高校を卒業した年、同居していた父方の祖母が死んだ。心不全だった。元気だった祖母の突然の死に立ち会うことができたのは、母だけだった。
皮肉なものだ。
決して仲の良い二人ではなかったから。
人は残酷だから、だから祖母が亡くなったことを母は喜ぶかもしれない。
そんな気持ちがよぎった。
祖母は母に冷たい人だった。でも母は祖母の死を悼み泣いていた。母は基本的に優しい。
よく、祖母に介護が必要になったら精一杯お世話して、最後にありがとうって言わせてみせる!ってよく言ってた。それを、
「あんなこと思ったりするんじゃなかった」
って凄く後悔してた。私は死者を見たのが初めてで、祖母とは色々あったけど、死者に唾を吐く気持ちにはならなかった。
あの気の強い祖母が、静かに横たわっているのは、なんだか悲しいような気がした。
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祖母が死んでしばらくして、母が不思議な夢を見たと言った。
「おばあちゃんが玄関に立ってこっちを見とる。おばあちゃんなんじゃけど、蛇なんよ。蛇じゃけど、おばあちゃんなんよ。で、ジッとこっちを睨んどるんじゃあ。なんか言いたいことがあるんじゃろか?」
不吉な予感で胸の辺りがゾワゾワとした。
嫌な気持ちしかしない。
続けて母は言った。
「朝、起きて気づいたんじゃけど、おばあちゃん、巳年なんよね」
それから少しづつ母は体調を崩していった。病院で調べてもはっきりとした原因はわからなかった。
年が明けて四月になって、私は東京の准看護学校に入った。
祖母も看護婦で、同じ職業を選ぶなんて考えられなかったが、准看は働きながら資格を取ることができる。家を出て、自分の力だけで生きていくのは中学生の頃からの目標だった。
具合の悪い母を置いていくのは申し訳ないと思ったが、私は自分が決めた道を変えなかった。
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上京して、よく見た夢。母の元に帰ろうとするのに帰れない。すれ違って会うことができない。そんな夢ばかり見るようになった。
夏になって母が胃癌だとわかった。わかった時にはもうあちこちに転移していて手の施しようがなかった。
父は最後の望みを免疫療法にかけた。今どうなのかわからないが、当時は保険のきかない高額な療法だった。行っている施設も少なく、広島から横浜まで新幹線で通った。東京に住んでいた私も一緒に行った。でも効果はなかった。
資格を取って准看護婦として働きはじめて、医師から聞いた。免疫療法は効く人には劇的に効くけど、そうでない人はかえって苦しむことになる場合も少なくないと。
母は後者だった。動くことができなくなった母は、免疫療法をやっている岡山県の大学病院に入院した。
そして翌年の2月、母は死んだ。死ぬ間際まで意識があり苦しんで死んだ。東京にいた私は急いで帰ったけど間に合わなかったし、姉と弟も間に合わなかった。
看取ったのは父と母の妹だけだった。
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父方の祖父母との同居が始まったのは、私が小学五年生の秋だった。長年勤めていた大学病院を定年退職する祖母からの提案で、祖母が退職金から頭金を出し、残りを両親がローンを組んだ。
それまで県営住宅に住んでいた私たち姉弟は庭のある新築の一軒家に暮らせることを喜んだ。両親は共働きだったので、これからは家にいつも祖父母がいることが私は単純に嬉しかった。でもそんな楽しい気持ちは引っ越してから間もなく消えた。
祖母は別に私たちと暮らしたかったわけじゃない。同居を決めたのは仕事を辞めるにあたって、その後の生活のためだったんだなと後になって思い知らされた。
祖母は私のことも嫌いだった。
「これ方の子(この家の子)は隠気じゃあ」
とよく言われた。姉や弟にむけて言っているのを見たことはないから、陰気なのは私のことなのだろう。
祖母が私に手をあげることはなかったけど、投げつけてくる言葉は私の心を刺した。
姉も弟も見ないフリをした。母は弱くて何も言えなかった。父はフリどころか気づいてすらいなかった。
祖父は…
祖父も可哀想な人だった。
祖父の父は一代で財を成した、当時は辺りでその名を知らない人はいないくらい有名な人だったらしい。
そしてその財産を一人息子に託すため、親族との縁をきったそうだ。
祖父は自分の父が一代で成した財を一代で潰したのだ。
全ては祖父母の結婚前のことだ。でも自分の娘たち(父の妹二人)から、そのことをなじられバカにされていた。大人しい人で、娘にボロクソに言われても黙っていた。
祖母がいない時、私が一人で自分の部屋にいるとき、祖父は突然部屋のドアを開けて喚いた。
「今、ワシの悪口言うたじゃろう!」
こんなことが何回かあった。一度だけその場に弟がいたことがあり、凄くビックリしていた。
大人しい祖父だってプライドくらいある。ましてやボンボンで、甘やかされて育った人なら尚更、今の肩身の狭い状況は耐え難いものだったのかもしれない。だからそのウサを私ではらしていたんだと思う。
家庭環境のせいでグレる同級生がいたけど、私にはそんな暇なかった。
いつも思ってた。
早く大人になって家をでたい。
(社会的にも)自分で自分の責任をとることのできる大人に、早くなりたかった。
中学3年の時、母が家出した。
私も連れて行って欲しかった。
母がいなくなったら更に風当りが強くなるのは容易に想像できた。
祖母は私に
「お前も出て行け!」
と言ったが、行くあてのない私はどこにも居場所がなかった。
だから生活力のある大人になって、ここを出て行こう。出ていったら二度とここには戻らない。
そう決心していた。その後、2年くらいで父に説得された母は家に戻ってきた。
その時も祖母は荒れ、それを受け止めるのは私だった。
私が家を出て行く時、すでに祖母はこの世になく、母は体調をくずしていた。
それでも私は家をでた。
それがよかったのか悪かったのか、今でもわからない。
でも家を出て1年経たないうちに、苦しみの果てに亡くなった母を、私は見捨てたんだ。
そんな罪悪感を胸に抱いて生きている。
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母の死がずっと心に引っかかっていた。
もしかしたら母は祖母に連れて行かれたのではないか?
そんな思いが棘のように心に突き刺さっていた。
もしかしたら次は私かもしれない。そんな不安もあった。
祖母は私のことも嫌いだったから。でも私は今も生きている。
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母が亡くなって数年後、母方の祖父が死んだ。母が癌になるよりも前に肺癌を宣告され、手術を勧められたが、
「今更手術とか、はあ ええわ」
そう言って手術を拒否した祖父は、その後も元気に生きて、元気にあの世に旅立った。
楽しいといったら不謹慎だけど、私の時もこんなかったらいいなと思うような通夜だった。
みんなが祖父の思い出を語り、大爆笑したり泣いたりと、とてもにぎやかだった。
告別式が終わって一息ついたあと、祖母がポツリと言った。
「○○子(母の名前)がお父さん(祖父)を迎えに来とった」
祖母は暗い表情で続ける。
「泣いとった…ずっと泣いとった。死ぬいうんは辛いことなんじゃのう」
私は何も言えなかった。
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時は流れて母方の祖母も亡くなり、一生結婚はしないと決めていた私も結婚した。
母が癌になったことで父と連絡を取り合うようになり、また、闘病中の母を支える父を見て、私の中で父に対する気持ちも変化していった。
父自身も変わったんだと思う。
姑に責められる自分を、守ってくれなかった父を嫌いだと、離婚しないのは子供のためと言っていた母が、横浜に治療に来た時、父にもたれているのを見て、やっぱり二人は夫婦なんだなと思った。
母は父を嫌いだと言っていたけれど、きっと胸の内には違う気持ちもあったんだろう。
人の心は言葉で示していることだけが全てじゃない。
そんなふうに思うようになった。
母が死んでからもたまにだけど、父と連絡を取り続けてる。母の闘病がなかったら、私と父の関係は改善されなかったと思う。
結婚生活の中で、父の言葉に救われたこともあった。
父に感謝してる。
母の話に戻る。
数年前に知り合いから霊能者を紹介され、家でおこる怪異を相談した時に前から気になっていた母の、蛇の夢のことを尋ねた。
霊能者は私の話を一通り聞くと、次に私の背後に視線を向け、確認をとるようにうなづいたりしながら話しだした。
「お母さん可哀想ですね。泣いてますよ。これ可哀想だ。どうしようかな…」
霊能者が話してくれた内容は以下の通り。
祖母はとても気の強い人。
母の死は祖母の影響によるものが大きいと思われる。無関係とは言えないだろう。(ここはオブラートに包んだ言い方だった)
祖母は母のことでどうしても許せないことがあるが、(霊能者に)それを今話す気はない。
今の状態は一つの部屋に気の合わない二人が一緒にいるのと同じで、気の弱い母はずっと泣いている。
同じ墓に入っている者の中で、一族の中でも群を抜いて気の強い祖母を、たしなめる者はいない。
と、こんな感じだ。これを聞いて母方の祖母が言っていた、泣いとるというのはそういう事だったのかと納得した。
この世でもあの世でも、人のすることは変わらない。
お墓を別にしたほうがいい。仏壇も別がいい。
そう言われた。
今、父は弟家族と同居しており、遠慮もあって、お墓や仏壇のことはお願いできない。一応父には話したが、やっぱり無理だと言われた。そもそもこの話を信じているのかも怪しい。
まあ普通はそうだろう。
だけど、それでも父に約束してもらった。
母が生きている時には出来なかったこと。
死んでお墓に入ったら、その時は母を守ってあげて。
電話の向こうで沈黙のあと、
「おう」
短い、だけど力強い返事を聞いた。
作者國丸
これは私の実家でおこったことです。ブログで3回にわけて載せていたのをまとめました。一部、順不同になっていてわかりにくい処があるかもしれません。
色々、霊体験をして、自分は霊感があると勘違いしたこともありましたが、霊能者にあって思いました。
やっぱり私には霊感ない。
なくてよかった。この人(霊能者)と同じものが視えたら、私の心臓止まる。