これは、久しぶりに仕事に復帰した私の体験談です。
昨日見た人
子育てが落ち着き、子供たちも一人で留守番ができるようになった頃。私は平日の人手が足りないからと、友達からパートの誘いを受けていました。結婚を機に仕事を辞めてから十数年経っていましたし、何よりした事のない職種だったため正直なところ気乗りがしなくて、私はしばらく返事を延ばし延ばしにしていました。
仕事は映画館のスタッフで、仕事は話を聞く限りでは難しくはないもので、売店での接客やポップコーンを作るとか、チケットを切るとか、映画の幕間に劇場を掃除するとか。なるほど時給相当な仕事だなと言う感じでした。私は何度か友達がいる時に映画鑑賞に行った事がある映画館ではあるので、迷った末に平日のみ、残業なしの条件で引き受けることにしました。
友達からの誘いとはいえ、一応劇場の支配人に面接を受けることになった私は、久しぶりにブレザーを羽織り家から10分ほどの映画館に行くことになりました。私はもともと縁起を担ぐ方で、信者とまではいかないもののきちんとした仏教徒です。なので、いつも変わった事や初めて何かをする時などは、護身の意味も込めて必ず左手首に数珠をつけて出かける事にしています。面接のその日もしていきました。
その映画館は最近には珍しく、商業施設に併設されているような映画館ではなく、独立した4階建ての建物です。しかし、おりからの不況で経営者を二度三度変え、今のオーナーが買い取ってからは、規模を縮小して営業していました。初めて映画館の裏から中に入り色々と説明を受けながら歩き進め、事務所と呼ばれる部屋に着いたその時です。私は忘れていたある感覚を背中に感じました。
(頭上から視線を感じる。)
ぞくっとして、そのあとヒヤッと体温を急激に何かに奪われるその感覚は、もうだいぶ前になくなっていたものでした。そして私はそのまま理解するのです。
ここには何かいる。
気をつけないといけない。
私の不可思議な体験や、奇怪な事件などは別の機会に詳しく書こうと思いますが、十数年前に結婚し上の子を出産した時を最後にピタッとなくなっていました。それは、幽霊がはっきり見えるとか、誰かと同じ場所で同じ恐怖体験をしたとか、そういったはっきりしたものではないですし、物心ついてからも暫くはそんなものといった感覚のものです。のちに成長し、その感覚は特殊なもので、他の人の体験談をテレビやネットで見知った事で怖いものらしいと認識しました。
それを一度怖いと自分が感じてしまうと、この先どうしようもないと思い深く考えず過ごしていました。
そんな忘れていた感覚に再び襲われた私は、とっさに左手首に手をかけながら面接を受けました。友人の口添えもあってその場で合格し、翌日からすぐに研修に入れる事になり、一抹の不安はあったものの十数年ぶりの仕事復帰への緊張もありそこからしばらくは奇妙な視線を感じる事もなく過ごしました。
それから仕事が慣れ、研修も開けた頃の事です。
その日はシフト被りがあり、閑散期の平日にも関わらずスタッフがいつもより多く、さらにはサービスデーでもない事から暇になり、私は新しい仕事を覚えるために支配人から映写機のある部屋に呼ばれました。
一階と三階にシネマがあるうちの劇場は、各シネマに映像を送る映写室は二階と四階にありました。さらに四階の映写室には、光が漏れない場所に作業場があり
簡易的なカーテンで仕切られています。仕事は、二階の映写室にいる売れ残ったグッズの在庫整理でした。
「四階の作業場でやってもらって、そのままそこに積んでおいて。」
終わったら今日は帰っていいよ。
支配人の指示を受けて、それならさっさと終わらせようと私は一人、二階と四階を行ったり来たりすることとなりました。支配人は時々、映写機を確認しに姿を現しましたが、それ以外は防音が効いているためか異様なほどの静けさです。私が作業する音が淡々と続き、外の光も一切入らないそこは時間の感覚を狂わせて行きました。
どれくらい作業していたのか、凝った肩を回しながら四階から二階へ降りようとエレベーターのボタンを押そうとした時です。呼んでいないエレベーターが四階に上がってきました。また支配人かな?と待っていると、エレベーターは私の目の前で開きました。しかし、そこには誰も乗っていません。おかしいなと思いはしましたが、そのまま二階へ最後の荷物を取りに下りました。
そして、最後の荷物を四階に移動しようとエレベーターを待っていると、唐突に
カチャ、カチャ、カチャ、
カラカラカラカラ
カチャッ
キーーー
ジーーージーーー
と、なにか金属製のものが擦れるような音と、
ボタンが押されたような音、さらには夏場によく聞く虫の鳴き声のようなジーッと言う音が鳴り始めたのです。その音たちは暫く続きました。そして、
ゾクッ
また、あの悪寒が背中を伝って体温を奪っていきました。
いる。
私は私に視線を向ける何かが後ろにいる、そしてそれは初めて事務所に入った時のあの視線と同じだ。と確信していました。
大抵、私はこんな時には「相手」が何もアプローチしてこなければ知らんぷりをしてその場をやり過ごすのが初期対応だったので、一瞬息を飲みましたがそのままエレベーターで四階へ上がりました。でも何故か、その悪寒はその場を移動しても付いてきました。
さすがに「ついてきているかも」と言う予想は私の中に恐怖を生みましたが、それが何なのかもわからないのにどうしようもありません。
エレベーターを降り、作業場へ戻ろうと暗闇を歩きだしたのですが、私はすぐに作業場の辺りに違和感を覚えました。明らかに誰かがそこにいるんです。最初は支配人かと思ったのですが、すぐに違うとわかりました。それは黒い影のような虚なもので、ふわふわと浮いているようなでもしっかり足があるようにも見えました。そしてそれはハッキリと私の方を見たのです。
「これはまずい」
私はボソッとそう口にすると、エレベーターを待つ事をせず非常階段から一階まで一気に駆け下りました。
事務所には案の定支配人がいて、慌てて戻ってきた私をジッと見つめてきました。
「どうしたの?」
「いえ、階段使って降りてきたので息が上がって。」
「…そう。あ、整理終わりました?」
「あと一箱です。ガムテープが欲しくて…」
それなりの理由で正当化して、ガムテープを探すふりをしながら私は息を整えてさっきの事を冷静に考えていました。何だったのかはわからないにしても。
するとデスクで仕事していた支配人が、
「2時半過ぎか…」
と、呟きその場をたちがりました。
支配人は、四階の映写室に客の動員が0のシネマの映像を止めに行くと立ち上がりエレベーターに向かっていきます。私は一人で戻るのが嫌だったので、
それに合わせて一緒に四階へ戻りました。人がいる事がこんなにも安堵するものなのかと胸を撫で下ろしました。そしてその後は何事もなく、残りの作業は終わりその日は仕事を終えました。
そして次の日。
朝、着替えてロッカー室から出たところで、私は映画館一の古株の男の子と一緒になりました。そういえば映写機のことも詳しいし、社員でもないのに劇場のどこに何があるかなど細部にわたって説明できるなぁ若いのに。と思って話を聞くと、その子は映写機がまだデジタルではない頃からいるそうで、私は初めてそこで映写機が今は全てデータ化されているを知りました。
「と言うことは、昔はテープみたいなやつだったんだ?」
そう言うと、
「今じゃどこもデジタルですけどね。
あ、うちも二階にも四階にまだ昔の映写機ありますよ。」
外に出すのもお金かかるし、そのままにしてあるみたいだとその男の子(以下A君)は言います。
「あと、休憩室に昔の映写機の扱い方のビデオありますよ。俺もよく見ました。」
私は、昔の映写の仕方に興味が湧いて休憩の時間を利用してビデオを見てみる事にしました。思えば何故そんな気が起こったのかもわかりません。そして私はこの後すぐに後悔する事になるのです。
ビデオを見始めて、各部位の説明が終わり、
いざ映写を始めると場面が移ってすぐでした。
カチャ、カチャ、カチャ、
カラカラカラカラ
カチャッ
キーーー
ジーーージーーー
???
すぐに聞き覚えのある音がなりました。
体も直ぐに思い出したのか、背中に悪寒が走ります。
映像は続きますが、私はそれからの内容は一切入ってきません。
「この音だったのか。」
身体が震えだしたのもわかりましたし、
なんならこの後の仕事に身が入らないのもわかりました。今は使われていないはずの映写機の音を私は確かに聞いたのです。映像が全て流れ終わり、私は直ぐにスタッフがいる売店に戻りなんとか一人になるのを避けながら仕事を続けましたが、確実に何かがいるであろう劇場で気を抜く事ができなくなりました。
ですが、運の悪いことに、私はあと少しで退勤という時に、
「悪いんだけど、返品するから〇〇のグッズ下ろしてきてもらえる?」
と支配人に頼まれごとをされてしまったのです。
今日だけは絶対行きたくなかった。
心からそう思いましたが、映画の幕間なので電気をつけていいとの事で仕方なく四階へ向かいました。
エレベーターを降りて作業場へ足速に向かいます。
目当ての箱を直ぐに見つけて、顔を上げた時です。
私は、なにか、と目があったのがわかりました。
「きのうみたひとだ」
そしてそう言われたのです。
低い男の声です。
声は背後から聞こえ、私は誰かと目が合っています。
心臓は驚くほど冷静な鼓動を続けていましたが、
私の脳は「すぐに逃げろ」と命令をだします。
「きのうみたひとだ」
動けないままでいると、男はまたそう言いました。
私は気づかないふりも出来ず、かと言ってすぐ動くこともできずにその場に立ったまま。
(どうしよう、だれか…)
心の中で助けを求めて、やっとの思いでギュッと目を瞑り気配がなくなるまでただ耐える。そんな時間がどれくらい続いたか。
ガッ
「きゃぁ!!」
私は肩を掴まれて、大声をあげました。
「大丈夫っすか?
電気がなかなか消えないから、支配人が消してこいって。」
そこにはA君が立っていて、もう次の回が始まるというのに映写室が明るい事に気づいた支配人が、A君をよこしたようでした。
「ごめん、すぐ消すね。」
そう言うと、A君は
「…俺やるんでいいですよ。
あと、
あんまここにいない方がいいと思いますよ。」
と、何かを察したのかそう発言しました。
「なんか、あるの?やっぱり。」
「怖がらせたいわけじゃないんですけど、
劇場とか映画館とかって、集まるんですよね。」
「…やっぱりここもいるんだ。」
「…いますね。特にこの先にある古い映写機がある所はとかは、
近づくのオススメしないっす。」
そんな事を話しながら、映画館の昔のことをたくさん聞いた私は支配人にありのままを話し、映写室での仕事からは全て外してもらいました。
そしてこれが、
私の三年半にわたる、映画館での不可思議な体験のはじまりとなりました。
今もこの映画館は存在します。
時々その横を通っては、
その三年半の事を思い出すのです。
この続きは、また。
作者sena