目を覚ましたとき、そこは病室のようだった。
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8畳くらいの部屋の中央に大きめのベッドがあり、俺はそこに仰向けになっている。
青いストライプのパジャマの上下を着て、頭と左腕には包帯を巻かれている。
左を向くと小さな机が一つあり、その上にはテレビが置いてある。
右を向くと小窓があるのだが、カーテンがしてあり外は見えない。
部屋の左隅にはドアがある。
反対側の隅にはトイレだろうか ちょっとした囲いがある
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─どうして俺は、こんなところにいるんだ?
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必死に記憶を手繰り寄せようとするが全く浮かんでこない
上半身を起こすと、頭がズキズキし出した。
なんとかベッドから降りると、ふらつきながらドアまで歩きノブを回そうとするが開かない。
鍵が掛かっているようだ。
しょうがないから小窓のところまで行き、カーテンの隙間から外を覗く。
どうやらこの部屋は結構高いところにあるみたいで、鉛色の海と浜辺が彼方まで広がっていた。
白い麦わら帽子に白いワンピースの女が波打ち際を歩いている。
その横を赤いランニングシャツ姿の男がジョギングしながら通り過ぎていった。
空には灰色の雲がどこまでも広がっている。
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─コン、コン、、、
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ドアの方からノックの音がする。
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「はい」
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反射的に返事をした。
ガチャガチャという金属音の後無造作にドアが開くと、唐突に白衣姿の女が入ってきた。
天井に届きそうなくらい背が高くて異様に痩せており、ナースキャップをちょこんと頭に載せている。
白い肌に濃いメークをしていて、まるで歌舞伎役者みたいだ。
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「あらあら、じっとしてないとダメじゃないの」
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女はそう言ってそばまで来ると、まるで犬猫をけしかけるように俺をベッドまで押しやり仰向けに寝かせた。
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「あの、、、ここはどこなんでしょうか?」
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俺の声が聞こえているのかいないのか、女はドアのノブを握り振り向きながら言った。
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「ここは病院であなたは今大変な怪我で入院してるんです だから、安静にしてください」
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それだけ言ってそそくさと出ていった。
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しょうがないのでテレビでも見ようと、左側の机上にある小型テレビのスイッチを押す。
しばらく待っていたが画面は暗いままで何も映らない。
枕元にナースコールのボタンがあるので何度か押してみる
すると間もなくしてドアが開くと、先ほどの女が白い顔に笑みを浮かべながら入ってきた。
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「どうかされました?」
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「いや、テレビでも見ようと思ったんだけど、映らないんだ」
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女はテレビのところまで来ると、枝のような手で電源のボタンを何度か押してみたりコンセントを抜いたり挿したりしていたが、終いには「すみません 壊れているみたいですね」と言ってじっと俺の顔を見つめる。
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「いやいや、壊れてるって、、、
だいたいこんなところで俺はいつまでじっとしてないといけないの?」
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「だからさっきから申してますように、あなたは重い怪我をしてるんです。
ですから、、、」
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「重い怪我?
一体どこをどんな風に怪我をしているんですか?」
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女は不自然な笑みを浮かべたまましばらくの間、俺の顔を見続けるとまたドアの方へ歩く。
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「ちょっと待ってくれよ!」
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そして逃げるようにして部屋を出ていった。
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拉致があかないのでベッドの上で目を瞑った。
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─一体何なんだ、、、怪我の具合くらい教えてくれてもいいじゃないか。
ん?ちょっと待てよ、、、それよりは俺の名前は何なんだ?
何歳で普段は何をしているんだ?
どうやら目覚める前の記憶が丸ごと無くなってしまっているようだ。
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たまらずに再び起き上がるとベッドから降りて、小窓の傍らに立ち外を覗きこむ。
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相変わらず鉛色の海が彼方まで広がっていて、空は灰色の雲に覆われている。
浜辺を一人の女が歩いている。
白い麦わら帽子に白いワンピース。
その横を赤いランニングの男が、、、
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─ん?ちょっと待てよ。
この女、、、さっきも同じところを歩いてなかったか?
ジョギングする男も、、、
いやいや、おかしいだろう。
あれから大分時間が経っているはずだ。
何で同じなんだ?
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よく見ると、まるでビデオをゆっくり巻き戻したり進めたりしているかのように浜辺の女と男は、不自然に前に進んでは戻ったりを繰り返している。
急に頭痛を感じ包帯を巻かれた頭を抱えながら、ベッドの端に座りこんだ。
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目覚めたら見知らぬ病室。
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異様に背が高く白い顔の看護師は、怪我の具合さえ教えてくれない。
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備え付けのテレビは壊れて映らない。
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小窓から見える景色は、まるで時間が止まっているかのように様子が変わらない。
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─何かがおかしい、、、
何かが狂っている、、、
いや狂っているのは、この俺の頭なのか?
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もしかしたら顔でも洗えば何か変わるかもしれない、、
トイレの横にある洗面所まで歩く。
中腰になって蛇口をひねり軽く二、三回顔を洗ってから鏡を覗きこんだとき、息を飲んだ。
鏡に映り込んでいるのは、殺風景な部屋の様子だけで肝心の俺の顔が映っていないのだ
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─そんなバカな!あり得ないだろう。
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何度も何度も鏡に顔を近づけるのだが映っているのは相変わらず、背後の情景だけだ。
またキリキリと頭が痛みだし、たまらずまた床に座り込む
そしてようやく痛みが収まると、さっきの看護師の言葉を思い返した。
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─あの女、確か俺は重い怪我を負っていると言っていたぞ
ということは俺は何か大きな事故にでも会ったのか?
事故、、、
そうだ!俺は車を運転していた。
しかもかなりのスピードで、、、
でも何をそんなに急いでいたんだ?
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いろいろ記憶を手探りしていると突然パチリと音がして一瞬天井の蛍光灯が暗くなり、しばらくするとまた電気が点いた。
次の瞬間、、、
小窓から強烈な光がフラッシュのように放たれた後、ドドドーン!という物凄い音が地響きとともに鳴り響いた。
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雷でも落ちたのだろうか。
窓に近づき恐々と外を覗く。
いつの間にか空は真っ黒な雲に覆われており、穏やかだった海は荒れていた。
水平線の彼方辺りを青白い筋がピカピカと光っている。
だが先ほどの浜辺の二人は相変わらず、前進後退を繰り返していた。
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ベッドに戻り布団を被り丸くなっていると、
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─コン、コン、、、
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ノックの音がして、あの女が入ってきた。
今度はプラスチックのトレイを両手に持っている。
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「ご飯をお持ちしました」
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そう言って左手にあるテレビの乗ったテーブルから板状の台を引っ張りだすと、その上にトレイを置いた。
上にはどんぶり鉢が一つとコップに一杯の水。
どんぶり鉢には蓋がしてある。
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─えらく貧相な食事だな、、、
どんぶり鉢一つだけとは。
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苦笑いしながら起き上がりベッドの端に座りコップの水を飲み干すと、どんぶり鉢の蓋を開けた。
白い粒がいっぱい入っている。
お米だろうか。
だがそれにしては粒が大きい。
しかもよく見ると、そのいくつかはモゾモゾと動いている
しばらく凝視してからいよいよそれが何か分かったとき、俺は猛烈な吐き気を催し思わず口を押さえる。
それから女を睨み付けると「おい!これは一体何なんだ?」と尋ねた。
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女はにこやかな笑みを浮かべながらあっさり言った。
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「何ってウジ虫です」
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「ふざけるな!」
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俺は女を怒鳴り付けると、おぞましいどんぶり鉢を床に投げつけた。
鉢は粉々に割れ、さ中身のウジ虫たちもあちこち散乱して、床の上を懸命に蠢いている。
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「一体、ここは何なんだ!
怪我の具合は教えてくれない、テレビは壊れている、食事は気色の悪いウジ虫、しかも、鏡には、鏡には、、、
こんな病院なんかあり得ないだろう!
……………
頼む、頼むから教えてくれ!
俺は何者なんだ?
何でここにいるんだ?」
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そう言ってベッドの端に座ったまま、両手で頭を抱えた。
すると女が隣に座り俺の肩にそっと手を乗せると、とつとつと語り始めた。
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「あなただけではありません。
誰もがここに来ると初めのうちは気が動転します。
でも皆さん最後は納得して、この現状とこの先のことを受け入れてくれます」
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「この先?
何のことを言ってるんだ?」
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「あなたの転生先です。
人間は皆死にます。
だけど死んだ後は『無』ではありません。
かといって魂は永遠に宇宙をさ迷うのでしょうか?
いいえ違います。
次なる生命を見つけてそこに宿るのです」
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「魂?転生?
ちょっと待ってくれよ!
ということは俺は死んでいるのか?
嘘だ!そんなことがあるはずない!」
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女はしばらくの間俺の顔を見た後、視線をテレビの方に移した。
すると不思議なことに、画面いっぱいにグレーの砂嵐が映りやがて人らしき姿が現れてきた。
どこかのテレビスタジオだろうか。
きちんとしたスーツ姿の男性が広いマホガニー調の机の前に座り、深刻な面持ちでしゃべっている。
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「繰り返します。
たった今入ったニュースです。
都内随一の外科医療を行うN 記念病院のエントランスに、黒い乗用車が猛スピードで突っ込んだ模様です。
車は一階の受付にいた人々を無差別に跳ねながら進み、最後は中央付近にある巨大な円柱に衝突して止まりました。
この事故で少なくとも8名の方々が亡くなり、10名以上の方々が重軽傷を負っています。
乗用車を運転していた男性は頭部を強打し、先ほど死亡が確認されました。
男性は都内に住む会社員Y・T (34)で車からは遺書らしきものが発見されており、現在警察では動機の解明がされております」
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画面には円柱にぶつかり前面部が大破してフロントガラスが粉々に割れている黒い乗用車が映り、次に車を運転していた男性の写真が映った。
紺のスーツに黒淵メガネの実直な印象だ。
この写真を見た瞬間、俺の頭の中でダムが決壊したかのようにかつての記憶の残像が押し寄せてきた。
思わず女の白い顔を見る。
女は静かに頷いた後、またしゃべり始めた。
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「あなたには命よりも大事な存在がいた。
そう当時は4歳だった娘さん、、、
好奇心旺盛で何にでも興味を持ち、とても活発な娘さんだった。
ある日、そんな娘さんを軽自動車を運転していたあなたの父親が誤って跳ねてしまう。
意識を失いかなりの重体だった。
少ない可能性にかけてあなたはぐったりとなった娘さんを車に乗せると、日本でも随一の外科医のいる都内の病院に駆け込みました。
だがそこは病室が満床状態。
しかも間が悪いことにその時、名医と言われていた外科医は海外で休暇中だった。
あなたは必死に病院の窓口で土下座して訴えた。
頼むから娘の命を助けて欲しいと。
結局代わりに若くまだ経験もあまりない外科医が執刀する
結果はやはりダメだった。
そして娘さんの四十九日の日にあなたは黒い自家用車に乗り、あの病院のエントランスから突っ込んだのです」
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瞳から止めどなく流れる涙でリノリウムの床には小さな水溜まりが出来ていた。
俺はうつ向いたまましゃべりはじめた。
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「そうだ、娘の莉奈だけが全てだった。
そんな小さな莉奈さえ救えなかった病院が俺は絶対に許せなかった」
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「その気持ちはよく分かります。
しかしだからといって何の縁も所縁もない8つの命を奪っていいわけではありません。
ですからあなたにはこれから人間よりずっとずっと下等な生命に何度も生まれ変わってもらいます。
いつの日かまた人間として生まれてくる日が来るまで」
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床を懸命に這いつくばる白いウジ虫を霞んだ視界でじっと見ながら俺は女に最後の質問をした。
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「またいつか莉奈に会えるかな?」
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女は一瞬だけ優しい微笑みを口元にたたえると、立ち上がり静かに部屋を出ていった。
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Fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう