この話の舞台は江戸時代。それは経済的成長の著しい、約260年にも及ぶ激動の時代。江戸や大阪といった中心地には各地から数多くの特産品が集められ、人と物が集まればそこには銭が湧いた。銭の充実は娯楽の発展へとつながり、その娯楽も極まれば文化となる。江戸時代を代表する浮世絵や歌舞伎といった華やかな世界では数多くの「一級品」が排出され、人々はそれに魅了された。
一方で、それを正当な努力なくして我がものにしてしまおうと考える輩も、どこに隠れていたのかわらわらと出てきた。いわゆる「盗人」というのは、人が欲望によって生きる生き物である限り、どんな平和な世の中にも存在する。華やかな世界があるならば、その裏には黒く濁った掃き溜めのような世界があることは、悲しきかな、この世の真理なのではあるまいか。
この話の主人公は、そんな裏世界の、ひとりの侘しい男である。
彼の名は、わからぬ。物心ついた時から親はなく、闇市の隅っこで寒さを凌いで、狩猟と盗みだけで齢20まで生き抜いてきた彼には名前など必要なかったのだ。なんていってみると、この男は顔を真っ赤にして怒るに違いない。
なぜなら彼は、決して人を嫌ってなどいなかったのだ。盗みを犯すのも飢えを凌ぐためであって、決して人を嫌悪しての行動ではなかった。肉親に捨てられ、世間からも見放された男としては、むしろ信じられぬほどに人間味に溢れる、温かな人物であった。
たとえば、彼についてこんな話がある。
ある晩彼は、住民の寝ついた民家に侵入し食料を漁っていた。彼の目的は、ただ食料にありつくためだけではなかった。ありったけの食料を袋に詰めると、彼はそれを見せびらかすように手に持ち、そして、わざと家主の寝床へと向かった。彼の足音は忍ぶことを知らず、当然家主とその伴侶、そして彼らの一人娘は目を覚ました。
唖然とする彼らに向かって、彼は堂々たる態度でこう言った。
「我は盗人だ。与力(いまでいう警察)を呼びたけりゃ、今すぐ呼ぶがいい」
しかし彼の馬鹿げた提案に、家主とその伴侶は不思議と乗り気ではなかった。
目の前には自分たちの食料袋が彼の手に握られているにもかかわらず、家主は彼に向かって、それを持って出てってくれとまで言い出した。
しかし今度は彼の方が、その馬鹿げた提案に応じなかった。代わりに、さっきよりも低い声で、
「どうしてお主らが与力を呼ぶのを躊躇うのか、教えてやろうか」
そう言って、傍らの娘の姿を見た。
彼女は年頃の少女であったが、その年にしては驚くほどに痩せ細っていた。そしてその腕や足には痛々しい痣があった。それはひと目にして、殴打による内出血だとわかるものであった。彼はそれを見て、ぎりぎりと歯を鳴らし、再び彼女の両親を睨みつけた。
…数日前。どの家なら盗みに適しているかと夜の街を物色している最中、彼は偶然にも女の叫び声を聞いた。それはある民家から漏れた呻き声とわかった。彼はその声がどうにも放っておけなくて、その民家について調べてみると、その家では両親が娘を虐待している事実にたどり着いた。
親が子を痛めつけることに彼はひどく憤りを感じた。それは、彼に親がいないからかもしれなかった。
娘にはせっかく親という存在があるのだから、自分とは違ってなんとしても幸せになって欲しかった。そして娘を助けることができれば、自分を捨てた親のことを少しでも許せそうな気がするのであった。
彼らが与力を呼ぶのを躊躇うのは、自分たちの虐待がばれるのが怖いからだ。それを指摘すると、彼らは項垂れてその通りだと言った。そしてもう二度と娘を傷つけないと言った。娘を健康な状態に養った暁には、自分たちで町奉行所(いまでいう警察都庁)の所に行くとまで言ってのけた。
人を疑うことを知らない彼は、その言葉の一切を信じた。袋に入った食料はひとつ残らず娘に与え、しかし決して無理には食べさせないことを約束させ、結局自分は何も盗らずにその家を後にした。
先程と変わらず唖然として彼を見つめる親二人の横で、娘だけが彼に向かって、深く頭を下げていた。
冬の夜風に身を震わせながら、盗みは週に一度だけという自分で決めた規則を彼は口ずさんだ。言うは易し行うは難し、この先1週間をどのように凌ごうかと、そんなことを考えながら歩いている彼を、遠くから追いかける者があった。
それはさっきの痩せた娘であった。彼女は白い息を切れ切れに、彼に向かってお礼をつげた。
そして今にも折れそうなか細い腕の先には、ぷるぷると震えた食料袋があった。彼は、差し出されたそれを頑なに受け取ろうとはしなかった。
彼女は何としても受け取らせようと彼の胸に押しつけ、彼はそれをひらりひらりとかわした。数分ばかり続いたやり取りのなか、しかし彼の心は、もうすでに満腹であった。
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「せめて名前だけでも、教えていただけませんか」
やがて諦めたように彼女はそう言った。それに対して彼は何も言わずに、彼女の目を一瞥すると、静かに微笑んだ。それは、彼なりの彼女に対するお礼であった。そして彼は振り返ると、決して彼女には追いつけない速さで、暗い闇の中へと駆けて行ったのであった…。
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実を言うと、そんな彼のささやかな夢とは、誰かに自分の名前を呼んでもらうことなのであった。
無論彼の名前を知っているならば、私はいますぐにでも筆を放り投げて、何度でもその名を呼んでやりたかった。しかし肝心の彼の名前は、当の本人さえ知り得なかった。親に早くから捨てられた彼には、名付け親となってくれる人物はいなかったのだ。
別れ際の彼は娘に対して、名乗らなかったのではなく名乗れなかったのだと思うと、彼には心の底から幸せになってほしいとつい願ってしまうのも、決して私だけではあるまい。
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さて、そんな彼がいくら心優しい善人といえども、しかし法の前ではひとりの立派な悪人であった。そしてある日、彼は罪人として捕らえられてしまった。
それもその発端は、先程の悪しき夫婦による、かの日の強盗の告発なのだという。彼らは約束通り町奉行の所にまで赴いたものの、その目的は自分たちの罪の自白ではなかったのだ。
そんなことは知る由もなく、彼は久しぶりに盗みに出かけたある日の道の真ん中で、まるで辱められるように数人の男に取り押さえられ、その手に手枷をかけられた。
地面に這いつくばる彼の姿を遠くから見て、夫婦は仕返しができたと言わんばかりに笑っていた。両親の企みに気づいたのか、以前よりも幾分かふっくらとしたあの娘は彼のもとに駆けつけて、周りの大人に対して必死に彼の解放を懇願した。
しかし彼女の声に、聞く耳を持つものは誰もいなかった。その時にはすでに、彼のこれまでの盗みの証拠は、十分に集められていたのだった。
振り返れば彼の人生は、盗みによって紡がれてきた。その盗みによって自分のものだったはずの銭や食料を失い、路頭に迷う人も少なくなかった。
彼の歳を考えると、盗みの数は数え切れぬ。そしてその盗みによって、彼の代わりに餓えに困った人もまた、数え切れぬ。
彼の飢えは、他の人の飢えによって凌ぐことができていたのだ。檻に拘束された彼ははじめてそのことに気づき、根が優しい彼は自らを捕まえた男の前で泣き崩れ、その罪の責任感からどうか自分を殺してくれと志願した。
しかし、その男は彼に対する処罰として、決して死刑は告げなかった。彼の優しさがかえって仇となったといえようか、彼の盗みは、しかし死刑にするほどの悪質なものではなかったのだ。
彼は決して、盗みのために人や建物に危害を加えることはなかった。かといって、盗んだ物の数を考えると、簡単に許されるほどの軽い罪とも言い難かった。
そこで男の言い渡した刑罰の方法は、しかしある意味で死刑よりも残酷なものであった。
彼は脆弱な鉄の檻から、堅強な地下の牢獄に移されると、飲食物は何も与えられなかった、というのではなく、塩と水だけ、1日おきに決まった時間に支給された。
それを支給するのは彼を捕らえたその男自身であったが、あえて塩と水だけ摂らせることに彼の思惑があった。
「某が味わうのはこの世でも天国でもなく、かと言って地獄というにはふさわしくない、いわば煉獄のような現実だよ」性悪な男奉行は、愉快そうな口調でそう言った。
ここで登場する「煉獄」という言葉について説明すると、簡単に言えば、この世とあの世の狭間のことである。もっともここでいう「あの世」とは天国のことであり、天国行きを保証された者がその恩恵を預かるために、まずは苦しみを受けなければならないという清めの期間のことを、カトリックの教えではそう言うのだ。
勿論、無学な彼には博識な男の言っていることも、ましてや「煉獄」の意味なぞ少しもわかっていなかった。しかし彼はその男の言う意味を、自分の体で知ることになった。
投獄されて3日も経たぬうちに、彼はこれまでにない猛烈な飢えに襲われた。しかし塩と水の摂取によって、すぐには餓死しない状態がその後何日も続いた。
男の言う意味は「煉獄」などではなく、「生き地獄」と言った方が表現として適切かもしれぬ。なぜなら彼にとってそれは十分に「地獄」の苦しみであったのだから。そして地獄にいる者と違って彼は死んでいないということが、かえってその苦しみの純度を高めた。
彼は当然、いっそ死んでしまった方がましだと思った。そして自分が餓死することこそ、自分の盗みによって苦しんできた人たちへの罪の償いになることはわかっていた。
しかしそんな心とは別に、彼の体はどうしても生きたいらしかった。目の前には簡単に手に入る水分があるのもいけなかった。死んでやるぞと思って水を絶とうにも、いつの間にかそれに手を伸ばして口にしていることがままあった。
それでも腹は満たされるはずもなく、せめて空腹を紛らわすことができる娯楽でもあればよかったが、無論それも叶わなかった。
何もすることがない彼は、ただ水を飲むか、塩を舐めるかをして生きていなければならなかった。
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体の寒さにはちっともへこたれぬ。心の寒さにも、もう慣れた。しかし腹の寒さと言えようか、飢えだけはいつ何時も彼を苦しめた。そして厳しい餓えは、彼の温かな人間味のその形を、少しずつ歪にしていった。
彼は孤独の中、あの娘のことを思った。その時の彼は彼女のその後を心配していたのではなかった。彼の思うことは、どうしてあの時、あの娘を自分のものにしてしまわなかったのかという後悔であった。
無論、人と関わることから離れて暮らしていた彼にとって、恋情というものが何なのか知る術もなかった。ただ、自分に向けられたあの時の彼女の視線は、これまでの誰のよりも温かいものであるように感じた。
そしてその温かさは、自分の胸の内に生まれた温かさでもあった。しかし、胸の内のそれは所詮、一人分の温かさである。
彼女の温もりまでが自分のものになっていたとしたら、牢獄の中の彼にとってどれだけ心強かったろうか。独り身の侘しさには慣れたと言いつつも、それを慰める人の温かさを彼は密かに求めてもいた。
しかしいまの彼が真に欲しているのは、娘の心ではなかった。そして久しぶりに見た娘の、見違えるほどにふっくらとした体が、どうも頭から離れないのであった。
それも恐ろしいことに、彼を支配するのは色欲ではなく、食欲なのであった。目も当てられぬほどの彼女の痩躯が、ひと月で年頃の女相応の肉づきになっていたその変化に、彼女の体についた肉の存在を思わずにはいられなかった。
勿論彼はこれまでに人の肉を食べたことなど、誓って一度もない。しかし、どのようにして飢えを凌ぐかを常に考えなければならなかった彼にとって、この世のあらゆるものは食べ物になり得た。
食えるものは見つけるのではなく自分でつくり出すのだというのは、彼がこの20年で得た教訓であった。たいていのものは、彼の手にかかれば美味しく食べることができた。
それでも彼が盗みを犯すのは、基本的には山で食料を見つけられない厳しい冬に限られた。生き物の豊富な季節にはひとり山に分け入り、狩猟や採取によって食いつないでいた。そんな彼の山での知識は、一人前の猟師をさえ凌ぐことは言うまでもない。
市井での彼はその盗みを除くならば、他にはないほど純粋で心優しい青年であった。しかしこと山においては、彼は一匹の獰猛な獣であった。彼の優しさは人に対してのものに限られ、家畜や虫などは、彼にとってはただの食料でしかなかった。それゆえ彼の山での狩猟方法は、時に残酷を極まった。
しかしそれは、決して命を蔑ろにしたものではなく、自分が生き残るために必要な残酷さであった。
彼はある時、自分にとって危険な動物ほど美味であることを知った。そして、美味への欲望が自らの身の危険に対する恐怖を上回ったとき、彼は残酷さを武器にご馳走へとありついた。
獲物の中には、子熊や猪などがあった。しかし彼のいちばんのお気に入りは、蛇、特に山に多く生息する蝮であった。
それはその毒にさえ気をつければ、ただの塩焼きでもたちまちご馳走に早変わりしてしまうのであった。その身は鶏肉にも近い淡白な白身で、しかし程よい弾力は他のどの肉にもない快感を舌にもたらした。
また彼が酒を覚えたのも、お手製の蛇酒によってであった。街で盗んだ焼酎に、三日三晩蝮を浸しておいた蛇酒は、なんとも言えない辛みと気持ちの良い苦味が、口に含んだ瞬間からこの世をまるで天国の心地にさせた。
1メートル近い大蛇なんぞを捕まえた日には、その晩飯は豪華な晩餐へと変貌を遂げた。美味しいものを食べることは食以外に快楽を知らない彼にとって、唯一ともいえる生きがいであった。
もっとも、この牢獄の中にはご馳走どころか、何ひとつ食料として目ぼしいものはなかった。石と鉄に囲まれた錆臭い地下牢獄にあるのは、ただ塩と水のみであった。そして蝮への渇望は、よりいまの彼の空腹を耐え難いものにした。
彼はふと、地獄に落ちた者の処罰について考えた。そしていまの空腹な自分なら、針の千本くらいぺろりと飲んでしまえそうな気がした。
腹に固形物を何も入れられない苦痛に比べれば、針だって美味しく感じるのではないかと思った。ただひとつの懸念は、皮だけになった自分の腹を針が突き破らないかということだった。
そんな妄想にさえ、彼の腹は轟音のように鳴った。その時の彼は、もう1ヶ月も何も食べていなかったのだ。
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彼の過酷は、刑罰というよりももはや拷問であった。そしてそれは、ひとりの男の裁量によって左右された。その男奉行は時たま、牢獄の彼にとっては命綱ともいえる塩と水の支給さえ、怠慢によって忘れていた。
思い返せば物資の支給だけに限らず、彼の処罰から監禁場所まで、すべてがこの男の手筈によって整えられていた。しかし、ある者の処罰がいち奉行の決断によることなど、果たして認められるのだろうか。
無論、そんなことは本来あり得ぬ。然れば牢獄の彼は、何に捕らえられているのか。それは決して法などではなく、ひとりの悪人、つまりある男の身勝手な欲望に囚われているのであった。
実はこの奉行、名を兵衛次郎というその男は、ひとたび奉行の皮を脱いでしまえば、弱き者を監禁することに喜びを感じる生来の異常快楽者であった。
欲望の形は、人の数かそれ以上に存在する。そして人から生まれた欲望は、決して人間の形から逸脱することはない。
しかし時には、大きく歪みきった人間らしからぬ欲望が、人の形をしていることもあるのだ。
兵衛次郎は一見すると、誰からも好かれるような端正な容姿と魅力的な人柄の持ち主であった。しかしその内は、多くの人には決して理解できないような暗黒で満たされていた。
ちょうど地下牢獄の彼が世間から巧妙に隠されているように、その黒きは決して周囲に滲み出たりはしなかった。
兵衛次郎は、刑罰によって牢獄の彼を更生することなど、ちっとも考えていなかった。つまり、かの夫婦の告発を聞いて兵衛次郎が彼を捕らえたのも、端から盗みによる罪を咎めるためではなく、自身の娯楽に使う遊び道具をこしらえるためであった。
更生の伴わない監禁は、もはや拷問に他ならぬ。そしてその拷問にこそ、兵衛次郎は愉悦を感じていた。
願わくは牢獄の彼には、一生をその中で過ごすことで、自分にこの愉悦を供給し続けて欲しいとさえ、その男はさも当然のように考えていたのだ。
そんなことは露知らず、もう舌が味覚を忘れつつある絶食の彼は、それでも自分はいつかは外に出られるのだという僅かな希望を抱いていた。そしてその淡い希望だけが、いまの彼の拠り所であった。
石の天井に青い空を仰ぎつつ、腹背の一体となったその体を撫でながら、永遠とも思える過酷な日々を、しかし鋼の意志で耐え忍んでいた。
しかしそんな彼にも、いよいよ自分の最期を悟る時が来た。その時の彼にはすでに座る余力さえなく、まるで死人のように地べたに這いつくばっていた。
その体は垢にまみれ、彼のいる場所には孤独死した遺体跡のように黒い染みができていた。ぼろぼろの衣服からはみ出た手足は細く削いだ棒のようで、頭髪は指も通らぬほどに散り散りになって絡まっていた。
そんな彼の頭の中には、言葉ではなく様々な景色が流れていた。そしてそのとめどない景色の合間に思い浮かぶのは、いつか出会ったあの娘の、年頃の美しさを取り戻した後の健康な顔であった。
しかし、彼はむしろ彼女とのわずかな思い出を、意図的に考えないようにしていた。最後に見た彼女の顔が、自分が捕らえられた時の泣き顔であることはその理由ではなかった。
彼が躊躇うのは、その時の彼が彼女のことを、死を間近にした今でなお捕食者の頭でしか考えられないからであった。
たとえ想像の中であっても、あの純粋な生娘に自分の醜い欲望をぶつけたくはなかった。いまの自分の食欲は、きっと愛のない色欲よりも醜いものだと彼自身自覚していた。
そして、あの冬の夜に抱いた恋情のような何かの、夜空にまたたく星にも負けないその輝きをいつまでも失いたくはなかった。
彼は人を愛することを知らない一方で、人を愛することを欲していた。しかしその愛は、自分の欲望を満たす手段ともなり得た。
そして牢獄の中で彼の欲望といえば、他の何にも揺るがぬほどの、不撓不屈な食欲であった。その食欲が歪な形で、彼女への愛として向けられてしまえば、彼女とはじめて出会った時の煌びやかな純情を、その身とともに失ってしまう気がした。
この時の彼が娘とふたりきりだったとして、彼女を殺めたうえでその身を食べてしまわない自信があると言い切ることが、彼にはできなかった。しかし彼女を失うことは、たとえ妄想の中であっても、自分の空腹を満たす代償としてあまりにも大きく思えたのであった。
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…もし、彼がその思いを抱いたまま死ねたのであれば、星のような輝きを永遠のものにすることはできたのかもしれぬ。そしてそれは、彼にとっての最大の幸福となり得たのかもしれぬ。勿論その結末の正否なんて、おそらく神でもわからぬ。
しかし、ここで神について述べるとすれば、もし神がこんな哀れな男を放っておくならば、それは全知全能の名に恥じる行為で、そもそも神の言うことなど、信じるに値せぬのではないか。
一方で、神は人間以上に気まぐれであるというのもまた、神の神たる所以であろうか。そしてそれまでの自身の怠慢を帳消しにするかのように、神は最期の最期に、彼を放ってはおかなかった。
つまり、気まぐれな神の施しによって、彼はあとしばらくは生きながらえることになるのであった。しかしそんなことは瀕死の彼には知る由もなく、その時の彼といえば、ただ自分の死を待ちながらも、名残惜しそうに床に溜まった塩水を舐めていた。
塩の山と樽の水は、彼の傍らでどちらも支給されたままの状態を保っていた。その時彼が舐めていたのは、無論彼自身の涙に他ならなかった。
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そんな時、彼は背後で突然鈍い音を聞いた。石の床に近い方の彼の耳は、それが肉の弾む音であることを聞き分けた。その瞬間、反射的に、彼は上体を起こして後ろを振り返っていた。
こんな牢獄の中で肉の弾む音など、普通ではあり得なかった。それでも、頭が考えるよりもずっと先に、体は反応しているのであった。
そして目にした光景は、さっきまで頭の中に流れていたどの景色よりも、現実の彼を喜ばせた。
彼は思いがけない僥倖に、まるで心臓が止まりそうであった。体の内でどばどばと生きる気力が湧いて、それは唾液となって床に落ちた。
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そこには、信じられないことに、一匹の蛇がいた。そしてそれは、彼の大好物の蝮なのである。
体長は1メートルには満たないものの、細かな鱗に守られたその体はまるまると太っていて、彼の目にはその蝮の背後に、豪華絢爛な蛇料理の各種が一瞬煌めいて見えた。
彼はもうすでに自分が死んでしまったのかと思った。彼は相変わらず「煉獄」の意味なんて知らなかったけど、それでも苦しみに耐え抜いた自分は、ついに天国に召されたのかと本気で疑っていた。
しかし、腹に重くのしかかる空腹は、自分がまだ生きていることを嫌でも教えていた。
この蝮は閉ざされた牢獄のどこから降ってきたのかなんて、その時の彼にはまったく気にならなかった。彼はそれを、しかし偶然にも、神の恩恵だと思っていた。
こんな哀れな自分にようやく神も心を痛めたのかもしれないと、酷い死線に晒されてなお、彼は神を信じた。親に捨てられた惨めな彼は、これまで神なんて信じてこなかったが、目の前に存在する蝮を見てはじめて神に感謝の意を表した。
一般の人であれば、瀕死の状態でよりによって毒蛇なんぞを差し出されれば、たとえ相手が神であっても、なんて酷いことをするのかと鬼の形相で抗議を申し立てたに違いない。
しかし彼にとって生きた蛇を食える形にすることは、たとえ牢獄の中であったとしても、呼吸をするに等しい行為であった。食というものは手間がかかって当然なものであって、生身の蝮の代わりに調理済みの塩焼きや蛇酒が出てこなかったという一般的ともいえる不満は、彼からは露ほども湧いてこなかった。
そしていますぐにでもその蝮を捕らえようと彼は身構えた。この時の彼の体はあの娘以上の痩躯であることに、勿論彼は気づいていなかった。骨と皮だけになったその体には、しかし不自然なくらいに力が漲っていた。
彼はいま、四つ足で地面に這いつくばっていた。それは決して先程みたいに、死人のように這いつくばっているわけではなかった。
まるで猫科の獣が狩りをする時に本能的にとる姿勢のように、彼は一匹の獣となって、目の前の蝮に対峙していた。
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しかし彼も、所詮人の子であった。つまり、本当の意味で獣になりきれてはいなかった。睨み合いの末先に怯んだのは、意外にも蝮ではなく、彼の方であった。
しかし蝮の方は、決してその細い舌を出して威嚇なんかをしたわけではなかった。
彼はどこからか聞こえた人間の声に、思わず怯んだのであった。その声は、自分に語りかける意味のある人間の言葉として彼には理解され、彼を獣から人間へと引き戻した。
その声に驚き目を丸くした彼は、一生懸命に考えていた。ここは窓もなく分厚い壁に囲まれた地下の牢獄である。それならばあの声は、いったいどこから生まれたのであろうか。
先程蛇が降ってきた時にはちっとも浮かばなかったそんな疑問が、この期に及んで湧いて出た。
彼はその牢獄に、勿論ひとりぼっちである。そんな彼がこの牢獄で知る唯一の人物は、自分を捕らえたあの男であったが、いま聞いた声はあの憎むべき男奉行のものとは、声色がまるで違っていた。
考えれば考えるほど、いまの彼に人の声など聞こえるはずもなかった。しかし、それでも確かに聞こえた声を、彼は極限まで追い詰められた故の幻聴だと思った。
そのように考えているうちに、どこからかまた、さっきと同じ声が聞こえた。
「どこを向いておる。我は目の前におるぞ」
彼は上を向いていた視線を、その声を聞いて足元に戻した。今度は紛れもなく、何者かがはっきりと自分に語りかけていることを彼は認めなければならなかった。
そしてその語りかけてくる者が、目の前の蝮に他ならぬことも。
彼はいっそう目を丸くしてそれを見た。目の前の蝮はその太った腹を、石の床にのっぺりと広げて自分に向き合っていた。これまで数多くの蝮を殺めてきたがそれまで意識したことのなかった故、自分を見つめるその目が意外にもつぶらなことに彼は初めて気づいた。
時折ぺろぺろと舌を出しながら、その蝮は彼の喋り出すのを待っているように見えた。そこで彼は獣になることを諦め、人間としてその蝮と対峙する決意をした。
「某は、いったい何者であるのか」
「何者であるかなんて、見ればわかるではないか」
そんな返事があったので、彼はますます考えなければならなかった。目の前で喋っているものは、果たして何であるのか。
勿論、それは紛れもなく蝮の体である。しかし、蝮が人間語を話さないということは、いくら無学といえども知っている。だとすれば、人間である自分と意思疎通を図ることのできるそれもまた、人間であるといえようか。
無論その答えは解らず終いに、彼は黙りこくってしまった。いまの彼は地べたに座っていたが、まるで先程までの死体の彼に逆戻りしてしまったように微動だにしなかった。
その様子は側から見れば、まさに蛇に睨まれた蛙である。
しかし事実、彼はその蛇に見込まれていた。
いつまでも生真面目に考え続ける彼に対して、蝮は両端に裂けた大きな口を引き伸ばして、つまりその顔に満面の笑みを浮かべて、こう言った。
「お主は、こんな牢獄で一生を閉じなければならぬような者ではない。どれ、ひとつ我に手助けできることはあらぬか」
ガラガラ蛇というものもあるように、その蝮の声は蛇特有ともいえそうな嗄れた声であった。そしてその声は話の内容にかかわらず、聞いている者を不快にするような響きがあった。
彼は空腹によって苛立っていた心を、その声によって逆撫でされたような気持ちになった。それで彼の返答は、つい彼の獣の部分を混えずにはいられないものであった。
「某は我を手助けすると言ったな。然れば某は、そのまるまるに太った身を、我に差し出してくれるのか」
そう言った彼の視線は、蝮の硬い鱗を突き破るような鋭いものであった。彼はその蝮の体に、もうすでに淡白な白身を見ているのであった。
そんな彼の口元は、蝮と同じく笑っていた。その口の端からは、とめどなく溢れる唾液が危うく落ちそうであった。
「まあ待て」
蝮はしかし慌てる様子もなく、平然と舌の運動を繰り返していた。
「我がお主に協力することは、この身に誓って約束しよう。もっとも、我の身を差し出すつもりなど毛頭ない。然れば、我々には話し合いが必要である。ここでひとつ、まずは我の身の上の話を聞いてはおくれぬか」
蝮はなぜか楽しそうにそう言うのであった。彼が食に飢えているように、その蝮は話というものに飢えているように思われた。
空腹な彼は、蝮の話など聞きたくもなかった。一方で、話を聞くだけで何かしらの手助けを得られるというのは、彼にとっては魅力的な提案であった。
狩猟と盗みによって生き抜いてきた彼は、何事においてもできる限り楽な手段で目的を満たすという意識が、その本能に染みついていた。そしていまの自分には、もう殆ど体力が残っていないことも十分承知していた。
また僅かではあるが、この蝮のこれまでに興味もあった。もし蝮の話がたとえどれだけ退屈であっても、ただじっとしていればいいと考えた彼は、蝮に向かって頭を縦に振った。
それを見た蝮は、そのつぶらな瞳によりいっそう輝きを宿した。そして二枚に分かれた舌をぺろりとすると、相変わらずの嫌な声で、しかし淀みなく流暢に話し始めた。
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我はこの体になる前、つまりまだ人間の体で生きていた時から、生来の嫌われ者であった。言い方を変えれば、生まれついての嫌われ者である。自分についてそんな紹介の仕方しかできぬのも、我自身どうして嫌われるのか解らぬから、そして、それ以外に我には、何の取り柄もないからであった。
我は何をしても嫌われた。そんな我の生涯に友はなく、挙げ句の果てには親にまで嫌われ、悶々とする日々の中胸の内をぶつける相手すらいなかった。
我はどうして生まれてきたのか。そんなことばかりを思いながら毎日を生きていた。
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これは我が少年だった頃の話である。友のいない我は、張り裂けんばかりの退屈を紛らわそうとひとりで川面を眺めていた。川の流れは留まることを知らぬように、時間もまた刻一刻と流れていった。
我は大人になればいまのような嫌われ者ではなくなるのか。あるいは一生、ひとりぼっちなのか。それでも、我はそんな自分の将来への希望を捨てたくなかった。この時の我の生きる理由は、希望ある未来への憧れだけであった。
我はふと思い立ち、川岸へと寄って、水面に映る自分の顔を見た。それは川のたゆたいによって多少歪んではいたものの、決して人に嫌われるような顔ではなかった。
少なくとも我にはそう見えた。我が嫌われる理由が顔ではないのだとしたら、それは内面によるのだろうか。だとしたらそれは、我が大人になることで解決するものとは、到底思えなかった。
そんなことを考えていると、突然、背後から誰かの手によって力いっぱいに押された。当然我は、目の前の川面に頭から落ちた。
我の顔は川面に映った自分の顔と正面からぶつかり合った。最後に見たその顔は、一瞬ではあるが、驚きに満ちた間抜けな顔であった。
そして頭上から、自分を笑う複数の笑い声が聞こえた。彼らのうちの一人が我を指差して「わーい、蝮野郎!」と叫ぶと、その取り巻きもまた口々に同じことを繰り返すのであった。
この時の我の渾名は「蝮野郎」であった。実際には我を笑う連中の顔の方が、目が小さいうえに口は大きく、おまけにその声はどれも成長期のガラガラ声だったので蝮というにはふさわしいと思ったが、勿論そんなことを彼らに言う勇気はなかった。
我は泳ぎを知らなかったから、笑う彼らに向かってそれでも必死に手を伸ばした。川の深さは我が背伸びしてやっと頭が出るくらいであり、我は息をするために常に川底を蹴っていなければならなかった。
そんな我を見て、彼らは手を叩いて笑っていた。我の見たその光景はぼやけていたが、自分の目をぼやけさせているのが、川の水であるとは思えなかった。
我は、先程の退屈が恋しかった。こんな思いをしなければならぬなら、まだひとりぼっちの方がよかった。
我にはその時の立ち位置が、人間としての我々の立ち位置でもあるように思われた。我は生まれながらにして、彼らとは何かが違っていたのだ。
自分の手はついに誰にも引かれることなく、彼らの笑い声はだんだんと小さくなっていった。そして彼らの姿が見えなくなったとき、その距離もまた、我と彼らの人としての距離であるように思った。
その後我は通りすがりの大人に助けられたのだが、我に感謝という気持ちは微塵も生まれてこなかった。
代わりに芽生えたのは、自分を笑った彼らに対する明確な殺意であった。この時はじめて、我は人に対して何かを求めることを諦めた。そして我は人から何かを受けるのではなく、与える立場になる決意をした。
言うなれば、我が望んだのは神の立ち位置であった。誰よりも低い場所で生きる我がそれでも彼らを出し抜くには、神のいる位置まで昇り詰める必要があったのだ。
我は人に嫌われるのだから、人間の代わりに邪悪な殺意という感情を友として選んだ。そしてその後の我の人生は、誰にも理解されない殺意とともに歩み続けることになった。
我はすぐには、その復讐心を形にしなかった。我が彼らにいじめ抜かれた末に復讐心を手にしたように、物事は熟成させてより強固になると考えていた。時間の流れというのは、時に残酷である。そして過ぎ去ったその時間が幸福なものであるほど、それを失った時の絶望もまた大きなものになるのだ。
我の人生の拠り所は、希望から絶望へと変化した。自分の将来に希望を持つことよりも、将来の彼らに絶望を与えることが、我の人生を一貫するたくましい支柱となった。
そしてその支柱は腐れば腐るほど、その丈夫さを増していった。
我は心に燻るものを必死に押さえつけ、また彼らからの執拗ないじめにも耐え抜き、そのうえで憎き彼らが、ひたすら幸福になることを祈りながら歳を重ねた。それは、世界一不幸な、幸福の祈りであった。
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そしてついに、我の待ちに待った瞬間が訪れた。あの川面での屈辱から20年ばかり経ったある日の昼下がり、我はある民家に立ち入った。
そこでは幸福なひと組の家族が団欒を楽しんでいた。5歳ばかりの娘が一人、そして産まれたばかりの男の赤ん坊一人が、両親に囲まれて温かい飯を摂っていた。
勿論その両親のうちの一人は、我を散々いじめてきた主犯格の男であった。
こんな我でも、罪なき彼の伴侶とその子供たちを不憫に思った。しかし子供に対する情けよりも、この時まで育て続けてきた己の復讐心を満たすことの方が、我にとっては重要であった。
片手に刃物を持った我を見て、その一家の団欒は悲鳴へと変わった。主犯格の男は腕に赤ん坊を抱きながら、我の顔を見て心の底から驚いた顔をした。
我はそれを見て、いつかの川面に映った自分の間抜けな顔を思い出した。目の前の彼に押されてなす術もなく、川面の情けない自分へと飛び込んだあの時の屈辱が、その鮮度を保ったまま蘇った。
彼は我に向かってこれまでの悪事を謝った。それは我の気が済むまで続いた。畳の床にひれ伏す彼に続いてその伴侶までが頭を垂れていた。子供たちは二人とも、父親の懺悔を掻き消す勢いで泣いていた。
我はそれを見て、ようやく神になれたのだと思った。
そして神となった我のひと振りは、人間の命を絶つには十分であった。我の指示で顔を上げた彼の首筋に躊躇のない刃を走らせると、我の屈辱にも負けぬほどの新鮮な血液が畳を真っ赤に染め上げた。
続いて我は、傍らの伴侶の首に手をかけた。彼の美しい妻は一転醜い顔をして、苦しんだ挙句に生き絶えた。
そして最後に、決して苦しまぬようひと息に5歳の娘の心臓を貫いて、我のすべてはこと無きを得た。この家で我の罪を告発できよう意思能力のある者は、すべて我の手によって始末した。あとは、父親の血に塗れた哀れな赤ん坊を、闇市の隅にでも捨ててこればよかった。
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そこで蝮男はひと息つくと、傍らの彼の方を見た。彼は目を瞑って、やはり生きているとも死んでいるとも言えないような静かな体で、しかしその眉間には何重ともわからぬ皺を寄せながらその話を聞いていた。
蝮男はそんな彼の眉間には気づかず、いけしゃあしゃあとこう続けた。
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-勿論その後、我は罪人として捕まり極刑に課せられた。そんな我の死に様は、世間の大勢によって見物された。
つまり我は、民衆の前で公開処刑されたのであった。肝心のその方法は、覚えてはおらぬ。きっと両手足を切り落とされたのではないかと、いまの体を見て思うばかりである。
そんな死刑に処された我は、しかし自分が決して地獄に堕ちるなどとは思っていなかった。なぜならば、我の地獄行きを決める神とは、我自身に他ならぬのだから。
そして蛇というのもまた神話において神の使いであるということは、お主も知っているのではなかろうか。我は産まれながらに人に嫌われるのも、もともと我は人間ではなかったからなのだ。
神は人間とは決して相容れぬ。そしてそんな神を滅しようとするのは、人間の愚鈍というべき性質であろう。
ところで蝮は、他人に恐れ嫌われる存在である。これについては無学なお主にはわからぬだろうが、蝮というのは文学的な表現として認められている。つまり、蝮という言葉には蛇の蝮の意味に加え、嫌われ者という意味もあるのだ。
そのことに気づいた時、我はようやくあの渾名の意味を理解した。そしていよいよ人はおろか、世間にまで嫌われた我は、骨の髄まで「蝮野郎」なのであった。
しかし我は、自分の行いを決して後悔はしておらぬ。我は死際まで、我をこのような扱いにしたすべてに対して毒吐いていた。そんな我が蝮の体で再びこの世に産まれ落ちたのも、もはや必然というべきであろう…。
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話終わると、蝮男はその口調と同じ流暢さで移動し、床にある桶の水を覗き込んだ。その小さな水面には、胴体の太さに比べて半分ほどしかない蛇の小さな顔が映っていた。
蝮男はそれを見て、まるで満足そうに大きく目を見開いた。そして喋り疲れたとばかりに、彼の許可もなく樽の水を、細い舌でぺろぺろと飲みはじめた。
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自分勝手な蝮男によって貴重な水分が奪われることを、彼は咎めはしなかったのか?
しかし無口な彼は、それこそを待っていたのであった。それは彼の本能に刻まれている、より楽な手段で目的を満たすという先程の意識が、潜在的に彼のすべきことを教えてくれていた。
そして彼は、その目とともにようやく口を開けると、眉間の皺は相も変わらず、美味そうに水を舐める蝮男に向かってこう言った。
「ところで某は、どうして蛇の体に生まれ変わったと思うか?」
そんな彼の言葉に対して、蝮男はさも驚いた顔をして、すぐに普段の平然とした面持ちに戻した。そしてまるで腹を立てたように、先程よりも早口でこう言いかけた。
「お主は我の話を聞いていなかったのか。それは我が…」
…油断したところを刺すというのもまた、彼の人生における教訓であった。彼の右手は目に見えぬ速さで、蛇の首元を捕まえていた。
そしてそのまま、蛇の頭を桶の水に沈めた。無論、蝮男はその長い体を必死にくねらせ、彼の手から逃れようともがいていた。尻尾の先が彼の首元を見つけるとすぐに締めつけにかかったが、その時には左手の方が、ひと足先にその尻尾を抑えていた。
彼はじたばたと抵抗する蝮男に向かって、腹を立てている時のものとは異なる厳かな低い声で、諭すようにこう言った。
「それは違う。某は、我に食べられるために蛇になったのだ」
この時には、自分を突き動かしているのが食欲であると信じることが、かえって彼を慰めていた。
相変わらずのたうち回る蝮男を、蛇のようなしつこさだと形容するのは間違いである。彼が殺めようとしているのは、紛れもなく蛇なのであった。
少なくとも、いまの彼にとってはそうであった。たとえ人の言葉を喋ろうが、蛇の形をしたものは蛇なのである。その肉の味を、この世のものとは言い難いようなその美味を彼は知っていた。目の前の肉は、そんな美味を携えた蝮なのであって、決して人なんかではなかった。
それでも、みるみる弱り果てていくその蝮を見て、彼の心はかつてないほど痛んでいた。これまでにもその盗みの数以上に畜生の類を殺めてきたが、こんな気持ちになるのははじめてであった。
しかし、彼は自分の手に宿る力を緩めたりはしなかった。そして彼はその身に宿る邪悪をなんとしても追い出さなければならなかった。
蛇のまるまるとした腹に入っているのは、その細い体をも膨らませる黒であるように思われた。そしてその黒は、せっかくの蝮の白身を台無しにしてしまうような気がしたのであった。
ようやく蝮男が事切れた時、彼は完全に獣になり切っていた。それも蛇をうまく調理することのできる、手先の器用な獣である。
彼はぐったりとした蝮の首を90度に折り曲げてその息の根を確実に止めると、鱗で覆われた硬い皮をいとも簡単に剥ぎ取った。それから親指に力を入れて、勢いよく腹を割いた。大きく膨らんでいた蛇の腹からは、一寸ほどの針がぞろぞろと出てきた。彼はそれに、もはや驚かなかった。
腹の膨らみの正体は、ある意味悪に染まった黒で違いなかったのだ。そして彼は、それを丹念に取り除くことに専念した。彼の行為のすべては、その身を美味しく食べるというただ一点に向けられていた。
どうして神というのは機転のきくものだろう。彼は無数の針を、身を焼く際にその形を保つための、串がわりに神が用意したものだと思うことにした。
勿論その神とは、自分を神呼ばわりするだけの偽物なんかではなく、自分にこの蝮を授けてくれた、本物の神のことであった。
そして次に彼のすることとは、蝮の内臓を毒に気をつけて取り除き、樽の水で血筋などを洗い流すことであった。これを彼は、最小限の水でこなした。
樽の中の水にまだ半分以上残っていた。そしてその横には、塩の山がその形を崩さずに鎮座していた。
「足るを知る者は富む」というのは、中国春秋時代の哲学者である老子の言葉であるが、この時の彼の心情を得てして言い表していた。
彼には塩と水しかないのではなく、塩も水もあったのだ。もっとも彼がこの言葉を知っているはずもなく、たとえそれについての書物を彼が手にしていたとしても、彼はその言葉を知り得なかっただろう。
どうして彼は、字の読み書きがまったくできなかったのだから。
そんな彼が習得した技能は、そのすべてが感覚的な独学に依っていた。その中で最も苦労したのは、紛れもなく火起こしであった。
しかしいまの彼は、その火起こしにも臆さなかった。彼は床に落ちていた石壁の破片を拾い上げると、ちょうど穴のある通路側の壁に唯一設けられた鉄格子の、脆い一本をどうにかして外した。
その鉄と石を火打ち石にしようと試みたのであった。また肝心の火種は、炭化した脱脂綿を常に服の裏に忍ばせていたのが幸いした。
彼は着ていた衣服をすべて穴の近くに集めて、火打ち石によって点火した火種を汲んだ。穴の近くに火を設置したのは、牢獄内に煙が充満しないためであった。
いよいよ火を完成させた彼は、再び肉の作業へと移った。まるで裁縫のまち針のごとく、開かれた蝮の身が崩れぬように等間隔で針を止め、先程剥いだ蝮の皮をその身にくくりつけると、轟々と燃え盛る炎の中にまるで投網のように放り投げた。
石の牢獄にはこれまでにない香ばしい匂いが多少の煙とともに充満した。彼の腹はいよいよ鳴り響き、唾液は勿論、涙までが止まらなかった。その涙は決して、煙が目に入ったからではなかった。
肉のうちに火が通るまでの数分間が、彼にはこれまでのひと月以上に長く感じた。そうして焼きあがった蝮の身に、調理の最後の工程として丹念に塩を擦り込んだ。空腹とは最良の調味料であり、塩なんていまの彼には必要なかったが、それでも何かの憑物を落とすように、塩の山をなし崩しながらひたすらにその身を清めた。
そしてついにご馳走を手にした彼は、その後はただひたすらに食べることに集中した。その目的は、もはや、待ちに待った美味を存分に味わうためではなくなっていた。
彼はもう、何も考えたくないのであった。
彼にはもう、この世の何が善で、何が悪なのかがわからなかった。自分が盗みを犯したことも、蝮男が一家を惨殺したのも、そんな蝮男を自分が溺死させたのも、すべて善であり、悪であった。
自分にとってわからないことは、この蝮と一緒に食べてしまえればよかった。彼は生涯ではじめて、自分の無学を後悔していた。その無学を克服するかのごとく、嫌われ者の蝮の身を床を汚しながら貪り食った。
得意な調理に抜かりはなかったにもかかわらず、しかしその塩焼きはちっとも美味しく感じなかった。彼の舌に残ったのは、無闇矢鱈な塩辛さと、得も言われぬ罪悪感だけであった。
それでも1メートル近い蝮の塩焼きを食べ終えた時、彼の空腹は十分に満たされた。彼は桶の水で火を消すと、喉の渇きを潤すために残りをすべて飲み干した。
決して満腹とはならなかったが、腹の虫は安らぎを覚えて、その後には充足感からくる眠気にひと月ぶりに襲われた。
少なくとも眠っている間は、何も考えなくていいように思えた。そして彼は、硬い石の床をまるで意に介さず、心地よい眠りについたのであった。
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しかし、蝮を食らった彼が元気になったのもその1日きりで、彼の舌はついにご馳走にありついてしまった挙句、蝮男と出会う以前にも増してその後の口寂しさは際立った。それだけならまだしも、元々の精気まで吸われたように、かえって彼は体の不調に襲われていた。
思えば、彼は蝮の塩焼きを食い終えた後に、喉を癒そうと桶の水を飲んだ。しかしそれは、蝮を溺死させたのに使った水であった。然ればその水には、蝮の口から分泌された毒が混じっていてもおかしくなかった。
つまりこの時の彼は、蛇毒に侵されていたのであった。それは、百戦錬磨の彼にしては有り得ない失態であった。しかし、この期に及んでその失態は、十分な命取りとなり得た。
無論彼は蛇の毒に効く薬さえ、山の野草から拵えることができた。しかしいまの彼の置かれた環境は、山ではなく牢獄である。草木どころか、蝿も寄りつかぬような、深い地下の牢獄である。
命なければいくら金があっても無意味なように、知識があってもそれを生かせる環境がなければ、何も持たざると同じである。そして、再び瀕死の彼の手には、もう何も握られてはいなかった。
彼の体は相変わらずの痩躯に加え、その肌は毒の回りによって不健康に青ざめていた。彼の体の状態については、もはやそれ以上の説明は必要あるまい。
そして彼の空っぽの青い手は、何かを掴み取る仕草を繰り返して空を切った。それは決して、神の助けの手を求めているのではなかった。
それはかつてあの娘によって差し出された、想像上の食料袋を掴んでいるのであった。
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自分はどうして、あの袋を掴まなかったのだろうか。
彼の不得の後悔の対象は、娘そのものから食料袋へと変わっていた。
この時の彼には、もはや人が生きるうえでは人情など必要ないと思われた。この世でもっとも価値があるのは、人を生かすことのできる食料であると彼は信じた。人は十分な食によってはじめて、まともな形で存在できるのだ。
そして想像上の彼女の手から、彼はついにありったけの食料を手に入れた。
しかしその時の彼は、こうも思っていた。
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-もし、我と娘の間に食料袋がなかったら、我は娘の手を掴めていたことになる。
そして、その食料袋をなくしてはじめて彼らの手が結ばれるように、恋愛というものは、基本的な欲求が満たされてはじめて成立することを発見した。
それは恋愛だけでなく、この世のすべては、何事も衣食住の充実の上に成り立っているように思えた。
そう考えると、住居もなく食に悩み、衣服もみすぼらしい彼には、真っ当な恋愛をすることは勿論、人並みに生きる資格さえ、そもそも備わっていなかったのだ。
しかし。たとえこの先の衣食住が満たされることを保証されても、もはや彼にはあの娘を求めることはできないように思われた。それは彼女には自分と違って、最低ながらも親がいるという理由もあったが、それ以上に彼を苦しめたのは、彼自身の内側の醜さを自覚したからであった。
なんたって自分は、あの人間のような蝮を、残虐極まりない方法で殺した人間なのだ。彼の後悔は、時間の流れとともに大きくなっていた。
蝮男の言う通りに、時間というものは残酷である。過ぎ去る時間は、彼の体を通過していくばかりであった。そしてその体には、時間が残していった後悔の念が、ただひたすらに積み重ねられていくのであった。
あの蝮は他の畜生と違って、人間語を話せたではないか。いくら自分が人と話慣れていないとはいえ、少なくとも自分はあの蝮と意思疎通を図れたはずなのである。
それなのに自分は、いくら極限の飢えに苦しんでいたとはいえ、またいくら彼が極悪人であったといえ、相手の意思などまるで自分には関係ないように振る舞った。
獣のようにすぐさま命を仕留めてその身を貪ったならまだしも、あまつさえ騙すような真似という姑息な手段であの蛇の命に手をかけた。
自分は、もしかしたら、自分でも気づかぬほどの、とんでもない悪人なのかもしれぬ。そんな自分には、あの娘はおろか、誰とも結ばれる資格はないように思うのだ。
もっとも彼は、この牢獄から出られることすらわからない状況にあった。しかし彼は、脱獄の糸口すらもあの蝮が掴んでいたのではないかと思った。
それはふと、塩と水が支給される壁の穴を見て、あの蝮の体であれば牢獄の外に出られたことに気づいたからであった。もし自分に蝮男と話し合う気持ちがあれば、二人で協力してこの牢獄から出られたのかもしれぬ。そして二人は、生涯の友となり得たのかもしれぬ。
彼はその蝮男を極悪人だと思いつつも、どこか嫌いにはなれないでいた。それは彼自身も、蝮男と何ら変わりない、極悪人であるからだといえるのか?
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兎にも角にも、その蝮を食べてしまったいまの彼は、石の空に垂らされた救いの糸を自ら断ち切ったも同然であった。
彼はいよいよ報われない気持ちに打ちひしがれていた。自分が何に対して後悔しているのかさえわからなくなった。何を後悔すべきかをわからないという方が適切かもしれぬ。そして彼の頭を支配したのは、それまで忘れかけていた、神の存在であった。
神よ。彼は石の空に向かって、心の中でそう呟いた。
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-神よ。神がもし存在するのならば、きっと某方は間違わないのだろう。たとえ自分がこのような人生を送るようなことになったのも、神にとっては間違いではないのだろう。いつだって間違えるのは神ではなく、我々人間の方なのだ。
極限の状態を経た末に、人々は信仰を生んできたのかもしれぬ。投獄されるまで神の存在すら信じていなかった彼は、まるで何かを悟ったように、ある種の予言めいた思想に駆られていた。彼はこう続けた。
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-全知全能の神よ。其方は最期を間近に控えた者に対するせめてもの報いとして、我の人生にもっとも必要なものを授けたのではないだろうか。
そしてそれは、我が本当に善人であるかどうか、すなわち、我が天国に行くのにふさわしい人格を兼ね備えているか、それを判別する試練も兼ねていたのではないだろうか。
ああ、神よ。もしそうであれば、我は間違ってしまいました。
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其方は我に必要なものとして、きっと「話し相手」をお授けになったのでしょう。
それなのに我は、自分の欲望だけに駆られて、それを「食料」だと信じて疑いませんでした。
そんな我は、問答無用で地獄に堕とされてしまうのでしょうか。しかし、神よ。それはあまりにも無慈悲ではないかと思うのです。
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-神よ。あの蝮男を我の話し相手としてお与えになられたなら、果たしてそれを殺した我は、本当に間違っていたのでしょうか。言い訳できぬほどの罪を背負って、しかもその体は旨そうな蝮の体で、おまけに我は餓死寸前で。それでも我があの蝮を殺したことは、許されるべきことではないのでしょうか。
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唐突ですが、これは、人間である自分からの、神に対する提案です。なんせ我の身は、もう3日ももたぬでしょう。然れば、我を蛇の形で、再び現世に生まれさせてはくれぬでしょうか。
我にはもう、娘はおろか誰の手も握る権利はありません。しかし、誰からも見つからずにひっそりと、あの娘の幸福を見守る権利くらいはあるはずです。
というのも、あの娘の両親こそ、地獄に堕ちるにふさわしいと思うのです。それは彼らが我を告発したからではありません。彼らのせいでいまの我の苦痛があることは、実はこれっぽっちも彼らに地獄堕ちして欲しい理由として適切ではありません。
我の考える唯一の正当な理由は、あの蝮男が地獄に堕ちるくらいなら、彼らもそのようになって当然だと思えてならないからです。
そんな彼らからあの娘が、再び虐げられていないことを確認する、そのくらいの権利は自分にはあるのではないでしょうか。
自分はもともと、この20年間、人に隠れて生きてきました。自分が生き延びるために、数え切れぬほどの盗みを犯してもきました。そんな我こそ、蛇の体になってはじめて、自分本来の姿となって生きることができるように思うのです。
誰の手も握ることのできないその四肢のない体で、音ひとつ立てずに盗みによって生きていく蛇は、まさに我と瓜二つの生き方ではありませんか。
また、先端が二枚に割れた蛇の舌は、嘘つきないまの我にこそぴったりであるとも思うのではないでしょうか。
-ああ神よ。我は自分は天国に行くのにふさわしい者であると信じていて、その代償に当然受けるべき苦しみを受ける覚悟も持っておりました。
しかし、もし我は地獄に堕ちるべきだと神は考えているならば、その時にはぜひ蛇の姿となった我に、もう一度更生する機会を恵んではいただけないでしょうか。
我の人生は、振り返ってみれば間違いだらけでした。しかし我については、人に生まれてしまったこと自体が、そもそも間違いなのでした。勿論、我の間違いは神の間違いであるのだと、真っ向から言うつもりはありません。
しかし、もしこの世のあらゆる生物を神がお作りになったのなら、その心と体の入れ違いまでは、まったく神の責任ではないというのも、おかしな話であると思いませんか?
ああ神よ。もし我のことを見限っていないのならば、こんな我の馬鹿げた提案を、どうか一度、お考えになってはくれぬでしょうか。哀れで惨めなひとりの男を、その慈悲深い心で、どうかお救いになっておくれ…。
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…彼の祈りは、それからも延々と続いた。彼の体にはとっくに毒は回りきっていて、手足の痺れは言わずもがな、吐き気や目のかすみといった神経系の不調にまでその症状は及んでいた。
しかし、いまの彼を蝕んでいるのは、決して「蛇毒」なんかではなかった。
彼の体を支配しているのは、どんな薬草も意味をなさない、万夫不当の「孤独」であった。
そしてその孤独は、あの男の失踪によってより際立った。何を隠そう彼を牢獄に閉じ込めた、あの男奉行の失踪である。
壁に空いた穴は、ここ3日ほど虚無を貫いていた。牢の外には人の気配を感じることもなく、それは彼にとって唯一の慰めであった塩と水の支給さえ、ついに受けることができなくなったことを意味していた。
彼は息も絶え絶え、再び地べたに這いつくばっていた。今度はたとえ調理された蛇料理を出されても、もう起き上がれそうにないほど衰弱していた。
そんな彼は、男の失踪の原因について考えた。彼の横には、今も焦げ臭い匂いをさせている火の跡があった。
彼は煙を牢獄に充満させぬため、外の通路へと向けられた穴からそれを逃していた。そしてあの男奉行はその煙を見て、火事だと思ったのかもしれぬ。
然れば彼が、自分の奴隷のために身を挺してまで我に物資を届けるはずもなかった。勿論、彼が火消しを呼ぶはずもなかった。なんせ、自分の悪事が人にばれることは、彼にとって最も避けたいことであるに違いなかったから。
これで、自分があの蝮を食らったことによる利点など何ひとつないことが明確になった。しかし彼の反省は、自分が正当に牢獄されたのではないことになぜ早く気づけなかったのかという、それだけで手一杯に思われた。
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しかしその反省は実を結ぶはずもなく、ついにすべてを放り投げた彼は、将来を諦め、かわりに自分のこれまでの一切を否定した。
我は、あの娘を助けるべきではなかったのだ。我は、あの男奉行に懺悔などするべきではなかったのだ。我は、牢獄に入れられた後も必死に生きようなんてしなければよかったのだ。
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我は。生まれてこなければ、よかったのだ…。
しかし実際、生きるために仕方なく盗んできた自分が牢獄で一生を過ごさなければならぬ一方、己の娯楽のために人を陥れた悪人がいまも表社会でのうのうと生きていると思うと、彼はこの世のすべてが取るに足らないものに思えるのであった。
自分とあの男では、いったい何が違うのか。蝮男の抱いた疑問が、自分のものとなって彼の頭に浮かんだ。
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しかしその答えは、少なくとも彼の心の貧しさにあった。彼はこれまで、食を第一の優先項目として、明日をどう生きながらえるかだけを考えながら生きてきた。食と人情を競わせる発想然り、衣食住によって人は人たらしめられる発想然り、彼はあまりにも食い意地の張った人生を送ってきた。
もっとも彼の生い立ちとその後の人生を考えれば、それは仕方のないことではあった。しかし、もしあのとき、袋の中の食料を娘と分け合うという考えが彼にあったのなら、彼女と結ばれて賑やかな食卓を囲む、そんな未来もあったのかもしれぬのだ。
食はただ人が生きるために必要なだけでなく、人と人とを繋ぐ有効な手段になり得るという考えを、彼はまったく持ち合わせていなかった。
そして人との繋がりこそ、本当の意味で人生には必要であったのかもしれぬ。朦朧とした頭で、彼はそんなことを思った。
何度でもいうが、彼はその生い立ちからは信じられぬほどの温かな人物である。自分の名を呼んでもらうことが夢である彼は、世間を、人を、遠ざけてきたつもりなど毛頭なかった。
しかし、自分の人生への劣等感と、食に対するあまりにも強い偏見が、無意識的に己をそれらから遠ざけていた。
彼が盗みを犯したのも、人が自分を受け入れることはないという諦観からであった。それはあの蝮男も抱いた諦観である。彼は人に憧れながら、その実、人を恐れていた。まるで産まれたての子猫のように、彼は自分を取り巻く環境のすべてを、どこか信じ切れないでいた。
それは、愛を知らないでひとりで生きてきた彼の、強さであり、弱さでもあった。彼は、自分が周りから施しを受けることなど、まるであり得ないこととして端から期待していなかったのだ。
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人は、欲望によって生きる生き物である。それはおそらく、どの時代でも変わらない不変の真理なのではなかろうか。
しかし。欲望に準じて生きることが、必ずしも悪とは限らぬ。言い換えれば、欲望を持たぬこともまた、時として不幸を呼ぶ悪へとなり得るのである。
彼が人並みに他人への欲望を携えていたら、幸福な未来もあり得たのだと思うと、物語の作者である私は、どうにもやるせない気持ちでいっぱいである。
つまり欲望というものは、程度の違いはあれどそのすべてが、幸福という一点に向かっているのである。欲望が満たされた時に人々は、自分や近しい人の幸福をも望んでいたことに気づくだろう。
そうであれば問題は、幸福に向かう欲望にではなく、その幸福の方にあるのだ。
何を幸福とするかで、それに向かう欲望は形を変える。そして欲望の形は、人を善人にも悪人にも変えてしまう。
もっとも、善人と悪人の普遍的な区別など、一体誰が分かり得ようか。もしかすれば天国や地獄の存在は、死後にしかその善悪の区別がなし得ないことを、我々に教えてくれているのではないだろうか。だからこそ人は、命が尽きるその日まで、よりよく生きようと思えるのだ。
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しかしこの不憫な彼は、もうすでにこの世にはいないのであった。そして彼の死際に思ったことは、あの蝮男に殺された二人こそ、自分の両親なのではないのかという疑惑であった。
蝮男は赤ん坊の性別を判別できたくらいであるから、彼の名前も知っていたのかもしれなかった。
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しかし彼は、自分が親に捨てられたわけではないことには、ついに気づかなかった。また自分の姉の代わりに、あの娘を邪悪な両親から救い出せたという考えもできたが、無論彼には及ばなかった。
せめてあの蝮男から、自分の名前だけでも教えてもらえればよかったという後悔だけが、彼が最期に抱いた感情であった。
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蝮男と同じく、彼もまた、罪を犯した罪人であることに変わりはない。彼は果たして善人なのか悪人なのか、それは死んでしまった後の行先で決まる。その行く末は天国か地獄か、はたまたそれとも煉獄か。死人のその後もこう考えると、案外色々とあるものだ。
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現世の体と常世の魂は、死んでしまえばもう二度と結びつくことはない。
彼の死体はきっといまも牢獄にあろうが、彼の行方は、誰も知らない。
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この話は、これでおしまいである。
人づてに聞いた話を基にして書いたので、この物語は実話か作り話か、またその結末は果たしてこれでいいものか、作者である私にすら皆目わからぬ。
また、私というものについていえば、なにぶん世間から離れて暮らしていることに加え、どの時代でも社会や文化に対しては特に無学であるがゆえに、物語の時代にそぐわない用語や話し言葉を使ってしまっているかもしれぬが、それはご愛敬ということで、どうか許していただきたい。
特に、彼が神に祈りを捧げる場面なんかは、私自身思わず感情移入してしまって、彼のものよりもむしろ私の言葉遣いになっているに違いないが、それもまた一興となれば、幸いである。
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しかし私が納得いっていないのは、何よりも、やはり最後の一文である。
「彼の行方は、誰も知らない。」
これは、疑いようもなく、かの文豪芥川龍之介の代表作『羅生門』の最後の一文から、その主体の言葉を変えてまるまる拝借したものである。それはこの話の結末を書ききるための、自身の筆力に対する自信の欠如ゆえ、まるで虎の威を借る狐のごとく、恥も承知でなぞり書きのように筆を走らせた次第である。
しかしその恥をどうにかして上塗りできないかと、ここ数日昼夜を問わず考え抜いたものの、文豪の伝説ともいえる一文を借りてしまった以上、自分の思いつく文なんて、まるで取るに足らないものに思えてくるのであった。
私は確かに、『羅生門』から一文を拝借した。しかし、私がここで言いたいのは、自分が卑怯者、ましてや「盗人」であるということではなく、芥川は大正の文豪であるということなのだ。特に『羅生門』が世に出たのは、1915年である。また、江戸時代の終わりが1867年だから、その間は50年近くということになる。
つまり、私の誕生は、江戸時代の終わりはおろか、『羅生門』の誕生よりも随分と後の話なのだから、私が江戸時代について知らなくても、それは当然のことなのだ。
…これで、私が江戸時代の情勢や当時の言葉に疎いことの、ささやかな弁解はできただろうか。もっともただの無学の言い訳だと言われれば、私は閉口せざるを得ないのであるが。
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さて、あまりに長々と私自身について話していると、物語の雰囲気が崩れてしまうのも否めない。しかし、この物語は私が書いたものであることは、紛れもない事実である。
それの証拠に、恥も承知で、先程の結末に自分の言葉で、こう書き加えて締めとしようか。
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「しかし、あえていうのであれば。
彼の行方は、神のみぞ知る。」
この物語の結末もまた「神のみぞ知る」といえようが、もっともこの物語における神は、作者である私自身に他ならぬ。
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そんな私は降参の意をもって、白旗もとい白紙の上に、三日三晩お供した相棒の万年筆を置くことにする。
神の座を降りた私にできることといえば、あの愛すべき彼が、その筆の先端以上に鋭く尖った千本の針を飲んでいないのを、ただ願うばかりである。
作者こわこわ
この作品を仕上げている間に、ほかに3話ほど浮気をしてしまいました。今月中には無理そうですが、そのうちの1話だけでも来月に投稿できたらなと思います。