切ない話「姉と兄(つづき)」

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切ない話「姉と兄(つづき)」

あるところに、しくしくと泣きながら歩く一人の少女がいた。

彼女は2日前に弟と大喧嘩をして、その弾みで彼は家を出て行った。

しかしそれっきり、弟は帰ってこなかった。

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そしてその後のニュースで、世界各地で人が「消える」現象が起きていることを知った。

なんでも、消えた人はみんな、「弟」や「妹」であるらしかった。

そこで、「弟」の龍弥も、もうこの世からは消えてしまったことを知った。

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彼女は散々泣き明かして、些細なことで喧嘩をしたことを心底後悔した。

喧嘩の理由は、テレビのリモコンの取り合いだった。

お互いの見たいテレビ番組が、たまたま時間帯が同じで、どちらも譲るつもりはなく、気がつけば大声での怒鳴り合いにまで発展していた。

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「私はお姉ちゃんなんだから、テレビの番組くらい譲りなさいよ!」

「なんだよ、姉ちゃんばっかり。それならもう、姉ちゃんなんていらないよ!」

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彼女は、あの時なんでリモコンを譲ってあげなかったのだろうと思った。

本当は、それほど見たいテレビ番組でもなかったのだ。

それなのに、お姉ちゃんだからって、意地になって。

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こんなことなら、「お姉ちゃん」という概念自体がなくなってしまえばいいのに。

そして、弟ではなく対等な関係の龍弥と、同じ番組を見て仲良く笑い合えてたら…。

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彼女の目からは、涙が溢れつづけた。

そんな彼女の足元は、いつのまにか水たまりになっていた。

そして、その水面からは、奇妙な人影がゆらゆらと浮かんできた。

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当然、彼女は驚いて後ずさった。

そんな彼女を見て、その人影はからりとした声で笑った。

「お嬢ちゃん、悲しいことがあったみたいだね」

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人影の正体はガタイのいい男で、黒色のローブに身を包んでいた。彼女が尋ねると「魔術師さ」と微笑んだ。

「魔女が女の人なら、魔術師は男の人のことを言うみたいだね」

彼はそう言って、もう一度からりと笑った。

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少女は、その笑顔になぜか安心した。そして、彼が本当の魔術師であることを信じた。

「これもせっかく出会えた縁、ここはひとつ、願い事を叶えてやろうではないか」

その言葉を聞いて、彼女はすぐに口を開いた。

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「ただし」

魔術師がそんな彼女を制して言う。

「俺は魔力が弱いから、消えてしまった人を完全に復活させることは出来ないんだ」

もっともあいつなら、人を消すことも、甦らせることもできるんだろうけど。

そう言う彼の顔は、どことなく悲しそうに影を落としていた。

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どん底に突き落とされるとはこのことなのだと彼女は思った。

なんせ彼女は、「弟」の復活を願うつもりでいたのだ。

でも、もう二度と龍弥には会えないことを悟った。目の前で、唯一の頼みの綱を切られたような気分だった。

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彼女は投げやりになって、さっき考えていたことを思い出した。

-それなら、もういっそのこと、「姉」という概念そのものを消してもらおう。

そもそも、私が「姉」なんかじゃなければ、龍弥と喧嘩はしなかったのだ。

そして、自分が「姉」だったという記憶が消えれば、もう後悔することなんてないんだ。

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「この世から、姉という概念を消してください」

彼女は魔術師にそう伝えた。

「ほんとうにそれでいいのだな」

魔術師は、真剣な顔をしてそうたずねた。

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うん。私が「姉」でさえなくなれば、これ以上は悲しまずに済む。

なんせ、私が「姉」だったばっかりに、龍弥は消えてしまったのだから。

しかも、私が「姉」であることが原因で喧嘩して、お別れの言葉も言えずにサヨナラだった。

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私が、「姉」でさえなければ…。

そして、魔術師の質問に頷きかけた、そのとき、

「姉ちゃん」

さっきの水たまりには、魔術師とは別のもう一つの人影がぼんやりと浮かんでいた。

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それは、弟の龍弥だった。

「姉ちゃん、ごめんね」

彼はそう言うと、まるで霧のように、すぐに消えてしまった。

彼女は何か言おうと思ったが、結局何も言えなかった。

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こちらこそ、ごめんなさい

涙の滲んだ小さな声で呟くと、たしかに誰かの「姉」であるその少女は、気の済むまで声を上げて泣いた。

やがて彼女が顔を上げた時には、魔術師の姿も、大きな水たまりも、綺麗さっぱりなくなっていた。

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薄暗い夕焼け空の下を、その魔術師は歩いていた。

小さい頃から喧嘩ばかりしていたひとつ下の妹は、他の3人の弟妹と同様、つい3日前にこの世から消えた。

彼は、別れの言葉も言えずに死別した両親のことを思い出した。

そして、その死を誰よりも悲しんでいたのが、人類の大半を消してしまった、あの妹だった。

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彼女は昔から自分よりなんでもできて、でも少しだけ抜けたところもあり、よくミスをして怒られていたっけ。

そんな時はなぜか俺まで巻き添えになって、二人して怒られた後は一緒にアイスを買って食べたな。それも、俺の奢りで。

でも俺は、そうやって妹に頼られることが、実はとっても、嬉しかったんだ。

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あいつは、誰よりも父さんと母さんが好きだった。だからこそ、あんなことをしてしまったのだ。

あいつも、本当はすぐに蘇らせて、大事な人の大切さを教えたかったのだ…。

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「可愛い妹の失敗は、全部兄ちゃんが引き受けた」

そう呟く彼の足元にもまた、大きな水たまりができていた。

彼はぶつぶつと何かを唱えると、世界各地につながるその水面に吸い込まれていった。

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その水たまりが消えてなくなる日まで、世界のどこかでは、誰かが誰かの兄姉として泣いていた。

彼は自分の命をすり減らす魔術で、自分は手に入れることのできなかった「別れ」を、人々に与え続けた。

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