「はぁ?何言ってんの?お前」
こういう反応をされるのは想定内だ。
「頭おかしいって思ってるでしょ?」
彼はニヤニヤ笑っている。
元々、風変りな彼女が、またおかしなことを言い始めた、くらいにしか思っていないだろう。
「だからぁ、私の家に、私が居るんだってば」
「そんなの、当たり前じゃん」
「違うってば。私にそっくりな女が居るんだってば」
訝し気な彼を連れて、私は自宅アパートに向かう。
「ははーん、これはアレだな。新手のかまってちゃん攻撃か?」
まだ後ろでヘラヘラしている男の後頭部を思いっきりしばきたい。
「悪い悪い、最近、仕事で忙しかったからなあ。素直に家に来て欲しいって言えばいいのに~」
ニヤニヤしながら、後ろから肩を揉むその手を振り解いた。
自室の前に仁王立ちすると、私は、言い放つ。
「これから証拠、見せるから。びっくりするよ、きっと」
事の始まりは、たしか一か月前くらいだったと思う。
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「この前、あの店にいたでしょ?」
友人のその言葉に頭を捻った。
そんな店は知らないし、行ったこともない。
それを告げると、友人は首を横に振る。
「いやいや、あれは絶対にあんただって。十年来の友人が見間違うと思う?」
それからも、私の目撃談が続いた。自分が仕事でその場所に居るはずもない時間。私は、自分にそっくりな誰かが居るんだろうな、くらいにしか思わなかった。
ところが、そいつはある日突然、私を訪ねて来た。
「えっ?」
私は一瞬鏡の前に立っているかのような錯覚を覚えた。
「びっくりした?」
そいつは悪戯っぽく笑った。
「ど、どちらさまですか?」
「あはは、どちらさまですかじゃないでしょ?」
「私は、あなたなんだから」
私は頭がおかしいのだろうか。
多重人格?それとも、これは幻覚?
ぐるぐると思考を巡らせていると、その女は勝手に上がり込んできた。
「ちょ、ちょっと、勝手に入らないでよ」
「はぁ?だってここ私の家だよ?」
「何言ってんの?出てってよ。警察呼ぶから」
「本気で言ってんの?それ」
「当たり前じゃん」
「あんたさぁ、警察呼ぶってのがどれだけ面倒くさいことになるか、わかってる?根ほり葉ほり聞かれて、なかなか返してもらえないんだよ?」
「構わないわよ、そんなの。見ず知らずの人間に不法侵入されて黙ってるわけないでしょ?」
「わかったわかった。出て行けばいいんでしょ?でも、私はあんたの一部なんだからさ。必ず、私が必要になるってこと、覚えといてよ?」
そう言い残し、女は出て行った。
私にそっくりな女が、私の情報をどこからかリークしてきて、居候しようとした。そう結論付けた。そう考えると、怖くなって、家のセキュリティーを強化した。玄関の鍵は二重ロックにし、部屋に防犯カメラもつけた。
ところが女は、そんな私を嘲笑うかのように、難なく私の部屋に侵入し、私の部屋での生活の跡を残して行く。防犯カメラにも、当たり前のように私にそっくりなその姿が映っている。
やはり、私は、二重人格か何かで、自分の無意識のうちに行動しているのではないかという疑念も湧いてきた。ところが、その疑念は脆くも打ち砕かれる。
仕事から帰ると、女はそこに居た。
「おかえりぃ、お仕事、お疲れ様~」
「警察に言うって言ったよね?どうやって入ったの?」
「だって、私の家だもん」
「渡しなさい、鍵。どこで造ったのか知らないけど」
「だから、鍵はあんたが持ってるんだってば」
「早く!出しなさい!マジで警察呼ぶからね?」
「ボディーチェックでも何でもしてみれば?」
くまなく調べたが、鍵は持っていないようだ。
私は、黙ってスマートフォンを取り出し、警察に通報した。
「今、警察、呼んだから・・・」
振り向いた私は、唖然とした。
その私にそっくりな女は忽然と消えていたのだ。
逃げられた?
でも、そんな気配はなかった。
私は、慌てて、玄関のカギを確認しに行く。
締まっている。
目を離したのは、ほんの数秒だ。その間に逃げられるはずもない。
「いったい何なの?」
その後駆け付けた警察官にしつこく職務質問され、苦言されたのは言うまでもない。
その後、女は当然のように私の家に居候した。
通報したところで、きっとまた逃げられるのだ。
それに、追い出せない事情がある。
最近、時々、記憶が途切れてきたのだ。
仕事での重要なことだったり、約束や大事なことを忘れていることがある。
本人に自覚はあるのに、周りは難なく回って生活できている。
どうやら、それを補っているのは、彼女らしい。
彼女は、私の意識が無くなると同時に、自由に私になれるらしい。
やはり私は二重人格になってしまったのだろうか。
確かめてみればいい。
そうだ。
何故、今まで思いつかなかったんだろう。
ドアの前に立つ。
電気メーターは思いっきり回っている。居る。私が。
廊下に面したキッチンの窓には、私の影がはっきり映っている。
彼もそれに気付いた。
「誰か居るのか?」
「だから、私が居るって言ってるじゃん」
そう言いながら、鍵を回した。
キッチンで水の音がしていたのがピタリと止む。
ドアノブを引くと私そっくりのその女は立っていた。
彼が、はっと息を飲んだ。
私そっくりの女が立っているのだ。当たり前だ。
でも、彼が息を飲んだのは違う理由だ。
私そっくりの女の手には包丁が握られていた。
目を見開く間もなく、その包丁は、彼に突き立てられた。
一瞬、何が起こったかわからなかった。
彼の腹から噴き出した大量の血で我に返り叫び声をあげた。
私そっくりのその女は返り血を浴びながら微笑んだ。
「やっとこの時が来た」
物音で隣の住人がドアを開けて出てきた。
惨状を見て驚いた住人は声も出せず震える手でどこかへ電話している。
おそらく警察か救急だろう。
「私はこのためにあんたに会いに来た」
「な・・・なな・・?」
震える唇がうまく言葉を紡ぎだせない。
「この男はヤバイやつだから、いきなり来て別れろって言ってもあんたは聞かないでしょ?だからね・・・」
そう言いながら、私の姿をした彼女は風景に溶け込みだした。
「殺しにきたの」
そう呟く頃には、彼女の姿は消えていた。
茫然としている私の耳にサイレンの音が遠くから響く。
あわただしく階段を上る靴音。
そして、隣の住人の男に指差された私。
・・・私じゃない
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私は刑務所に収監された。
もちろん、自分がやったことではないと訴え続けた。
防犯カメラも見てもらった。
だが、防犯カメラには、私が居るのだ。
誰でもない、紛れもない私。包丁にはもちろん私の指紋。
どう言い逃れしても無駄だった。
何故私がこんなひどい目に遭わなければならないのだろう。
警察に動機を聞かれても、彼の事を好きだったし、彼を殺す理由がどこにも見当たらないから言いようがない。
刑事は溜息をつきつつ、私に告げた。
「でも、良かったね。君は殺人犯にはならずに済んだ」
「えっ?」
「彼は一命をとりとめたよ。君の罪状は傷害、殺人未遂ってところか」
嬉しいはずなのに、私はショックを受けていた。
何故?目の前の世界がグルグルと回り始めた。
鬼のような形相で私を殴りつける彼。
私は部屋の隅で小さく怯えながら自分を守っている。
何これ?
そして、彼の手には包丁が握られて。
鈍い痛み。
やっとわかった?
私は未来から自分を救いに来たの。
ボロボロの体で私の前に立ち尽くす私。
でも、ダメだったみたいね。
私に振り下ろされる包丁。
これは、あなたの記憶。
そして、私の。
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私は、家の前に立っていた。
家と言っても、自分のアパートではない。
一人暮らしを始める前の、私の実家。
懐かしい我が家の玄関の門をくぐる。
鍵の隠し場所はわかるし、自分の部屋は、階段を上がってすぐに右側の6畳の和室だ。懐かしいその小さなベッドに寝転んで漫画を読む。
誰かが階段を上がってきた。
2年前の私だ。
驚愕の表情で私を見る私。
そう、まだあの男と会う前の私。
悪い運命の赤い糸を絶つために私は来たの。
作者よもつひらさか