親父が死んだ、、、
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享年は60 死因は末期の肝臓がん。
実家の母から今朝早く電話があった。
ただ俺はその一報があったとき、とても悲しかったのだが、とりたてて驚きはしなかった。
なぜなら随分と前から、そのことを知っていたから、、、
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それは、まだ小学校低学年だったころのことだ。
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夏休みのときだった、、、
学校からは結構な量の宿題を与えられていたのだが、俺はそれにほとんど見向きもせずに、日がな一日中裏山に分け入っては親父と川で釣りばかりしていた。
うちの家は農家だったのだが、親父は農業が大嫌いで、ほとんど家でごろごろして酒を飲んでいた。
まあ今から考えると、とんでもない「ろくでなし」というやつだったのだろう。
でも俺は、そんなだらしない親父のことが大好きだった。
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それは蜩の声がうるさいくらい鳴り響いていたある夕暮れ時のことだったと思う。
夏休みも終わりに近づき、俺はほったらかしだった夏休みの宿題に追われていた。
仏間の広い座卓で胡坐をかいて酒を飲む親父の前で、懸命に「夏休みの友」をやっていた。
昼間からかなり暑くて二人とも、ランニングにパンツだけの格好だった。
障子は開け放たれており、夕刻の陽光が畳や調度品、そして親父の顔を鮮やかに朱色に染めている。
障子の向こう側は縁側になっており、庭木があり垣根があった。
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すると突然親父が庭のほうを見ながら「おおい、隆司!あそこに誰かいるぞ!」と言う。
とっさに俺は、後ろを振り向いた。
広い庭の中央辺りには立派な柿の木があるのだが、確かにその背後にある垣根の向こう側に、肩から上だけの黒い人影が陽炎のようにゆらゆらと動いているのが見える。
夕方の陽光が眩しいので、手かざしして目を凝らしたが、それはいつの間にか消えていた。
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それから、しばらくが経ったころのこと。
仏壇前に置かれていた黒電話が突然鳴り出した。
もうすでに結構酔っぱらっていた親父がぶつぶつ言いながら、受話器を取る。
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「ああ、もしもし、、、、、は?、、、おたく、誰?」
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親父はしばらく要領を得ない様子でのらりくらり話していたのだが、途中で急に怒り口調になった。
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「は?あんた一体何の恨みで、そんなこと言うんだ!、、、、酒?俺は誰に何を言われようと、酒は止めないからな!」
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叩きつけるように受話器を戻し、大げさに憤慨しながら親父は再び胡座をかくと、一升瓶ごと抱えて一気に残りを飲み干した。
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「お父さん、どうしたの?」
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恐々尋ねてみると、薄い桃色に上気した顔をした親父は濁った目でこちらを睨み付けてこう言った。
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「どうしたもこうしたもねぇよ 知らん奴がいきなりかけてきて、酒止めなかったら、俺が60で死ぬ、て言いやがるんだよ」
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そのときは俺も単なるいたずら電話の類だと思ったから、気にも止めなかった。
だが後から考えれば考えるほど、おかしな電話だった。
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いったい、誰が、何の目的で?、、、
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恐らく神様が親父の体を心配して、電話を使って伝えてきたんだろう。
その時はそう考えて、無理やり自分を納得させた。
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高校卒業後、九州の実家を離れて神戸の商社に就職してからも、何かの用事で母に電話したときは、必ず親父の体のことを聞いていた。
出来るだけ酒を飲ませないようにしてくれ、と口酸っぱく言ってきた。
でも頑固な親父のことだったから、お袋の言うことなんか全く聞かなかったのだろう。
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そしてやはり親父は酒で肝臓をやられて、亡くなった、、、しかもぴったり60歳で。
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会社に事情を言って休みをもらい、新幹線、ローカル線と乗り継いで、最後に路線バスに揺られて、懐かしい実家の玄関にたどり着いたとき、既に時間は午後9時を過ぎていた。
仏間の奥には鮮やかな祭壇が作られており、その前に立派な桐の棺が置かれている。
既に何人かの人が来ていて、焼香をして神妙な顔をして手を合わせていた。
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棺の中に収まった親父は、昔よりもふっくらとしていた というより多分、肝臓をやられていたせいで、顔が浮腫んでいたのだろう。
棺の横には、懐かしい黒電話が置かれていた。
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「ひどい顔してるでしょ」
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声がするので振り向くと、喪服姿の母が微笑んでいる。
疲れからか、泣きはらしたからか、母の目の周りは、打たれた後のボクサーのように腫れており、げっそり痩せている。
以前見たときより白髪が増え、一段と小さくなっていた。
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結局俺は1週間、実家にいた。
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家業の農家を継いだ兄と俺と母は三人で、お通夜、葬式、そして、その他の細々した残務処理を何とかやり終えた。
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翌日は仕事だったから、昼過ぎには実家を出た。
新幹線の新神戸駅に着いたのは、
ちょうど午後4時。
それから私鉄のローカル線に乗り換えて、椅子に座って窓から海を見たとき、ダムが決壊するかのように、どっと疲れが押し寄せた。
電車の規則的な心地よい揺れと襲い来る睡魔で、いつの間にか、うつらうつらと首を上下にしだしたときだ。
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shake
─ゴトン、、、
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金属のぶつかり合う鈍い音がして、車両が大きく揺れた。
次の瞬間、車内が停電にでもなったかのように、真っ暗になった。
それから車両は徐々に、速度を落としていく。
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─事故でもあったのかな?
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振り返って窓から外を覗いたとき、思わず「あ!」と、声がでた。
四角い窓は全て白い霧で覆いつくされていて、さっきまで見えていた海岸線が、きれいさっぱり消えている。
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「一体、これは、どういうことだ?」
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混乱した状態で椅子に座っていると、再び車両は大きく揺れ、やがて停止した。
と同時に、大きな抜ける空気音とともに乗降ドアがゆっくりと開いていく。
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アナウンスも何もなく、静寂だけが車内を支配していた。
立ち上がり、入口のところまで歩き、そっと外を覗いてみる。
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そこは、小さなプラットホームだった。
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全長は僅か10メートルほどの本当に小さなプラットホームを、白い霧が蛇のようにうねうね漂っている。
見上げると、空は不気味な黄金色の雲に覆われていた。
恐々ホームに降り立つと、ゆっくり歩きだした。
左手に階段があったので下に降りると、正面に小さな改札口がある。
自動改札ではなく、昔ながらの改札だ。
だが人の気配はない。
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改札を抜けると霧の漂う狭い道が左右に走っていたので、何となく右側の方を歩きだした。
白い霧のうねる細い路地の両側は、背丈ほどの垣根が続いている。
しばらく歩くと道は行き止まりになり、左手には四角い電話ボックスが怪しい光を放っていた。
ふと反対側に目をやると垣根越しに、大きな柿の木があった。
なぜだか懐かしい気分になったので、その柿の木のそばまで歩き、その立派な枝ぶりを眺め、葉っぱを触っていると、垣根の向こう側から人の声が聞こえてくる。
枝越しに覗き込んだとき、思わず「あ!」と声をだした。
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そこには昔ながらの庭木が広がり、その先には古い日本家屋の縁側があった。
開け放たれた障子の奥には畳の間があり、真ん中に置かれた座卓を挟んで二人が胡座をかいている。
こちら側を向いているのは間違いなく、亡くなった親父だった。
とすると背中を向けているランニング姿の少年は、、、
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「親父!」
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懐かしさと愛しさと驚きの混ざった複雑な想いから、僅か10メートルほど離れたところに見える無精髭を生やした愛嬌のある赤ら顔に向かって、思わず声をかけた。
親父はちらりとこちらに目を向けると、前に座る少年に何かぶつくさ言い、またコップ酒を口につける。
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すると今度は、少年がこちらを振り向いたのだが、俺はなぜだかこの子には見られてはいけないような気がして、逃げるようにその場を離れた。
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─あの頃の優しかった親父と、もう一度話したい、、、
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そんな思いでさっきの電話ボックスに駆けこみ、ポケットから10円玉を出すと、迷わず実家の番号をダイヤルする。
しばらくすると、あのぶっきらぼうな声が聞こえてきた。
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「ああ、もしもし、、、、、は?、、、おたく、誰?」
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「あの、、、ええっと、、、」
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感情の高ぶりからか早口になってしまい、うまく喋れない
そんな状態で俺は無理とは思ったが、必死に伝えた。
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「だからさあ、もう酒は止めなよ!
でないと、あんた、60で死んでしまうよ」
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「は?あんた一体何の恨みで、そんなこと言うんだ!、、、、酒?俺は誰に何を言われようと、酒は止めないからな!」
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電話はそこで一方的に切られた。
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呆然と立ち尽くしていると、いきなり電話ボックスの外から強烈な光が差し込んできて、ボックス内の全てが真っ白く照らされた。
あまりの眩しさに目眩を感じ、その場にへたりこむと、そのまま意識を失った。
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お客さん、お客さん
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若い男の声が聞こえる、、、
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目を開くと目の前に、制服姿の若い駅員が立っている。
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「お客さん、もう終点なんで、すみませんが、降りてもらってよろしいでしょうか?」
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言われた通り立ち上がると、開かれた電車のドアからホームに降り、誰もいない長椅子にドスンと座った。
いつの間にか外は真っ暗になっていて、ちりばめられた宝石のような星たちが夜空に煌めいている。
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─やっぱりあれは夢だったのか、、、
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と独り言を言ってため息をつき、何となく喪服のポケットに手を突っ込むと、何かが入っているのに気付いた。
何だろう?と、それを引っ張りだし、目の前で見た瞬間、冷たい何かが背中を突き抜け、心臓の鼓動が激しく鳴り出した。
そしてなぜだろう 熱いものが次から次に頬をつたっては、上の唇を濡らしていく。
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それは、、、
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一枚の柿の木の葉っぱだった。
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Fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう