中編6
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呪いの窓

私の職場であった話です。はじめに、私の会社について説明させてください。

私の会社では、利潤を生む業務については、案件ごとに担当者が指名されます。担当になれば、自由に使える2~4人のアシスタントが与えられ、出退勤時間も自己裁量、経費もかなりの額を好きに使えます。契約金額などの重要事項については上の決裁が必要ですが、基本的には担当の考えで案件を進めるのです。結果を出しさえすれば良いシステムです。人事や総務、資材などの部署には、この制度はありません。

担当のときに成功すれば、給与面、人事面で大きなリターンがありますが、逆に下手を打つと、人事考課に大きな悪影響を与えます。なので、担当制の部署を嫌がる人や、担当で失敗した後に辞める人もいます。

Aは、入社5年目の男性社員でした。人当たりの良い、さわやかな印象の好青年でした。詳細は伏せますが、とある大きな案件の担当に指名されたのです。「担当になるまで10年」が普通だと言われていたので、異例の抜擢でした。

Aは担当になった後、かなりうまく仕事を進めていたと思います。私を含めた先輩担当らは「あいつは将来、会社のトップまで行くなぁ。今のうちに仲良くしとくか」と噂していました。

Aの担当指名から2、3週間後、AのアシスタントだったBが、精神的な不調を訴えて入院し休職しました。こういう場合、補充のアシスタントは貰えません。部下の管理不十分とみなされ、担当の責任とされるのです。ただ、よくあることと言えば、よくあることでした。

事件があったのは、Bの入院から一週間ほど後のことでした。

会社のビルの12階にある#1会議室(1室と呼びます)の中で、Bが変死していたのです。発見したのは私です。時間は、午前8時半くらいだったと思います。その日の午前9時から予定されていたプレゼンのスライドチェックをしようと、1室に入りました。

ガチャとドアを開けると、壁面スクリーン付近の床にBの遺体がありました。スーツにネクタイ、革靴という格好であおむけになって、ボクサーのファイティングポーズのような姿勢で、体を硬直させていました。Bの顔は真上を向いており、口を大きく歪ませて目を見開いていました。目線も上向きで、瞳の上半分は上まぶたに隠れていました。見てしまったら一生忘れ得ないような、とてつもなく恐ろしい形相でした。

私は、第一発見者として警察から事情聴取を受けました。警察によれば、Bの死因は心不全とのことでした。「Bの、あの表情は何だったんでしょうか?」と警察に訊きましたが「分からない」の一言でした。

当初は、事件の可能性もあるとして指紋採取なども行われました。Bが倒れていた付近の窓に、Bの両手の指紋と掌紋が、いくつもべったり付いていたそうです。

Aも、警察から呼ばれて話を訊かれたようでした。Aが事情聴取から戻ってきたとき「お疲れさん」とAに声をかけました。

Aは「お疲れ様です。正直参りました。警察は、私に原因があるかのような言い方でした」と、疲れた表情で言いました。

「え?どういうこと?」

「それが、Bは病院で医者に「『Aのせいで人生を壊された』とか『Aが評価されているのは、顔が良いからだ。Aはそれで調子に乗って、年上の俺をみんなの前でバカにしてた』とか『俺はあいつにかならず復讐してやる』とか『近いうちに訴訟を起こして、Aの悪行を世間に訴える。Aを社会的に抹殺する』とか、まぁ色々言ってたらしくてですね」

そういえば、BはAよりも年上だったなぁと思いつつ「実際、Bへのパワハラだと認定されるようなこと、した覚えあるの?」と訊きました。

「一切ないです。Bは私よりも8コも上だったんで、Bには常に敬語でしたし、ミスの指摘も、最低限必要なところだけ、人がいない場所で遠回しに伝えてたんです。しかもあの人、いまだに担当の指名受けてないし、たぶん、指名受けないで終わる感じの人ですよ。実際、能力的にもちょっとアレな部分もあったんで、気は遣ってあげてたんです。伝わってなかったんですねぇ。そんな程度だから、いつまでも担当になれないんでしょうね。」と憎々しげに言っていました。

Aって、こういうところもあるんだ、と思いました。Bは昔に一度、私のアシスタントをしたこともあったのですが、能力的な問題は感じませんでしたし、本人も早く担当指名を受けたいと熱望していました。自分よりずっと若い後輩に抜かれたのが、ひどく心痛だったのだろうと、少し悲しい気分になりました。

結局、警察の結論は『Bは、入院中に錯乱して病院を抜け出し、習性的に職場に戻って徘徊していたところで、突然死した』という、それでいいのか?と感じるものでした。

事件後すぐ、今後の1室の使用をどうするかとの話になりました。使用しないとすれば、1室の代替のために割を食う部署が出るという理由で、一応床だけは張り替えて、今後も継続して使用されることとなりました。

1室は、担当用と言ってもいいくらいで『担当が上役にプレゼンをする部屋』みたいな扱いでした。Bが倒れていたのは、担当がプレゼンをするときに立つ位置でした。その位置には「担当以外の者が立ってはならない」といった暗黙的な合意が社内にあったのは事実です。何でもないのに、ちょっと特別な場所のような感じでした。そこで、Bがスーツ姿でこと切れていたのは、最期に、自分が担当に指名されたときのことを夢見たためだろうかと考えると、やりきれない思いを感じました。

 

事件後、最初に1室を使用したのが、Aでした。私のプレゼンは、1室の指紋採取や改修工事の関係で、リスケになっていました。Aは、プレゼン前のスライドチェックから戻ると「やっぱり、ああいうことがあったせいでしょうね。1室、何か怖いです」と、爽やかな笑顔+お茶目な感じで私に言いました。先日の会話のときに、Aが普段見せない一面に気づいたせいでしょうか、いやに芝居がかって見えました。

ふと、Aのプレゼンを見に行こうと思いました。AのBへの言いぐさから、Aはどれだけのプレゼンができるんだか見てやろうという気になったのです。

Aのプレゼン開始の数分前、1室に入って着席しました。確かに、妙に嫌な空気でした。照明はちゃんと点いているのですが、何となく暗い気がしました。息が詰まるような感覚、例えて言えば、窓のない狭い部屋に押し込まれているような感じを受けました。

上役らも入室し、時間通りにAがプレゼンを開始しました。言うだけはあるな、と思いました。若いわりに、うまいのです。スライドの作りも、喋りも、入社5年目では出せないレベルでした。

しかし、開始から10分後くらいでしょうか。途中からAの目線が、一瞬ですが変な方向へ向くようになりました。床や窓の方を、本当に一瞬ですが、時々チラ見しているような感じでした。プレゼンにおいては、目線というのも一つの要素です。これだけできるAなら当然分かっているはずで、明らかに不自然な行動でした。

列席している上役らは、全員が担当として成功した人達です。当然気づきます。上役の一人が「何だ?何かあるのか?」と、若干険のある声でAに問いました。

そのときです。いきなりAの足元から、大量の黒い粉のようなものが、ぞわぞわぞわぞわっと湧いて出ました。その黒い粉は、Aの両足にまとわりつき、渦を巻きながら腰のあたりまで立ち上り、Aの下半身を覆いました。

「ひぃいいやああああ!!!!がぁあああ!!!」

Aの絶叫とともに、何かが軋んで折れるような音がしました。苦悶に満ちた顔のAが、窓の方を向いて

「B・・・」

と裏返った声で小さな悲鳴をあげました。

その瞬間、1室の窓ガラスの表面から、何本もの黒い手が生えてきました。固定されずに放水している消防用ホースのように、猛烈にのたうちながら、凄まじい速さでAめがけて伸びていきました。その黒い手は、Aの髪、頭、顔、首、腕、ネクタイ、シャツなどのあらゆる所をわし掴みにするやいなや、Aの身体を引っ張りながら、今度は窓の方へ一気に縮んでいきました。Aの身体は、もの凄い勢いで窓に叩きつけられてガラスを突き破り、外へと放り出されました。

1室は12階ですので、Aは即死でした。AとBとの間に、実際は何があったかは分かりません。でも、Bが自分の命と引き換えに、Aを呪い殺したとしか思えないのは私だけでしょうか?

その出来事以来、1室は使用禁止となっています。

Concrete
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