明和さんが中学生の頃の話。
明和さんの父は自分の書斎を持っており、書籍よりも映画のVHSテープを大量に所蔵していた。
購入したものもあったが、それよりも多いのはテレビ放映されたものを録りためたテープ。背面のラベルにかならず手書きで題名を記してあり、父の几帳面な性格がうかがえた。
視聴は自由にしてよいと言われていたが、明和さんの目当ては書棚のそれではなく、別棚の奥に隠してある《大人向け》のもの。本人の不在時に部屋へ忍び込んでは引っ張り出していた。
《大人向け》はラベルにそれと記してあるわけではなく、適当な映画の題名にされているのだが、場所は一ヶ所にかたまっているので判別は簡単だ。
その日見つけたテープも、同じように紛れていた。
ただし、珍しくラベルには何も書かれていなかったという。
未確認だったそれを、さっそく視聴。
どういう訳か作品のタイトルも出ずに、突然映像から始まった。
晴天。のどかな田園風景。
場所は判らないが、映像のルックから国内で撮影されたものではないか、と明和さんは推測する。
遠方に鉄塔が二本。
そのすぐそばに道路らしきものがあり、赤色の車が一台、通過していくのを覚えている。
ただの風景を不安定な手持ちで映し続けるなか、唐突に歌のようなものが流れ出す。
《いぃ~びしぃ~え~どぉ~ぼるぅ~らぁ~》
といったような感じで、日本語のようだが意味が通じずデタラメな言葉に聴こえた。
BGMにしては不明瞭であり、環境音と混ざっている。
画面外で誰かが歌っているようなのだ。
男女はっきりしない、幼児のような声。
その歌声とともに、風に揺れる草と、クチバシでなにかを奪い合う二羽のカラスが映ったあと、画面がブラックアウト。
すぐに別の映像が始まる。
未舗装の農道らしき砂利道にうつぶせで寝そべる大人の男性らしき人物が、至近距離から映し出される。
男性は両腕をぴったりと身体につけ、直立のような姿勢のまま動かない。
ただ、恐らく先ほどと同じ歌のようなものを低い声で歌っているのだ。
《いぃ~びしぃ~え~どぉ~ぼるぅ~らぁ~》
いびきで鼻歌を歌っているような、音程もはっきりしないその歌は代わり映えのしない映像とともに延々と続き、明和さんは早送りをした。
確認できるかぎりでは男性が動きだす様子はなかったらしい。
《確認できるかぎり》というのは、実は明和さんはテープをすべて観たわけではないからだ。
映像を早送りしているその間。
映像の音声は聴こえなくなるはずなのだが、歌は流れていた。
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《いいいいぃ~びししぃ~えぇ~どおぉ~ぼるうぅ~らあぁ~》
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それは徐々に大きくなり、一人ではなく大勢の男女の合唱になった。
その声は、誰もいないはずの二階から聴こえていたのである。
それに気づいた明和さんはすぐに再生を中断、家を飛び出し近所の祖母の家へ逃げた。
テープをデッキに残したままにしてしまったが、父には何も言われなかった。
明和さんからも、何も訊いていない。
その後も何度か書斎には侵入したが、あのテープは同じ場所にきちんと保管してあったという。
まだ実家にあるかもしれない、とのこと。
作者退会会員