ボクの両親は食べ物屋さんをしていて、朝から出て行ったら、帰ってくるのは夜遅かった
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それは小学校5年生の夏休みのときのこと
一人っ子だったボクは、朝は家で一人宿題をやって、お昼になり菓子パンを食べてからは、自分の部屋でしばらくゲームをし、それから近くの公園とかで遊ぶようにしていた
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その日は朝からうるさい位にセミが鳴いていた
いつものように午後からゲームをした後、ボクは水筒を一つ持って、いつもの公園に行った
小さな石造りの門をくぐると、既に数人の子供たちが思い思いに遊んでいる
ボクも適当に空いている遊具を見つけると、遊び出した
小一時間ほど経ち、喉が乾いたから水筒の麦茶を飲んでいると、砂場に男の子がいることに気が付いた
砂で造られたアーチ型のトンネルは、粗方出来上がっている
ボクは男の子のそばに近寄ると、声をかけた
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「すごいねぇ、このトンネル、君が造ったの?」
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男の子は四つん這いのままボクの方を見上げると、泥の付いた頬のまま真っ直ぐな瞳で頷く
ボーダー柄のティーシャツに半ズボン姿
年齢はボクより少し下みたいだ
ボクは男の子のそばに座ると、尋ねた
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「ボクはアツシだけど、君は?」
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「リョウタ」
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男の子は下を向いたまま答えた
ボクはさらに尋ねる
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「家は近くなの?」
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リョウタくんは少し考えるかのように首を傾げると、首を縦に動かす
それからボクは、彼のトンネル造りの最終工程を手伝うことにした
一緒に作業をしている内に彼も打ち解けてきたようで、少しずつしゃべるようになってきた
トンネルが完成する頃には太陽は西の彼方に移動し、砂場やリョウタくんの顔を朱色に染めていた
もう公園には、ボクら二人しかいないようだ
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「お兄ちゃん、今からボクの家に来る?」
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リョウタくんが遠慮がちにボクに言う
どうせ両親が帰るのは夜遅くなるだろうから、ボクは彼の家に行くことにした
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この辺は山を切り開いて造成された住宅街なんだけど、リョウタくんの家は住宅街から少し外れた雑草地の中に、ポツンとあった
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─こんなところに家とか、あったっけ?
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ありきたりの古い二階建ての家を見上げながら、ボクは思った
リョウタくんは玄関ドアを開けると「ただいま」と言いながら、中に入っていく
ボクもあとに続く
入って正面には、薄暗い廊下が奥まで続いていて、右側には、階段がある
彼は靴を脱ぐと、さっさと階段を登りだした
ボクも慌てて、後に従う
リョウタくんは階段を上がって右手にある襖をガラリと開けた
中は8帖ほどの広さで、窓際に学習机、壁際に小さなベッドのある子供部屋だ
ボクはリョウタくんと床にベタ座りし、オセロやトランプをして遊んでいた
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30分くらい経った頃だろうか、突然、背後の襖がガラリと開いた
驚いて振り向くと、男の人が立っている
白いワイシャツに紺のスラックス
髪を七三にきっちり分けた40過ぎくらいのおじさんが微笑んでいる
だけど、その目は決して笑っていなかった
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「リョウタ、ママもばあちゃんもみんな待ってるぞ
だから、あなたも降りてきなさい」
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おじさんに言われて、リョウタくんはオセロの盤面を睨みながら「分かった すぐ行くよ」と、一人言のように呟く
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おじさんは相変わらず不自然に微笑みながら襖を閉めた
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ボクはもう帰るよと言ったのだが、リョウタくんから頼むから一緒にいてほしいと言われたから、いることにした
一階の廊下奥にある居間に行くと、大きな食卓テーブルに、三人の大人が席についていた
中央には鉄製の急須と、お猪口が四つ置かれている
奥のサッシ窓に背を向けて座っているのが、さっきのおじさん(たぶんリョウタのお父さん)、その右隣に花柄のエプロンをしたおばさん(お母さん?)、さらに右隣には絣の着物を着た老婆(リョウタのおばあちゃん?)
リョウタくんとボクは手前の空いている席に座る
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おじさんが皆を見渡し、「さあ、ようやく家族みんなが揃ったことだし、始めるとするか」と言うと、隣のおばさんが立ち上がり、中央に置かれた鉄製の急須を持つと、お猪口の一つ一つに注いでいく
全てが注がれた後、おばさんはその一つ一つを、家族の前に置いていった
何かのお祝いごとだろうか?
おじさんが立ち上がり、お猪口を胸元に掲げると、
おばさん、おばあちゃん、リョウタくんも同じように、お猪口を胸元に掲げて立ち上がった
ボクは座ったまま、ただじっとその様子を見守っている
おじさんは「乾杯」と一言呟き、お猪口を口元に近付けるのだが何故かしばらく飲むことをしなかった
心なしか、その顔は青ざめているように見える
だが、やがて一回軽く頷くと、ぐびりと一気に飲み干した
おばさん、老婆、リョウタくんも、次々に飲み干す
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最初に異変が見られたのは、おばさんだった
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お猪口を床に落とし、そのまま椅子にドスンと座ると、天井を向いたまま口から血を噴き出し、エプロンをかきむしりながら悶え苦しみだした
次にはおじさんが、それから老婆も、口から鮮血をボタボタと垂らしながら、椅子にもたれ、床に倒れこむ
あまりに悲惨な光景に耐えきれずボクは立ち上がると、後退りした
ただリョウタくんだけは冷ややかな目で、家族の悲惨な姿を見守っていた
どうやら、お猪口の液体は飲まなかったようだ
ボクは「ごめん、帰るから」とリョウタくんに言うと、その場から逃げ出した
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それから、その翌日、その翌日と、ボクは公園に行った
だがリョウタくんの姿はなかった
家にも行ってみたが、そこには荒れた土地があるだけで何もなかった
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それから数年が経ち、中学校に上がり、夏休みに郷土の歴史を調べていたとき、興味本意に地元紙の昔の紙面を見ていると、ある記事が目にとまった
それは、ボクの住む住宅街近くの一軒家で一家心中があったというものだった
40代の夫婦、ご主人の母が、農薬で自殺したそうなのだが、8歳の長男だけは最後まで見つからなかったということだった
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう