オカルト研究家桂深雪の特別講演

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オカルト研究家桂深雪の特別講演

「一口に怪談と言ってもですね。色々あるわけですよ。

私はね。大まかにわけて3つあると思っています。一つは【怪異譚】二つ目【人怖】3つ目に【意味怖】」

「一つ目は後で死ぬほど語りますからとりあえずおいておいて、せっかくですから近年流行りつつある意味怖について語りましょうか。

意味怖の醍醐味といえば、「何が怖いかを自分で推理する、または友達とかと盛り上がるプロセス」ではないでしょうかね。

ですがちょっと考えてほしいのです。【その過程に楽しみを見出すがあまり、怪談としての本質を疎かにしていないかと】

ちょっと難しいかもしれませんね。ではここで、意味怖の代表的な話、【赤い部屋】について。

あの話は、意味怖の傑作として知られていますよね?私もそう思います。

ですがあれを物語として分析した場合、どうでしょうか?【ただ目の赤い人が部屋を私の部屋をのぞいていた】これだけです」

つまりですね。意味怖は【その思考プロセスを重視する】という点では良いと思います。ですが、あれは物語としては否定せざるを得ないのです。

ただ、意味怖の全てを否定してるわけではないのですよ?叙述トリックの素晴らしい作品とかもありますしね。

ですが、楽しみ方も、怖さの質も違う「意味怖」を「怪談」と一緒くたにしている人が多いのです。これが近年オカルトが衰退した理由の一つかなあと私なんかは思うわけです。

ではここで改めて。【怪談】とは何でしょうか。

この話題で【物語を否定する象徴である意味怖】というのを除外すると【心霊要素が強い作品(俗に言うオカルト)】と【人怖】の二つに分けることが出来ます」

先程どなたか生きている人間の方が怖い、と言っていましたよね?それはごく当たり前の考え方なのです。そりゃあ誰だって刃物持って暗闇で待ち伏せされていたら怖いでしょう?

あとはいじめとか。パワハラとか。狂人やサイコパスもありますね

主にこういった物も【怪異譚】として扱われがちですが、私は良く思っていません。

それはなぜかというと、これらはいわゆる【怪異譚】とは【怖さの本質】が全く違うからなのです。

【人怖】がジャンルを確立できた理由としては【怖さが想像しやすい】というのがあると私は思うわけです。

サイコパスも、やばい人も、狂った人も、いじめも、パワハラも、【読み手がその物語に対してなにが怖いのか想像しやすい】のですよね。どうやって傷つけられるのかな?心が壊されるのかな?ああ怖いなあという様に。いきなり飛び出てくるゾンビや近年のホラー映画もこれに近い物があります。

あと、これは現実的に起こりえます。だから幽霊なんて非現実のものより、人怖が良い!って言うのは至極真っ当なのですが、【怪談】としてはどうでしょうか?

さてここで、私が一番大好きなジャンルである【怪異譚】について語りましょうか

まずここで、怪談好きなら誰でも知っているであろう「ラフカディオ・ハーン」の「怪談」を例としてあげさせてもらいます

まず、怪談に必要なのは【ストーリー】です。長さなんて短くても構いませんが、「物語」である以上「話の骨格」は絶対に必要なのです。

例えば【雪女】の話、ご存知でしょうか。

あれも起承転結、雪女のおどろおどろしさ、悲劇的な結末、と話のプロットがよくできていながら、話として短く、非常に完成度の高いものとなっています。

雪山の話を知っている方なら、【それなら人をばったばったと殺しまくる殺人鬼者と何がちゃうんや?】と思われる人もいるかもしれませんね。

簡単に言いましょう。【怪異譚】に必要な要素は【想像力】なのです。近年オカルトが衰退したのは、オカルトを楽しむための想像力を持っていない人間が増えてきたからだと思っています。

人怖は【怖さが容易に想像できる事】が魅力だといいました。ですが

、【怪異譚】はそうではありません(勿論そういう作品もありますが‥)

例えばですね。先程の雪女の話は雪女が小屋に泊まった猟師を殺すんですよ。

雪女の舞台は雪山である事が殆どですし、昔の猟師は実際にそういう生活をしていたのでしょう。

そりゃあ現実に雪女なんている訳ありません。【おらんもんにビビって何が怖いんや】と思われるかもしれませんが、「山で凍死した人間」というのは現実にいるはずなんですよ。

つまり、この話は昔の人間が(この場合自然現象ですが)悲劇を物語として語り継いできた結果なんですよね。こういった話は山程あります。昔の人々が伝えてきた、昔は確かに存在していた物が想いとして現代に伝わっている、なんて面白いと思いませんか?

これらは想像しなければわかりません。理解しようとしなければできません。

かなり以前、外国で一部界隈を騒がせた、クトゥルフ神話なるものを知っていますか?

そうですね。最近はゲームなどの影響もあり、知名度自体はあがっています。

たとえば【ダニッチの怪】という作品があります。

そもそもクトゥルフ神話は、原典を読もうとすると同じ様な形容詞をなんどもなんどもなんども言い回しを変えて表現を変えて叩きつけてくるめちゃめちゃ読みにくい作品集なのですよ

ただ、物語として本当に面白いのです。【何もできない一般人が超自然的存在に偶然遭遇し、事件に巻き込まるという、有り得るはずがないにも関わらずすぐそこにある恐怖】」という一見矛盾した展開を物語に落とし込んだ才能には尊敬の念しか‥」

いけない。話がそれました。

要はですね。【物語として面白いか】、【いかに現実的でない怖さを読み手に想像させられるか】というのが、【怪異譚】の醍醐味なんですよね。

それは例えば目を閉じた時に、存在しないはずの暗闇から何かがじっとこちらを見ているような恐怖とでもいいましょうか。

そもそもですね。私達は日々現実を生きてるんですよ。テスト、仕事、勉強、コロナ、嫌なこと、怪異譚なんかより怖いことなんか沢山あります。

でも、だからこそ、その現実を忘れる位【興味深い怪異譚】を感じることができる作品に会えるかもしれない、書けるかもしれないというのが私の思う怖い話の醍醐味なんですよね。

つまり、【怪談】は「現実」であってはいけないんですよ。でも限りなく現実に近くないといけない。すぐそこにある恐怖、日常と非日常のほんの僅かな隙間をついて、【それ】こちらに来るかもしれない。あなたが連れ去られるかもしれない」

私は色々と難がありまして、とある場所、普通の人間は関わらない場所に引きこもってた事があるんです。そこで怪談にまつわる日本の昔話、世界の伝承、民話、かたっぱしから読みまくりました。

絵も一切ないし、派手な映像も、何にもない。ただ文字が淡々と書いてあるだけ。一話一話も短い。

でも、これはその当時を生きた色んな人々が、様々な現象を見守り、怪談として現代に繋いできた結晶なんですよね。

今でこそあんまりはやっていませんが、オカルトが全盛期だった時代があるらしいんです。

私はその時を生きていませんが、当時の作品は読み漁りました。

感激しました。良い大人が妖怪とか心霊の話を真剣にしているんですよ?

それ作り話やん?とか、うそやん、みたいな、現代では当たり前の反応もなく、大真面目に絶対作り物であるだろう心霊写真を解析しているんです。

あ、コティングリー妖精事件ってご存知ですか?

外国で、小さい姉妹が、妖精の写真をとったっていいだしたんです。

世界中が大騒ぎになって。当時の専門家が頭を捻っても、トリックもわからなくて。

真相がわからないまま、時は流れて数十年後、その姉妹がおばあちゃんになった時に、実はあれは作り物でしたって名乗り出たんですよ。トリックも公開して。

でもね。面白いんですよこれがまた。

10枚近くあった写真の殆どはトリックで説明できるんですけど、数枚だけ【こんなトリック仕込んだ覚えがない。これなに?】っていう謎の妖精が写っていたんですよね」

新しい時代の進んだ専門家が分析しなおしても、やっぱりわからない。

今も謎のまんまなんです。

そしてもう一つ。なぜそんな心霊写真なんてイタズラをしようとしたのか?という質問に対して、「本当に妖精を見て、その存在をみんなに知ってもらいたかったから」って答えたんですよね。めちゃめちゃ面白くないですか?

私はこういう話が私大好きなんですよ。こういった話は世界中にあります。怪談って、こうあるべきだと思うんです。

確かに怖さ的にはあんまりないかもしれません。でも、物語としては完璧だと思いませんか?

この面白さは【意味怖】や【人怖】では絶対に味わえないと思うのですよ。

勿論、妖精事件は怖さ控えめですが、バチバチに怖い話もありますし、

【こんな話をもっと読みたい、無いなら自分でも作りたい】と思ってしまい、私はこの講義を開いてしまったわけなんですよ。

だから、私の話は周りに溢れている話と比べたら、大分変かもしれません。つまらないかもしれません。読みにくいかもしれません。でも、他では読めないような独創的な怪異譚を取り扱っているんですよ。

あぁもうこんな時間か。今日はこれまで。それではまた。あなたの知らない世界にて。

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