中編5
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死ねないおとこ

1

こんな話、ほかの誰が聞いても信じないだろうけど、いやむしろ、他人に信じて貰おうなんてこれっぽっちも思ってはいない。

だけど、今これを読んでいる君にはどうか信じて貰いたい。俺はあと三日でこの記憶がなくなり全てを忘れてしまう。

そうなる前にここに綴る。

2

俺は今から約三十年前、生きる事が嫌になり自殺を決意した。

せめて死ぬ前に綺麗なものでも見ておこうと、たまたま近くで開かれていた誰のものともわからない個展会場に立ち寄った。

人物画や風景画に加え、アート作品なんかも展示されていて俺は夢中でそれらを眺めながら、会場の奥へ奥へと進んでいった。

遠目から見てそこが行き止まりだろうと思っていた場所にたどり着いた時、そこから更に奥へ向かって廊下が伸びていることに気づいた。

照明がまばらでそこから先は少し薄暗くなってはいたが、目を凝らすと廊下の奥の方の壁に、一枚の絵画が飾られているのが見えた。

俺は迷わず廊下を進み、絵画の前に立った。

3

俺は絵の迫力に思わず息を呑んだ。それは赤と黒の二色だけで描かれた、今にも額から飛び出してきそうなほどに抑揚感のある、二本の鋭い鎌を持った死神の絵だった。

どういう技法で描かれているのかわからないが、死神の目が光っているように見えた。なぜかその目を見つめていると、俺の死への欲求が風船のようにどんどん膨らんでいくのがわかったんだ。

4

ポチャンと水の滴るような音がした。

次の瞬間、絵の死神が口をきいた。

「自らの命を殺す事は重罪。罰を受ける覚悟はあるか?」

5

俺は駅のホームに立っていた。予定通り今からやってくる電車にタイミングを合わせてここから線路に飛び込むつもりだ。

みんなに迷惑をかけることは十二分にわかってはいるが、俺は一人で死ぬ事もできない小心者なのだ。

首吊りや練炭も考えたが結局無理だった。たぶん俺は一人寂しく死んでいくのに耐えられないのだ。本当にすまない。

この時、死神に言われたあの警告は、俺の頭の片隅にも残っていなかったんだ。

6

構内アナウンスが流れ、向こうから電車が迫ってくる。当たり前だが、まさか今から人がズタズタになる様を見せつけられるなんて、このときここにいる誰もが考えてはいなかっただろう。

7

「さようなら」

俺は意を決して飛び込んだ。

途端にまわりがスローモーションになった。すると頭の中に俺が生まれ落ちてからの様々な記憶が、猛スピードで駆けぬけた。

楽しかった事。辛かった事。悲しかった事。嬉しかった事。初めて好きになったあの子。俺を愛してくれた母親。

「ああ、これが俗に言う走馬灯か?」

だが、少し様子がおかしい。

俺の短かったようで長かった二八年間の人生の再生はもうとうに終わっている。

でも俺のまわりはまだスローモーションのままだ。

俺は迫りくる電車を見たあと、ホーム上で驚愕している人たちを見上げた。

すると、その中にあの死神が紛れていた。

7

「次はあの男だ」

低いのか高いのかよくわからない死神の声が脳裏に響いた瞬間、俺はホーム上にいる一人の男と目が合った。

8

気づいたら…そうまさにふと気づいたら、俺は飛び込む前のホームの上に立っていた。目の前にはたった今人を踏み殺した電車が停車している。

俺は夢でも見ているのかと思ったが、トイレの鏡にうつった顔は、紛れもなく死ぬ寸前にホーム上で目があったあの男だった。

何がなんだかわからなくなった俺はずっと公園をウロウロしていた。

「俺の魂がこの男に乗り移った?」

こんな馬鹿な事があるわけがない。では、今の俺はいったい?

後になってわかるが、それまでの全ての記憶は乗り移ってから約三日ほどで綺麗さっぱりなくなってしまう。

その後、俺は本来この男が持っていた記憶を元に生活を進めるのだ。

9

この男は不幸を絵に書いたような人生だった。そのためいつも死ぬ事ばかりを考えていたようだ。この男に比べれば前の俺なんて幸せな部類に入るほどに。

そして一年後、俺はまたあの駅のホームに帰ってきた。

もう頭の中には死にたいという四文字しか存在していない。もはや以前のように周りの迷惑なんぞ帰り見る余裕もない。

俺はタイミングを見計らい、飛び込んだ。

9

周りはスローモーションで、俺はゆっくりと線路に転がった。

警告音を鳴らしながら大きな鉄の塊が近づいてくる。

その瞬間、以前のような走馬灯ではなく、はっきりと全ての記憶がよみがえってきた。

電車に飛び込むのはこれが初めてではない事。今の俺の体は本来の俺のものではない事。

それに気づいた瞬間、俺は耐えがたい恐怖と苦しみに襲われた。

「次はあの女だ」

前に聞いた死神の声がまた聞こえた。

ホームを見上げると、前のめりに絶叫している高齢の女性と目があった。

電車がゆっくりと俺の体をひき潰していくのと同時に、俺の魂がこの体から引き剥がされて、あの女性の元へ向かおうとしているのを感じた。

「もう嫌だ!また他人の体に入って自殺するまで追い込むのか?これが死神のいう罰か?

俺はいつになったら死ねる?

嫌だ!嫌だ!嫌だ!もう嫌だ!!」

10

冒頭にも書いたが、計算したらあれからもう三十年の時が過ぎている。

その間、俺が死なせた体は覚えているだけで九体。

そして俺の魂は今日、また新たな中学生男子の体にうつされたばかりだ。

そう、君の体だ。

この記憶は三日後には消される。何年かしたらまたこのホームに戻ってきて飛び降りるのだろう。

だが、俺はもう耐えられない。この死ぬに死ねない無限ループに振り回されるのは本当に地獄でしかない。

ただ唯一、死神を欺けるのはこの三日間しかないと俺は考えている。

この記憶を失ってしまう前に、君が死なないよう、この手紙を死にたがっている未来の君に託す。

頼む!どうか死なないでくれ!

考えなおしてくれ!未来に希望を持って生きてくれ!

君の中の俺はもう死ぬ以上の苦痛を味わった。君の体で最後にしたい。

君が年老いて命尽きるその瞬間まで、俺は君の体の中に生き続けたい…

Concrete
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