数年前の8月。
ゲーム内のオープンチャットでのこと。
その日は夜8時からとある恐怖番組がテレビで放送されていた。
チャット内では同時にその番組を見ている人達が沢山おり“あの話の演出はなかなかだった、でもこの話はやりすぎだった”などフリートークでワイワイと話をして盛り上がっていたのである。
その話の最中。
僕がなんとなく“何処かには実際にこういう怖い体験をした人間がいるのかな。実体験として聞いてみたいけどなぁ”という発言を溢した所、急に見知らぬアカウントから個人宛の秘匿DMが送られてきた。
「初めまして。めっちゃ怖い話があるんですけど聞きますか」
「えっ?表(オープンチャット)の方でなく僕にですか?」
「番組を一個も馬鹿にした発言をしなかったので」
それが理由なら、ああ、と合点がいった。
いわゆる心霊番組、ホラーな番組というのは“幽霊がやりすぎて偽物っぽかった”だの“あの状況であの行動はおかしい。絶対にそうはしない”とか“フラグを立てすぎて安っぽい”とか“あれは偽物”とか批判され馬鹿にされる対象になりがちだった。
確かにオープンチャットでも多少そういった笑いの方向にもっていかれてしまっていたのだけれど、僕はどうにも真面目すぎる性格だったから批判して笑う文化には馴染めなくて。
それ故に先程の“実体験として体験している人がいるんだろうねえ、聞いてみたいなあ”という感想に落ち着いたわけだったけど、それがどうにも功を奏したらしい……ということだった。
「聞きますか?」
「それは、もう是非。僕は全力で正座して真面目に聞きますよ、ハイ」
そう伝えると小町さん、と名乗るユーザーは“書き込むと長くなるからぜひ音声通話ソフトにでも”ととある通話ソフトのアカウントIDを教えてくれた。
通話を開始すると、とても落ち着いて優しげな、柔らかい男性の声がした。
いわゆるこう言うのを“いい声”というのだろうなあ、という声だった。
彼は自分の名前をユーザーネーム通りに“小町です”と名乗って、その後は少し当たり障りない雑談をした。
「何から話そうかなあ。話すのヘタクソなんだけどなあ、」
「いや全然、いい声なんで聞きます。全然、大丈夫です、むしろ僕に話してくれてありがとうございます」
「じゃあ、あの……知ってるかな、本当にあった怖い話、みたいな心霊テープばっかり集めたようなDVDが TSUTAYAで借りれるの」
「ああ、ありますねえ」
「あれを借りたのが、はじまりだったんだけどね」
小町さんは、この話を聞いた時から約半年少し前程に、友人とその心霊系のDVDを借りた。
「何本か借りて部屋で見てたんだけど、途中で飲み物を取りにいったのね。俺の部屋って、自室として使ってた和室があって隣にダイニングがあって、キッチンがあるんだけど、和室と居間は襖で仕切られていたわけ」
飲み物を片手にキッチンから和室に戻ると、相変わらずのクオリティの心霊ビデオが再生されていた。
友達にペットボトルを何本か手渡して部屋に入って定位置に座る。
座って、落ち着いて、襖を閉めようとした時。
閉まってゆく時にふわりと赤い布がはためいて裸足の足が歩いてゆくのを見た。
「わああっ!」
「えっ?!??!?な、なんだ!何!?」
「えっ、えっ、えっ!?」
思わず叫び声をあげた小町さんは今見たものをすぐに友人に説明したのだが、どうにも“見間違い”という事で話は決着した。
足音はしなかったし、仮にダイニングにそんな人間がいるとすればそこに飲み物を取りに行った小町さん自身が1番気付くであろうから、という事だ。
「だから、見間違いって事にしたんだけどね」
「心霊テープ見てたんですもんね。……赤いワンピースの女ってよく出てきますよね、しかも、それが出てくると大体全部怖いイメージがありますね」
「わかる。赤い系はめちゃくちゃ怖いよ。それでその後はそんな事も忘れて普通に暮らしてたんだけど、自分の部屋……和室にいる時に、ダイニングを歩く足音が聞こえたんだよ」
小町さんが大学から帰宅して、家事を済ませて自室に戻った頃。
――――ぺたぺたぺたぺた。
裸足の足が、フローリングを歩く音がした。
ぺたぺたぺた。
ぺたぺたぺた。
ぺたぺたぺたぺた。
ぺたぺたぺたぺたぺた。
聞き間違いでは済まされないほどにその足音は鮮明だった。
一瞬、他の部屋からの騒音を疑ったわけであるが、この足音はダイニングを行ったり来たりぐるぐると歩き回っているらしく和室の襖の前を通る時は少し音が大きくなる。
他の部屋からの騒音とは考えづらかった。
「あ、これは俺の部屋にいるんだ。あの心霊テープを見た日に何かが噛み合って、どこからかあの女が現れて出てきてしまったんだ……って思ったんだよ。俺に理屈はわからないけど、多分幽霊には幽霊のロジックってのがあるんだよ。そのロジックに噛み合ったから、多分出ちゃったんだ」
小町さんは、人の歩く音を聞いた日には真っ先に赤いワンピースの足を思い出した。
あの時にいたあの女がまだこの家にいて、ダイニングを歩き回っている。
というか、もしかしたらずっといた何かが活性化してしまったのではないか?
そう、嫌な予感が頭に浮かんだ。
「最初は足音だけだったんだ。ぺたぺた、ぺたぺた。怖かったけど襖を開けようとしたり立ち止まったりするような雰囲気はなくてさ。ぺたぺた、ぺたぺた、歩いてるだけ。
俺はここで“こっちが何か下手にアクションを起こすとあっちも別のアクションを返してくるだろう”って推測したの。だから、聞こえないフリしてたんだ」
ぺたぺた。
歩く音はいつも夜になると聞こえるらしい。
ダイニングで家事や何やらを済ませて部屋に戻ってから暫くすると、ぺたぺた、ぺたぺた、と。
歩き回る音がする。
「それが、音がし始めると、いっつも赤いスカートと女の足が頭の中に浮かぶんだ」
小町さん曰く。
その音を聞くと何故か頭の中に、赤いスカートをはためかせ歩く女の足の様子が鮮明に思い浮かぶ。
見えるのはいつも足首とくるぶしあたりだ。
その足は隣のダイニングを歩き回っているから、床に置かれた小物や襖は見覚えのあるものばかり。
「ダイニングを一心不乱にぐるぐる歩き回る女の足がずっと頭に浮かんできて怖くて。だからこうしてゲームしてたんだけどね、音が止むまでずっと。声を出すのは怖いから音がしている間は絶対に音声チャットしないんだ。ひっそり息を潜めて歩き回るのを待って、それから“今日も1日が終わった”ってほっとしてた」
小町さんの生活ルーティンの中に、いつのまにか“自室に戻って何分か女の歩く音を聞いて息をひそめる”が組み込まれていた。
「でも、さ。さっきも言ったじゃん。幽霊にもロジックがあって、俺らでは想像もできん事がスイッチになるんだって」
小町さんが足音の隙間に“別の音”を聞いたのは、足音を聞くようになって3ヶ月経った頃の事。
いつものように、小町さんは自室に戻り襖を閉めた。
パソコンの電源をいれてオンラインゲームを立ち上げる傍ら、また、あの足音がした。
ぺたぺた、ぺたぺた。
小町さんの頭の中に、またあの赤いワンピースから覗く生っ白い足とくるぶし、つま先が浮かんだ。
「ああ、歩いてる、歩いてる、ぺたぺた歩いてる」
ぺた、ぺたぺたぺたぺた。
歩いている。
ぐるぐる、ぐるぐる、フローリングをぐるぐると歩き回る音がする。
ぺたぺた。ぺたぺた。ぺたぺたぺた。
頭の中でスカートがひらひらとはためいた。
いつも足元だけが見える。
あの時見た足元が見える。
頭の中ではいつもそれだけしか見えないのに、急にぱちんと定点カメラの映像が切り替わるように、まるで防犯カメラの映像のように部屋の天井の角から見下ろすような視点でダイニングを歩き回る女の姿が脳裏に過ぎった。
ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた。
女は一心不乱に隣のダイニングをひたすらぐるぐると歩き回っている。
歩いている。ぺたぺた。ぺたぺたぺた。
長い髪の赤いワンピースを着た女が、きちんとわかる。
見たこともない女が、襖を隔てた隣のダイニングの中を歩き回っている。
ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた。ずる。
頭の中の映像で、女の赤いワンピースの裾から何かが垂れ下がっていて、それを引き摺っている“ような気がする”と見える。
――――ゴン!!!
何を引き摺って居るのかもう少しで理解しそうになった時、小町さんは机に頭を打ち付けた。
無意識ではない、自分の意思で叩きつけた。
「あ、だめだ!って思ってその瞬間に思い切り頭を机に打ち付けたんだよ。もうそうするしかなかったんだよ。気付いて見えたらダメなものが見えるような気がしたから、その瞬間に思考をなんとかシャットダウンしなきゃと思って」
小町さんが机に頭を打ち付けた瞬間、足音が止んだ。
「ああ、今日からは次の何かが起こるんだって予感がその時からあったんだよ」
……ぺたぺた。
ぺたぺた。
ぺたぺた。
今日も、小町さんが夜に自分の部屋に戻るとあの赤いワンピースの女が隣の部屋を歩き回る音が聞こえはじめた。
ぺたぺた。
目の前にはパソコンのモニタがついていてオンラインのゲーム画面が映し出されている。
それを目で見て認識していてなお、小町さんの頭の中には隣で歩く女の足元が見え続けていた。
ぺたぺたぺたぺた、ぺたぺた。
真っ赤なスカートが忙しなくはためいて、チラチラと青白い足先が見える。
ぺたぺた、ぺたぺた、ぺたぺた。
小町さんの視点が足元から切り替わり天井の隅から定点カメラで見下ろすような視点に変化した。
女はぺたぺたと裸足の足音をさせながら部屋をぐるぐると歩き回っている。
ぺたぺた、ぐるぐる、ぺたぺた。
ぺたぺたぺたぺたぺたぺた、ずるり。
足音に別の、何かを引きずる音が混ざった。
小町さんの脳裏にひらひらとはためく赤いスカート、ワンピース、女の姿が見えた。
女のスカートの裾から何か黒いものを引きずっている、ような、気がする。
何を?疑問に思うとその部分に意識をやってしまいそうになる。
“ゴンッ!!!”
小町さんは瞬間的に机に頭を打ち付けた。
あの日から当たり前のように頭を机に打ち付ける事で女の映像を脳内から追い出すようになっていた。
「絶対に見ちゃいけない、見ちゃいけないんだって思ってた。見たら何かまた一手進むんだ、女の行動に変化が起こるんだ、どうなるんだろうって怖かった」
毎日毎日、小町さんは額を思い切り机に打ち付けて悪夢を終わらせる事が日課になっていた。
恐怖を振り払うため、意識をそこに向けないため、1番効果的だろうと思われる痛みを利用した。
毎日の事だったから額の皮膚が裂けて常に血が滲んでいたが、小町さん自身それ以外に恐怖の進行を止める方法が思いつかなかった。
しかし。
とある日小町さんに、とうとうその日はやってきてしまった。
いつものように部屋に戻ってからしばらくすると、足音と共に頭の中に映像が浮かんだ。
いつものように足元の映像が浮かび、視点が切り替わり女の全身がわかるようになる。
ずるり、と何かを引きずる音が足音の隙間に加わった。
ぺたぺたぺた、ずるり、
……ゴッ!
小町さんはそれと同時に頭を思い切り机に打ちつけた。
ぱちん、と視界が切り替わった。
その日はじめて、頭から女の映像が振り払う事ができなかった。
……恐怖が進行した。
視界が切り替わり女が引きずっているものが黒く変色した腐った縄のように見えた気がする。
それは女の首を一蹴ぐるりと巻いて地面に伸び、尾っぽのようにぺたぺたと歩く女の後ろをついて回っている。
「あ」
縄が見えた小町さんが思わず呟いた瞬間、また、ぱちりと視界が切り替わった。
視界いっぱいに“真っ赤な顔”が現れた。
この日、小町さんは初めて赤いワンピースの女の顔を頭の中の想像で認識した。
それは真っ赤に熟れたような顔をしていた。
顔に空気をいれてぷうと膨らませたようにぱんぱんに膨張していて赤黒い。
見開いた目の眼球はピンポン球ほどに膨れこぼれ落ちそうになっていて、その視点はいつまでも定まらずふるふると眼球ごと揺れている。
決して目が合うことはしなかったが、揺れる眼球は必死に小町さんと視線を合わせようとしているように思えた。
〈……ほぉおお、おおお、ほ、ほ、〉
「お」の発音をするような形で固まった唇のその狭い隙間から丸まった舌が伸び空気が漏れて鳴っている。
〈ほぉお、お、おお。…………ぇて〉
目に浮かぶ映像に合わせるように、小町さんの右側の耳に喉を絞り吐き出すような声が聞こえた。
〈…………おおおおお、お、し、え、て、〉
「……あ、ぁあああああああ!!!!」
小町さんはその声を聞いて絶叫しながら、咄嗟に右手で自らの左手を引っ掻いた。
力加減は全くしなかった。
爪が思い切り皮膚に食い込んで肉を引っ掛けて裂いた。
この日は、この痛みが恐怖の進行を止めた。
「ここから自傷するようになったんだよ。毎日毎日、女が耳元で“お、し、え、て、”って何かを聞いてくる……何を?って思い浮かべたらきっと、また何か次に進んでしまう……。何を教えて欲しいのか、知ってしまう事になる……。
引っ越ししようと思うにはもう遅くて、この頃は完全に引き篭もり。毎日ずっと部屋でベッドに寝転がっていて、動けなくて、誰にも連絡を取る気力もなくて、毎日毎日ぺたぺたずるずる“おしえて”……“何を?”って考える前に自傷して無理矢理頭の中を空っぽにして……」
小町さんの生活は、壊れていた。
部屋を出ることも叶わないほど気力もなく、とにかく最低限の寝食だけをしながら死んだように生きていた。
友人から連絡は何度かあった気がする。
ただ、携帯電話が鳴るたびに無視を決め込んでいたから何週間かすると誰も連絡してこなくなった。
おそらく何人かが家に直接訪ねにきていたのかも知れないが、小町さんはインターフォンの音も外からのノックにも強い恐怖を感じるくらいに神経が摩耗していたから、小町さんは全て無視を決め込んでいた。
そのうち訪問者がなくなったのか、インターフォンもノックも何も、聞こえなくなった。
「腕がぐずぐずだったんだ。引っ掻いて肉が爪で削げて、そこをまた爪で引っ掻いて、傷が治り切らないうちに、また」
小町さんの両腕の内側も外側も治り切らない引っ掻き傷にまみれていた。
この頃、季節は冬に差し掛かろうとしていたが長袖を着る気にはなれなかった。
傷が服に張り付いて酷い目をみたからだ。
季節外れの半袖から伸びた腕からは常に血と膿の混ざった汁が流れて布団にもシミを作っていた。
(もう、死んだ方が楽になれるのかもしれない)
毎晩、毎晩、ぺたぺたずるりと赤いワンピースの女がやってきては膨らんだ顔で“おしえて”と何かを問うてくる。
段階を踏んで進行する恐怖に、疲弊しきっていたのだ。
小町さんは腕から立ち上る膿の腐ったような臭いを嗅ぐたびに自分が今死んでいるのか生きているのか解らなくなった。
傷が酷く痛む腕を庇いながら風呂に入るのも疲れた。
痛む腕を庇いながら食事をするのも、ベッドから起きるのも、誰が決まりごとをしたわけでもないのに“おしえて”の言葉と共に自分の腕の傷に傷を重ねるのも、嫌になってしまった。
「全部嫌になった日に“教えて”の言葉に“何を”って聞いたんだ。もうどうでもよかった」
いつものように膨れた顔が目の前に現れた。
相変わらず、唇を丸めた先から伸ばすようにして舌を出している女が漏れた空気と共に問いかけてくる。
〈ぉお、ほおおおお、お、お、し、え、て、〉
「……なにを?」
小町さんが問いかけた瞬間、小町さんの身体が“フッ”とした浮遊感に襲われ、
――――どすん!
と、落下して床に叩きつけられた。
背中に激痛が走り呼吸が止まり、必死に息を吸おうともがいた。
しかし、いくら息を吸おうと必死になってもどうしても空気が入ってこない。
苦しみのなか必死に手を首に回す。
自分の首に、ぐるりと一周縄が巻かれている事に、小町さんはその時初めて気がついた。
空気を取り込んでゆっくりと意識がまともに覚醒をはじめる。
ぼんやりと滲んだ視界がクリアになり視線だけであたりを見回すと、締め切っているはずの襖がするりと開いているのが見えた。
「襖の向こうに、赤いワンピースの女が……膨れて、形がおかしくなった頭の女が立ってて……初めて見たんだ、俺、たぶん、幽霊ってそこで初めてみたんだよ」
女はふるふると震え続ける眼球で小町さんを見つめようとしていた。
〈おおお、おお、お、お、し、ぇ、え、て……お、し、え、て、お、し、え、て、〉
女は、喉を絞った声で“おしえて”を繰り返した。
小町さんは動かない身体を引きずるようにして上体を起こした。
ぺた。
ぺたぺたぺたぺたぺた。
〈お、しえ、て、どうやって、しぬの〉
女は小町さんの側に歩いてきて、膨れた顔を右の耳に寄せて囁いた。
意識を半分失っていた小町さんの中に、恐怖が沸くように溢れた。
〈おおお、お、お、お、し、え、て、どう、したら、し、ね、る、の、〉
「!!!!!ああああああ!!!!!あああああああああああ!!!」
小町さんは絶叫した。
そして、意識を失った。
「目が覚めたら、病院。俺の絶叫を聞いた近所の人が通報してくれたんだって」
小町さんはこの日から3日後に病院の個室で目を覚ました。
あの日の夜、ただならぬ絶叫が聞こえたから、と近くの住民が警察を呼んだ事で小町さんは一命を取り留めた。
実際のところ本人が思うよりも状態は悪かった。
腕の傷はぐずぐずになるまで何度も引っ掻いたせいで腐って駄目になる一歩手前まで悪くなっていた。
医者に全てを話すべきか迷ったが、話す事で何が起こるかわからなかったから、怖くて話す事はできなかった。
結局、小町さんの自傷については、ストレスによる精神の摩耗が原因の行き過ぎた自傷、という事に落ち着き、小町さんは病院に通院をして経過観察を受けることになった。
「病院で意識を失ってる間……寝てる間、ずっと夢見てたんだ。赤いワンピースの女が首を吊るところ」
小町さんは意識を失っている間、夢をみていたという。
赤いワンピースの女が、首を吊ろうとする夢だ。
広い部屋、家具も何もない。
部屋の真ん中には首吊りをする輪っかのついたロープ。その下には椅子が置かれている。
その椅子に登って、赤いワンピースの女が首に縄をかけ意を決したように椅子を蹴り飛ばす。
「あっぉ、あ、あ、あ、あ、あ!」
縄で締まった女の喉から“きゅう”と音が漏れる。
女は、首にかけられたロープを両指で引っ掻きながら苦しみに身体をくねらせていた。
――――どすん!
そこで、縄が切れてしまった。
女の身体はフローリングに投げ出された。
暫くして立ち上がった女は、鬱血した赤黒い顔のまま、首にかかった縄を引き摺りながらフローリングをぐるぐると歩き始めた。
ぺたぺた。
ぺたぺた
ぺたぺたぺたぺた。
女の唇から小さな呟きが溢れている。
ぺたぺた。ぺたぺた。ぺたぺた。
「どうしたらしねるの?どうしたらしねるの?どうしたらしねるの?どうしたらしねるの?どうしたらしねるの?どうしたらしねるの?どうしたらしねるの?」
女はぶつぶつと呟きながらフローリングをぐるぐると歩き回っている。
ぺたぺた。ぺたぺた。ずるり。
歩き回っていた女が急に立ち止まりロープを首から外すともう一度、輪っかを作り、天井からロープを下げた。
椅子をなおして、赤いワンピースの女は自殺をやりなおした。
――――どすん!
女はまた、自殺を失敗した。
ぺたぺた、ずるずる、どすん!
ぺたぺた、ずるずる、どすん!
ぺたぺた、ずるずる、どすん、
――――赤いワンピースの女が終わらない自殺を繰り返す夢を、眠っている間の小町くんはずっと、ずっと、見続けていた。
「病院にいる間に親と連絡をとって、実家に帰る事に決めたんだ。
怖かった、怖かったから家具も何もかも全部、頼んで人に捨ててもらった。フローリングの床は今でも怖いんだ。
この先何もないなんて簡単には思えない。俺、もし次に何かあったら絶対に死ぬじゃん」
だから、誰かにこの話を聞いて欲しかった。
でも、話す事で恐怖が進行するかもしれなくて、怖い。
ただ、俺がもし自殺をしたら、それは俺の意思じゃないから知っておいてくれる人がほしかった。
小町さんはそう話をしてくれた。
この話を聞かせてくれた日以降、僕は小町さんのユーザーアカウントがオンラインゲーム、音声通話ソフト共にオンラインになった所を見ていない。
作者怪談夢屋