俺の大学生時代、同級生に江澤って男がいた。
学科は違うけどサークルが一緒だったから、何て事無い世間話を交わす感じの、いわゆる「まあまあ仲の良い奴」だったんだ。
江澤は真面目で、運動は苦手そうだったけど頭は良い。見た目童顔で若い感じだったから、初めて年齢を聞いた時は結構驚いた。5つも年上だったんだ。
何でも、暫く諸事情で療養してて、進学が遅くなったらしい。ヒョロッとした生っ白い体付きから、なるほどそうか、と合点がいった。
とにかく江澤の第一印象は、真面目で勉強熱心…って感じだったんだ。
所が…付き合い続ける内に、俺は心の隅にモヤモヤした感覚を持つようになっていた。
仲は良いんだけど、会話や行動に何とも云えない違和感を覚えるようになっていたんだ。
それから…彼の性質にも、少し疑問を感じていた。と言うのも、江澤は他の人よりも神経質で、自分のやり方を押し通すみたいな、自分の考えが一番正しい、っていう気質なんだ。
その性格が原因だからか、時折サークル内で先輩や同期と言い合いになってたんだが…江澤は如何せん頭が良いから理論武装して、相手の粗をチクチク突くんだよね。
それで、ヒートアップすると話の内容とは関係の無い部分とかを責めるんだ。
だから、1学年が終わる頃には…既に江澤はちょっと腫れ物的なポジションになってしまっていて…かなり浮いてた。
それだけじゃなく、サークルの仲間でどこか遊びに行く行事とかあると、必ず一人は、
「江澤には来て欲しくねぇな~」
って、冗談めかして言われてしまうような、一種の弄られキャラになってたんだ。
俺は、そこまで江澤の事を嫌いになれなかったし、嫌いになったり弄る理由も無かったから、まあこれまで通りに付き合いを続けようって思ってた。
モヤモヤした感じは持ち続けてはいたけど、短所ばかり見てたらキリが無いし…って。
だが…その何とも形容しがたい違和感の正体が、ただの気のせいではないって事を…
そして、まさか自分があんな体験をするなんて、思ってもみなかったんだ。
separator
それは2学年の後期の冬休み。サークルの忘年会での事だ。
帰省組を除いた10人か15人くらいで、良く行く居酒屋の座敷で飲んでたんだけど、何かの話の流れで、「初詣とか行く?」みたいな話題になった。
俺自身は、いつも年始はダラダラしてるし、家族も特別信心深いとかも無いから、気が向いたら行くか~って認識で、他の皆もそれぞれ、行くとか行かないとか言ってたんだ。
だが、その時俺の隣に座ってた、川田という1年の女子の話がきっかけで、事態は思わぬ方向に向かって行った。
川田の家は毎年必ず初詣に行っていて、しかも来年は家族の1人が厄年、しかも本厄だから護摩焚き(って言うの?)しても貰うとかで、俺達はそれを聞きながら、今時の若者にしては結構真面目だな!って反応してたんだが…
そのさなかに突如、「バカだろお前?」と、言い放った奴がいた…江澤だった。
バカはねぇだろって数人で庇ったんだけど、江澤はお構い無しに「神頼みなんて軽薄」だとか何とか…いつものチクチクした理論で、川田に向かって話し始めた。
川田は先輩だから…と江澤の話を真剣に聞こうとしたもんだから、次第に言葉が刺さって耐え切れなくなったのか、終いには俯いて落ち込んでしまった。
さすがに俺を含む数人が「もうやめとけって」って江澤を牽制して、どうにか場を収めようとしたんだが…
あろう事か、江澤は一通り話し終わると…自慢気に俺達全員に向かって、
「俺は陰陽道の人間だから分かるんだ!」
って啖呵切るように言って、店を出て行ってしまったんだ。
それを聞いて…その場にいた全員が黙って、座敷全体がシーンと静まり返ったんだが…次の瞬間、ドワーッとその場がひっくり返るような笑いが起きた。
「待って!陰陽道って(笑)」
「神社って陰陽道の類じゃないの(笑)」
「ウケる!腹痛てぇ~!!!」
って、もう皆に大受けしてた。かくいう俺も腹抱えて笑ったよ。飲んでたウーロンハイ吹き出しそうになって危なかったわ。
でも、それと同時に…江澤はどうにかこの輪の中に混じりたくて、普段皆がやってるような、弄りとかボケを自分なりにやろうとしたんだな~って、そう思った。
なんだ、場に溶け込もうと頑張ってはいるんだな。でも、拗らせた感じになっちゃったんだな、って。
結局、その後は江澤の居ない所で「陰陽道」のネタで盛り上がって、終始笑いが収まらず、川田も笑顔に戻って忘年会はお開きになった。
…その筈だった。
忘年会から3日後の夜、突然川田からメールが送られて来たんだ。しかも、謎の写真付きで。
separator
サークル内の仲間のアドレスは大体交換してはいるものの、私用で連絡をし合う事は、実は殆ど無かった。
だから、後輩の女子から突然連絡が来た事に驚いて、暫くメールを開くのを躊躇した。
その時ちょうど、年下女子系のAV見てたからってのもあって…変に期待しちゃってたんだな。少し時間をおいて、ドキドキしながらメールを開くと…
そこには、人の形をした紙が映った写真と…「怖い。ごめんなさい、たすけて」という一文があった。
内容が不可解で混乱したんだけど、何の事か知りたくて、とりあえず「何これ?どした?」って返信をした。
すると今度は電話の着信が鳴り…見ると川田じゃなく、同期の島野って女子からで…通話ボタンを押すなりテンパった声で、
「川田のメール見た?今から会えない?」
と…招集を受けた。
時間にして夜の10時。地方都市とは言え、年末のこの時期に開いてる飲み屋なんてあるのか?って思っていると…意外にも島野の家に来いとの事だった。
島野は俺と同じく地元出身で実家暮らし。高校の部活が一緒で、何度か友人を交えて夕飯を食わしてもらった事があったから、家には迷わず着いた。
ドアが開くと島野が出迎えてくれて、リビングに通されたのだが…ソファに川田が座っていて、明らかに顔色が悪かった。
「急にごめんなさい…」
川田に謝られるも、事情が分からない。すると島野は、川田に何か出すよう促した。持っていたカバンから出てきたのは…メールで送られてきた、あの紙の人形だった。
「忘年会のあとからずっと、これが知らない間にカバンに入ってたんだって…それから、ずっと江澤に変な事言われてるんだってさ」
…事情を聞くと、忘年会の次の日から、川田宛に江澤から電話が掛かってくるようになったそうだ。
内容は大体同じで…「神社にお参りなんて馬鹿馬鹿しい」とか云々。
そして時を同じくして、川田のカバンの中に紙人形が入っていたらしい。入れた覚えも、貰った覚えも無い人形が。
不気味に思うも、きっと外出中に何かの拍子に入ってしまったのだろう…と無理やり信じ込んだのだが…今日の昼頃、川田のバイト先にやって来た江澤を見て、背筋が寒くなったそうだ。
というのも…江澤のカバンに、紙人形と同じ形の、キーホルダーの様な物が付いていたというのだ。
川田はその時、バックヤードで飲料物の補充をしていたから、鉢合わせにはならなかったというが…棚の隙間越しに江澤の姿を見て、「先輩に違いない」と、何故か確信したという。
「先輩…電話で、『うちには松宮っていう凄い人がいるから』『とにかく神がかってるんだ』って言ってて…そんなの、めちゃめちゃ怖いじゃないですか…しかもあの飾り…だから、絶対先輩だって」
そして、バイトの帰りにカバンを見ると…また入れた覚えのない紙人形が入っていて…恐怖でパニックになり、偶然履歴が残っていた島野に連絡を入れたてしまった…と。
俺にメールを送ったのは、江澤と仲が良かったから、何か知らないか聞く為だったという。
そう言われても…俺は他愛のない世間話以外はした事が無い。家族だとか、プライベートの話は一切、話題にも上らない。
当然、松宮という人間も知らないし、同じ苗字の知り合いも特にいない。
でも、だからこそ…この謎の紙切れと、神様云々っていうのが不気味だった。
正直、バッグの飾りと、知らない内にカバンに紙が入ってたって言うのは、ただの偶然とも思えるし、余り信じられなかったけど…川田が演技している風にも到底思えなかった。
その夜は結局…俺から江澤に電話を掛けたが繋がらず、川田はパニックで自宅に帰らないまま島野の家に来てしまったため…気持ちが多少落ち着いた所で、皆で家に送ることになった。
「ほんとに何も知らないの?江澤の事」
島野から再度聞かれたが…本当に何も知らなかった。むしろ何故、突然あんな事を言い始めたのか…
神社に何かトラウマになる様な思い出があるのか?
それとも、この間の「陰陽道が~」ってネタが続いていて、川田をからかっているのか…?
実害と言えるほどの事が起きていないだけに、俺は江澤の事が気になって仕方が無かったが、思い当たる答えは得られなかった。
separator
「あ、あ、あの…ごめんなさいこんな時間に…」
12月30日の夜中…日付的にはもう大晦日になっていた。時計を見ると午前2時半を指している。
大掃除で疲れて、ようやく寝つけたという時に突然耳元で着信が鳴り…俺は不機嫌な声で
「もしもしぃ!?」
と電話に出ると…それは川田からだった。通話口の向こうの川田はかなり小声で…しかも喉が震えていた。
「し、静かに…気付かれるかも知れない…どうしよう私…どうしよう…」
「…え、ちょっとさ、何があったの?」
「いるんです…!家の前に…」
「誰が?」
「…え、江澤先輩です…」
一気に目が覚めた。江澤が、川田の自宅の前にいる。こんな真夜中に。
電話だけじゃダメなのか…というか、何でそこまで彼女に拘るんだ?
「私の部屋…2階にあるんですけど…なんか、外から変な音が聞こえて…自転車が錆びたような…それで気になって…カーテンの隙間から覗いたら…下に…下に居たんです…どうしよう」
喉の震えはもう嗚咽に変わっていた。
どうする?警察に言うか?その前に…江澤に連絡するか…?どうしたらいいか、こっちも若干パニくりそうになっていた…その時。
キィ…ピキピキ…キキュ…キュルル…ピキッ…
川田の息遣いの向こうから、そんな音が聞こえ始めていた。錆びた自転車の音にも似ているが…俺はこの音に聞き覚えがあった。
それは、江澤が腕や足を動かすタイミングで…時折鳴っていた音。
関節の骨が出す音とは違う、別の…まるで、関節のある人形を動かしている様な。
俺がずっと、江澤に対して感じていた違和感そのものだった。
そして今…それは、川田の目前でも音を立てている。
「川田…とりあえず…戸締りを確認しろ。ちょっと俺もどうしたらいいか分かんねえけど…とりあえずだ、戸締りしろ。いいな?ここは俺がどうにかするから」
俺はしどろもどろにそう伝えると、川田との通話を一旦切って、江澤に電話を掛けた。…すると意外にも2コール目で、江澤は電話に出た。
「おー、どうした?」
と…まるで何事も無い態度。背後がやけに静まり返っている。
「どうしたじゃねぇよ…お前、今…どこにいるんだ?」
「お前も…お参りに行くのか?」
「質問に答えろよ…お前、どこにいるんだよ!」
「もしかして…『気付いた』のか?」
「気付いたって…何が?お前────」
「てめえ!!!邪魔すんじゃねえよ!!!!!」
突如、江澤が耳をつんざくような怒鳴り声を上げた。
separator
体が震え、思わずスマホを床に落とした。
俺が何を言った?一体どうした?困惑して立ち尽くす。その間も江澤は…床からでも十分聞こえる程の大声で、
「やっと見つけたのに!!!!!」
「お前が邪魔したら、『力』が貰えないだろうが!!!クソ野郎が!!!!」
…と、俺に罵声を飛ばしてくる。
正直もう…恐怖で会話を続ける気力が無かった。夢であって欲しい…そう本気で願った。
数分後、江澤の罵声は…ゼェゼェと呼吸する音に変わった。怒鳴り過ぎて息が切れたのだろう。そして同時に…その息切れの合間に、誰かの話し声が聞こえ始めた。
江澤のすぐ近く…女性が、ボソボソと囁く様な声で何かを話している。
震える手でスマホを取り上げ、耳を当てると…女性は、お経か何かの…謎の言葉の合間に、
「印」「終り」
という単語を発しているのが、辛うじて分かった。印…何の事だ?と思った次の瞬間…
「ヒッ…ヒュェッ!!」
江澤の呼吸が、悲鳴混じりに上ずった。
そして…バタバタ!ガタン!と物を倒す様な音と共に声が大きくなり…あの、川田との電話越しに聞こえた、キュルル…という錆びた音が聞こえ始めた。
「江澤!?おい!江澤!」
「あ…嫌だ…印が…あ、あ、あ…」
明らかに怯えている声。…それも、女性の言葉に。「印」という言葉に過敏に反応していた。
「何で…クソ…お前のせいだ…お前のせいで…また落ちる…」
「は!?何?落ちるって何が?おい!どうしたんだよ!?」
「…また神になれなかった」
ブツッ…ツー、ツー、ツー、ツー…
…時間にして10分も経っていなかったが、とても長く感じた。頬を変な汗が伝っている。
神になれない?落ちる?…江澤、お前一体何を言っているんだ?一体何が────
考える間も無く、また着信が鳴る。川田からだ。
出るなり、さっきよりもパニック状態で、
「消えたんです!先輩が…なんか、先輩の形した…マネキンみたいなのが!なんか…顔とか無くて…粘土で出来たみたいな…き、消えたんです…」
…そう言っていた。「錆びた音」も、もう聞こえないと。
直感で、江澤が女性の言葉で悲鳴を上げたからだと思った。
そしてあの音は、川田の言う、江澤の形をした「マネキン」が出していた…という事も。
「そ、そうか…そうか、良かったな…」
「高坂先輩…大丈夫ですか…?何かあったんですか?」
「いや、大丈夫…大丈夫、もう寝ろ…良いお年を」
通話終了のボタンを押すと同時に、その場にへたり込んだ。
次に目が覚めたのは、兄貴に起こされた時だった。布団も被らず、暖房もつけないままだった俺は、鼻水を垂らしながら泥の様に眠っていたそうだ。
起こされるなりスーパーへの買い出しに連れて行かれ、なんやかんや手伝いをしている内に、あっという間に大晦日が暮れて行った。
separator
────後編に続く
作者rano_2
異音シリーズの番外編です。
この話をもって一応シリーズは完結です。
異音本編はこちらから↓
https://kowabana.jp/stories/33306
シリーズ番外編その①↓
https://kowabana.jp/stories/34047
シリーズ番外編その②↓
https://kowabana.jp/stories/34069
後編は年明け投稿予定です。
本年も読んで頂きありがとうございました。よいお年をお迎えください('ω')ノ