中編5
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景色

「紫色に濁った夕日が見えたらすぐに下山しろ。変なものが降りてくる」

都会暮らしに飽きた私は、祖父の土地を借りて野菜畑を始めた。

最初はトマト。次はサニーレタス。次は大根。

この大根がなかなかうまくいかず、細くてひん曲がったものばかり。

なるほどスーパーで見る野菜には、それはもう大変な歴史による技術が注がれているのだと納得できた。

ともかく今日もそんなマンドラゴラのような安っぽい大根を手に、山を降りることにした。

紫色が見えたからだ。

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「あんな綺麗な景色なのにもったいないな」

畑から村の方に降りるとすぐに視界から消えて無くなる。

祖父は山の天辺の一部に、使っていない畑を貸してくれた。

一週間に一度は私が、それ以外は祖父がついでに見てくれることになっている。

ありがたいことだ。

ふと、背後の藪がざわついた。

男がいる。

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私はいつものように挨拶した。

「こんにちは」

なぜかこの山には、謎の男が住んでいるのだ。

姿はひどく見窄らしい。帰る家が無いのかと思うほど、ボロボロに擦り切れた布を纏っていた。

それは毎回青っぽい瞳で鋭くこちらを見て、くるりと背を向けて去っていく。

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「また無視か」

いつもこうして見るだけ見ていくのは何なのだろう。

気になるが、何の害も無いので放っている。

祖父には伝えなかった。おそらく二度と山に行かせてもらえないだろうから。

夜は畑で取れた野菜を、祖父がおかずにしてくれる。

味噌汁をすすりながら私の頭は空を考えていた。

なぜか一部だけが紫色なのだ。西の麓の山々から顔を覗かせるように。

ちなみにその方角には家が一軒も無い。

「今日も見たか?」

「うん」

ずっと見ていたくなる珍しい光景だが、ホラー好きな私は祖父の言う通りにしていた。

だいたいドラマや映画で言いつけを聞かなかった人がろくなことにならないことを知っている。

フィクションだとしても、何か起きてからでは誰のせいにもできない。

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そうして数ヶ月が経った頃、ある異変に気づいた。

紫色が広がっていた。

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「おじいちゃん、紫色が大きくなってた」

「そらまずいな」

「なんで?」

「あれに魅入られたら死ぬ言われとる」

「死んだ人がいるの?」

「人づてに聞いたもんで、実際は分からん」

「なんで紫色なの?青空と夕日の間?」

「血の色らしい」

自分の肩が硬くなるのを感じた。

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「誰の血?」

「さあな。おまえ、もう畑やめとくか?」

どうやら不安を悟られたらしい。

まだ大根すらまともに育てられていないというのに、たかが言い伝えで。

「たかが言い伝えでって、いつも言うんだよね」

「ん?誰が?」

「テレビの登場人物」

「はあ?」

「それで死んじゃうの」

「まあ、信じるかどうかはおまえが決めんさい。立派な大人やでな」

「そうだね」

田舎の訛り言葉が嫌で、必死で都会の話し方を覚えた。

少し申し訳なくも思っていた。

祖父はめっきり年を取り、私が生まれたときと変わらず、こうして農業に営んでいる。

「せめて大根くらいは収穫したいな。立派な大人のやつ」

「おう。楽しみにしとるよ」

祖父は口角を上げた。

ということで畑は引き続くこととなった。

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一ヶ月後。

また今日も藪から男が見ていた。

そう思った瞬間、それはこちらに飛んだ。

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「うそ」

何かが顔にめり込む感覚がした。

私の記憶はぐちゃぐちゃになり、次に目を覚ますと木の葉と空が見えた。

そして脚が地面に付いていない。

引きずられている。

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「やめて」

どこに向かっているのか分からない。

起き上がろうとするとひどい吐き気に襲われ、頭が痛くなった。

そしてよくよく見ると、空は一面が紫だったのだ。

これはだめだ。私は制限時間をとっくに過ぎていた。

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「お願い。私を帰して。お願いだから」

背中が草の上をぬるぬると滑る。顔を触ると鼻血が出ていた。

どうしてこんなことになったのか。

言いつけは守ったはずなのに。

祖父との会話が蘇り、涙が出た。

吐き気が限界に達し、喉を上がってくる。

まずいことにそのまま喉を詰まらせ、私はむせながら気を失った。

男の表情は見えなかった。

私は病院で目を覚ました。

両親と一緒に祖父もそこにいた。

なかなか珍しい光景だ。

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「良かった。間一髪だったらしい」

父が安堵している。

「何があったの?」

「こっちが聞きたいわよ!」

母が睨んだ。その目は腫れぼったくなっていた。

「おまえが倒れてたんや。帰りが遅いから気になってな」

「倒れてたってどこに?」

「山の入口や」

「やっぱり。狼男が助けてくれたのかな」

「なんだそりゃ?」

「なんか目が青くて、ずっとこっちを見てるの」

「ああ」

祖父はややあと髭を弄った。

両親は何の話か分からない様子だ。

「昔のことやけど。それじいちゃんが飼ってた奴やな」

「飼ってた?」

「怪我してたから世話しててな。でもなにせ気性が荒くてなあ、治る前に逃げていきよったわ。それで猟師に殺してくれ言うて」

「いや、何言ってるの!」

「そういう決まりなんやけど。動物やろ?あれ」

祖父の目は笑っていた。冗談のつもりではないようだ。

それ以上触れてはいけない空気を感じ、私は話題を変えた。

そうするうち、医師が入ってきて説明を始めた。

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山に不法に捨てられた廃棄物が草木と反応して起こる中毒症状。

そう告げられた。

症状が進むほど視界の色が変色し、頭痛や吐き気がするそうだ。

記憶の片隅に留めてずっと忘れていたが、祖父は以前から得体の知れないゴミが出てきたと言っていた。

不法投棄なんてどこにでもあるんだから仕方ない。私は軽く考えていた。

自分には関係が無いと。

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しばらくあの山には私は入れないことになり、後のことは祖父に任せた。

私はあっさりと都会生活に戻り、週末は他に見つけた趣味で楽しく過ごしている。

時々祖父から写真が届いて、私の畑から取れた立派な大根を見せつけてきた。

悔しいけど、もう畑を再開することも無ければ、紫色を見ることも無さそうだ。

あの男は何だったのだろうか。そもそもなぜ生きていられるのか。

不法投棄と関係があるのだろうか。祖父と関係があるのだろうか。

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きっと自分には関係ない。

Concrete
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