私の話①異世界へのルーツ

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私の話①異世界へのルーツ

 私の1番古い心霊的な体験の記憶は、5歳である。

生まれ育った町はいわゆる田舎で、ど田舎とまではいかないにしろ5分も歩けば田畑が広がり山もある。昔ながらの保守的な町で、小さな頃から盆や葬式のしきたりもがっつりあったし、地域によってそういった行いが異様に感じる独特なところもあった。

 身近にそういったものがあったせいか、私は墓とか寺とか神社とか、そういった場所は遊び場と変わらず、特に「怖い場所」とは思わず育った。だからであろうか、人に話すと怖がられるような体験も私に取ってはただの不思議な体験で

よくある事だった。

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異世界へのルーツ①

 私は両親共働きだったため、3つ年下の妹とは2人で保育園に預けられていた。忙しい両親に代わりしっかり者の祖母と祖母の尻に敷かれっぱなしの自由人な祖父が保育園の送迎や夕飯作りをしてくれていた。そのせいか私は完全なるおばあちゃん子で、祖母も私を格段に可愛がってくれていた。

 そんな祖母は、住んでいた市内からずっと離れたそれこそど田舎の農家の生まれで、私はよく祖母に連れられては親戚の家に遊びに行ったものだった。私からしたら祖母の兄弟など遠い関係で、名前もよく覚えられなかったのだが、唯一1人、思い出深い人がいる。

「丸下(仮名)のおじちゃん」と呼んでいたその人は、

いつも優しくお小遣いもくれて、色々な事を知っている人だった。

 そして、そのおじさんが住む地域が私にとってはいわゆる「異世界体験」と呼ばれる経験のはじまりだと思う。

 叔父さんの住んでいる家は、とても独特な土地柄だった。これは大人になってからルーツをたどりわかった事なのだが、祟りとか言い伝えとかを昔から信じているような地域で、他所から来た人間はかなり苦労するそうで、叔父さんもその1人だった。

だからだろうか。

私が遊びにいくと、あそこは行ってはダメ、来たらこれはしないといけない、など何度も言われたからかよく覚えている。

 さて、なぜ心霊現象と呼ばずに異世界体験と書いたと言うと、私の体験が色々な話を聞く限り異世界の体験談の話に近い事が多いからだ。有名な某駅の体験談も、心霊的な部分より戻れないかもしれない、自分の身にも起こるかもしれないといった恐怖が先行したと思う。そういった感覚に近いのだ。

 だからこそ子供の頃は、怖いとかではなく不思議だな、なんか変だなで終わっていた。

 私がそういった経験を怖い!と思うようになったのは、小学校4年生の時叔父さんが亡くなった時からだった。

 叔父さんが危篤だ、と知らせが来て私はそばに連れられて何故か臨終の席に呼ばれていた。ずっと可愛がっていたからと言う事だった。まずそこで奇妙な慣わしに遭遇する。

 いつもは締め切っていて、開いてるところを見た事が無かった今の奥の襖が開いている。その奥に、危篤な叔父さんがいて、襖の中には叔母さんだけが座っている。叔父さんの頭は既に北枕にされていて、寝ている頭の上と、布団の四隅には蝋燭が立てられおり、子供ながらに不気味だった。

 虫の息の叔父さんは、肝臓癌だったこともあり顔色はもう土のようで、口で浅い呼吸をするだけだった。

「あぁの部屋には入ったらあかんよ。」

 お嫁さんが眉間に皺を寄せていうものだから、私は頷いて祖母のお別れが済むまで違う部屋で待つ事になった。そこには叔父さんの孫もいて、年も近かったので私はいつものように遊び始めたのだが、やはりいつもと違う雰囲気にソワソワしていた。

 

 数十分に一度、バタバタとした慌ただしさがあり、

大人たちの啜り泣く声や、時々怒号も飛び交っていたと記憶してる。

 「じいじ、もう死んじゃうんだ。」

 孫の女の子がボソッといった。

「そうなの?」

「うん、もうすぐ血地獄に行くんだって。」

 え?と思った。

普通、亡くなった人は天国に行くものだと思っていだ私は、地獄という言葉に思わず声を上げた。

「他所から来た人だから、仏様のとこには行かないんだって。やだなー、じいじかわいそう。」

 絵を描きながらさらっと、さも普通のようなトーンで話すその子に恐怖を覚えた。「おしっこしてくる。」女の子はドアから出ていくと、いつもと変わらない様子で廊下を走って行った。

急に1人になり、

私はとても怖くなった。

まだ秋口でさほど寒くないはずなのに、

ゾクゾクと首の周りを冷たい空気がまとわりついているようだった。

そうして、身体をさすって待っていると、

『ボー』

と言う低い声のような汽笛のようなものが聞こえた。

私の右横から聞こえたような気がして、思わずその方向を見た。

「…あ、……あ。」

『ボゥ』

 そこには、壁から叔父さんが同化しているようにして顔を覗かせていた。怖くて動けなり、目もそらせない。

『…したい…したい』

 叔父さんは必死に何かを伝えてきてるのだけど、

私には聞き取れなかった。だんだん吐息が上がって、

泣き出しそうになったのだが、大好きだったおじさんが苦しんでる事も可哀想で、私はぐっと泣くのを我慢した。

『ボ、ボゥ』

『…したい…したい』

叔父さんはそうしばらく続けると、スーッと消えていった。 

 私は急いで部屋を出ると、叔父さんが見える居間に行った。

「やっぱり、叔父さんだったんだ。」

 私の部屋の壁を隔てた真隣は叔父さんの部屋だ。

みんな泣いているし、

でも泣きながら「〇〇時に死んだら方角が悪い。」だの、「葬式の日取りが稲刈りと被る。」だの、本人がまだ生きているというのに信じられないほど冷酷だった。

その声が聞こえているのだろう。

叔父さんは必死に呼吸しているように見えた。

 部屋に戻ろうとしたところで、トイレから戻った女の子と会った。トイレは部屋を出たところすぐにあるはずなのに、女の子は勝手口から戻ってきた。

「どこ行ってたの?」

「え、オシッコだよ。」

「だってさ、トイレそこでしょ。」

「ああ!外のボウにいったんだよ。」

「ぼう?」

私は何のことかわからなかったが、さっきのおじさの言葉を思い出す。そして、自分の祖母を呼ぶと、

叔父さんが「ボウしたい」と言っている、と子供ながらに言葉を選んで話だと思う。

「いまの話、他の人にしたらだめだぞ。」

祖母はそれだけ言うと、私を部屋に送り自分は臨終の席に戻った。

それから1時間後、

叔父さんは亡くなった。

その日は顔だけ見て、私は迎えにきた母親と家に戻り、なぜかお通夜にも葬式にも行くことはなかった。

祖母が連れて行かなかったのだ。

四十九日を過ぎて、私はやっと叔父さんのお墓とお仏壇に手を合わせに行った。

「風邪は大丈夫?」

叔母さんにそう聞かれて、私はよくわからなかったが頷いた。祖母が、私は風邪を引き熱があるため葬儀には出ない、そう言っていた。

 

帰り道、祖母は私を叔父さんが眠る墓にもう一度連れて行き、

「sena、叔父さんがあんたに感謝してた。

死に際に話せなくなった叔父さんはな、

最後おしっこがしたかったのを我慢してたんだよ。」

「そうなの?」

「ボウってのはな、家の中じゃぁねぇ、外の便所の事でな。昔はみんな外に便所があったんだよ。」

「そうなんだ、おしっこ出てよかったね。」

何だ叔父さんは怖い人じゃ無かったんだ。

叔父さんは最後に尿瓶で排尿し、とてもスッキリした顔をしていたそうだ。

私は叔父さんを助けられだと思って、喜んで言ったのだが、祖母は苦い顔をして、叔父さんの墓に向かって言った。

「おめぇ、sena連れてくなよ。わかってんな。」

とても怖い顔だった。

そして、

「senaも、この墓場のそこの杭のとこから先には絶対行くなよ。」

そう言われた。

意味も何故かもわからなかったが、

祖母の初めて聞く強い口調に、ただ、

「わかった。」

としか言えなかった。

 この時からハッキリと私の奇妙な体験の記憶は植え付けられていく。そして、5歳からの経験は徐々に繋がっていくのだ。

 

10月のその日は、

その杭の周りに真っ赤な彼岸花が咲いていた。

祖母に言われなくとも、その群生の中をいこうとは思わなかった。

その先に叔父さんがいる気がして、

祖母と手を繋いできた道を戻った。

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