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中編6
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深里准教授の民俗学教室

私は日本各地に伝わる民間伝承を集めて廻り、それをまとめる仕事をしている。

これから記す話は、とある地方の山間の村で偶然見つけた民間伝承である──。

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『迷い家』(マヨイガ、マヨヒガ)を御存知だろうか?

東北地方から関東に伝わる伝承で、訪れた者に冨貴をもたらすと云われている幻の家のことだ。

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高名な民俗学の権威、柳田國男先生も著書の『遠野物語』に記載している有名な話だが、私が聞いた…いや、目にした話はそれとは違っていた。

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その家は未だ山の神が棲まうと信じられている標高300メートル強の山にあるという。

いや、この場合は“在る”よりも“出る”の方が正しいのかも知れない。

梅雨只中の初夏になると、ソレは突如として現れるのだそうだ。

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その周辺の村や集落では、梅雨が明けるまで入山を禁じ、何人の立ち入りも許さない。

そうしないと、ソレに出遭ってしまうからだ。

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村の長老は言った。

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「アレに近づいてはならない……アレはそんなモノでは決してないのだ」

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皺が刻まれた柔和な顔を強張らせ、話す口調は穏やかではあったが、力のこもった低いものだった。

私は長老の重い口を何とか開かせ、その口伝と共に古いノートを拝見させていただいた。

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今ではいないが、大正の頃までは村の者でもソレを見た者は沢山いたそうだ。

見ただけでは問題がないのか、誰一人として畏れている者もなかったのだ。

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しかし、ソレの恐ろしい実態を知ることになった出来事が起こってしまった。

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大正の初め、村に一人の青年がやってきた。

青年は趣味で民俗学を研究していると言い、村長からアレの話を聞いたそうだ。

青年は学生にしては、がたいも良く、浅黒に焼けた肌は健康的で体力に自信もありそうだった。

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アレの話を聞いた青年は目を輝かせて、翌朝早くに山へと入っていった。

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それほど高くもなく険しくもない山だし、道から外れなければ迷うこともない。

何より、体力もありそうな青年なので、単独で登ることを誰も諌めなかった。

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「山を散策したら、また戻って来ます」

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そう言って勇んで山に入った青年だったが、夜を迎えて朝になり、また夜が来て朝日が顔を出しても、青年は姿を見せなかった。

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一週間が過ぎ、一ヶ月を超え、梅雨が明けても、とうとう彼は戻らなかった。

青年が山に入ってからその日まで、村人の何人かは幾度も入っていたが、その間も彼の姿を見たものはなく、野営した痕跡もすら見つからなかったという。

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青年は別の何処かに行ったのだろう。

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誰もがそう思っていた──。

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青年のことを忘れかけた秋口のこと。

村の少年の一人が奇妙な物を見つけたと騒ぎになった。

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少年の案内で大人数名がそこへ行くと、山の中腹より少し上、七合目あたりに不自然に開けた場所があった。

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広さは三十坪程あっただろうか。

周囲に鬱蒼と茂る山の木々も、所構わず伸びている草すらも、

その場を嫌うかのように黒土が露になっていて、

赤や黄色に色づき始めた落ち葉たちが地面を覆い隠している。

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その空き地の中央から山頂寄り付近に、人一人分の衣類や小物が人型を保ったまま落ち葉に埋もれていた。

まるで、誰かが意図的に落ち葉で隠しているかのように。

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見れば、その服は青年の物に違いなかった。

田舎には似つかわしくない当時のハイカラな服だったから、村の皆が憶えていたのだ。

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衣類に靴の他、麻布製の背負い鞄の中には幾らかの金が入った財布、替えの下着や衣類、数本の手拭い、食料の乾パンが少しと、空の水筒が入っていたが、

多少、山の湿気にやられていたくらいで別段綺麗なものだった。

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しかし、いくら周辺を捜しても青年の痕跡や青年そのものは見当たらなかった。

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すぐに村長が駐在に連絡し、行方不明者がいる旨を伝えると共に青年が残した物を渡した。

その日から数日間、警察主導で村人も総出の山狩りを行うも、大した成果は得られなかった。

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山狩りの後、青年の身元を調べた警察から村長へ連絡が入る。

青年の遺留品を頼りに身元を照会したが、全く手がかりがない。

そんな話だった。

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行方不明者の捜索は今でもそう懸命になってくれることはないのだから、当時なら尚更であっただろう。

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結局、生きているかも死んでいるかも分からぬまま、一人の青年の蒸発は、うやむやになっていった。

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村人は誰とも知らない青年を気の毒に思い、何処かで生きていてくれと願いながらも、山の麓に青年のための小さな墓を建てて冥福を祈ってやった。

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時は経ち、二十数年後に駐在をしていた男が村に来て、事態は変わる。

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実は、青年の遺留品の中にあった一冊のノートにとても奇妙なことが書かれていたと言うのだ。

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ここからは青年のノートをなるべく原文に沿いながら、誤字脱字等も補完して書いていく──。

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六月八日、○○村へ到着ス。

村長ヨリ、興味深ヒ話ヲ聴ク。

梅雨ノ時期ニノミ、幻ノ如ク現レル家屋アリ。

此、迷ヒ家ニ違ヒナシ。

翌朝、山へ入リ、此ヲ見ツケヤウト思フ。

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六月九日、天候ハ曇。

山ハ低ク、苦モナク登レルデアラフガ、念ノ為、少シノ乾パンヲ持チ、入山ス。

山登リ始メ、半時過ギタダラフカ。

前日ノ雨ノ所為カ、霧ガ立ツ。

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前方、視界悪シ。

雨ニ降ラレルマヘニ下山スルコトモ考へネバ。

霧ノ中ヲシバラク歩キ、豪雨ニ襲ハル。

夕立チ?

視界、依然トシテ悪シ。

今日ハ諦メ、出直スコトトシ、此ヨリ下山ス。

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霧ノ為、帰路ヲ見失フ。

日ノ陰リカ、周囲モ暗シ。

霧益々濃ク、前後不覚ニテ此ヲ書クモ苦労ス。

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何ト幸運ダラフ。

天ノ助ケカ。

霧晴レテ眼前ニ一軒ノ家ガ見ユル。

此ガ迷ヒ家ダラフカ?

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立派ナ黒キ門構へハ名主ノ家ノ如ク也。

門前ニテ、内ニ声カケルモ、返答ナシ。

多少気ハ引ケルモ、門ヲクグル。

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庭先ニ白キ花咲、花ノ甘ヒ香リ立チ込メ、芳シキカホリニ癒サルル。

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入口、引戸越シニテ再度声ヲカケルガ応答ナシ。

其モ人ノ気配、一切セズ。

引戸ニ手ヲカケ、思ヒ切リ引テミルト、容易ク開ク。

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玄関ニ家人ノ履物ナシ。

無人ノヤウダ。

意ヲ決シ、内ヘト踏ミ入ル。

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天井低シ、土壁ハ所々傷ンデイル。

目前ニ長ヒ廊下アリ、部屋ラシキモノハ見当ラズ。

靴ヲ脱ギ、廊下ヲ進ム。

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床板ハ腐リカケテイルノダラウカ、僅ニヘコム感触アリ。

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廊下ノ先、未ダ部屋見エズモ、分レ道。

二階カ下カ。

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マズ、下ノ道ヲ選ブ。

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突当タリニ部屋ラシキ戸。

中ニ入ルト、思フヨリ広ク仄温ヒ。

シバシ、此処ニテ休息ス。

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部屋ノ入口ノ対面ニアル戸ヲ進ム。

又、一本道ノ廊下続ク。

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幾度モ曲リクネル廊下ヲ進ンデモ進ンデモ部屋見ツカラズ。

引キ返スベキカ。

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長キ廊下ヲ歩キ続ケ、疲労シ壁に寄カカル。

土壁、ヤヤ湿リ気帯ビ、心無シカ粘ル。

此処ニ腰下シ、小休止。

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何カ、天井ガ少シズツ高ナツテイルヤウニ感ズ。

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(次の文から文字が乱れ、筆圧が極端に弱くなったため、推測を入れたものを記す)

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ナントイフコトダ

ココハマヨヒガナドデナカツタ

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モハヤ、ヒキカエスコトカナハズ

エンピツモツモ、ツラヒ

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カヘリタヒ

ソトへ

タレカ、ココカラダシテク

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ノートはここで終わっていた。

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最期の一文は震えていたのか文字は掠れ、ほとんど読めないくらい乱れていたが、鉛筆書きだったのが幸いし、どうにか解読出来たと思う。

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このノートは横たわった衣類の袖の傍に短くなった鉛筆と一緒に落ちていたそうだ。

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彼が迷い込んだ家は何だったのか。

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それを確かめる術はもうないが、このノートの内容を知った昭和九年から、その山の周辺地域では梅雨時期の入山を固く禁じることに決めた。

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時代は令和になり、村自体も統廃合で名称は変わってしまったが、

今も尚、その禁忌は守られているという──。

Concrete
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@りこ さま

なるほど!そうすると、それまで他の村人が食われていなかったのが気になってきますねぇ。
面白くも興味深い視点です!

リフォーム終わらないので年内は難しいですね(´;ω;`)

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