とある登山好きの友人から聞いた話。
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彼は若い頃から登山が趣味で、日本各地の山々を標高の高低にかかわらずあちこち登り歩いていた。
あるとき、出張先で訪れた地方都市で、気になる小山を見つけた。宿泊していたビジネスホテルの窓からまっすぐ見える位置にあり、遠目にはなんということもないように見えたが、なんだか妙に心惹かれたのだそうだ。
出張は水〜金曜の予定で、会社に戻らず直帰、おまけに土曜は祝日だった。そこで、金曜の夜に帰る予定を変更し、土曜の午前中にその山に登ってみることにした。
いざ山の麓に立ってみると、拍子抜けしてしまうくらい小さな山だった。これでは、登山というよりハイキングだ。
この小さな山のなにが彼をそんなに引きつけたのかはわからないが、天気は良く山は清々しく、絶好のハイキング日和だった。
景色を楽しみながらゆっくり登ったが、それでも一時間ほどで頂上に着いた。
頂上はベンチが設置された小さな展望台になっていた。腰掛けて一息ついていると、友人のいる位置から少し降ったところにある竹藪に目がいった。
なにやら、一本の竹がユラユラと揺れている。イノシシでもいるのかと友人が一瞬身構えた。
すると、揺れていた一本がゆっくりと手前に倒れてきた。倒れきるかきらないかのところで、今度はその隣の一本も同じように倒れてくる。
━━あぁ、誰かが伐採してるのか。
そう納得しかけたときだった。
二本目の竹が倒れかかると同時に、先ほど倒れた一本目が、今度はゆっくりと起き上がってきたのだ。
━━へ?
一本目の竹は重力に逆らいながら垂直に姿勢を戻すと、今度は力尽きたようにまたゆっくりと倒れかかる。すると今度は反対に、倒れていた二本目が起き上がり始めた。
二本の竹はリズムをとるように、倒れたり起きたりを繰り返し始めたという。
なんだか滑稽なその様子に思わず見入っていた友人だが、しばらくすると「これはおかしい」と我に返った。とても自然現象や人間業とは思えないし、なにより意味がわからない。それほど離れているわけでもないのに、竹が軋む音や葉擦れの音すらしないことも不気味だった。
我に返った友人は、慌てて山を降りたのだった。
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「今でもあれがなんなのかわからないが、天狗がぎっこんばったんして遊んでたのかもな」
友人は笑って言ったが、私はその言葉に引っかかりを覚えた。
「ぎっこんばったん?」
「あれ、シーソーのことだよ。言わないか?」
「いや、言いたいことはわかるよ。でもお前、シーソーなら支点がないとだめだろう。今のお前の話じゃ、どこにも支点はないじゃないか。いや、言いたいことはわかるんだけどな?」
私の細かい指摘に友人は、
「ニュアンスが伝わったんならいいじゃないか」
とふてくされた顔をした。
作者実葛
以前他サイトに投稿していた作品を、加筆修正したものです。