中編5
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「石像」(続・助数詞)

「あれは、何て数えるの?」

「"1体"って数えるんだよ」

仲睦まじそうな2人が、目の前の道を通り過ぎていく。いや、男の方は、少し飽き飽きしているようにも見える。

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俺は自分の体に春の強風があたるのを知った。それは周りの木々がひときわ大きく揺れたからで、冷たさを感じたわけではなかった。

なぜなら、俺は石像なのだ。

小学校の正門脇に建てられた、血も涙も通わない、二宮金次郎像なのである。

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…というのは嘘で、その石像の正面にある、一軒のボロ家から路上を見下ろす、しがない中年男が、俺である。

俺はここ3日、毎日この道を歩く1人の少女に恋をしてしまった。隣の男の声から、その子は「早苗」という名前だと知った。

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俺は、なんとかして、あの子を自分のものにしたかった。狭い部屋の窓際で、ロダンの「考える人」さながら、その方法を熱心に考えた。

そしてある名案が舞い降りると、俺はこの家を飛び出して、彼らが歩いていった方へと走りはじめた。

・・・・・・

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僕は、本物の「二宮金次郎像」である。

なぜか石像としてこの世で意識を保ち、この場から動けず美味しいものも食べられずで最初は絶望したが、今では小学生たちの登下校を見守ることに生きる意味を見出し、代わり映えのない日々を耐えている。

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しかし、つい1ヶ月前に目の前のボロ家に引っ越してきた中年の男は、どうやら僕と違って邪な考えを持っているらしい。

彼がここを住処にしたのも、その邪な目で小学生を毎日見ることができるからに違いなかった。

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そんな彼は、よからぬことを企んだ顔をして、先程家を飛び出して行った。

これまで彼は決して行動に移すことはなかったのに、今日こそついに罪に手を染めてしまうような気がするが、僕にはどうすることもできない。

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僕は、見ることしかできないのだ。そして僕の目は、なにやら嬉しそうな顔をして戻ってくる、中年男を目撃した。

その手には、大量のお菓子が入った袋が握られていた。

どうやら、彼はお菓子で、あの女の子を釣ろうと考えたらしかった。

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馬鹿で、よかった。こいつは不審者にはなっても、犯罪者にはならないだろう。

そう思って胸を撫で下ろしていた時、とある青年が運転する軽自動車が、こちらに向かってくるのを見た。

僕はその青年に、よからぬ気配を感じた。

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彼は、笑っていたのである。一人で運転して、笑うことなんてあるのだろうか。

しかし車が目の前を通り過ぎるとき、彼は決して一人ではないことに気づいた。

後部座席には、ある小さな人影が、こちらを向いて喋っていた。

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いや、違う。叫んでいるのだ。

それは、小さな女の子だった。

彼女は、中年男が家を出ていく少し前にここを通り、僕を指差して質問していた、あの女の子のように見えた。

一瞬だったから、定かではない。しかし、あの子でないからといって見捨てたくはない。

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誰か。あの車はきっと、誘拐犯です。

中年男、今こそお前の出番だぞ。

もちろん僕の叫びは、誰にも届かない。

・・・・・・

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ここ数日、早苗という名のあの子は、ここを通らなくなった。

俺はせっかく用意したお菓子を少しずつ食べながら、ため息まじりに窓の外を見ていた。

ふと、石像の二宮くんと目が合う。いいよなお前は、人気者で。

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今日も「彼」の前には、小学生の人だかりができていた。ある者はじっと見つめ、またある者はただの集合場所として使っているだけで見向きもしていない。

しかし、人が周りに集まるというだけで、俺はなんだか羨ましく思った。

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いっそ俺も、石像になってやろうか。そんな冗談はますます独り身の侘しさを身近なものにして、俺はただゆらゆらと窓際で黄昏ながら、夜がくるのを待った。

正確には、明日がくるのを待っていた。そしてその明日が今日になった頃、今日こそはあの子に出会えますようにと祈りながら、俺は眠りに落ちていった。

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しかし、草木も眠る丑三つ時に、俺は奇妙な音を聞いて目を覚ました。

自分の家の前で「ゴトッ」という決して小さくはない音を聞いたのだ。

なんだ?まさか金次郎像が動いてるのか?

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俺は当然冗談に思いつつ、窓の外を覗いてみた。

すると、本当に、家の前に石像が立っていた。

一気に冷や汗が流れでて、憔悴した面持ちで正門横の台座を見やると、そこにはいつも通り、歩いている姿の金次郎像がいた。

そうであれば、家の前にあるあの石像は、なんなのか。

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俺は今までにないくらいに一人でいることに心細さを感じたが、朝まであの石像の正体を明かさないのも怖くて、勇気を振り絞って見にいくことにした。

そしていざ目の前にしたその像は、二宮くんとは何もかもが全然違っていた。

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手には本を持っておらず、代わりに右手は何かを指差している。服装は歩きやすそうなワンピースといったところで、男の子ではなく女の子のようだ。

そしてその顔は、どこかで見たことあるような…

俺は何かに気づいた、次の瞬間、ひぃ、と情けない声をあげて、その拍子に石像を押し倒してしまった。

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地面にぶつかった石像はあっけなく砕け散って、中からは早苗と呼ばれた女の子の一部分があらわになった。

死体の目は瞬き一つせずに、俺を見つめていた。

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その後、彼女は"1体"の死体として、親戚である男の家に届けられた。

僕はそれから、お菓子を持って生き生きとしていたのが懐かしく感じるくらいに、中年男が毎日泣いているのを見た。

僕は、彼らの惨劇を、本当は防げるはずだった。

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もし僕が、動くことができたなら。

・・・・・・

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あの夜、彼女が連れ去られて3日目の夜に、青年の乗った軽自動車は、再び僕の前に戻ってきた。

彼は路肩に車を止めて、何やら重たそうなものを担いでボロ家の前まで持ってきた。

それは、石像のようであった。しかし僕は一目で、それがあの女の子であることを知った。

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その石像は、僕を指差していた時と同じ体勢で、笑っていた。

そのあとすぐに彼女は僕に背を向け、中年男が出てくる玄関の前に建てられた。

仕事を終えた青年は、今度は僕の方に寄ってきた。

「我ながら、よくできてるなあ」

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お前は俺の最高傑作だよ。そう言うと彼は笑って、車へと踵を返した。

僕は彼の遠ざかる背中を、見ることしかできなかった。

そして彼が去った後、僕は何かを思い出せそうだった。

でも、何一つ、思い出せなかった。 

・・・・・・

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僕は、本物の「二宮金次郎像」である。

なぜか石像としてこの世で意識を保ち、この場から動けず美味しいものも食べられずで最初は絶望したが、今では小学生たちの登下校を見守ることに生きる意味を見出し、代わり映えのない日々を耐えている。

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そう、石像の僕にできることといえば、何かを見ることだけなのである。

「あれ、金次郎像が泣いてるよ」

ある小さな男の子は、僕を指差してそう言った。

「そんなわけないじゃん」

お姉ちゃんらしき女の子は、馬鹿ねと言って男の子を笑った。

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その2日後、僕の表情がわかるらしいその男の子は、あの軽自動車に乗せられて、目の前を通り過ぎていった。

泣き叫んでいる可哀想な彼を、僕は今日も、見殺しにした。

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