中編6
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怪物のいるクラス

クラスメイトのミノルが転校して半年が経ち、いよいよ彼にこの件を相談したくなった。

今日も私のクラスには怪物がいる。

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「あいつは人じゃない、人じゃないんだチサ」

「だから大怪我をしてるだけでしょ」

「じゃあお前はあいつと手をつなげるのか?」

答えに困った。

「あ、手なんか無かったか」

そのクラスメイトたちはゲラゲラ笑った。何でもかんでも笑いにつなげればよいとでも言うのか。

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少し前から私のクラスに転校してきたそれは、人の形をしていないために、わずか1日で怪物と名付けられた。

黒々とした顔は原型をとどめないほど陥没していて、常に体のどこかから液体を滲ませ、床に垂らしていた。涎のようなそれはわずかに生ゴミの臭いがした。

それは私の隣に座って、先生が私のことを紹介した。

「いろいろ教えてあげてね」

そして小走りで教壇に戻る。なにかその目に押し付けがましいものを感じて、私は不服だった。

本当の名前はユウイチと言ったが、私以外は誰もその名前で呼ばなかった。

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怪物は、昼休みは一人でじっとしていたし、

体育には出なかったし、歩くのも遅かった。

1日目だけ、後ろから尾行するような形で<一緒に帰る>体裁を作っていたが、次の日からはやめた。

ある程度になると、じっと立ち止まって私の方を見るためだ。

まるで家に来てほしくないかのような、警戒心を感じた。

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その怪物は、数日で私の名前を覚えた。

「チサァ…チサァ…」

<ぐう>私は咄嗟に声を漏らした。

もう認めるしかない、私も男子たちと同類だ。この生き物が気持ち悪いのだ。

「なんで私の名前を呼ぶの」

「チサァ…チサァ…」

「言いたいことがあるなら言ってよ!」

私は逃げ出した。

決してあの怪物が悪いわけじゃない。嫌いなわけじゃない。

なのに、通じ合えない。そこが男子たちと共通してしまって、嫌になる。

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あるとき私は職員室で、怪物はどういう経緯であんな風になったのか聞いた。

「事故があったらしいんだ」

「何のですか」

「やけどだよ」

「治せないんですか」

「無理だそうだ。まあ、長くて1年だから」

「卒業ですね」

「いや、違うんだ。うちはああいう子は1年しか面倒を見ないから、後はその手の施設に移すように頼んである」

「はあ」

それを聞いて、複雑な気持ちになった。

「なにせ、頭もどこか抜けていて、まるで意味がない。こういうところにいる意味がね」

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「グチャ……ヌチャ……」

その日の夜、玄関から奇妙な音がしたので向かうと、扉のガラス越しに異様なシルエットが映った。

私はつばをのんだ。それは怪物だった。なぜこんなところに。

どうやら頭をゆっくり揺らしながら、扉にぶつけているようだった。

私は扉を開けた。

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「どうしたの」

身構えながら聞くと、怪物は赤ちゃんほどの長さと細さの手で、私にノートを差し出した。

「なに?」

それはもうボロボロで、見るに堪えないほど液体が付着していた。

もう汚れないことを諦め、我慢してそれを受け取った。

「どうしたのこれ?」

開いてみると数ページに鉛筆で落書きがしてあった。

いや、おそらく何か文字を書こうとして、それができなかったのだ。

どうやっても読めなかった私は<もう帰って>と扉を閉めた。

ガラス越しに、しばらく怪物が立っているのが見えたが、諦めたようにいなくなった。

私はどうしてだか、それが落ち込んでいるように見えてしまった。

「待って」

扉を開けて、怪物を呼び止めた。

「何か伝えたいことがあるんでしょ?何なの」

「チサァ…チサァ…」

「もう」

私は笑いをこぼした。

「また明日ね。今度は味方になってあげるわ」

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部屋に戻り、ノートの汚れをウェットティッシュで拭き、ビニール袋に入れて机に置いた。

少しくらい綺麗にして渡してくれたらいいのに。

しかしそんなことを思うくらいには、少しでも通じ合えたのだろうか。

いろいろ考えて、想像して、少し笑ってしまった。

眠りにつこうとしたとき、クラスメイトの男子からメッセージが届いた。あいつだ。

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「怪物をゲットだぜ(絵文字)美術室に来ないと殺す」

私は家を飛び出した。

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美術室にだけ、異様な空気が立ち込めていた。

暗い部屋はいくつかのろうそくに照らされていた。

中央には大きなろうそくがあって、灯りは小刻みに揺れていた。妙だった。

それは怪物だった。怪物の口に火をつけていたのだ。

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ゴフッ

「ぎゃはははは」

男子たちが一斉に笑い出した。怪物が熱さと苦しさのあまり、むせているようだった。

「何をしてるのよ!」

私は駆け寄り、水道水を汲んで水をかけた。

それでまた怪物が<ゴボリ>と音を立てるので、笑いが起きた。

私はなぜか、悔しさを感じて震えていた。

「何だっていうの。この子が何をしたっていうのよ。よってたかって苛めたら、何か幸せでもあるの?」

「うるさいんだよ偽善者。おまえが一番うるさい」

「なんで」

「おまえは気持ち悪いと思ってるくせに、俺たちの仲間にもならない。中途半端だ。おまえみたいなのが一番たちが悪い」

私は歯を食いしばった。

「どう考えてもあんたたちよりマシだわ」

「おまえがこいつを殺すんだよ。こいつはおまえにいじめられてる」

私は警察を呼ぶと言って踵を返した。

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「こいつはミノルだよ」

「へ?」

口が開いたまま、私は硬直した。こんなときに何の冗談だろうか。

その男子はろうそくを使って、タバコに火を付け、くゆらせた。

別の男子が口を開く。

「全部説明してあげる。それ、おまえの友達だったミノルね。理科で勉強したガソリンをかけてみたら、勝手に火が付いちゃってさ。絶対死んでくれると思った。けど生きてたんだ、生意気に」

背筋から何から、毛が逆立つのを感じた。

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「そうだ生意気。なんて生意気なんだろうな、こいつは」

怪物はタバコの男子に蹴られて、どっと倒れた。泥臭い液体が足元にかかった。

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怪物は震えていた。まるですすり泣くように。

私は自分の心臓を何度も殴りつけた。そして胃の中の物を吐いた。

ミックスジュースのようなものが勢いよく怪物の顔にかかった。

「げええ汚えなあ。おまえも仲間かよ」

「ミノルはおまえに会いたくて戻ってきたんだよ。病院を退院してな。でもその頃には、あいつと暮らしてたばあちゃんも死んでた」

「親は離婚してるしさ。もうあいつのこと知ってるやつ誰もいないわけ!そこでだよ」

一呼吸置いた。<俺たちが校長に話してやったんだ>

「なに?なにを?」

「チサには黙っててくださいってな」

「あ、ああ」

私は息をするよりも早く涙をこぼした。

「そういうことだったのね」

あのノートは、何か書いてあるわけじゃなかった。

昔あんなふうにノートを交換したことを、思い出してほしかったんだ。

ミノルは助けを求めていたのに。

「私はなんてばかだったの」

「今度はちゃんと、灰になるまで燃やしてやるからな」

「あんたたちは狂ってる。狂ってるわよ!」

私は殺意に駆られ、武器になるものを探した。もうどうなっても良かった。

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「こいつを起こせ」

男子は蛇口の付いたダンボール箱を持ち上げ、そこから出たものを怪物に浴びせた。

「なあ、懐かしいよな?」

そう言って見せた微笑みは、人間にできるものではないと確信した。

するとミノルはおぞましいほどの大声を上げた。

私の口から、くすっと笑いがこぼれた。

あたりが静まった。人の視線を感じた。怪物は動かなかった。

「だっておかしいもの。だって深夜の美術室でこんなことして。人と怪物が」

私は笑いをこらえきれなくなった。

「おいおまえ」

「ふふ」

「なんなんだ。何を考えてるんだ」

「いろいろ考えて、想像して、少し笑ってしまっただけよ」

後ろに撒いていたガソリンに火がついた。

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朝だ。

今にもこの朝は、匂いを消し、赤く染まり、闇に呑まれる。

何でも終わりに向かっていく。

あの美術室の炎は、私の成長しきっていない心を燃やし尽くした。

そして、今までは見えなかったものが、はっきり見えるようになった。

だからこれで良かった。

「どうしたものかな」

「何がですか?授業はどうしたんですか」

「どうして君はそんなに嬉しそうなんだね」

「教室が清潔になったので」

霧が晴れたような清々しさを感じた。

世界はこんなにも美しいのだ。

「君には、あとで話がある」

もう私のクラスには怪物がいない。

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私以外には。

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