真似をする者が居ても不思議はないだろう。
もしくは、通りすがりの通行人に気まぐれで買ったカメラで撮影を頼んだ。気恥ずかしくなり一枚だけしか撮影していない。
全員が場所や時期を忘れるというのは考えにくいが、政芳さん一人の預かり知らぬところで、口にすることが憚られる思い出になってしまっていることはあり得る。また、単に担がれている可能性もなくはないだろう。
しかし、重要な点はそこではない。
今現在、政芳さんが保管している同じ写真には心霊らしきものが映っていないのである。
心霊写真を《持っていた》白い顔を《確認できた》と過去形で書いたのはそのためだ。
当時、あれだけ友人やクラスメイトを交えて大騒ぎした白い顔は完全に消えてなくなり、いまの写真はただの男子高校生が石碑の前ではしゃいでいる写真だ。
一度撮影されたものが、経年で消失したり変化したりすることはあるのだろうか。
政芳さんは、はっきり覚えている。友人たちも、口をそろえて言う。
とても不気味な、白い顔だったと。
全員共通の記憶が一致しているにも関わらず、それに関する記録が変容しているーーこれは、どう説明すればよいのか。
所持していた十数年間、政芳さん一同にこれといった障りはなかったため、今さら処分するのも不気味だという。
一度消えたというのが真実ならば、再び現れることもあるのだろうか。またその時が来たら、何が起こるのか。
政芳さんは《巨大な石碑》などとインターネット検索してはそれらしきものを探し、行ける距離ならば実際に赴いたりもするのだが、未だに写真と同じ場所は発見できていない。
作者退会会員