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中編5
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彼岸の花

祖父が入院したと母から知らせを受けた。

数年前に病気が見つかって大きな手術をして以来ずっと容態は安定していたのだけど、また別の個所に病気が見つかってしまったそうだ。

随分落ち込んでいるみたいで、母に「孫のあんたが顔出せば少しは元気になるかもしれないから」と言われて私はすぐに入院先の病院に向かった。

病室に入ると祖父はベッドを少し起こして窓の外を眺めていた。久しぶりに逢った祖父は随分痩せていて、その姿が何だか切なかった。

祖父は私が挨拶をしても、最近あったことや昔の想い出話をしても、こちらを見ずに窓の外を眺めたまま「うん…うん…」と、相槌を打つばかりだった。

それでも私は構わず話し続けた。少しでも気が紛れれば良いと思って。

「お前、覚えとるか…」

不意に祖父が口を開いた。

ちょうど還暦祝いで大分の温泉旅館に行った話をしていたので、その時の出来事でも話すのかと思ったけれど、そうではなかった。

「小さい時に見てた蛙のバケモンや山に巻きついた大きな蛇の事…」

蛙の化け物?大きな蛇?昔見ていたアニメの事だろうか。覚えてないよと答えると祖父は「そうか」と言った。そしてゆっくりと、細々とした声で話し始めた。

「お前は小さい頃に儂らには見えんもんが見えとった。部屋の角を指して女の子が座っとるだあ、空に羽の生えた猫が飛んどるだあ、訳の分からん事ばっかり言うとった」

祖父は相変わらず窓の外を眺めていた。何の事を言ってるのか分からなかったけど、私は祖父の話を黙って聞く事にした。

「義昭って覚えとるか?」

「義昭おじさん?覚えてるよ」

「確かお前が幼稚園に通う前だった。義昭が土産で持ってきた葡萄をみんなで食べてる時にな、お前が義昭の頭を指して同じのが生えとるって言うたんだ。勿論頭にゃ葡萄なんかありゃせん。みんな可笑しな事を言う子だと笑っとったよ。

だがそれからしばらくしてな、義明のやつ肺に病気が見つかったんだ。そしたらばあさんがな、あん時お前が言うた事を覚えとってな。もしかしてあれは病気の予兆だったんじゃないかと言うた。

肺の中に葡萄みたいもんがたくさんあるだろ。だから葡萄を生やして知らせとったんだと。もし耳が悪きゃ蝸牛でもくっついてたんじゃないかって言うとったよ。

それだけじゃない。ありゃあお前と一緒に近所を散歩してる時だった。急にしゃがみ込むから何をしとるんだと聞いたら、見えない何かを拾い上げてちょうど儂らの前を歩いとった兄ちゃんを指して、頭のネジが外れて落ちたって言うたんだ。

最初は何を言っとるか分からんかった。だがしばらくして、そいつ気が触れたか知らんが自分の家族全員殺した後で自分も首吊って死んでな。頭のネジが外れる、なんて言うがあの兄ちゃんは文字通りそうなったんだろうな」

話の内容が理解出来なかった。確かに当時そういう事件があったと聞いた事があるし、義明おじさんが肺を患ってるのも事実だ。

要するに当時、私には見えない何かが見えていて、その二つの出来事の前触れが見えていたと言う事なのだろうか。でもそんな事、俄かには信じ難い。

「信じられんだろ。儂もずっとそうだった。でもな、ばあさんは違った。ずっとお前の事を信じておった。お前には不思議な力があるんだと…。

覚えとらんだろうが、ばあさんはお前には特別甘かったからな」

祖父は少し疲れたのか一つ二つ深呼吸すると再び口を開いた。

「ある時な、お前がばあさんの頭を指して花が咲いとる言うたんだ。ばあさん何の花か知りたくて部屋の奥から図鑑引っ張り出して訊いたんだ。そしたらお前はこれだって指差した。

…それはな、彼岸の花だった」

彼岸の花…。その言葉に私は全身に鳥肌が立ち、喉の奥がきゅっと締まる感じがした。祖母は私が幼い頃に亡くなっていて、だから彼岸の花が咲いていたのはつまり…。

「けどな、ばあさんはそんな事言われても笑っとった。お前のおかげで死ぬ前にやりたい事をやる決心がついたってな。

儂も感謝しとる。ばあさんが死ぬ前に色々としてやれた。死んだ後じゃ、悔いしか残らんからな」

なんて言えばいいのか分からなかった。言葉が見つからなかった。祖父は嘘をつくような人じゃないから。だから…、でもそんな話信じられなかった。

「儂ももう長くないだろうな。だが悔いはない。あの時、やりたい事はばあさんと全部済ましたからな」

結局私が帰るまで祖父はずーっと窓の外を眺めたまま一度もこちらを向いてくれなかった。だから直接顔は見れなくて、窓ガラスに映った祖父の顔を間接的に確認する事しか出来なかった。

ガラス越しでも分かるくらい、祖父の表情は暗く悲しく弱々しかった。いつも笑顔の絶えない祖父だったのに、その表情が余計に私を切ない気持ちにさせた。

私がお見舞いに行ってからしばらくして、母から祖父が来年まで持たないだろうと聞かされた。思った以上に病状が重くてもう手の施しようがないと、お医者様から言われたそうだ。

あれから何度かお見舞いに行ったのだけど、祖父は会う度に痩せていき、その内自分で体を起こす事も難しくなり、亡くなる直前には喋る事もままならなくなっていた。

そしてその年の冬、祖父はこの世を去ってしまった。

皆が悲しみに暮れる中、私は心の中にもやもやとした感情があって鬱陶しかった。

私は祖父に、何もしてあげられなかったと思う。元気な内にもっと会いに行って、たくさんお喋りしたりどこかに遊びに行ったり、色々な事をしてあげられたのに…。

あの時、何故祖父は私にあんな話をしたのだろう。まだ自身の病状を知らなかった筈の祖父は自分の死期を悟っていて、だから私にあんな事を話してくれたのだろうか。

祖母は私に不思議な力があると言ったそうだ。でも当時の事は覚えてないし、今の私には見えない何かを見る力はない。

だけどもし、私が今も見えていたとしたら。…そしたら、こんなに悔いが残る事はなかったのかな…。

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