友人の恩田から電話があったのは日曜の早朝5時だった。
布団の中で眠い目を擦りながら応答ボタンをタッチすると「飯田くんごめん、すぐ来てくれないかな?」と挨拶もなく切り出す。
なんだか切羽詰まった様子だ。
ただならぬ雰囲気を感じとった俺は理由も問わずにスエットの上下にフリースを着て、アパートを飛び出した。
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恩田の住むマンションは、俺の住むところから車で10分ほどのところだ。
大学の同期で、卒業後10年経た今も付かず離れずの関係が続いている。
二人とも地元の会社に就職した。
前月の11月に居酒屋で一緒に飲んだ時確かリストラに合い失業中とか言ってたと思うが、あれから新しい仕事は見つかったんだろうか。
ちょっとしたことで凹むガラスのマインドの持ち主で、最近は心理的カウンセリングを受けていたようだったので、ちょっと心配だ。
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駐車場に車を停めた時は未だ6時にもなっていなかった。
年季の入った5階建てマンションの肌寒いエントランスをくぐり抜けエレベーターで上がり、3階奥の部屋の呼び鈴を押した。
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廊下奥のリビングのドアを開ける。
ソファーセットにテーブルそしてテレビ、ありきたりの部屋が現れた。
恩田は細身の身体になぜか紺のスーツの上下を着て、サッシ窓脇にある姿見の前に立っている。
俺の姿を見るなり「ごめん、悪いけど後ろに立ってくれない?」というので言われた通りにする。
姿見、恩田、俺、というふうに縦に並ぶ形になった。
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「それで?」
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恩田の後頭部に向かって問いかける。
すると「ごめん、ちょっと前にある姿見を見てくれない?」と遠慮がちに言うので訳も分からずとにかく姿見を見る。
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─え!?
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とたんに頭の中を大量の疑問符が覆い尽した。
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あり得ない光景が目前にあった。
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姿見には俺の姿しか映っていないのだ。
姿見に近づいてみたが、やはりそこには黒いスエットを着た俺と後ろ側のソファーしか映っておらず、前に立っているべきはずの恩田の姿がない。
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「一体、これはどういうことなんだ?」
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と目を丸くしながら恩田の方を見る。
彼はガックリと項垂れて「そうか、やっぱりね」と呟くと、ドスンとソファーに身体を預けた。
俺も隣に座る。
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「この間からずっと就職活動をしているんだけど、受けるところ受けるところ全て、拒否られていて。
蓄えもないし、彼女もいないし、それで昨晩これからのことを考えだしたら心配で心配で堪らなくなって眠れなくなって、それで今朝早く起き出して、明日の会社面接に着ていくスーツを試着してから姿見の前に立ってみたら」
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そこまで言うと、恩田は頭を抱えた。
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俺はかける言葉が見当たらず取り敢えず立ち上がると、もう一度姿見のところまで行き、前から後ろから姿見を確認する。
だが、どこから見ても単なる姿見だ。
何気に辺りを見回すと隣の部屋に続く襖が開いている。
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─ん?
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何となく違和感を感じた俺は襖のところまで歩くと、そこから改めて隣部屋を覗いてみる。
6帖ほどの薄暗い畳部屋の真ん中に、恐らく恩田が寝ていたであろう布団が敷かれていた。
布団から少し離れた畳の上に空の薬瓶が転がっている。
枕の上に人の頭部らしきものが見える。
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─まさか誰か寝ているのか?
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─確か恩田は一人暮らしだったと思うが、、、
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部屋の中に入り枕元に膝まずく。
そこには、目を閉じぽっかり口を開いた男の青白い顔があった。
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背中に冷たい何かが走り、一気に心臓の鼓動が高鳴る。
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それは恩田だった。
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「お、恩田、、、」
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声をかけながら肩を揺すってみたが全く反応がない。
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恐る恐る額に手をあててみる。
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─冷たい、、、
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今度は布団から左手を引っ張り出し脈を探してみる。
だが脈もない。
俺はゆっくり振り向くと開いた襖の間からリビングのソファーに目をやり、震える声で呟く。
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「恩田、、、」
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「…………」
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返事はない。
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「おんだ?」
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もう一度呟き立ち上がると、畳部屋からリビングに戻る。
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ソファーには人の姿はなかった。
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ただその代わりに真新しい紺のスーツの上下が置かれていた。
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Fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう