ずいぶん前からソロキャンプにはまっている。
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ソロキャンプというと、なんだかかっこいいが、ただ週末に車で山あいに分け入って、適当なところでキャンプをするだけのことだ。
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これは夏も終わりに近づいた頃の、ある日曜日に起きた不思議な体験だ。
昼頃に私は道具一式を車に乗せ、家を出る。
晴天とまではいかない薄曇りの空の下。
いつものとおりのルートで、車を走らせていた
私がソロキャンプをするところは、いつも同じ場所で、自宅から1時間くらいのところにある山あいの川辺である。
もう何回くらいだろうか、、、数えきれないくらい、そこには行った。
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それには理由がある。
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今から3年ほど前のことだ、、、
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その頃私には妻がいて、一人だけだが8歳の息子もいた。
会社員だったのだが、郊外に小さな二階建ての家を買い、そこで平凡な暮らしを送っていた。
夏休みのある日、息子の貴司がキャンプに行きたいと言いだしたので、近くの山に家族で出掛けることにした。
山あいの川辺にテントを張り、昼は釣りやバーベキューを、夜は花火をして楽しんだ。
その夜、狭いテントの中で家族三人、川の字になって寝ていたときのこと、、、
ようやく眠りにつこうかというときに、横にいる貴司が肩を揺する。
どうした?と聞くと、「オシッコ行きたい」と言うので、「そこら辺の川辺でしてこいよ」と答えた。
貴司は言われた通り、一人でテントを出ていった。
昼間の疲れもあり、私はそのまま眠りについてしまった。
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しかしそれが、大きな後悔の始まりだった。
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翌朝よほど熟睡していたのか、私は妻に肩を揺すられて目を開く。
そこには、険しい表情の妻の顔があった。
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「ねぇ、ちょっと、貴司、知らない?」
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「え!?」
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横を見ると、貴司の姿がない。
あわててテントを飛び出し、辺りを探すが、見当たらない。
その日は日が暮れるころまで夫婦二人で貴司を探し回ったが、だめだった。
結局、警察に連絡したとき、辺りは真っ暗になっていた。
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それからの半年。
警察、地元の消防団、本当に多くの人たちが息子の捜索に奔走してくれた。
もちろん私と妻も、、、
だが靴の片方さえも見つからなかった。
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それからは、ことあるごとに妻は私を責めた。
あのとき、あなたが息子に付き添ってくれていたら、こんなことにはならなかった。
貴司はあなたに殺されたのと同じだ、と。
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以前から価値観の違いは感じていたのだが、貴司という存在が私と妻を何とか繋げていたと思う。
それで息子の失踪から1年経ったころ、私たち夫婦は他人同士になった。
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昼御飯を食べていなかったので、私は山裾にあるさびれたドライブインに車を停めた。
道路沿いにある縦書きの錆びたブリキの看板には、「ドライブイン ひろし」と書かれている。
そこそこ広い駐車場は、がらんとしていて、なんだかうら寂しい感じだ。
プレハブを改造したような年季の入った建物。
入口横のショーケースにはメニューのサンプルが並んでいるのだが、ケースのガラスはかなり汚れており、金額や料理名がはっきり見えなかった。
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店内に入ると案の定、客は誰もいない。
四つほど安っぽいテーブルがあり、奥にはカウンターがあった。
私はカウンターの真ん中辺りに座る。
しばらくするとカウンター奥の厨房から、くたびれた初老の男がぬっと現れた。
角刈り頭に無精髭 でっぷりと肥えた体躯の上はランニングシャツ一枚だけで、下は黒のジャージだ
無言で私の前に水を置く。
ラーメンを注文すると、また無言のまま厨房へと消えた。
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インスタントに毛が生えたようなラーメンを食べ終えて何気に周囲を眺めていると、
カウンター隅の方に、額に入れられた一枚の写真が飾ってあるのに気付いた。
立ち上がって、近づいて見てみる。
そこには店主と思われる男性が、小学生くらいの男の子と一緒に写っていた。
この近くの川だろうか。
大きな岩の上に二人並び、仲良く立っている。
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「息子の博司だ」
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驚いて振り向くと、いつの間にか後ろに店主が立っている。
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「釣りの好きな子だった よく一緒に近くの川に行ったもんだ」
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「だった?」
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少し思わせ振りな言い方をしたので聞き返すと、店主は丸椅子に腰掛けて続けた。
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「今から30年も前のことだ。
夏休みに俺は博司とそこの川に釣りに行った。
博司が釣りをしている間、俺は木陰でタバコを吸いながら缶ビールを飲んでいた。
それからどれくらい経ったくらいか。
夕暮れの陽光で川面が染まりだすころだった。
そろそろ帰るかと博司に声をかけたのだが、返事がない。
辺りを探すが見当たらない」
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「結局は、それきりだった、、、」
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店主はそう言うと、がっくりと項垂れた。
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似ている、、、
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私は思った。
私は三年前に消えた自分の息子のことを、店主に話した。
店主はただ黙って聞いていたのだが、やがて今度はこんなことを話し始めた。
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「もう何年も前に亡くなったんだが、うちの店の裏手にある祠で一人で暮らしていたばあ様がこんなことを話してくれた」
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「それはまだ侍がいた頃のこと、、、
この辺りの集落に、色白の美しい女が息子と二人で暮らしていたそうだ。
女は息子をそれはそれは可愛がっていたそうだ。
だがある日のこと、息子が川で溺れて死んでしまう
女は嘆き悲しみ、毎日毎日川辺に立ち、息子の名前を呼んでいたそうだ」
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「そして、ある日のこと、、、
とうとう女は白い蛇に化身し、川の中に消えてしまったという。
それからというもの、川で遊んでいる男の子が神隠しに合うというようなことが起こるようになったそうだ。
村の者たちは白蛇の呪いと言って、恐れおののいていたということだ」
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私がいつもの川辺にテントを建て、岩に腰掛けて缶ビールを開けたとき、既に太陽は西の方に傾き始めていて、川面や辺りは朱色に染まっていた。
もはや聞こえてくるのは、清々しい川の音と、耳に染み込むような蜩の声だけだ。
ビールを一気に飲み干すと、さっき聞いた店主の話を思い返してみた。
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─店主と私の息子も、白蛇に連れていかれたのだろうか、、、
いや、あれは単なる言い伝えで、令和の時代に、そんなことがあるはずがない。
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テントの前でバーベキューセットを組み立て、枯木を拾ってきて火を起こすと、準備してきた肉を焼いて、ビールを飲みながら舌鼓をうつ。
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その後は、いつもの儀式だ。
貴司が好きだった線香花火をリュックから出してきて岩に腰掛けると、ライターで火を付ける。
暗闇の中、パチパチと飛び散る火の粉をただじっと見つめていると、楽しかったあの夏の日のことが、ありありと浮かんできた。
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ちょうどその時だ。
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「パパ、、」
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どこからか子供の声が聞こえてきた。
ドキリとして顔を上げると、「貴司!貴司なのか?」と言いながら、キョロキョロと辺りを見回す
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立ち上がり暗闇に向かって、もう一度声をかけたが、やはり返事はなかった、、、
私はがっくりと肩を落とすと、辺りを片付けて火を消すとテントの中に入り、ランプを消して横になった。
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暗闇の中、、、
ただ聞こえてくるのはドウドウという川の流れる音と、時折鳴く鳥の声くらいだ。
それからどれくらいの時が過ぎただろう。
ようやく微睡みの泉に意識が浸かっていこうとしていたとき、川の方からバシャ、バシャという水の跳ねる音が聞こえてきた。
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─魚でも跳ねているのかな、、、
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始めのうちはそう思った。
だが、音はなかなか止まない。
私は起き上がると、テントの入口の隙間から、そっと外を覗いてみる。
次の瞬間、私の心臓は激しく鼓動を打ち始めた。
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川の真ん中辺りに、誰かいる、、、
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それは、腰から上だけを水面に出した女。
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月明かりの下、、、
透き通るような白い肌をした上半身裸の女が両手を後ろに回し、背筋を伸ばしながら黒く長い髪を束ねていた。
毛先からは、ポタポタと水滴が滴り落ちている。
月光に照らされたその横顔は青白くて、神々しいくらいの美しさだ。
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私は磁力に引っ張られるようにテントから外に出ると、ふらふらと川岸まで歩いた。
女は私に気付いたのか、ゆっくりとその身を水に沈めていき、顔だけを水面に出すと、静かに前方に進み出した。
するとその後方を巨大な丸太のような白く長い体躯が、水面をうねうねと滑るように付き従い進んでいく。
目前を通り過ぎていくテカテカと不気味に白く光る胴体を見たとき、私は思わず「あっ!」と声を出した。
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白く柔らかそうな胴体のあちこちには、人の顔らしきものが張り付いている。
それも一つや二つではない。
無数の顔がまるで電車の窓のように、どこまでも並んでいた。
それらはよく見ると、まだ幼い少年の顔だ。
そしてその中に決して忘れることのない顔があった。
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「貴司!」
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私は裸足のまま川に入りこみ、どんどん進んでいく白く長い体躯の後を追った。
びしょ濡れになりながら、必死に追ったのだが、
それはあっという間に上流の彼方へと進んで行き、漆黒の闇の中に溶け込んでいった。
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Fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう