長編11
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守られる

地元の同級生に、玉木という男子が居た。

かなりの悪ガキで、すぐに手や口を出しては、私を含めた他の子供を泣かして、いつも笑っていた為…幼い頃から、その名前は地域の中でよく知られていた。

小学校に上がると、相手の親を巻き込むレベルで暴力沙汰を起こすようになり、度々保護者会が開かれた程だ。泣かされた教師も沢山いて、心を病んで退職した人もいたらしい。

だが玉木の親は…「家で独りぼっちだから…ただ、寂しがり屋なだけなんです」と言うだけ。

何でもその頃、玉木家の経済は逼迫していて、朝から夜遅くまで働き詰めにならないと生活が成り立たず、息子を家で一人にする他なかったとかで…どれだけ言及しても、同じ事を繰り返すだけだったという。

それでも納得のいかない大多数の人間は詰問したというが…ある時から、夫婦揃って頭から血が出る程の土下座をするようになり、保護者達はそれ以上、強くは言えなくなったという。

だからか…玉木が悪ガキから暴君へと変化するのに、さほど時間は掛からなかった。

面識のない女子生徒を一方的に追い回したり、「何となく気に入らない」という理由で、取り巻きと一緒に暴力を振るったり、私物を壊したり…酷い時は、「何かちょっと、むしゃくしゃする」と言って、近所の野良猫やペットに手を出したりと…その立ち振る舞いは、日を追う毎にエスカレートしていった。

だが既に、校内や近所で彼を注意する人は少なかった。良くも悪くも事なかれ主義なこの風土が助長したせいで、玉木の横暴は留まる事を知らなかったのだ。

だから実質、玉木の居る場所は無法地帯。警察も然程アテにならず、被害者の多くが泣き寝入り状態だった為…私達は、玉木の傍には絶対に近付かない等、出来る限りの自衛でやり過ごす他無かった。

だが、正義感の強い人からすると、そんな状況が歯がゆく感じてしまうようだった。

「このクソガキが!!いい加減にしないと酷い目に遭うよ!」

近所に住む、山田というおばさんは正にそういう人で、近所で玉木と出くわす度に、かなり厳しい口調で注意していた。

傍から聞いているだけでもキツイのだが、玉木はどこ吹く風…ニヤニヤして「すみませーん」と、心にもない謝罪をするだけだった。

そのやり取りを見ながら…私は、玉木のその余裕はどこから来るのか、疑問だった。

血気盛んな若者だからなのか…もはや注意され過ぎて感覚がマヒしているのか…けど、理由はそのどれでも無く、更に…受け入れがたいものだった。ある日の放課後、教室を牛耳って、取り巻きに話しているのを偶然耳にしたのだ。

「俺には強い神様が付いてるから、何しても大丈夫なんだよね!」

…曰く、玉木家には先祖代々祀っている神様がいて、それが守ってくれるのだという。

かなり強い霊力を持った格式高い神様で…玉木家が手塩にかけて祀ってきた事で、絶対に離れないようになっているそうだ。

ニヤニヤしながらも話すその言葉には妙に真実味があって…聞いていた取り巻き達は、手離しで感嘆していた。

「それって無双じゃね?すげえ~!」

「そう!今は俺が受け継いだんだ!しかも、守ってくれるだけじゃないんだぜ…」

守るだけじゃないって、どういう事?と…その時は、何の事か分からず聞いていたが…数日後、私はその意味を、思いもよらぬ形で知る事となる。

山田家のおばさんが、突然亡くなったのだ。

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近所の人の話によると、おばさんは直前まで元気だったのが、急に胸が苦しいと言って倒れ、病院に運ばれたが手遅れだったという。

それだけじゃない。玉木を目の敵にしていた校内の指導教員も、謎の交通事故で大怪我を負い、玉木の暴力に反抗した同級生の高沢君に至っては…両親が相次いで倒れ、病死したのだ。

偶然とは思えない出来事の連続に、背筋が凍る。全員…何ら悪い事はしていない。むしろ、玉木の言動を注意し、拒否しただけ。

なのに、こんなに立て続けに不幸が続くなんて…

「…玉木の話、嘘じゃなかった…怖いよ」

高沢君の両親の葬儀で、誰かがそう呟く。逆らうだけで、こんなに酷い目に遭うのか、と…事情を知る人は、私を含め皆怯えていた。

「よお!親父もお袋も残念だったなー!でも、当然の報いだ!」

玉木は、出棺の直前にフラフラとやって来るなり…嬉しそうな顔で高沢君にそう言った。

高沢君は、泣き腫らした目で一瞬玉木を睨んだあと、言い返す事も無くずっと無言だったけど…遺影を持つ手が、ぎゅっと強くなったのを、その場にいた誰もが見ていた。

「まあ、テメエもせいぜい気を付けろよ?っと…あ、クラスの皆いたんだー!さーて、次は誰にし・よ・う・か・な…なーんて、冗談だよ(笑)!じゃあなー!」

玉木はそう言い捨てると…爆笑しながら、取り巻き数人を従えて、会場を後にした。

「…最低、あんな最低な奴を守る神様なんて、いるわけないよ…」

帰り際、友達が涙を滲ませながら言うのを、私は黙って頷いた。

そう、神様がいるから、何でもしていいなんて、そんな事ない…玉木が勝手に思い込んでいるだけだ。

「きっと罰が当たるよ…あいつ」

「うん、きっとロクな事無いよ…」

そんな会話を交わしてからというもの、私達はより一層、玉木達への警戒を強めた。

幸い、取り巻きの一人が窃盗で逮捕されたのを機に、グループはあっけなく解散したのだが…玉木を恐れて、卒業後私達は、蜘蛛の子を散らすようにバラバラになった。

私は就職で上京し、高沢君は一人遠くへと引っ越した。そして残りの人達も、敢えて地元から離れた場所を、進学や就職先に選んだと聞く。

…しかし、私達の思惑とは裏腹に、玉木自身はその後、非常に順風満帆な生活を送っていた。

両親が興した会社が大当たりし、玉木は縁故入社。その後、受付嬢をしていた女性と結婚し、翌年には娘が産まれ…更に、家は増改築の末に立派なお屋敷となり、まさに安泰そのもの。

だからか…いつの間にか悪童振りは成りを潜め、他人には見向きもしなくなったという。母や地元に残った友人曰く、過去を知らない人からすれば、非常に子煩悩で妻思いの「良き夫、良き父」にしか見えないらしい。

聞けば聞く程、もやもやとした不満が募る。

どんなに玉木が良い人に生まれ変わったとしても、過去の横暴な振る舞いを水に流すなんて到底出来ないし、考えられない。

だけど、地元に残った人にとっては「玉木が何のトラブルも起こさない」だけでも有難いそうで…住民の多くが「奥さん様々」と言って、安堵しているそうだ。

「…神様の力らしいから、仕方無いわよね…」

「諦め」の二文字が漂う友人の言葉に、私はどう返事をすればいいか、分からなかった。

神様なんて不確実なものを、玉木一人の存在によって認めざるを得ないなんて…しかもその宿主は、傲慢無礼極まりない人間なのだ。

でも…これが現実なのだろう。そう思った時、心の中に小さな絶望が生まれた。

何処に生まれ落ちるかなんて、誰にも分からないし決められない…過去の行いなんて…玉木はきっと、ロクに覚えていないだろう。

だからこそ、人並み以上の幸せを手に入れた今、他人の事など、どうでも良くなったのだ…虐めっ子の心理なんてそんなもの。つまるところ…理不尽さを、受け入れる他ない。

だとすれば、凡人に出来る事は一つ…反面教師にするか、忘れるだけだ────

その時を境に、私は敢えて、慌ただしい日々に身を置いて過ごした。幸い、望み通り激務に追われ…年月を重ねる毎に記憶は薄まっていった。

しかし…それから五年後の事だ。久しぶりに電話をしてきた母から、思いもよらぬ事を知らされた。

玉木の妻子が事故で亡くなった、と…

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通夜会場に足を踏み入れるや否や、男性の凄まじい慟哭が会場に響く。

と同時に、むせ返る様な甘い匂いが鼻につき、思わず口を押さえた。ふと見渡すと…弔問客の多くが皆、私と同じく、ハンカチや自分の手で口元を覆っている。

その匂いの元が、奥の方にあると気づき目を向けると…泥なのか何なのか、グズグスに汚れた床の上で、男が突っ伏し…言葉にならない言葉を発しながら、人目も憚らず泣き叫んでいた。

それが、数年ぶりに見る玉木の姿だった。

母の代わりにと、形だけのつもりで参列したが…その惨憺たる空気に、無理やりでも断れば良かったと後悔が襲う。

甘い匂いはどんどん濃さを増し…焼香の匂いと混じって悪臭へと変わる。しかし、玉木は服が汚れるのも構わず…その悪臭を放つ泥の様なものをしきりに手で集めては、口に運んでいて────それが、ぐちゃぐちゃに溶けたチョコレートだと分かった瞬間…胃の奥がせり上がるのを全身で感じた。

と…そのさなか、列の後ろに並んでいた誰かが言った。

「パパに渡すんだ、って…言ってたのにね…何もあんなにして食べなくても…」

それは、バレンタインデーの夜の事だったという。玉木の運転する車は、見通しの良い大通りで突然ガードレールに激突し…救急隊が来た時には、既に同乗していた妻子は事切れていたそうだ。

なのに、車を運転していた玉木だけは…車の前面が潰れる程の事故だったにも関わらず、かすり傷一つ無かったという。

「ごめんね、私の腰が悪いばっかりに…」

そんな母の声と背中に、僅かに老いを感じるようになったが…玉木の両親に比べれば、だいぶマシだ。

去っていく弔問客に一瞥もせず、ただただ、のたうち回る息子を茫然と眺める両親の姿に、全く生気は感じられなかった。

そんな悲愴な空気の中…黒い額縁の奥で、満面の笑みを浮かべる妻子の顔…その、可愛らしい笑顔にさえ恐怖を感じて、私は逃げるように会場を後にした。

「罰が当たったんだよ」

再会した同級生が数人、声を潜めて言う。でも…玉木は無傷だ。彼の言葉を借りるなら、「守られた」事になる…もし、この会話に気づかれたら…それに、妻子が居なくなった事で、玉木は再び暴走を始める可能性だってある…そう思えば思う程、不安しか湧かなかった。

だが、そのネガティブな予想は杞憂に終わる。妻子の一周忌を過ぎたあたりから、玉木の家に見知らぬ女性が出入りするようになったのだ。

友人曰く、先妻とは見るからに真逆で…ふくよかな体に露出の多い服を纏い、玉木に対してかなりベタベタ接していたそうだ。

ただの交友関係ではないな、と思っていたら案の定…女性のお腹は日を追う毎に膨らみ、次に友人が見かけた時は、玉木と一緒に仲良くベビーカーを押していたという。

だが…そんな光景も束の間、女性は傷害事件を起こして逃亡した挙句、警察に逮捕された。

別居中の夫だという男が玉木の家に押しかけ、子供の父親を巡って取っ組み合いになった末、男を突き飛ばして重傷を負わせたのだ。

更に検査の結果、子供の父親は玉木でも夫でもない事が分かり、女性の両親が、半ば強奪するように子供を引き取り、どこかに行ってしまったらしい。玉木はまたしても、自分だけ無傷で済み、妻子を失った。

と…ここまで身内の喪失が続けば、普通なら気も体も病んでしまう筈だが…何故か玉木に、そんな様子は見られないそうだ。友人の言葉を借りると、「何と言うか、死にたいのに体が抗っている感じ」らしい。

何でも、玉木は乱闘事件を境に自傷行為を繰り返すようになり、暴飲、OD、リスカ等…考えつく限りの自傷行為をしては病院に搬送されるのだが、どれも半日から一日で回復してしまうというのだ。

その生命力の強さと、関わる女性が次々不運に見舞われる事から、密かに「死神」と噂されるようになり…あれ程恐怖の対象だった玉木に対して、皆いつの間にか、白い眼を向けるようになったという。

「あいつに憑いてたのって、死神だったんだよ。お似合いだよねー」

私はまだ、恐怖を拭えなかった。東京にも玉木に似た人間は沢山いて、嫌な思いも多少は経験したが…嫌な奴本人が一番不幸だと知る事で、何となく安心出来るのだが…玉木にだけは、その道理は通じないかも知れないのだ。

これまで、噂好きの友人に付き合う形で色々と話を聞いてきたが…これ以上玉木の話題は聞きたくないし…実を云えば、地元とも縁を切りたかった。

なのに、因果とは恐ろしい。結婚の挨拶に行きたい、と…当時まだ彼氏だった夫が頑なに主張した為に…私は再び、地元に戻る事になったのだ。

しかも、挨拶だけの筈が町を歩きたいとまで言い出し…悩んだ末、私は、近くの神社に彼を連れ出した。

一通り参拝を終え…見晴らし台から景色を望む。遠くから見れば、何の変哲もない、可愛らしい箱庭のような町。

ふと、子供の頃にやっていた、家の屋根を数える遊びを思い出し、私は一つ二つと数えた。

だが…その時…

「……欲しい………」

突然、背後の腰のあたりを…誰かの息がかすめた。

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いつもの私なら、無視してその場から去る所だが…何も事情を知らない彼氏の戸惑いに気づいた私は、咄嗟に言葉を返した。

「…何が欲しいのですか?」

…今思えば、私は何故あんな事を口走ったのか、不思議でならない。

境内に入った時から、私は何となくその影に気づいていた。…両ひざの特徴的な痣…それを持っているのは、この地域で一人しかいなかった。

「…血が要るの…あの子と一緒の…」

玉木の母親は…そう言うなり、うつむいていた顔を、「ガクン」、と…こちらに向けた。

「…血が要るの……」

その異様な関節の動きに、思わず息が止まる。焦点の定まらないガラス玉のような目…そこに、光は宿っていなかった。

「血…って…?なんですか…?」

後に夫となってから、私は一度だけ…尋ねた時の心境を聞いてみた事がある。幸い、夫にはあれが、「痴呆症を患った年配女性」として映っていたそうだ。

それを知って、私はやっと安心できた。

私が、この町の多くの人が、心の奥底でずっと抱えてきた恐怖と憎しみ…夫にだけは、こんな感情を抱かせたくなかったのだ。

あの話だって、玉木の母親が、勝手に思い込んでるだけ…ただの妄想だ。ただの…

「アレは…私の母が死ぬ間際に…あの子に受け継がせたの。…母が生前、色々お願いしちゃったのよ…愛してたから…だからねぇ、あの子自身には何も起きないのよ…あの子に『だけ』は……ごめんねぇ」

「でも…『アレ』はね…息子の事を本気にしてるんですって……神様なのにねぇ…嫉妬、してるの…だから、…あの女も、娘も…みんな…消しちゃうの…息子を傷つける奴は…邪魔する奴は、みんな、みぃーんな……可愛そうよねぇ………」

「……でもね、あの子…まだ頑張ってるの……そろそろ離れたい、って泣きながら……ねぇ、偉いでしょう…?…」

だって、血が要るんだもの────

帰り際…道の脇に添えられた花束が目に映った。

生けられたばかりのその花束の上には、何故か泥が飛び散っていて…それは、あの時と同じ…ぐちゃぐちゃになったチョコレートの欠片だった。

途端に、眩暈と吐き気が襲い、その場にうずくまる。

「え、え、大丈夫!?…も、もしかしてだけど…つわり…?」

子供が出来た事は、先月から分かっていた。でも…何もこんな所で…

「ごめん、大丈夫…手、貸して…」

その、彼の腕越しに、二人の男女が横切る。

パンパンに膨れたお腹を、これ見よがしにさする女と…その隣を歩く男。

────玉木、また再婚するらしいよ?懲りないよね~

…果たして今度は、生き延びれるのだろうか…?いや、もう忘れよう。

凡人に出来る事なんて、それぐらいしか無いのだから。

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