十五世紀の終わりごろの話。
ドイツの占星術師であったヨハネス・シュテフラーは世界の終焉について具体的な日付を示した。
一五二四年の二月二十日。
占星術により導きだされた予言は
《全ての惑星が双魚宮で合となることから大洪水が起こる》
というもの。
シュテフラーの占星術は非常に信頼されており、また科学的根拠のない力自体も現在より圧倒的な訴求力を持っていた。
多くの民衆はもちろん、ヨーロッパの支配階級にいる人物にも少なからず信者がいたのだという。
経済力のある者たちは実際に《箱船》を建造。
中でもフォン・イグルハイムという人物は自らが所有していた山の中腹に三階建ての箱船を建造し、洪水に備えていた。
ずいぶんと大掛かりだが《すべての動物のつがい》を乗せるつもりなど毛頭ない。自分たちが助かるためだけの箱船である。
そしてシュテフラーが予言した日、二月二十日がやってきた。
間の悪いことに、当日は朝から大雨が降りだした。
周囲が大騒ぎしていれば、占星術のことなど信じていない者たちであろうと、心穏やかではいられない。
不安は恐怖に代わり、恐怖が混乱が招き、混乱がさらなる混乱を呼び込むかたちで人々は暴動を起こした。
各地で略奪や暴行が頻発し、国の力では収めることが出来ない。
そのころになると雨は《やんでいた》という説もあるが、人類滅亡の恐怖にとりつかれた人々にはもはや関係がなかったのだろう。
箱船の用意など出来ない人々は、我先にと金持ち連中の箱船に押し寄せた。
イグルハイム自身もこれは想定していなかった。完全に暴徒化した人々から家族と船を守るために剣を手にとり、何人もの人間を斬り殺した。
それでも人々は数の力に任せ船のなかへなだれ込む。
イグルハイムも、その家族も、人々の下敷きになり踏み殺された。奪われた剣で殺害された者もいた。
船の持ち主がいなくなってからも、人々は巨大な船中を《いちばん安全そうな場所》を求めてさまよい、争い続け、その日のうちに何百人という数の人々が、洪水から助かるために建造した箱船のなかで死亡した。
のちに調べると、この一五二四年はヨーロッパの歴史のなかで極めて降雨量の少ない年であり、夏には水不足に悩まされることになったそうだ。よりによって大雨が降ったのはこの日だけのことだったのである。
シュテフラー自身がこの事態に言及したかどうか(そもそも公の場に姿を現せたのか)は不明だが、彼はいたずらに人々を恐怖に突き落とそうとしたわけではあるまい。自身が信じるものから得た知識を、人々に伝える使命感を持っていたのだろう。
イグルハイムにせよ悪鬼などではない。大多数の群衆が自らの財産に押し寄せパニックにならないほうが不思議だ。
争った人々も、皆同じように家族がおり、信じる神を持つ者たちであったはずだ。
キリスト紀元一七〇年が世界の終わりだと予言したモンタヌス。ハレー彗星接近の際に人類は滅ぶと宣言したローマ教皇ビウス。アンゴルモアの到来を予言したノストラダムス。
彼らのなかに確固たる悪者が居るなら、むしろ人々は恐慌になど陥らない。その根源は倒すべき悪者がいないことに対する不安なのだから。
中には抜け目のない者もいる。世界の終わりが囁かれるたびに、慌てふためく民衆に教会が《救済の免罪符》を高額で販売し、買えない者は自ら首をくくる。
それが箱船であろうが、自転車のチューブであろうが、生活必需品であろうが同じこと。
そんな光景はいやというほど繰り返された。
そのパニックの規模は、情報伝達手段、人類と共に進歩を続ける技術の発達に比例して大きなものになっているという。今の時代に予言や占星術を真に受ける者はそう多くないだろうが、人間の行動や思考回路に大差はない。
箱船といえば創世記の《主と共に歩んだ正しい人》ノアが有名だが、彼が建造した箱船で生き延びた人々の末裔がこれである。
我々は何度滅びればいいのだろう。
実はまだ人類は大きな箱船に乗っているままで、今はただ空を眺め《ほんとうの》オリーブの葉をくわえてやってくるハトを待っているのだけなのかもしれない。
作者退会会員