私は郊外の典型的な新興住宅街の一軒家に住む、40代の専業主婦です。
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主人は普通の会社員で子供はいません。
ここに住みだしてもう彼是5年になるのですが近くに住んでいる方々は皆さん良い方ばかりで、路上ですれ違うときには必ず笑顔で挨拶をしてくれますし、自治会で清掃のときなどのときも多くの方々が参加して助け合ってます。
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特にお隣のS さんは穏やかで気品のある方でした。
私と年齢が近くご高齢のお父様と二人暮らしをされてました。
かつてはご主人もおられたようなんですが、今はお一人のようです。
色白で聡明そうな顔立ちをされていてスタイルも良く、服装はいつも洗練された小綺麗なものを着こなされてました
路上でお会いしたときとかは何と言いますか、仏様のような慈愛に満ちた上品な微笑みをしながら挨拶をされます。
そしてたまに訪ねてこられると、これ作りすぎたのでよろしければと言って私たち庶民とかはめったに口にしないような贅沢な料理を素敵な器に入れて持ってこられたりするような優しい心配りをされる方でした。
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お父様は昔大学の偉い先生だったそうなのですが、定年後はほとんど家に閉じ籠っておられて、たまにS さんと散歩する姿を見掛けるくらいでした。
どこか体がお悪いのか、いつもS さんの押す車椅子に座られてました。
お父様も色白で目鼻立ちのくっきりした端正な顔立ちをされていて、額の真ん中にあるほくろが印象的でした。
たまに着物などを渋く着こなしておられ、傍目から見てもとても素敵な親子でした。
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ただ、いつの頃からでしょうか、、、
Sさんがお父様と一緒に出掛ける姿を全く見なくなったのです。
そしてそれと時を同じくして悲しいことなんですが、夜な夜なお父様のわめき声が聞こえてきておりました。
その内容はそれそれは下品で破廉恥な言葉でS さんを罵倒するという、とてもあの紳士なお父様の口から発せられるようなものではありませんでした。
そのせいかどうか日中たまに見掛けるS さんの顔は以前のようなものではなく、まるで別人のように疲れきった暗いものでした。
そのような恐ろしい夜の叫び声は随分続いたように思いますが、いつの頃からでしょうかピタリと止んだのです。
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そんな梅雨どきのある夜のこと。
これまでとはうってかわって、隣から素敵な音楽が微かに漏れ聴こえてきます。
それはジャズのスタンダード「Fly me to the moon 」でした。
夕食中だった私も主人も、その素敵なサックスの調べにうっとり聴き惚れていました。
その時そういえば隣のお父様は大学教員時代にジャズをやってらしたということを思い出し、ああ、あの親子もようやく昔の関係に戻られたんだなと安堵のため息をついたのを今でも覚えております。
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その翌日の朝のこと。
呼び鈴が鳴ったので玄関の扉を開けるとS さんが立っておられ、かつての優しげな笑みを浮かべながらお辞儀をされてこう言いました。
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「ここ最近は本当にご迷惑をお掛けしておりました。
お陰様で父もようやく落ち着きを取り戻し、昨晩の誕生日は父のお気に入りの曲を聴きながら久しぶりに親子水入らずで過ごすことができました。
これ、お口汚しかもしれませんが」
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そう言うと恐縮する私を横目に品のある器に入った料理を、私に手渡しました。
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その夜はS さん手作りの「ビーフシチュー」を主人と二人いただきました。
ソースは豊潤な味わいで上品でこくがあり、肉は本当に噛むことが必要ないくらいにとろとろで大満足でした。
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それから一週間が過ぎた梅雨も明けたある日のこと。
その日は盛夏にしては、どんよりとした陰鬱な雲が立ち込める朝のことだったと思います。
月曜日ということで私は指定袋に入れた燃えるゴミを片手に、ゴミステーションまで歩いておりました。
すると前の方を女性の方が歩いております。
S さんでした。
両手に黒の指定ゴミ袋を提げて、それそれは重そうによろよろ歩いてます。
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「S さん!」
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あのシチューの器も借りたままだったので、私は声を掛けました。
でも私の声に気がつかないのか、S さんは三叉路の角にあるゴミステーションの戸を開いて中にゴミ袋を置いてます
それから戸を閉めると、早足で家に向かって歩き始めました。
すれ違い様に挨拶をしたのですが、ちらりとこちらを横目で見られただけでそのまま行ってしまいました。
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─どうしたんだろう
体調でも良くないのかな、、、
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などと思いながらゴミステーションの扉を開け、持参したゴミ袋を置こうとしたときでした。
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─え!?
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それは先ほどS さんが置いていったゴミ袋。
きちんと二つ並べられた手前の方の袋の中に何か奇妙なものが入っているのに気が付いたのです。
黒くスモークが入っているので、はっきりとは見えません
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─人形か何かかな?
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近づいて目を凝らします。
そしていよいよそれが何か分かった瞬間、私は堪らず外に飛び出しステーションの片隅でひとしきりもどしました。
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私が見たもの、、、
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それはS さんのお父様の横顔。
額のほくろがあったので間違いないと思います。
片方の目だけをこちらに向けぽっかりと口を開け、何か言いたげでした。
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それから数日後の朝方何か外が騒々しいので表に出ると、S さんの家の前にパトカーが停まっており、その周りに小さな人だかりが出来ております。
しばらくすると玄関から頭から毛布を被ったS さんと思われる女性が警察官に付き添われて出てきて、パトカーに乗り込んでました。
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その日の午後、警察官がうちを訪ねてきてS さんから借りている例の器を証拠品として持って行きました。
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Fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう