どこか 〜デスノート裏話〜

長編16
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どこか 〜デスノート裏話〜

もう、死んでやる。

そう思っていたのが懐かしく思えるくらいに、刺激的な出来事が僕の身に起こった。

それを回想しながら、僕は今いくぶんか晴れやかな気持ちで、前を向いて街を歩いていた。

行き先はまだ決めていないが、きっとどこかにたどり着くだろう。

そう思うと、途端に生きているのが楽しく思えた。

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僕のこのような心変わりの発端は、一人の老人との出会いだった。

僕は日々に鬱屈としていた。そんな日々をどうにか変えたいと考えながら、何も行動できない毎日が続き、気がつけば僕は崖の上にいた。

崖の上に立つ自分はなんだか特別な存在のように思えた。しかし、こうまでしないと特別に思えない自分は、やはり死んだ方がいいのではないかとも思った。

どうして僕が死ななければいけないのかという気持ちもあった。死ぬのはあいつだろう、あいつさえいなければ。

しかし、自分の手であいつを懲らしめてやることなんて、僕にはできそうになかった。

そんな時、ふと背後に気配を感じた。

僕の背後には白髪よりも髭の方が長い初老の男が立っていた。

質素な和服のいかにも胡散臭そうな見た目で、彼は僕の目をじっと見てくるので、第一印象としてこの人は絶対に関わってはいけない人だと思った。

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「君は、本当に死のうとは思っていないね」

老人は見た目よりも若い声で、はきはきとそう言った。

僕の背後には崖しかなかったから、彼と向き合うしかなかった。しかし、彼の言うことに頷くのはなんだか図星をつかれたみたいで嫌で、僕はそのまま黙っていた。

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「自分が死ぬつもりはないが、誰かに死んで欲しいとは思っているんじゃないかね」

僕も老人の目をじっと見てみた。彼の目はどこか焦点の合っていないような、それでいてすべてが見えているような、そんな目をしていた。

僕はそこまであいつに死んで欲しいとは思っていなかったが、目の前の老人がそう言うのなら、もしかしたら自分はそう願っているのかもしれないと思ってしまった。

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「もし死んで欲しいと思っていたら、どうにかしてくれるんですか」

僕は老人にそう訊いた。あいつにされたこれまでを思い出しながら。

あいつは自分の退屈しのぎのために、僕の日常を壊した。最初はあいつだけによる些細な嫌がらせだったのが、いつしか複数人で僕を玩具のように扱うようになった。

僕はくつくつと自分の中で何かが煮え立つのを感じた。それが復讐心だと気づくのに、そう時間はかからなかった。

「別に儂がどうにかできることはありゃせんよ。ただ、君の気持ち次第では、手助けはできるかも知れん」

君はどうしたい?そう老人が僕に訊いた時、僕の決心はすでに固まっていた。

僕は老人と真っ直ぐに視線を交わしていた。このときには、彼に対する懐疑心よりも信憑心のほうが勝っていた。

「僕は、あいつを殺して、僕の退屈な日常を取り返したい」

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老人は静かに頷くと、一冊の手帳と厳重に封のされた封筒を懐から取り出した。

そのどちらもがぼろぼろで、だからこそ老人が大切にしてきたものだとわかった。

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「これは、儂のかつての仲間のもので、この封筒に入っているのは、ある写真じゃ。しかし、絶対に中身は見てはならぬ。これは呪われた写真なのじゃ」

僕は、再びこの老人のことを胡散臭く思った。呪われた写真なんて、漫画でも聞いたことないぞ。

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そういえば。

僕は、あいつがよく学校でも「デスノート」を読んでいたことを思い出した。そしてデスノートという設定の方が、呪われた写真よりも現実的な気がしてしまった。

そう思ったのも、自分もまたあの漫画が好きで、その内容に惹かれた過去があったからかもしれない。

老人の目は相変わらず嘘を言ってはいなかった。僕は少しだけどきどきしながら、もう一つの品についても尋ねた。

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「その手帳は、まさかデスノートですか?」

老人はデスノートという言葉を知っていてか、それとも僕の急な言葉に驚いたのか、ふっと声を漏らして笑った。

「これは、儂の仲間が残したものじゃ」

目は口ほどにものを言うとはよくできたことわざで、彼の目は実によく物語った。彼の目は悲しそうだった。僕はこれ以上は聞かないほうがいいと思った。

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「それで、これらのものと僕の復讐が、どう関係するのですか」

「信じられないかもしれないが、この写真を見たものは、この世の者ではなくなってしまうのじゃ…」

僕は、なぜかすんなりと老人の言うことを信じた。こんな老人が、こんな陳腐な嘘をわざわざつくはずがないという確信もあったが、僕は疑うこと自体に疲れたのかもしなかった。

「それで、手帳の方はというとな、この写真を使うにあたって、署名をしてもらってるのじゃが、どうする?」

老人は、にやりと笑ってそう言った。僕は彼がデスノートを読んだことがあると確信した。そして、彼は今自分を試しているのだと気づいた。

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「大丈夫です。署名をするので、その写真をいただけますか?」

僕はそう言って老人が差し出した手帳のページに自分の名前を書いた。その手帳にはすでに何人もの名前が書かれていた。

彼らはいまも無事なのだろうか。ふとそんな考えがよぎったが、名前を書いてしまった以上はそんな心配も無用だった。

いや、そもそもあれは漫画の設定だ。ノートに名前を書くことに不安を持つこと自体がおかしいのだ。

それならば、呪いの写真というのもまた、架空の設定に過ぎないのではないか。しかし、自分で写真を見てしまうのには、あまりに勇気が必要だった。

僕は老人から写真の入った封筒を受け取った。その封筒は意外な重みをたたえていた。

僕の手が震えているのか、封筒は危うく落ちそうになったが、僕はそれを潮風のせいにした。

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「じゃあ、儂は君の自殺は防げたわけだ。あとは君次第じゃぞ」

老人はそう言うと、不敵な笑みを浮かべながら踵を返した。そうして、見た目よりも年老いた歩き方で、老人は崖とは反対に歩いていった。

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「デスノートは2人の心理戦が面白いですよね」

僕は余裕のあるふりをしてそう言うと、老人は振り返って、もう一度にやりと笑った。

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老人が立ち去ると、僕はひとり潮風に吹かれながら、彼を殺す作戦を考えた。

問題は、いかにしてあいつが写真を見るかであった。

しかし、僕はただあいつが封筒から写真を取り出して見てしまうような、つまらない方法はとりたくなかった。

もっと絶望的な、面白い方法で、彼を欺くように殺したかった。

作戦を考える僕は、今までで一番わくわくしていて、あいつが僕をどういじめるか考えている時もこんな感情だったのかと思うと、僕はますますあいつを残虐な目に合わせたくなった。

そして、僕の出した結論は、一番好きなものに裏切られてあいつに死んでもらうという作戦だった。

あいつの一番好きなものとは、デスノートだった。

僕がその漫画を知ったのも、あいつが勧めてくれたからだった。

あの頃は、登下校中によく漫画の話で盛り上がったっけ。しかしそれは遠い過去の話で、いまでは忌まわしい記憶でしかなかった。

それでも。

あの時はあいつと過ごす時間が、僕は一番好きだったのだ。だからこそ、あいつには僕と同じ裏切りを、存分に味わってほしかった。

家に帰って僕は早速準備を始めた。その間も写真の入った封筒は、異様なオーラを放って、誰かに開けられるのを待っているようだった。

準備を終えた時、僕はふと、あいつをデスノートを利用して死なせてしまうのは、むしろ彼にとって幸福なのではないかと考えた。

しかし、今更もうどうでもよかった。

これで間違いなくあいつは死ぬのだ。それだけで、今の僕には十分だった。

その時には、もうあいつを殺すことに微塵の躊躇もなく、僕はまるで悪人を捌く英雄の心持ちでいた。

幸いにも今は夏休みで、あいつと学校で会うことはなかった。そしてあいつはバカだから、学校で夏期講習を受けているはずだ。

あいつが帰ってくるまでに、この封筒をポストに入れないと。

部屋を出る時、僕は姿見に映る自分を見た。

僕の目はぎらぎらしていて、どこかあの老人の目のように、焦点があっていないような感じがした。

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潮風が草木を揺らし、たまにくる突風が砂を散らした。空は穏やかな晴れだが風は気まぐれなある日の午後に、老人はひとり崖の上に立っていた。

崖の下では岩壁にぶつかった波が白く濁っている。彼はそれを見て、泡のように消えてなくなった2人の仲間との日常を思い出していた。

彼らはどちらも老人の助手として大学の研究室で共に時間を過ごした。老人の前職は大学教授だったが、彼らがいなくなった今では何もする気が起こらなくなり辞めた。

なによりも、自分の研究の一切が役に立たないことを悟ったのであった。

研究は、かつての老人にとってなによりも大切で楽しいものだったが、自分の好きな研究に一緒になって没頭してくれる助手たちの存在は、それ以上に大切なものだと思っていた。

だから老人にとっては、彼らは助手ではなく仲間だった。

そんな彼らとの日常は、ある日突然に消失した。2人は私に何も言うことなく、老人の前から消え去った。

老人は訳もわからず日々を過ごした。自分の好きだったはずの研究が途端につまらないものになった。

そして、彼らの失踪から1週間が経ったある日、自分の机に送り主も宛名もない一通の便箋が置いてあった。

しかし、その筆跡からひと目で彼からのものだとわかった。私が特に慕っていた、仲間のうちの一人だった彼だ。

老人は震える手で便箋を開けて、一通の書簡を読んだ。

一緒に同封されていた、厳重に封のされた何通もの封筒の束を開ける前に書簡に目を通したのは、不幸な老人の数少ない幸運であった。

「親愛なる教授へ

このたびは、このようなかたちでお別れを告げることを、どうかお許しください。

私は、もう耐えきれそうにありません。なので私は、彼を殺して死ぬことにしました。

彼には日常的に嫌がらせを受けていましたが、それが耐えられないのではありません。

彼に対して何もやり返せない自分の弱さに耐えられないのです。そして私はその弱さを克服するために、彼を殺して自分も死ぬことにしました。

私までもが死ぬことはないだろうと、優しい教授ならお思いになるかもしれません。しかし私は、人を殺してまで生き続けられるほど強くはありません。

本当に弱さを克服したいのなら、何がなんでも生き続けるべきだという気持ちもわかりますが、私はずっと、彼のことを意識して生きていくなんて、やはり耐えられないです。

一度意識してしまったものは、一生しがみついてくるものですから。

なので、私も死ぬことにしました。教授にお世話になった恩返しもできないまま、2人の助手が先立つことを、どうかお許しください。

最後に。同封している写真は、恥を承知であえて直接的に言いますと、その写真を見た者をあの世に引き摺り込んでしまいます。

これは、あくまで私の感覚的な予想です。常日頃から教授には、物事には根拠を持てと教えられてきたのに、こんな論理のないことを信じろだなんて、失礼もいいところだとは承知しております。

ですが、それでも、私はこの写真を、人を殺せるものとしてあなたに送ります。どうか、教授自身は、お元気でありますように。」

彼は真面目な人だったから、これが嘘であるとは考えられなかった。

そして、このような書簡が送られてきたということは、彼らはおそらくこの世にはいないことを意味していた。

この書簡は彼の遺書でもあった。

そのことに気づいた時、老人は悔いた。泣いた。自分の研究がまったく役に立たないことを恥じた。

彼が心理学に没頭したのは、人の気持ちを理解し、苦しむ人を助けたかったからだった。しかし、老人は自分の仲間の苦しみすら気づけず、彼を守れなかった。

彼はどのような苦しみを抱えて自分と笑い合っていたのだろうか。

それを案じるたびに、彼らとの楽しかった日常のすべてが悪夢のように自分を悩ませた。

老人は教授を辞めて、それからは廃人のような生活を送った。

自分の気持ちのやり場がわからず、ぶつける場所のない感情が、火薬のように自分の中で爆発し、それは終わることなく連鎖した。

お互いに感情をぶつけ合った彼ら2人を羨ましいとさえ思うような日々を過ごした。

そして復讐というものは、感情をぶつける対象があるという、極めて贅沢なものであるという歪んだ認識を、老人は次第に確固とした信念として持つようになった。

老人の生きがいは、彼のくれた呪いの写真を使って、人々の復讐の手助けをすることになった。

それは、何が正解かわからなくなった老人の、人を助けたいという僅かな良心の残滓であった。

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老人は彼の大切にしていた手帳を懐から取り出した。彼の夢や日々の予定が書かれたページはあの日以来読んだことはなかった。

老人が開いたのは、人の名前がずらりと並んだページで、それは老人が写真を渡した人たちのリストであった。

老人はデスノートを知っていたが、決してそれの真似事をしているわけではなかった。

老人が名前を集める目的は、生きがいの記録であった。彼は写真によって復讐が叶い、救われた人のことを目に見える形で留めておくことで安心を得ていた。

そして、彼の手帳に書き込むことを決めたのは、彼のくれた写真への感謝を表したかったからだった。それらの名前は、無残な死に方をした彼の生き方を、少しでも肯定しているような気がしたのだった。

しかし結局は、それは被害者リストに他ならなかった。

老人のせいで望まない復讐心を煽られた人も、その中には少なくなかった。

一方、老人の歪んだ正義感は、何人もの犠牲によって、少しずつ浄化されていった。それは、感情をぶつけられる存在を、老人が得たからかもしれなかった。老人は写真と一緒に、少しずつ感情を吐き出していったのだった。

そして老人の心に残ったものは。

復讐からは、何も生まれないということ。

そのことに気づいたとき、老人はもう自分がこれ以上生きる必要はないように思った。むしろ、自分は生きていてはいけないと思った。

老人の心は、まるで何かから解放されたように、しかし穏やかであった。

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「それにしても、あの青年は似ていたな」

昨日この場所で出会った、1人の青年の顔を思い出して、老人は静かに笑った。

自分に対して親しみをもってくれたところも、賢そうな眼鏡も、小柄な体躯も。ただ口調がいくぶんか雑だったことを除けば、老人の片方の仲間にそっくりだった。

そんな彼は最後の1人にふさわしいではないか。

老人は懐から封筒の束を取り出して、眼下の海に投げ捨てた。

もう老人にその写真は必要なかった。

老人が写真を見なかったのは、最期くらい、大切な仲間の力は借りてはいけないと思ったからだった。

彼は意を決して、目を閉じて。

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終わりにしようか。蚊のような声でそう囁いた。

そして、ただひたすらに突風を待った。

崖の下に身を投げるのに、風の手助けを得ようと考えたからだった。

風の力くらいは、借りてもいいじゃないか。

老人は身体が震えるのを、自分の歳のせいにした。

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その老体は、次の突風で、もう震えることはなくなった。

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時を同じくして、僕は老人の行動の一部始終を息を潜めて見ていた。

僕はなぜか再びこの崖に来ていた。どうして僕はここにいるのか、そして老人が何を考えているのか、僕には何ひとつわからなかった。

あの時。すべての任務を終えた僕は、どこにでも行けるような気がして、ぶらぶらと街を歩きながら、これまでの刺激的な一連の出来事を思い起こしていた。

そうして僕は万能な思考で、あの写真さえあれば、自分はもっと楽になれるのではないかと考えた。

あいつ以外にも、消したい奴はたくさんいる。

初めて崖の上に立ったときの、自分が特別な存在に思えたときの高揚感が蘇った。

それは偽りのない自分の願望であり、老人に会うことでそれは満たされるのではないかという思考は、半ば反射的になされたものだった。

そして、気づけば、この崖に来ていた。

老人は、自分の思惑通りに、あの場所に立っていた。

ただ以前と違うのは、老人の前に僕がいないことであった。

僕は老人にどのように頼み込めば、あの写真をもらえるだろうかと考えた。

いっそのこと、強引に奪ってしまえばいいのではないか。あの老体なら、僕の痩躯でも十分に勝ち目はありそうだ。

僕は、自分のそのような思考を当然のものとして疑いもせず、まるで獲物を狙うハイエナのように、じりじりと老人との距離を詰めていった。

その時、老人は懐から、おそらく呪いの写真が入っているであろう、ぼろぼろの封筒を取り出すと崖の下の海へとばら撒いた。

僕は危うく声を出しそうになったが、老人に気づかれてはまずいと思い、すんでのところで飲み込んだ。

呪いの写真は、岩肌と荒波に揉まれ、海の藻屑となって消えていった。

僕は言いようのない憤りと脱力を感じ、せめて何かあの写真の代わりとなるものはないかと考えた。

そして一閃の突風とともに老人の身体が宙に浮いた時、僕は咄嗟にスマホのカメラを構えていた。

それは連写で撮れていた。

老人もまた封筒の写真と同じように、三回ほど波に揉まれた後、海の底に沈んで見えなくなった。

僕は興奮してしばらくは棒立ちでいた。

しかし頭は冷静に、スマホに収められた写真について考えていた。

この写真は、呪いの写真の代わりにはならないだろう。

第一、写真を見て死ぬことなんて、なんで馬鹿げているのだろうか。

老人が死んだことで、僕はなぜかこれまでのすべてが馬鹿らしくなって、途端に足の力が抜けてその場に座り込んだ。

「そういえば、デスノートの結末について、あいつと笑ったことがあったな」

デスノートの設定がすべてドッキリだというオチについて笑いあったかつての僕たちを思い出して、僕は急に不安になった。

まさか本当に、死んでないよな?

僕は心のどこかで、呪いの写真を本当に信じてはおらず、だからこそ、僕はあいつに対してあんなにも残虐な考え方ができたのだと思っていた。

しかし。

老人の死は、紛れもなく現実であった。そして自分は、目の前で死のうとしている人間をみすみす見殺しにし、その上スマホのカメラまで構えたのだった。

その事実は、紛れもなく今の自分のことであった。

僕は恐る恐るスマホのフォルダを確認した。

もういっそ、今撮った写真が呪われていて、それを見た自分は死んでしまえばいいと思った。

連写機能で撮られた数十枚の中に、一枚だけ奇妙なものがあった。

他の写真では目をつぶって無表情に落ちていた老人の顔が、その写真の中では笑っていた。目は見開かれ、歯を剥き出しにして、まるで何かに喜んでいるように笑っていた。

そして。

老人の先に待ち構える岩の突き出た海からは、無数の白いボヤが人の形となって老人を迎え入れていた。それらは決して人ではないが、そのどれもにはっきりと顔があった。

僕はその中の一つに、あいつの顔を見た。僕に似た顔もあったが、それは老人の身体に細い手足を絡みつかせていた。老人の髭を引っ張る大柄な男の腕もあった。

そしてあいつの顔はまるで他からはぶかれているように、隅っこの方でにやにやしていた。

ただ他の顔がすべて老人を向いている中、その顔だけが、カメラの方を、つまり僕の方をはっきりと見ていた。

その写真は生きている者と死んでいる者の境目を表現しているみたいで、僕は無性に気持ち悪くなって、その場に何度も吐いた。

これを呪いの写真と言わずして、なんというのだろうか。

しかし僕の身には、嘔吐以外の何も起こっていなかった。

僕は自分が生きていることに、生まれて初めて心の底から絶望した。

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夏休み明けの9月1日、あいつは本当に学校に来なかった。

そして担任の口から、彼の訃報を聞いた。

僕は自分の本当の気持ちがわからず、あの時から持ち続けた自分の感情の辻褄を合わせるために、内心で彼の死を喜ぶふりをした。

僕は学校からの帰り道、2つの写真を見ながら歩いていた。

投身自殺のあの老人の写真と、もうひとつ。

そこには僕とあいつが仲良しだった頃の、2人の笑顔が映っていた。

なぜ老人が自殺したのか。そして、僕は本当にあいつを殺す必要があったのだろうか。僕には何もわからなかった。

そもそも僕は死ぬつもりなんてなかった。それに気づいたのは、老人が声をかけてくれたおかげだった。

僕は、老人のために何かできたのではないかと後悔の気持ちもあったが、僕はそれについて考える代わりに、老人のぶんまで生きようという前向きな考えを無理やり働かせた。

それはあいつに対しても同じだった。

あいつの退屈に向き合っていれば、何かが違っていたのかもしれない。あいつのいじめは許せることではないけど、それであいつを殺してしまった自分も、許されるべきではない。

しかし、すべてはもう過ぎてしまったことなのだ。僕は前を向くしかない。

そう思うことですべては解決するのだ。

それらはすべて都合のいい思い込みなことはわかっていた。

自分の本心は下劣で自分勝手で、少しでも気を抜けば人間でいられないような悪が自分の中に潜んでいた。

その得体の知れない悪を必死に閉じ込めるように、僕はただ思い込むことにした。

生きている僕はどこにでも行けるのだ、と。

僕は足を止めてはいけない。僕には足があるのだから、と。

夕暮れで伸びた影を引きずりながら、かつてあいつと帰った通学路をひとり歩いた。

僕はいつのまにか頬を伝っていた涙をそのままに、ただ前を向いて歩き続けた。

悲しみとも不安とも絶望ともいえる涙が、道標のようにコンクリートに落ちていった。

その落下に、老人の投身を思い出し、老人を海に引き摺り込む何かが脳裏に浮かんだ。

その何かの中のあいつの顔を、それらに招かれた老人の笑い顔を思い出した。

僕は2枚の写真をびりびりに破いた。

歩いている限り、いつかはどこかにたどり着く。

そのどこかとは、すべての人間に訪れる死に他ならない。

せめてもの罪滅ぼしとして、寿命が尽きるまでただひたすらに、僕は歩き続けなければならなかった。

僕の寿命がいつまで続くかは、おそらく死神にしかわからないだろうが、あいつが迎えに来るその日まで、僕はひとりで生きようと思った。

Concrete
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