wallpaper:1
私が、小学3年生の時の話です。
ちょうど、その年の、1986年11月9日に、
ベルリンの壁が崩壊しました。
1961年8月13日から、28年に渡って、
東西ドイツを遮断していた壁が無くなり、
東西ドイツの統一化がなされた、
と言う出来事は、皆さんもご存知だと思います。
今回の話は、そんなベルリンの壁に関する、
出来事です。
少し迷いましたが、投稿させて頂きます。
separator
当時のクラスメートに、
私の地元では、昔から代々続いている、
かなり有名な病院の、娘がいました。
もちろん今の院長は、彼女の父親です。
手っ取り早く言うなら、
”お嬢様”です。
もちろん、お家も裕福だし、
着てくる服や髪飾りも、高そうでした。
(私の小学校は、私服でしたので)
クラスでは、浮いた存在でしたが、
彼女は、ツンとした感じも無く、
面白い事も言ったりするので、
私達は、それなりに仲良くしていました。
separator
ある日、私は、
1番の親友のU子と、昼休みに他愛もない話で盛り上がっていました。
すると、彼女がやって来て言いました。
「Kちゃん(私の事です)も、U子ちゃんも、
私の友達やし、凄い物あげるわ!
放課後、教室で待っとって!」
と、嬉しそうな、得意げな顔で言いました。
私とU子は、
「え?何や?」と聞き返しましたが、
彼女は、
「まだ内緒や」と、
ワクワクした顔で言いました。
私の「えっ、ねぇ、、
その言葉に被さるかの様に、途中でチャイムが、うるさく鳴り響き、
5時間目が始まってしまいました。
(凄い物って、何やろか、、、)
と、興味半分、ドキドキ半分みたいな感じで、私が色々考えてるうちに、授業は終わっていました。
5時間目と終礼が終わり、みんなが帰って行きます。
そんな中、約束通り私達は、
放課後、教室で待っていました。
すると彼女が、興奮気味に小走りにやって来ました。
「おまたせ!
ね?コレ見て!」
と、石の瓦礫みたいな物を差し出します。
大きさは、4、5cmくらいで、
端っこにオレンジ色のような、黄土色のような色が、少し着いています。
そんな物が2つ、彼女の掌の上に乗っていました。
「なんや?コレ?」
と、U子が聞くと、
彼女は、またもや嬉しそうな、得意げな顔で、
「ベルリンの壁や!」
と、言いました。
正直、小学3年生の私達にとっては、
あまりピンと来ず、
確かに、ニュースは、
” ベルリンの壁が崩壊した ” などと
喋っていましたが、
あまり内容も、良く分かってはいませんでした。
でも、ベルリンの壁を越えようとして殺された人がいると、聞いた覚えがあったので、
少々の怖さも感じました。
「えっ、、、?ベルリンの壁って?」
U子が、また聞くと、
「 うちのパパが、ベルリン行ってきてん。
ベルリンって、ドイツにあるんや。
それで、
壊された壁の欠片を、拾って来てんけど。
『友達にあげたい 』って言うたら、
その石、3つくれてん。
やし、KちゃんとU子ちゃんに、あげようと思って持って来たんや、ねぇ、凄いやろ!」
私もU子も、びっくりして、
「うん、凄いわ、、、」
と、言うしかありませんでした。
だって、あのベルリンの壁の欠片が、自分の掌に在るんですから。
と言うよりも、外国の物を手にする、
非日常的な緊張感がありました。
「あ、そうや、
あと1つ、あった石は、さっき会った、
Yちゃんにあげたんやー、
『帰らんの?何しとるん?』って言われて、石も1つ余っとったし。
Yちゃん、すげぇ喜んどったわ!
お母さんに見せるー!とか言うて 」
と、彼女は屈託の無い笑顔で言いました。
separator
その後、彼女には一応、お礼を言い、
U子と2人で運動場を通りながら、帰っていました。
「ねぇ、U子、ベルリンの壁って、
そこで、いっぱい人が死んだんやろ?
このオレンジ色みたいなやつも、
スプレーじゃないん?
私、テレビで、ベルリンの壁に、
スプレーで、何か色々描いてあったの、見たもん。
私、こんなん持っとるのイヤやわ」
すると、U子も、
「私もイヤやわ、どうする?」
と言ってきたので、2人で話し合った結果、
運動場の隅にある滑り台の、その更に隅の方に、
もらった石を埋めました。
「 彼女には、内緒やよ」
そう言って、そのまま通学路を帰りました。
separator
次の朝、学校に行くと何故だか、
朝から全校集会が開かれる事になっていて、
「 えっ?石を埋めたの、バレたん?」
と、私は子供なりに、勝手にドキドキしていたのですが、
しかし、校長先生の口から出た言葉は、
かなりの衝撃的なものでした。
「 えー、みなさん、おはようございます。
えー、実は、皆さんに、
非常に残念な、お話をしなければなりません。
昨日の夕方にですね、えー、3年2組のYさんが、
あのー、車に轢かれまして、
えー、亡くなられまして、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
えー、皆さんも、
車には十分に、えー、気を付けるように」
separator
その後、クラスでは、
その話題で持ち切りでした。
Yちゃんは、私のクラスでしたから。
その中でも、Yちゃんが死ぬ前に、
公園(そんな大した公園ではありません)で、
一緒に遊んでた、と言う女の子達の話に、みんな取り巻いていました。
私とU子も、その輪に加わっていました。
その女の子達が言うには、
「私ら、通学路にある公園で遊んどってん。
そしたら、Yちゃんが帰っとるの見て、
『 Yちゃん、一緒に遊ばん?』って言うたんや。
そしたら、Yちゃん『そろばんの塾あるし』って。
でも、その後に、
『やっぱ、少しだけ遊ぶわ』って、
私らと遊んどってん。
でも、Yちゃんが、急に、
『あっ、塾に間に合わんかもしれん!
私、もう帰るわ』言うて、
ランドセル持って、走ってったんや」
「それで急いどって、Yちゃん、轢かれたん?」
その中の誰かが、言いました。
「そうなんかも知れん、すげぇ慌てとったし、、、」
何となく気まずい雰囲気になりました。
教室に、担任の先生が入って来て、その話はお開きになりました。
separator
私とU子は、いつもの通学路を通りながら
帰っていたのですが、その途中で、
Yちゃんが死んだ場所を通らなければなりませんでした。
遠くから見ても、
Yちゃんが亡くなった直後のその場所には、お花やら、お菓子やら、ぬいぐるみやら、お供えしてあるのが分かります。
道路、ギリギリにフェンスが立っていて、そこにも
お供え物が溢れています。
(イヤやなぁ、、、
ここから戻って、別の道から帰ろって、
U子に言おうかな)
と、思ってた時、
「あそこにあるの、何やろ?」
と、急にU子が車道に飛び出しました。
「U子!危ないっ!!」
separator
U子は、右から来た車に轢かれました。
救急車が来て、私はガクガクしてて、
誰かに、沢山、色んな事を聞かれたと思うのですが、何も答えられなかった覚えがあります。
「後から、お母さんと一緒にだったら、来れるかな?」
と言う、警察らしき人の問いに対しては、
かろうじて頷いたと思います。
ただ、私は、U子が救急車に乗る寸前、
U子の右手から、何かが落ちたような気がしていました。
私は、救急車が行ってしまった後に、怖かったですが、そこへ行ってみました。
「危ないから入らないでー」と誰かが言いましたが、
私は、探しました。
そこには1つの岩の欠片がありました。
(えっ、、、?
これって、Yちゃんが持ってたやつ?
それを、U子が見つけたん?)
私は怖くなり、だけど、その岩の欠片を持って、
学校へ戻りました。
そして、U子と一緒に岩を埋めた場所を探しました。
何処を掘り返しても、見当たりません。
私は半泣きで探しました。
もう、陽も落ちるという時に、
やっと、その岩の欠片はありました。2つ。
そこに3つ目を入れました。
そして、土を覆いかぶせて、足で踏んで、
軽く雑草などかけ、もう絶対に、誰にも見つからないようにしました。泣きながらも、必死です。
そして帰ろうとした時に、何故だか分かりませんが、涙目で、そこら辺の雑草の、
ピンクがかった白い花を3つ、その上に置きました。
何だか、そうした方が良い気がして。
separator
U子は幸い、命に別状は無く、
しかし、右手を骨折しました。
その後、U子は無事に退院し、以前と同じく、
また2人で、仲良く遊んだり、一緒に帰ったり。
しかし、Yちゃんが死んだ、U子が事故に遭った、
その道だけは通らないようにしていました。
separator
そんなある日、父の車で出掛けた時に、
その道を通る羽目になりました。
母が、
「おとん!この道、通らんといてって言うたやろ!」
と、激怒しましたが、父は、
「悪い、ごめん、つい忘れとった、、、
K、目瞑っとれ!」
と言いました。
私は目を瞑りましたが、一瞬、目を開けました。
そこには、” 工事中 ” の塀がしてありました。
( あれ?
今まで、ここって何回も通った道やけど、
何があったんやっけ?
、、、!!
あっ!フェンスや!!
私も、何か急いどって、ここにあったフェンス超えて、帰った時あったもん)
そこは丁度、Yちゃんが亡くなった場所、
お花や、お菓子、ぬいぐるみが置いてあり、
そして、U子が石を拾いに行って、
事故に遭った場所でした。
(もしかして、Yちゃん、急いどって、
近道する為に、私みたいにフェンス乗り越えたんかな?)
その瞬間、ゾッとしました。
ベルリンの壁を思い出しました。
壁を越えようとして、殺された人、、、。
Yちゃんはフェンスを乗り越えた直後、
事故に遭い、死んだ。
U子は、Yちゃんの持ってた石を拾おうとして、
同じ場所で事故に遭った。
私は、確かに、
U子の右手から、石は落ちたのを見ました。
石を持っていたその右手を、骨折するなんて。
2人とも、ベルリンの壁の欠片を持っていた、、、。
( いやぁ、そんな事、有り得んやろー )
と、無理やり自分に言い聞かせましたが、
内心、かなりの恐怖に怯えていました。
separator
それから暫く経って、
そんな騒ぎも収まってきた頃です。
ある日、私は何気なく、お嬢様の彼女に聞きました。
「 ねぇ、前に、
ベルリンの壁の欠片、私らにくれたやろ?
あれって、あんたも同じの持っとるん?」
すると彼女は、嬉しそうな、得意げな顔で、
「あんな欠片、私が持っとる訳ないやん!
家には、もっと凄いのあるし。パパ、そう言うの好きねん!」
と、言いました。
separator
それから2年程して、彼女の父親が亡くなりました。まだ若かったらしいのですが、心不全か何か、
とても急な死に方だったそうです。
そして、病院は閉院しました。
彼女は転校し、今は何処にいるのか、分かりません。
そして、やはり、私の勘が当たったのか、
あの事故の直後に、フェンスは取り壊され、
小さい商業ビルが建てられました。
( やっぱり、Yちゃんは、あのフェンスを越えようとしたその勢いで、事故に遭ったんやろうな、
私もフェンスを超えた勢いで、車道に飛び出しそうになったもんな、、、)
separator
私は、その後、
あんなに小さな瓦礫の欠片が、
それを持っていた人に災いをもたらしたと言う、
昔の出来事がトラウマとなり、
例え、山や川、海に行って、キレイな石があったとしても、拾えなくなりました。
正直、石や岩の欠片が怖いのです。
作者退会会員
長文、方言、すみません。