私はいつも一人だった。
家族はお母さんだけ。お父さんは、顔も知らない。
お母さんはお父さんのことをろくでなしとしか教えてくれない。
それどころか、お父さんのことを聞くとお母さんはすごく機嫌が悪くなって、あまりしつこく聞くとぶたれるのでいつの間にかお父さんのことは、我が家では禁句になった。
お母さんは朝早くから夜遅くまで働いていたので、私はいつも夕飯は一人で食べていた。寂しくないと言えば、嘘になるけど、人は慣れと諦めとで自分と折り合いをつけることを私は幼いころから学んだ。
そんな私に、ある転機が訪れた。
私が住むアパートの隣の一軒家に、とある家族が引っ越して来た。
私とは住む世界が違うと思った。
とても幸せそうな家族。
ご両親と、私と同じ年くらいの女の子。いつも小さなアパートの窓から覗いては、私がもしあの家族だったら幸せだっただろうと夢想した。
そんなある日、私が買い物をした帰りに、アパートの部屋は暑いので、公園で買った物を食べていると、その子は近付いてきた。
「こんにちは。ねえ、あなたあのアパートに住んでる子でしょう?」
そう話しかけられて、顔を上げると、満面の笑顔の彼女が居た。
「私ね、この前、隣の家に引っ越してきたの。ミワって言うの。よろしくね」
知ってる。いつも窓から見てたから。私は黙ってこくりと頷いた。
「ねえ、あなた、お名前は?」
「エリカ・・・」
「へぇー、エリカちゃんかあ。可愛い名前だね!」
可愛いのは名前だけ。あなたのほうが数十倍可愛いわ。
その言葉は飲み込んだ。
その後も出会う度にその子、ミワは私に話しかけて来た。
最初は友達なんて一人も居なかったから戸惑ったけど、すぐに仲良くなって、お互いの家を行き来するようになった。
「ねえエリカはどうして学校に行ってないの?」
「苛められるから・・・」
「えー、そんなの酷いよ。先生に言って止めるように言ってもらえないの?」
私は首を横に振った。そんなことをすれば、苛めはますます酷くなるのはわかってる。
「じゃあ、お母さんに相談してみる?」
そんなことを言えば、お母さんの怒りを買うだけだ。
私に関心がないくせに、学校に行ってないことがわかると折檻をする。
誰のおかげで学校に行けると思ってるんだ。学校に行け。
中学くらい卒業しないと生きていけないんだ。卒業したらとっとと出て行ってもらわないと困るんだよ。母は酔っぱらっていつも私をそう罵倒し折檻した。
髪の毛を引っ張られ、布団に隠れると、引きはがされて往復ビンタでぶたれた。
一度、腫れあがった私の顔を見て、ミワが驚いてどうしたのかと聞いてきた。
私は、転んで顔を打ったと嘘を吐いた。お母さんにぶたれたなんて言えない。
「可哀そうに。痛かったね」
そう頬を撫でられた。
私は、我慢していたものが一気に堰を切ってあふれ出し、ミワの前で号泣した。ミワは優しく抱きしめてくれた。
ミワだけが私の特別になった。
ミワは掛け替えのない友達。
でも、ミワの家族は私とミワが仲よくすることを快く思っていなかったようだ。何かといえば、ミワが私に近付くことを邪魔してきた。
ミワが嫌がるのに、塾やお稽古事を押し付けて、私と遊ぶ時間を奪った。
ミワは頭のいい子だったから、とっくに私がお母さんに虐待されていることに気付いていた。
私が学校に行かないというのを理由に、お母さんがいつものごとく私を折檻していたら、突然玄関ドアが開いた。
「おばさん、やめて!エリカをぶたないで!」
ミワが小さな体でお母さんに飛びついてきた。
「よそのガキは引っ込んでな!関係ないだろ!」
そう言ってミワを突き飛ばした。すると、ミワは頭を強く台所のシンクにぶつけて倒れた。さすがにお母さんもびっくりして、ミワに駆け寄ると、頭が切れて血が出ていた。お母さんがミワを怪我させた。お母さんは慌てて、救急車を呼び、ミワのお母さんを呼びに行った。
お母さんは卑怯にも嘘を吐いた。
ミワが自分で転んでシンクに頭をぶつけたと。
私は、お母さんが許せなかった。初めてお母さんに歯向かった。
「違います。お母さんが、ミワを突き飛ばしました」
お母さんが私を虐待していたのは、近所でも有名だったから、私の言葉は信用された。ミワのお母さんが警察を呼んで、私のお母さんは警察に連れて行かれ、しばらく帰って来なかった。
その日以来、私はミワに会えなくなった。
ミワと家族は引っ越して行ってしまった。
当然と言えば当然。自分の子供を怪我させた頭のおかしい女が隣に住む家になど、住む気にはなれないだろう。
それからの私は失意のどん底だった。
唯一の心のよりどころのミワを失い、施設に預けられたのだ。
もう誰も信じる者は居ない。
私は、その施設で同室の子を鉛筆で刺した。
私の問題行動で、その施設を追いやられて、私は医療施設に入れられた。
ろくに学校にも行かず、精神疾患を疑われた私に行く場所などなかった。
好きでもない男に身を預けてその日暮らしをするしかなかった。
そんなある日、突然、行方不明だったお母さんの居所の知らせが来た。警察からだった。道端で倒れていたらしい。脳梗塞でたまたま通りかかった人に助けられて、救急車で運ばれ病院に入院し一命をとりとめたらしい。
つまり警察は、私に母親を引き取って欲しいというのだ。どこまでも悪運が強い女なんだろうと思った。私は、母親の世話をするということで、生活保護を受けながらお母さんを介護することになった。
お母さんの世話は大変だが、生活保護により暮らしていけることは有難かった。もう私に暴力を振るうこともできないお母さんを見下しながら生活をするのは、今まで受けて来た仕打ちを返すには十分だった。
「誰のおかげで生きて行けると思ってんの?」
その言葉に反論できないお母さんの顔は最高だった。
でも、私の心の隙間は埋められなかった。
私にはミワが必要。
そんなある日、ミワが帰って来た。
私の目の前に、ミワが現れたのだ。
ミワ、もう離さないよ。ずっと友達だって、言ったよね?
私はミワを隠した。
ミワと幼い頃に遊んだあの秘密基地はまだ健在だった。
山の小さな潰れたラブホテル。
変な形のお風呂とか大きなベッドがそのままにされていた。
大きなお風呂にミワの小さな体はすっぽりと余裕で横たえることができた。
ずっと、ずっと一緒だね。ミワ。
私、毎日来るから。ずっと待ってるんだよ。ミワ。
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「以上が加藤恵梨香の供述です」
「しかし、生活保護費詐取だけでなく、幼女を誘拐して殺害、死体遺棄までしているなんて」
私ね、やっぱりお母さんのこと許せなかった。
動けなくなったから私に面倒を見ろですって?冗談じゃないって最初は思ったけど、仕方なかった。でも、クズはいつまでたってもクズのままなんだよね。せっかく私が作ったお粥をお母さんは不自由な手で払いのけたんだよね。
ふざけるな。どうして私が今更お前にそんな仕打ちをされなければならないの?そう思うと頭にきて、私はお粥を無理やりお母さんの口の中に押し込んで流し込んだ。人間ってあんなにあっさり死ぬなんて思わなかった。
私があなたに何度同じことをされたと思っている?
でも、あなたは私のたった一度の暴力で死んだ。あっけないもんだ。
私はお母さんの死体をあの秘密基地に隠した。
その後も死亡届を出さないままにした。生活できなくなるのは困るもの。
そして、私の目の前にあなたは現れたのだ。当時の姿のまま。
「もしかして、エリカ?久しぶり!」
そう言ったのは見知らぬオバサンだった。
彼女は自分をミワだと名乗った。
冗談じゃない。あなたがミワのわけないじゃない。私のミワはそんなオバサンじゃないわ。そのオバサンに手をひかれ、可憐で可愛らしい女の子。
ミワ・・・。
「あはは、小さい頃の私にそっくりでしょ?この子は私の娘でヒカリだよ。ほら、ヒカリ、ご挨拶しなさい」
恥ずかしそうにペコリと頭を下げた。
違う、あなたはミワ。
私は、ミワと名乗るオバサンと仲良くするフリをして、彼女の家をつきとめた。そして、ミワを連れ出して、秘密基地に連れて行った。
ミワは、最初は楽しそうに遊んでいたけど、しばらくするとママが心配するから帰りたいと言い出した。
ダメ、また私から逃げるつもり?
だから私は、ミワを秘密基地に大切にしまうことに決めたの。
警察の人は、死体遺棄だって言うけど、私はちっとも遺棄なんてしていない。これは大切にミワをしまっておいたんだもの。
ほら、その証拠に、ミワの周りはいつも綺麗なお花で満たしていたもの。
ミワは私の宝物。
ずっと友達だもんね、ミワ。
作者よもつひらさか