人間の記憶力って大したことないな…
そう改めて思ったのは、中学2年の頃だった。何気無く通る道に建っていたものが、取り壊されて更地になると、「あれ、あそこ何があったっけ…?」と、必ず首を傾げてしまう。
建物があった時は気にも留めない癖に、いざ無くなると気になって仕方が無くなるのだ。
都会じゃないから、僕の地元ではそうそう頻繁には起きないけれど…それでも、僕が体験した、「あの場所」に纏わる出来事は、未だに不可思議で…背筋が寒くなる。
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当時通っていた、学習塾へと向かう道の一角に、ある時ポツンと空き地が出来ていた。
あれ、いつの間に…と、たまたま仕事帰りに、迎えに来てくれた親父の運転する車の中で、ふと気が付いた僕は、信号待ちのタイミングで親父に訪ねた。
「親父…あそこ、あの場所ってなんだったっけ?」
「え?どこ?」
「ほら…あの、隅っこのとこ!」
「ああ、あれか…何だったっけ…何かあったよな、う~ん、俺もわからん!」
「そっか…何だったっけ…」
「こういうの面白いよな!すぐ忘れちゃうんだよな~、おっと、帰りにスーパー寄ってってお母さんに頼まれてたんだった…うっかりしてた(笑)」
何て事の無いやり取りをして、通り過ぎた。きっと家か何かが建っていて、取り壊しただけかも知れないし、もともと空き地だったかも知れないし…
まあ、ちょっと気になったってだけで、その後も、塾での往復の時にぼんやりと視界に入る程度で、大して気にする事は無かった。
それから暫くして、空き地にはショベルカーだとか何かの重機や、作業着姿の人達が出入りし始め、あっと言う間に、四角い形の真っ白な壁をした新しい家が建った。
やや年季のあるアパートで、小学生の弟と両親との4人暮らし。同級生が新築の一軒家に引っ越した、って話を聞いたから、というのもあるけど…流石に自分の家が狭く感じて、白壁の家が目に入る度、「ああいう家に住めたらな…」と密かに思いながら、ぼんやりと眺めていた。
そして、いつもの様に塾から帰っていたある夕刻…新居から人が出て行くのが見え、僕は思わず、どんな人が住んでいるのだろうと目を凝らした。
住人は、両親よりかは若く見えるけど、僕よりだいぶ年上で…多分、40代位。そして、中肉中背?って感じの、何処にでもいそうな男の人。そう、これだけなら何て事ない。
なのに何故か…その男を見た瞬間、僕は突然、言いようのない寒気を感じた。季節は秋と言えど、まだ残暑が続いて蒸し暑いというのに。
「風邪でも引いたか?」
と…僕はその場を足早に、家路を急いだ。しかし翌朝起きると寒気も無く、別に体調も悪くない。不思議には思ったが、テストだの弟の世話だの何だので忙しくしている内に、その時の記憶は頭から薄れていった。
…その筈だった。
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2週間程経った頃だろうか。アパートを出ると、通学路の方角から、何か言い争うような声がした。よく聞くと、僕より先に家を出た弟の声がして…声のする方へ向かうと、あろうことか、ゴミ捨て場のスペースで、弟が見知らぬ男に怒られていた。
「ご、ごめんなさい…ごめ…」
「ふざけた真似しやがって…!」
男はそう言って、じりじりと弟の方に近付いている。
「陽太!」
僕は咄嗟に弟の名を呼んだ。陽太はハッと顔を上げて、「兄ちゃん…!」と振り返り、こちらに駆け寄ろうとする。が…
「お前、こいつの兄貴か?」
男がそう言って陽太を遮り、今度は僕の方に因縁をつけて来た。その顔を見て…僕は驚いた。
そこに居たのは、あの、白壁の家に出入りしていた男だったのだ。
「俺がちゃんと並べたゴミ袋の上に、このガキがゴミを投げやがったんだ!ちゃんとしてたのに!どうしてくれるんだよ!」
ゴミ捨て場を見ると…どこか普段よりも整っている感じがした。そして、その上にポンと置かれた、うちのゴミ袋…陽太がゴミ捨て場を荒らした形跡はない。ていうか、陽太はそんな遊びは絶対やらない。ただ、ゴミ捨て当番だっただけだ。
「あ、ええと…すんません…?」
「は!?それで済むと思ってんのか!」
男が怒鳴っている理由が今一つ分からず、困惑した。こんなに荒々しい人だったとは…というか、出すゴミの内容は間違って無い。そもそも…こういうのって管理人がやるもんだし、管理人は白髪頭のおっちゃんだし…何でこの人が?
朝から、戸惑いやら何やらで頭が若干混乱した。これが、世に言うDQNって奴?都会とか、ネットの話だけじゃ無かったのか…?
そんな事を考えている内に、余程怖かったのか、ついに陽太が泣き出してしまった。駆け寄ろうとしたが、また男に行く手を阻まれ…そして男は何を思ったか、今度は陽太に向かって、
「お前さ、悪いと思ってんなら、この場で膝まづいて、三つ指ついて謝ったら?」
そう言って、口元をニヤつかせ始めた。
その瞬間、本能的に「関わったらいけない」と感じた。
僕は急いで、男の後ろに回って陽太の手を引き、その場を急いで離れた。途中で振り返ると、男はゴミ捨て場で佇んだまま、こちらをじっと見つめていて…すぐに目を逸らした。
あいつ、本気で子供に土下座させるつもだったのか…?!ていうか、なんで俺の家の近くに?もしかしてぼーっと眺めてたから?何で?何で?と、訳が分からずパニックになりながら、僕と陽太は全力で走った。
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学校が終わると、僕はその足で、陽太の通う小学校の校門に向かった。
今朝の光景がずっと頭から離れず…もし帰りを待ち伏せされていたらと思うと、怖かったからだ。
陽太を迎えた後、少し迂回をして、アパートの裏手から玄関に向かう。男の姿はもう見かけなかったが…アパートが近付くと、陽太は微かに震えていた。自分の家なのに、 何でこんな気分にならなきゃいけないのか…悶々とした。
「おかえりー、あ、おやつ冷蔵庫ね!これからパートだから」
母は遭遇していないのか…いつもと同じに僕等の帰宅を迎えると、入れ違いでコンビニバイトに出掛けて行った。
「兄ちゃん…俺、どこか悪かったかな?」
不安そうに聞く陽太に、僕は「どこも悪くねぇよ、あのオッサンが悪い」としか言えなかったが…
それを聞いて安心したのか何なのか、陽太はいつも以上にコントローラーを振り回しながら、「オッサンの馬鹿!アホ!ゴミ!」と…テレビゲームの中で迫りくるゾンビを、あの男に見立てて、ボコボコにしていた。
そして、次の日の朝は男は何処にも現れず、いつも通り管理人のおじちゃんがゴミ捨て場に居たので(風邪で寝込んでたらしい)、僕は「変な奴に、運悪く絡まれただけだ」と、そう思っていた。
だが…それから1カ月後の夜の事。
「ねえ…これ、何だと思う…?」
「…これって、神社のお祓いとかに使う奴だよな?」
夜中、両親の話し声が微かに聞こえ、僕は自室のドアをそーっと開けて、隙間からリビングを覗いた。すると…神妙な顔で、親父が何かを持っているのが見えた。母がパートから帰宅して、玄関ポストからチラシを持ってきた中に、入っていたという事らしいが…
親父が手に持っていたそれは、人型の紙切れだった。陰陽師が使う様な…あれ。
漫画や映画でしか見た事が無いものだったから、思わず「すげえ」と、小声で呟いた。しかし、両親の会話はどこか重く…母の声は、少し震えていた。
「最近ね、パート中によく来るお客さんがいるんだけど…何か、その人の鞄についてたのよね…」
「うーん…偶然じゃないか?」
「…でもね、いつも…彼女かな…若い女の子連れて来るんだけど…すっごく態度悪いの。その子に対して。『さっさとしろよクズ!』とか『ゴミ、ボケ』とか…ボソボソ言うのよ。
この間なんか、新人のバイト君にも『 能無し』って言ったのよ?袋詰めを、ちょっと手間取っただけなのに」
「ああ…『モラハラ』ってやつか…」
「でも、彼女良い子でね…『ごめんなさい』って、彼の態度謝ってくれたの。私、黙ってられなくて…昨日、彼の方に『あんまり酷い事言うの、良くないですよ?』ってちょっと言っちゃって…」
「もしかしてそれで?だとしてもなあ…」
話の内容が意外な展開になり、寝ぼけた頭が段々冴えていった。要は、母のバイト先に来る、カップルらしき2人組の彼氏の方が、彼女や店員に乱暴な事を言っていて…母がそれをたしなめたら、紙人形がポストに入れられてた、って事…?なにそれ???
僕と陽太といい、母といい… 変な事が起きている。かと言って、どうすればいいか分からないし…結局、両親の会話は不確実なまま終り、僕もそれからモヤモヤとしている内に再び眠気が来て、眠りについてしまった。
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不思議な夢を見た。
僕は何処かの海岸に佇んでいて、波が打ち寄せるのを、ぼんやりと眺めている。
暫くすると、どこかから僕の名前を呼ぶ声がして…声のする方に顔を向けると、そこには、祖父の姿があった。
「恵都!お~い」
「爺ちゃん!」
生前の姿そのままに…爺ちゃんは笑顔で手を振りながら、こちらに歩いてきた。
「爺ちゃん、なんでここに?」
「俺のな、思い出の場所なんだ…恵都、元気そうで何よりだ。まあ、俺がついてたからな!」
がっはっはと笑う爺ちゃんの目には、何故か黒目が無かったが、不思議と怖くなかった。5年前の春、暖かな縁側でポックリ逝っちまった爺ちゃん。
「ところで、ついてたって…どういう事?」
「お前達の側に憑いてた、って事だな、いつも見ていたよ。恵都がこっそり、やましいビデオ観てたのもな…(笑)」
「ちょ!まじか…キツいなそれは」
「ははは!まあお前も男だ…で、急なんだが、俺はそろそろ、あっちに行かなきゃならん」
「もしかして、婆ちゃんの?」
「そうそう!婆ちゃんがそろそろ、一緒に来いってな…寂しがりだから」
「そっか…爺ちゃんと婆ちゃん、仲良かったもんなぁ」
「まあ、暫くは誰も憑いとらんけど…大丈夫、心配すんな」
「え?ああ…うん」
その時、波が一層こちらに寄って来た。
澄んだ水が、足元を濡らす。
気が付くと、爺ちゃんは目の前に…波の上にふわっと浮いていた。
「『ゆこま』を訪ねなさい…元気でやれよ!しっかり生きろ!…」
エコーがかった声が、頭の中で響く。
そして、爺ちゃんの姿は段々と遠ざかり…霞の向こうに消えていった──────
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「遊駒(ゆこま)」こと…澤崎和子さんは、爺ちゃんが生前、よく通っていたスナックの元ホステスだった。
遊駒は源氏名だそうで…爺ちゃんは店に来ると、いつも澤崎さんを指名していたそうだ。
生前、婆ちゃんは爺ちゃんのスナック通いを、あまり良く思っていなかったらしい。父も、どちらかと言えばそうで…夢の内容を話すと、驚きつつも苦い顔をしていた。
だから…爺ちゃんの遺品の中に、「遊駒」の名刺が見つかったのは奇跡的だった。
店に電話して、店長伝いに連絡を取り合ってもらって…2週間経ち、ようやく会えたのだ。
割と寛大な婆ちゃんが良い顔をしないという事は、もしかしたら素行の悪い人かも知れない、と少し不安だったが…
待ち合わせ場所の喫茶店に現れたのは、今時の、ちょっと若作りした中年女性だった。
テラス席に座り、注文を待ちながら、僕は何からどう話そうか悩んでいた。
ただの夢に真剣になっている自分が不思議で…ましてや、見ず知らずの大人の女性…緊張で、心臓がバクバクした。
だが澤崎さんは…そんな見ず知らずの若者相手に、当たり障りのない世間話を振って緊張を解してくれた。元ホステスの手腕もあるのかも知れないが…
「それにしても、孫がいるのは聞いてたけど、中学2年!?…時間の流れは早いわね。どうりでシワが増える訳だ(笑)最近ほうれい線がねぇ~(笑)」
…と、割と明るい笑い話で場を和ませる、澤崎さんの気さくな雰囲気のお陰だろう。
「夢に、団輔さんが出て来たの?私もお店辞めちゃってから、だいぶ会わないままになってしまって…そう、5年前に亡くなられたのね…でも私の能力の事、覚えてたのねぇ。今度、お線香の1つでもあげないと。」
澤崎さんは、若い頃から「第六感」が鋭く…霊感という程では無いが、人の念や感情が、色になって見えたり、感じたりする事があるのだそうだ。
だから、ホステスとしての接客とは別に、自分が気になる客や、常連の人にアドバイスをしていたのだという。そして、爺ちゃんもその1人で…悩みが有る時は、よく相談に乗っていたそうだ。
結婚を機にスナックは辞めてしまったが、今は商業施設によく有る、手相と姓名判断占いの店に勤めていると話した。
注文したコーヒーを飲みながら、暫く他愛のない話をする中…僕はふと、テラスの外を行き交う人の中に、違和感を覚えた。
そして、街路樹の幹の1つから出たり隠れたりする人影を見つけ…思わず「何だろう?」と目を凝らした。
が…次の瞬間、
「目を合わせちゃダメ」
突然、澤崎さんが僕の耳元で囁き、影から目を逸らすよう促された。
見ると、さっきまでの穏やかな感じから一変、顔が引きつっていて…僕はその表情に、少し恐怖を覚えた。しかし数分経つと、澤崎さんは「もう平気よ」と言って表情が和らぎ、座り直すとケーキを一口食べた。
「あの、あの人は…」
「前にね、私の店に来た人に、ついてた」
「え?ついてた、って…」
「そうね、何て言うか…」
それは、何週間か前…2人の若い女性が店にやって来た時の事。
占いに来るお客さんの殆どは、娯楽感覚で運勢を知りたいという人達で、その2人も、偶然お店を通りがかって、「ちょっと恋愛運知りたいんですよ~」と言って、入ってきたそうだ。
だが…澤崎さんはその時、1人の女性の方に只ならぬ空気を感じ、よく見ると…彼女の背後に、まるで重油が海に流れ込んだ時の様な、濁った歪な黒い影が、纏わりついていたそうだ。
今さっき、僕達の前を通り過ぎた、あの人影と同じ色が。
どおりで…肩や背中が少しゾワッとしたのは、その為だった。
「悪霊的なものですか?」
「いや…生き霊ね」
「生き霊…ですか…」
澤崎さんは、影が彼女に起因するものではなく、第三者の一方的な念だと気付いた。そして、占っていく内に、それは確信を帯び…
「彼女、通ってた料理教室で、ある男性から酷い目にあったそうなの…」
「…いじめとか…?」
「そうかもね…だから、教室変えなさいって忠告したわ。幸い、その子はもう教室辞めてたから、安心したけど…付いてきてたのね」
黒い影は、殆どが「良くない気」なのだそうだ。人間は誰しも、生きてる限りは黒い感情を持っているが…あそこまで淀んでいると、念の持ち主は救いようがない…らしい。
「あなた、あの人影の表情…見えた?」
「顔…う~ん…」
そういえば、シルエットだけはハッキリ見えたけど…顔はおろか服装も、全く認識出来なかった。澤崎さん曰く、念だけが一人歩きして…ここ最近関りのあった人を探している、そんな感じだったという。
「あなた、覚え有るでしょう?」
ドクン、と心臓が大きく鳴った───────
あの、白壁の家に出入りする、僕と陽太に因縁を付けてきた男…
そして恐らく…玄関ポストに紙人形を入れて来た、母のバイト先の…?
咄嗟に僕は、自分の手を背中に回してガサガサと触った。
「あなたのは黒くないわよ(笑)」
「ぼ…僕の家族、どうなるんですか?」
「どうもならないわよ。だって団輔さんが憑いて、守ってたんだもの」
「でも…もう、いないって…婆ちゃんとこ行くって…」
洒落にならない。てか、何もこんなタイミングでいなくなる事ないだろ…爺ちゃん。
「だから私に、会いに来たんでしょ?」
澤崎さんはそう言うと、会計を済ませ、僕をある場所へ連れて行くと言って、タクシーを呼んだ。
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タクシーに乗る事30分…澤崎さんに連れられて行ったのは、神社だった。
「第六感」が鋭いせいで、若い頃は具合が悪くなる事もあったそうで…そんな時にいつもお世話になっていた場所で、神主さんとは昔馴染の付き合いだそうだ。
僕は改めて、ここ最近一家で遭遇した変な男との関わりを、出来るだけ事細かく話した。すると神主さん曰く、男と影…どちらが先に引き寄せたのかは分からないが、良からぬものと共依存の関係になってしまう事が稀にあり、僕達が遭遇した男は多分、その類だろうと話してくれた。
「もう、関わらない方が良いわ。とは言っても、相手は見境無く近付いてくるかも知れない。だから、さっき渡したもの…ちゃんと撒いてね?」
澤崎さんはそう言って、一通りお祓いを終えた後…いつの間に買った清酒の瓶を、某ひよこ型銘菓の紙袋に入れ、僕に持たせてくれた。玄関やベランダに少量撒くか、コップに入れて置いておけば、とりあえず悪い念を避ける事は出来るそうだ。
帰りの電車の中…2車線の道路を隔てた住宅地に佇む、あの白壁の家が車両の窓に映った。
一見、どこにでもありそうな洋風の一軒家。今日は男の姿は見えない。僕は澤崎さんに、さっき話した男の住処だと説明した。すると…
「あれはもうダメだね…」
と、ため息混じりに呟いた。澤崎さんの目には、あの家の壁が、黒く煤けて見えたそうだ。マイナスの感情が渦巻く、良くないものだ、とも…
「腐らず、嫉妬せず、悪口を言わない…これ、とっても難しいのよね。でも、その方が幸せを味わいやすくなるのよ」
帰り際に言われた澤崎さんの言葉…僕もいつの間にか、誰かを羨んだり、不満をバラ撒いていたかも知れない。自分もいつか、ああなってしまうのか…?それだけは絶対に嫌だ。
爺ちゃんは、婆ちゃんと無事会えただろうか…?僕は、守れるだろうか?
いや、守らないと…爺ちゃんがそうしてくれたように。
家族が寝静まった夜中、僕はこっそり、玄関に清酒を撒いた。
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その後、清酒のお陰か、あの男に絡まれる事は、ほぼ無くなった。
「ほぼ」と言ったのは…実は澤崎さんと別れた後も、何度か近所で男の姿を目撃したし…直接何か言われなくても、偶然通りがかりにギロリと睨まれる事があったからだ。
その度に、僕は玄関やベランダに少し清酒を撒いたり、100均で買った小瓶に入れて持ち歩いたりして、予防線を張った。
そして…思わぬ事に、母のバイト先の、コンビニでの件が知れ渡ったのか…僕の通う中学や、他校の生徒数人が、男を煽ってからかうようになった。
しかし、想像していた反応は得られなかったようで…
「なんか、喧嘩腰だって聞いてたけどよ、なんも言い返してこなかったわ(笑)」
「てか、すげえキモかったよな?俺らが何か言っても、ニタニタしてたし、ガキ扱いってやつ?」
「うわウゼエ、超つまんねえ~!あいつ、女にだけ気ぃ強い感じなんかな?」
放課後の教室で、そう駄弁っているのを聞いた。彼らは割と、グループで騒いでいる方だから…男はそういう人間には、攻撃出来ないのかも知れない。
更にその後…僕は思わぬ相手から、不気味な事を聞いた。僕の彼女だ。
「あたしの妹がさ、結構夜遊びしてて…そんで、前に火事で燃えちゃった家あるでしょ?怖い人が住んでたって噂の。あそこがまだある時に、夜中友達数人と忍び込んで、家の中覗いたんだって。そしたらさ…!」
ごめんなさい、次はちゃんとします、どうかお願いです、印を消さないで────────
…と、あの男が肩を震わせながら、繰り返し繰り返し呟いていたそうだ。
そして、男の目の前には、暗くて姿はハッキリと見えなかったが…長身で長髪の女性らしき人影が立っていたという。妹達は、その異様な光景にビビって、速攻逃げ帰ったそうだ。
「印」とは一体何なのか…知る由もない。何故なら彼女の話の通り、白壁の家は突如火事に遭い、跡形も無く全焼したのだから。
ネットの地域ニュースに小さな記事で載ったが、「原因は恐らく火の不始末だろう」としか書かれておらず、住人の姿も見つかっていないそうだ。
火事以降、コンビニにはもう、男は現れなくなったと母は言っていたが…今も、きっとどこかにいる。何故かそんな気がしてならない。
「やっと来れたわ、団輔さん…美千代さん、『遊駒』です」
初めて会ってから約半年後、澤崎さんは約束通り、祖父母の眠る先祖のお墓に来てくれた。
親父は何も言わず…墓前で手を合わせる澤崎さんの背中を、ただ静かに見守っていた。なんでも墓参りの前日に、手を繋いだ爺ちゃんと婆ちゃんが親父の夢に現れて、微笑み掛けてくれたらしく…多分、仲の良い姿を見て、わだかまりが解けたと、安心したのだろう。
「思い出の場所」の意味。それ知ったのは、年末の大掃除の合間に見つけた、古いアルバムを開いた時だった。海辺で、スーツとワンピース姿の若い男女が、笑顔で寄り添って映った…モノクロの写真。
きっと爺ちゃんは、家族の前では明るく振舞っていた半面、しょげた姿を見せたくなくて、澤崎さんを頼っていたんだろう。
陽太と母には、爺ちゃんの古くからの友人と紹介し、その後も不定期だが、澤崎さんとは連絡を取り合っている。
あの時言っていた、「黒く煤けた色」…そして「もうダメだね」の意味は、もしや火事に遭う事を示唆していたのか?と…時折気にはなるけど、そこは敢えて、話題にはしていない。
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僕の体験した話は、ひとまずこれで終わりです。今は、地元を離れて引っ越してしまったから、あの土地のその後は分からないけれど…誰かがテレビで「土地は記憶している」って言ってた通り、僕達の知らない、知ってはならない黒い記憶を、今でも覚えているのかも知れない。今住んでいる、一戸建ての新しい我が家が、そうでないことを願うばかりだ。
作者rano_2
ranoです。ご無沙汰しております。前のアカウントがエラー続きでログイン出来なかったので、新たにアカウント作りました。
「異音」の番外編を描いてみました。もう少し異音シリーズは書こうと思っています。
お付き合い頂けたら幸いです。何卒よろしくお願いします。
前作はこちら↓
https://kowabana.jp/stories/33306