中編5
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逆メリーさん

出張からの帰り、新幹線の中で、俺は笑みをこぼさずにはいられなかった。営業がうまくいったことはもちろん、もうすぐ妻と娘に会えると思うと、自分はどんな乗り物よりも速く走れるのではないかという心地だった。

もっとも今の俺にとって、現実の新幹線の速度は遅く感じた。どうしてはやく家に着かないのかと気が急くのを抑えながら、愉快な気分で土産の紙袋を膝に乗せて、窓の外の夕焼けを見つめていた。

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空が黒色に染まった頃、着信のバイブによってポケットの中でスマホが揺れた。紙袋が潰れないようにゆっくりとスマホを取り出すと、非通知設定という文字が画面に浮かんでいた。怪しげに思いながらも、とりあえず電話に出ることにした。なんたって俺は今、とても気分がよかった。

「わたしメリーさん。今、あなたが猛スピードで近づいてくるの」

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それだけ聞こえるとすぐに電話は切れた。それは不気味な編集がなされた機械音のような声で、もし周りに誰もいないところで聞いていたら恐怖を感じて縮み上がっていたかもしれない。

しかしその時の俺は、それを面白い悪戯電話だとしか思わなかった。自分の電話番号が正体のわからない誰かに知られているのは不満に思ったが、電話の内容については別段気に留めていなかった。

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やがて目当ての駅に到着すると、新幹線を降りて地下鉄に乗りかえた。さすがに出張の疲れが溜まっていたのか、座席に腰掛けるとすぐに眠気に襲われた。

紙袋を踏み潰されないように抱きかかえながら微睡んでいると、再びポケットが震えるのを感じた。もしかしたら妻からの労いの電話なのではないかと思ったが、取り出したスマホの画面を見て俺は幻滅した。

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先ほどと同じ非通知設定の文字が、頭上の吊り輪を画面に反射させつつも確認できた。一度なら面白い悪戯も、二回三回と起こればただの迷惑だ。俺はどっと疲れが押し寄せてきた気分で、大きなため息をつくと通話ボタンを押した。

「わたしメリーさん。今、あなたが地下から近づいてくるの」

その声を聞いて、俺はため息をぐっと飲み込んだ。

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電話は再び一方的に切れた。暗転した画面を見つめながら、自分の顔が硬直していることに気づいた。

もしかして、俺のことが見えているのか?俺は腕の中で紙袋が潰れていることも気づかずに、これまでの電話の内容を振り返った。

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新幹線でとった電話では、"俺"が"メリーさん"とやらに猛スピードで近づいていると言っていた。また今回の電話では、"俺"は地下から近づいているらしい。

たしかに今、俺は地下鉄に乗っている。ぶるりと体が震え、とっさに顔をあげて周りを見回してみる。どの顔も自分に興味はなさげに、それぞれの暇と向かい合っている。俺の気にしすぎか、しかし偶然ならできすぎている…。

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周りの一切が敵になったように感じ、俺は予定よりも早く地下鉄を降りた。駅を出てタクシーに乗り込み、自宅の住所を告げようとして、やめた。今、どこかで誰かが自分の会話を聞いているかもしれない。そう考えて運転手には、家の近くのコンビニまでを頼んだ。

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タクシーは俺の心配をよそに、軽快に夜の街を駆け巡った。移ろいゆく窓外の景色を見ているうちに、少しずつ冷静さを取り戻していく気がした。

あと一キロで目的地というところで、俺はふと思った。電話によると、俺は"メリーさん"とやらに近づいているらしい。そして俺は紛れもなく自宅に向かっている。

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ということは、電話の主は、俺の家かその近くにいるのではないだろうか。出張のせいで三日も会えていない妻と娘の顔が思い浮かんだ。もし、家族が危険な目に遭っているとしたら…。

俺はすぐにスマホを取り出し、妻に電話をかけようとロックを解除した。まさかとは思うが、妻のいつもと変わらない声を聞いて安心したかった。しかし通話アプリから電話をつなごうとした時、それを遮るように着信画面へと移り変わった。画面の真ん中には「非通知設定」の文字が光っていた。

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俺は電話の主"メリーさん"に、初めて恐怖ではなく怒りの感情をぶつけたくなった。ただの悪戯で自分が迷惑に思うだけならいいが、家族が危険を被るのは我慢できない。俺は怒鳴ってやるつもりで通話ボタンを押した。機械のような声は、俺よりも先に言いたいことだけ言って切れた。

「わたしメリーさん。今、あなたがタクシーで近づいてくるの」

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胸の鼓動が早くなる。いつのまにかコンビニに到着していて、俺は運転手に促されておぼつかない足で車を降りた。妻に電話をかけようと思ったが、思い改めて家に向かって走り出した。もうスマホを捨ててしまいたかった。

そうだ、もう電話に出なければいいのだ。俺はスマホを鞄の奥底にねじ込んだ。そして土産の袋がぐちゃぐちゃになるのも気にせず自宅までの夜道を走った。自分の革靴以外の音が聞こえそうで、俺は見えない何かから逃げるようにひたすらに足を動かした。

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家まであと少しというところで、見慣れた景色の真ん中に光る何かが落ちていた。平たい板のような何かは誰かの落としたスマホで、画面には明るく「非通知設定」の文字。俺はそれを無視することができなかった。そのスマホには、俺が妻にあげたキーホルダーがついていた。

俺は汗でびっしょりと濡れた背中を凍らせながら、アスファルトのうえで小刻みに踊っているスマホを手に取った。手が震えているためか、通話ボタンを押すのに三回ほどやり直した。

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「わたしメリーさん。今、あなたが後ろにいるの」

あなた "が" 後ろにいるの。

電話が切れると同時に俺は顔をあげた。しかし前には誰もいない。当然だ、俺はずっと前を向いて走ってきて、その間誰もいなかったのだから。

そう安堵したのも束の間、俺はもうひとつの可能性に気づいた。

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俺はゆっくりと背後を振り返った。

白い衣装を赤く染めた女が、ゆらゆらと揺れながら後ろ向きに立っていた。

やがて血に濡れた顔がこちらを向いた時、俺の手から紙袋が滑り落ちて、アスファルトのうえで音を立てて倒れた。

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土産として買った青い目をした人形が袋から顔をのぞかせたが、それが娘のもとに届くことは二度となかった。

Concrete
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