中編5
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通り過ぎる

今もお盆の季節が近づくと思いだすのは、

幼い頃のあの不思議な体験。

それは未だに私の心の奥深いところで、蝋燭の灯火のようにゆらゆら揺らめきながら息ずいている。

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私の実家は九州北部にあるF山の山あいにある小さな集落にあった。

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住まいは、今となってはあまり見られない古い日本家屋で、両親は麓の商店街の方で、曾祖父の代から続く老舗の和菓子屋を営んでいた。

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それは、ばあちゃんの一周忌がようやく終わったお盆の頃のことだったと思う。

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小学6年だった私は3歳下の妹と一緒に、午前中は虫採りに行き、午後からは奥の仏間にいた。

両親は朝早くから仕事に出掛け、家にいるのは私たちと黒猫の猫次郎だけだ。

広々とした殺風景な日本間の中央にある座卓の前に二人向かい合って座り、黙々と夏休みの宿題と格闘していた。

猫次郎は、私の横で丸くなっていた。

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私の背後には立派な仏壇が鎮座しており、その上の鴨居には、亡くなったじいちゃん、ばあちゃん、そしてそれより昔のご先祖様の写真や肖像画が、額縁に収まり並んでいる。

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私の右方にある障子は開け放たれ、網戸になっており、外からは狂ったように鳴く蝉の声が聞こえてきていた。

網戸の向こう側は庭で、その垣根の先は、鎌倉時代から代々続いているという由緒ある寺の敷地の一角で、無数の苔むしたお墓や供養塔が立ち並んでいる。

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江戸時代は天保の頃、F山が大噴火を起こした折、燃え盛る火砕流は山の中腹にまで及び、この辺一帯の集落は大きな被害に遭ったらしく、多くの人が亡くなったらしい。

その亡骸は個人を判別出来ないくらいに酷い状態だったらしく、この寺は、そんな無縁仏たちの魂も供養しているということだった。

その時の様子を描いた掛け軸が、寺の本堂奥に飾られているのだが、正に地獄絵図という言葉がぴったりの凄惨で見るに耐えないものだったことを今も覚えている。

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ようやく今日の課題を終え、座卓の上の時計に目をやると、時刻はもう5時を過ぎようとしており、網戸からの陽光にも勢いが無くなっている。

妹はいつの間にかノートを枕に、小さなイビキをかいていた。

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私はこの時、おかしなことに気が付いた。

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先ほどからうるさいくらいに聞こえていた蝉や蜩の声がピタリと止んでいるのだ。

室内は見事なまでに静寂が支配し、代わりに部屋の片隅にある古い柱時計のカチカチという秒針の音だけが、やけに耳に響いていた。

その時何故だか私は、世界に唯一人取り残されたような、そんな心細い感覚に襲われた。

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その時だった。

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「ごめんください」

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玄関の方から聞こえる知らない年配の男の人の声。

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両親から、知らない人が訪ねてきた場合は応対しなくてもよいと言われていたから、私は黙って座っていた。

するとまた、

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「ごめんください」

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今度はさっきよりも近いところから聞こえるような気がする。

私は無言のまま、じっと左方奥にある襖の辺りを睨んでいた。

すると、

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shake

シャー!

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さっきまで爆睡していた猫次郎が立ち上がり、襖の方を睨みながら威嚇するように背中の毛を逆立てている。

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猫次郎、どうしたんだろう?、、、

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突然豹変した猫次郎の背中を撫でながら、不思議に思いながら私も一緒に襖の辺りを見ていると、

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白い襖の中央辺りに、小さな黒い染みみたいなのが出来ているのに気が付いた。

それはあっという間に人型を形作り、次にはそこから抜け出すようにして、ぼんやりとした人影が姿を現した。

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激しい心臓の拍動と額を流れる生暖かい汗を感じながら、私は座ったままその影をじっと凝視する。

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そこには、とても直視出来ないような人の姿があった。

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その男は顔から胸の辺りまでが黒焦げになっていて、皮膚はあちこち焼け焦げ、かろうじて着物を着た人ということくらいしか分からないほどの悲惨な姿をしていた。

しかも古いスナップ写真のヒトコマのように、うっすらセピア色に霞んでいる。

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やがて男はゆっくりと動きだした。

それは歩くというよりも、直立不動のまま水上を滑っていくような感じでスーっと畳の上を移動していく。

男は、眠っている妹の後ろ側を通り過ぎ、右方網戸のところまで到達すると、向こう側に吸い込まれるように消えていった。

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私は急いで立ち上がると、網戸のところまで歩き、そこから外を覗いてみる。

庭は既に夕陽で朱色に染まっていた。

その真ん中を男は滑るようにしながら進んでいくと、やがて垣根の向こうの墓場へと姿を消した。

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網戸の傍らで、その様子を唖然としながら見ていると、また「ごめんください」という声がし、私はドキリとする。

今度は年配の女の声だ。

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しばらくするとまた襖から忽然と人影が現れた。

その姿を見た瞬間、私は全身が総毛だった。

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それは長い黒髪を垂らした着物姿の女。

ただその女には顔の右半分が無く皮膚は爛れ、着物はあちこち黒く焼け焦げている。

そしてさっきの男と同じく古い映画のようにセピア色をしていて、全体にぼやけている。

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女は男と同様に直立した姿勢のまま、ゆっくり水平移動していき、部屋を横切ると、網戸の前に立つ私の前を通り過ぎ、庭へと消えていった。

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だがこれだけでは終わらなかった。

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襖からは次々に無残な姿の人たちが現れると、部屋を横切っていく。

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顔に酷い火傷を負った、もんぺ姿の老女。

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片腕のない人足姿の若い男。

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頭髪を全て失い、真っ黒な顔の割烹着姿の女。

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あちこち焼け焦げた着物姿の遊女風の若い女。

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首から上の無い甲冑を纏った落武者風の男。

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…………

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皆ぞろぞろと私の前を通り過ぎると、庭を真っ直ぐ進み、垣根の向こうの墓場に消えていく。

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悪夢のような光景は、いったいどれくらい続いたのだろうか、、、

気が付いた時、外はいつの間にか暗くなっていた。

私が呆然としながら外を眺めていると、

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「お兄ちゃん、何してんの?」

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いつ起きたのか、妹が後ろに立っている。

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恐らくさっき起きた不思議なことを妹に言ったとしても、信じてはくれないだろう。

私は

「いや、別に、、、」

と言い、障子戸に手をかけようとすると、

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「ねぇ、ねぇ、お兄ちゃん、あれ見て、あれ何だろう?」

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妹が目を輝かせながら外を指差す。

言われてその方に視線を移した途端、私は思わず「あ!」と声を出した。

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それはちょうど垣根の向こうに見える墓場。

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暗闇に立ち並ぶ墓の真上を、

無数の大小の火球たちが青白い光を放ちながら、あちこち飛び回っている。

その様は、まるで水中のオタマジャクシたちが戯れているかのようだった。

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Fin

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Presented by Nekojiro

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