「『よって件の如し、故にクダンと言う』……と、瓦版などには書かれたらしいのですが、実際のところこれはこじつけらしいのですよね」
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ある日、友人と件の話になった。牛面人身、あるいは人面牛身とも言われる妖怪であり、予言獣の類いである。内田百聞や小松左京も題材にして小説を書いたと言う。
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牛が生んだ子供の中に、時折その件が生まれる。それは人語をしゃべり、予言をするのだ。
「何年後に疫病が流行るが、私の姿を移した画を人々に見せれば厄を逃れる」と。
近世、このような噂話を描いた瓦版が多く流通したのだという。
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「『よって件の如し』という言い回しは近世の証文……借金などの証書などに用いられた定型句です。
この通りに契約を結ぶ、ということですね。
この慣習の語源が人面牛身の怪異クダンにある、と瓦版で主張しているのです。
クダンが予言するように、ここに書かれる契約に間違いはない……とするための定型文だと。もちろん俗説です」
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彼女の話を聞いて、少し前に江戸時代に書かれたカチカチ山の続編を読んだことがあったことを思い出した。
そこでは鵜と鷺の由来譚が語られていた。
狸をだました頭の黒い白ウサギが狸の子に復讐される、という話である。
ウサギは首をはねられたことで二匹の鳥に分かれた。
それからそれぞれを鵜と鷺と呼ぶようになった……という話である。
もちろんこれは完全に俗説であり江戸時代の人物が好きな洒落に過ぎない。
それに似たような話だろうか。
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「そうですね。ただ……その話って黄表紙とかそういうものですよね?
大阪とか江戸で語られたもの、家畜が遠くなった都市部で漂白された洒落なわけですが、件にはそれとは違う尤もらしさ……リアリティがあると思うのですよ。
牛を農耕の際に荷役させる文化圏で語られた怪談で、つまり生活に根ざしているわけです。
もしかすると牛を生け贄に捧げる風習や、あるいは屠殺するような情景から生まれたのでは無いか、という気もします。
似たような予言獣だとアマビエが最近は知られていますよね。
あれも件と同じく予言をするわけですが、決定的に違うのは生死は特に書かれないことです。
件は、三日と寿命が明記されています。死ぬことまでがこの予言獣の特徴なんですよ」
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それで思い出したのですが、と友人は別の話を語りだした。
彼女は奇妙な伝手というか巡り合わせがあって、多くの怪談や怪異譚のストックを持っている。
今回もその中のひとつなのだろう。
「昔、件を見たという人の話を聞いたことがあります」
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昔、仕事の関係で知り合った人物から聞いた話だという。
その人物は西国の出身だったらしい。一九五〇年代、彼は少年期を地方の町で過ごしていた。彼が生まれ育った町は温泉街であったという。
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現代からすると想像が出来ないことだが、当時の日本において温泉街というのはレジャーの王道だった。
家族旅行のみならず、社員旅行などでも賑わっていたという。
飲食や性風俗で生計を立てる人々にとって、格好のビジネススポットだった。
その人物の生家も飲食店を営んでいたらしい。
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そうした職業がひしめく中に、化け物館と呼ばれる施設があったのだという。
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親の因果が子に報い……
そういう口上で人々を誘い、中で様々な妖怪のミイラや標本と称するいかがわしく(そしてチープな)物品を展示していた。
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温泉宿を営む主人の一人が道楽者だったのだという。
いわゆる怪奇趣味者と言えば良いのか。
彼は各地からそうしたオカルティックなアイテムを収集しては展示する、ということを行っていた。
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物品たちにはキャプションが付けられていたとのことだが、それがまた香しいのだという。
アフリカで捕獲された鵺のミイラとか、アムール川流域で発見された河童の骨とか。
友人は話を聞く中で、そうした細部について特に興味を惹かれた、とのことだった。
実際に見ればツッコミどころ満載でしょうね、と言う彼女の声音は既に遠い過去の遺物となったそれらを惜しむものがある。
そんな主人が営む化け物館だったが、実際の生き物というのは居なかったらしい。
あくまで物品の展示が主なものだった。
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しかしある時、本物の妖怪がやってきた、という噂が駆け巡った。生きた『件』が特別に展示されることになったのだという。
当時の少年たちはその噂に震え上がった。
周囲の大人たちは眉をひそめたが、あまりの盛り上がりから連れて行かざるを得なくなった、という。
さながらファミレスで心霊映像を見たいと駄々をこねた僕に根負けして二〇〇円払わされた僕の両親のようなものだろうか。
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「ちょっとよく分からないです。家族でファミレスに行ったことないので……そういうのあるんですか?」
「なんて言うのかな……座席に小型のテレビがあって、それで心霊とかUFO映像とかの映像コンテンツが五分二〇〇円くらいで見れた」
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中学生に進学するころにはもう無くなっていたと思う。
内容は本当に大したことは無かった。
監視カメラにちらと、かなりはっきり人影や円盤が映るというようなビデオだった記憶がある。
現在、インターネットに氾濫する一山いくらの心霊映像があるが、それらと比較しても出来はあまり宜しくなかった。
それはともかく。
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「それで、そう。その方も見に行ったらしいのですよ。件を」
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伝承において、件はすぐに死ぬ。生まれて三日が寿命であるらしい。
そのため生きている件というのはお目にかかれない様になっている。
代わりに全国の見世物小屋などで剥製や骨格見本などが見られた。
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ところが、今回の触れ込みは本物の件である。
化け物館はいつにない妖しい熱気に包まれていた。
子供にせがまれたらしい父母が嫌そうな顔で、あるいは男女がイチャイチャしながら並んでいた。
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少年はその中に、やはり妖しい緊張を伴って並んだ。
本物の件、というワードにとてつもない期待と恐れを抱いていたという。
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一方で、その過大な期待を醒めた気持ちで見ている自分もいた。化け物館には何度か足を運んだことがあった。
そこで展示されているものは、概ね事前の期待に比べるとがっかりするような代物ばかりだったという。そのことが念頭にあった。
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「実際、他の方から聞いた見世物小屋とか化け物の展示なんかは期待外れなものも多くあったと言う話を聞いたことがあります。件が見れるぞ、と煽っておいて、見に行ってみると人と牛が並んで立っていたとか」
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サメ映画を超大作と偽って定額で見せられたようなものだろうか。
今であれば動画やSNSで文句を言うところまでのセットで楽しめるかも知れないが、当時の子供たちにとってはどうなのだろうか。
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少年は一五分ほど並んで、ついに件と相まみえる時間がやってきた。
その光景は一生忘れられそうに無い、と言う。
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「いわゆる人面牛身タイプだったらしいです。毛皮に覆われた四つん這いの身体、そこから人間の……女の子の頭が飛び出ていたのだとか。本物という触れ込みですからね、当然生きていました」
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うー、とか、あー、とか、苦しそうに唸っていた。
少女特有の甲高い声が、苦悶に満ちた低音で響いていた。
視線はあちらを行ったりこちらを行ったりということを繰り返している。
そしてその形相は、薄暗い中なのに妙にはっきりとその目に映った。
顔のあらゆる部分が中央に向かって圧縮されている。
顔全体がまるで、歪んでいるかのようだった。
歯茎はむき出しになっていて、まるで猿の様に見えたという。
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「まさか本物ということは無いでしょうね。普通に考えれば女の子に獣の皮をかぶせて、頭だけを出して見世物にしていた……ということなんだと思います。
もしかすると、いわゆる知的障害者の方だったのかもしれません。
洋の東西を問わず良く聞く話です。例えば映画にもなったP・T・バーナムは身体障害者をサーカスの興業の目玉にしていました」
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だとしても……いや、だとすると余計におぞましいかも知れない。
その子は自由を奪われ、人々の前に怪物として引き出されて来た。
まるで生け贄か、あるいは見せしめのように。
親の因果が子に報い……などと、根も葉もない醜聞で喧伝されながら。
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子供心に、もしかするといけないものを見ているのでは無いか、という思いがもたげた。だが、そう思えば思うほど目が離せなくなっていく。
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そうして、じっと見つめる内に……
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目が、合った。
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件の少女の瞳と少年の目が交差する。さっきまで四方八方に泳いでいたのに。
見てはいけない……いや、見ていたくない、と思った。僕が見ているのか、それとも彼方に見られているのか。それが曖昧になる感覚を覚えた。
そうして、気づけば少年は人々をかき分けて、会場から逃げるように走り去った。
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「……で、まぁこれで終わればいたいけな少年のトラウマなのですが。ちょっとした後日談があるらしいのです」
それから五年ほど後のこと。当地にほど近い場所で行われた縁日に、見世物小屋がやってきていたのだという。彼は中学生になっていて、友人たちとそこに入ろうという話になった。
見世物小屋には鵺だの鬼だの蛇女だのツチノコだのと化け物の名前が羅列されていたらしいのだが、その中には『クダン』もあった。
その文字を見た瞬間、ふっと、五年前の記憶がよみがえった。
それまで意識もしていなかった当時の、この世のタブーに触れた心許ない感覚が一気に襲ってきた。
とてもじゃなくが、その見世物小屋に入りたい気持ちなど無かった。
しかし思春期まっただ中、ちょっとでもビビった様子を見せれば周囲に馬鹿にされることが明白だった。彼は勇気を振り絞り、なんとかその展示に足を踏み出した。
そうして、彼はまたクダンと出会う。
やはり見に来なければ良かった、と今でも後悔している。
そこには件のミイラがあった。
乾燥した人面とやはり乾燥した獣の身体が縫い付けられた、悪趣味な乾物。
その、顔は。
あの時見たあの少女の顔とうり二つだった。
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「人間は見たいものを視る生き物です。そして、見たくないものほど視たくなってしまう生き物でもある」
だからその乾燥したミイラは、単にその方の見たくないものが投影されてしまっただけなのだろう、と友人は言う。
確かにそうだ。その頭部が人間である、という確証も無い。
ああした妖怪のミイラは複数の動物をつなぎ合わせて乾燥させたものであることが多いという。
人面の部分に用いられるのはもっぱら猿とのことだ。
乾燥した猿の頭部が人間の顔のように見える、というのは珍しいことでもない。
その猿の顔と、過去に見た件の顔……語り手が「猿のよう」と感じた女児の表情とが、オーバーラップした。そう考えるのがもっともらしい。
その後、彼は女児を一人もうけた。
別段、その娘に問題は無く、健やかに成長し、成人している。
嫁に出て娘も一人いるという。語り手の男性は孫娘がかわいくて仕方が無い、ということだった。
「しかし、彼は今でも夢に見るらしいのです」
小学生の頃、あの見世物小屋の前で、ドキドキしながら件を待っている。何が起こるのか、なんとなく夢の中の彼は予感している。
やがて行列は展示の中にたどり着く。そこにはあの時と同じように件がいる。
あの時と違うのは……その顔は見知らぬ女児のものではない。
彼の娘の顔。最近では孫の顔の件が隣に鎮座していることもあるらしい。
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目が覚めると、あの呼び込みの声が頭を駆け巡るのだ。
親の因果が子に報い……と。
作者佐倉
人面牛身、あるいは牛面人身とも言われる予言獣クダン。
ところで昭和の時代、クダンは見世物小屋の定番だったとか。
それはミイラであったり、あるいは着ぐるみであったりしたとか。
これらの事情は東雅夫先生の『クダン狩り:予言獣の影を追いかけて』などに詳しいです。