路線バスの固いシートに腰かけ、ぼくは不安で胸が張り裂けそうになっていた。
一人でバスに乗るのは初めてだった。
降りるべき停留所の名は、母から聞かされている。
でも、それがなんという名前だったか、どうしても思い出せないでいた。
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――次は、サンショウジマ、サンショウジマ。
アナウンスが流れる。
違う、こんな名前じゃない。
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落ち着かない視線を窓の外へ向けながら、胃がきゅっと縮まるのを覚えた。
見たことのない景色が、どんどん流れ過ぎてゆく。
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――次は、ショウヅカ、ショウヅカ。
お降りのさいは、お手近の押しボタンでお知らせください。
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この名前も違う。
母からは五つ先だと聞かされていたのに、もう十カ所くらい停留所を通り過ぎている。
泣き出したい気持ちをぐっとこらえ、まわりの大人たちを見上げた。
しかし誰一人として、困っているぼくに注意を向けてくれる者はいなかった。
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――次は、フラクホンザ、フラクホンザ。
もしかしたら自分は、もう二度と家には帰れないのかもしれない。
そう思いかけたとき、バスの行く手に大きな川が横たわっているのが見えた。
橋もある。
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――次は、シガン、シガン。
やはり聞き覚えのない停留所だった。
でも、なぜだか胸騒ぎがする。
ここで降りなければ……。
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あわてて降車ボタンを押した。
オレンジ色のランプが点灯する。
エアブレーキの音がして、バスがゆっくりと路肩へ停車した。
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開いたドアの先にひろがる美しい景色に目を奪われた。
なんだか懐かしい感じがして、涙がこみ上げてくる。
ぼくは意を決し、ステップへ一歩足をかけた……。
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…………。
気がつくと、目の前に両親の顔があった。
母は、泣きながらぼくの名を呼んでいた。
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子供のころジャングルジムから転落して、病院へ運ばれたときの記憶です。
作者薔薇の葬列
掌編怪談集「なめこ太郎」その八十七